昭和62年 紀の国の夏 野上電鉄

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時々、世間の言葉の使い方について違和感を感じることがある。

「無常」、この言葉を新聞や雑誌でまま見るが、その語感は「無情」である。無常という言葉は僕の知る限り、小林秀雄によって発見された言葉だ。そして小林秀雄的な考えで言えば、無常とは日本文化の特質として常に一方に留まらず進み行く革新性、Like a rolling stoneである。当時あった近代の超克という観念に影響された部分があるかもしれないが、とにかく変化に対して積極的である姿勢を「無常」と名付けたのだと思う。でも巷間、僕たちが「無常」という言葉を目にするときはどうだろう。少なくともその文脈で僕が感じる感覚は「無情」である。あるいは「もののあはれ」である。もちろん厳密な科学用語ではないから、意味合いの厳格さを追求するのは正しくないのかもしれない。でも、やはりそこに僕は拘ってしまう、その使い方が正しいのか、と。

そして四半世紀ぶりに、このネガをPC上とはいえポジに転換して、思わず漏らした独白「何とも無常!」

正直、僕はこのカット、何の劇的な瞬間とも思わずたまたま撮したに過ぎない。でも、いま平成が四半世紀過ぎた視点で見ると、なんと昭和の風景そのものの写真ではないか、そう思う。このカット、どこからどこまで昭和の香りが濃厚に漂う。画面の老人の風貌、もちろんホームに停車中の電車、どこまでも古豪の雰囲気をたたえている。平成生まれの若者に、この写真を見せて「昭和40年」に撮影したと行ってもたぶん、違和感を感じないのではないか。撮した本人さえそう思った。

しかし、よく目を凝らすと画面右のポスター、昭和62年と書かれている。そして何よりも書かれている電車、東急の8090ではないか。

SUSの電車も初期の車輛はコルゲートが特徴、ある意味、それは戦後というか1950年代の技術、一方、8090といえばコルゲート外装を脱し今花盛りと言えるリブによる補強で成り立っているSUS電車の直接の祖と言えなくもない。それに対しモダニズム全盛時代の寵児であった旧阪神の全鋼製電車がホームに佇んでいる。これほど雄弁に時代の推移をあらわず瞬間も少ないのではないか、まさに「無常」である。巧まずしてモダンとポストモダンが同居している、そう言えないだろうか。

しかし一方で思う。これを撮った昭和62年から遡って20余年、その時の感覚で言えばそれほど違和感を感じななかったと思う。上にも書いたが昭和40年に撮影と言ってもおかしくない。しかし翻って、今から四半世紀前、世紀末前後の写真だよ、と言ったらどうだろう。野上電鉄の実際以上に多くの人が時代の遠さを感じるのではないだろうか。平成になって四半世紀余り、更にまた世紀が変わって15年近く経つ。前の時代の風景は急速に過去のものとなりいくら懐かしく感じても、現実の世の中ではその香りすら感じなくなってしまった。

たしかにその意味で時の流れは「無常」ではなく「無情」であるのかもしれない。



# by michikusajinsei | 2014-12-21 08:28 | 野上電鉄 | Comments(2)