平成30年 青島及び温州

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基本的には昭和末期の写真で作っているこのブログだが今回は趣向を変えて最近の話である。

先日、出張の機会があり2年ぶりに訪れた中国。この5年間で3回目、その前は約20年前の平成11(1999)年だから、その頃とはもちろん同じ国とは思えない変貌を見せているが、直近の3回でも行くたびに新たな表情を見せてくれる。

このプロジェクションマッピングは青島で出会った風景。夕食を食べていたら突然、ビルが光りだしみるみる鮮やかな彩色が現れた。しばし呆然となり声を失い見とれてしまった。

聞いて話では、これは特別なイベントで行われるのではなく、またあちこちの街でも似たようなことが行われているらしい。事実、規模はともかく、別の街でも似たような光景は見られた。

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さらに言えば左側の2棟は商業ビルではなくマンションだそうで、こんなマッピングを四六時中やられたら落ち着いて生活できないと思うが、幸か不幸か、見る限り住んでいるのは1割以下、逆に言えばだからできるのだろう。

それにしてもバブル的なと言えば言えるが、バブル景気の頃の日本を象徴するのがディスコのミラーボールであるとするならばなんともスケールの大きい演出、それに対して評論家めいたことは言おうと思えば言えるけれど、スケールの大きさだけは本当に感心してしまう。
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感心したと言えば、この新幹線もそう。確かに川重やアルストム、シーメンスといった会社からの輸入技術ではあるが逆に言えば設計思想の異なるシステムを使いこなして広範囲に路線を張り巡らす運用能力は想像以上に高いんじゃないだろうか。

ちなみに速度は車内の表示を見ていると最高速度307kmまで出していたが我が新幹線に勝るとも劣らない揺れの少なさ。同行者は鉄道ファンでもなんでもないが技術畑の人、これだけ安定して列車を走らせる技術はすごいねえと何度も感心して話ていた。同感である。ただ注文をつけるとすれば椅子の造作がやや雑で、日本風に言えばグリーン車に乗っていたが、その面では快適性が損なわれているというか長時間乗った下車後に身体に強張りがあったのは正直なところである。

そういった新幹線の技術論的な感想はともかくとして一番楽しかったのは車窓風景、景色というより、鉄道それ自体にまだ客車列車や、有蓋車、無蓋車など多様な貨物列車が数多く走っているのを見ることができたことだった。馴染んだ車輌がいるわけではないが、大きな駅のプラットフォームに客車列車が数多く並んでいる風景それ自体、かつての上野駅地平フォームをみるようで自分にとってたまらなく懐かしい風景である。その風景はそのまま僕の十代の風景、高度経済成長末期の日本の風景そのものであるからだ。

その時代、バブルと呼ばれた時代を挟んで30余年が経過した現在の日本、その30年の間に起こった様々な出来事ー平成への改元、二つの大きな地震、大袈裟かもしれないが日本が溶けるのではないかと底知れぬ不安におののいたオウム真理教テロの一週間、大手金融機関が次々と行き詰まり遂には海外銀行から決済停止を求められた金融危機、そして失われた20年と呼ばれることになる長い低迷。

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上野駅の地平フォームを見ていたその時も、ここで見ている風景はいつか変わるだろうとは思っていた。そして現実に変わってきたし、今もこの大陸のスピード感にはかなわないにしても着実に変わっている。

しかし、そのような可視化された風景以上に、こういった災厄の果てに社会の背後にあった時代の空気感はすっかり変わってしまった。

思えばバブルの時代の空気感、それはギラギラとした欲望を露骨に出すことが肯定された時代だった。その時の社会の雰囲気を僕は真夏の時代と形容したが、あの頃に感じていたエネルギーは昼よりも夜の闇の中で輝く人工的な電飾のギラつきの方がより時代に寄り添ういているような気がする。そんな時代の風景、精神に居心地の悪さを感じながらも、やはり心のどこかではその高揚感と欲望をてらいもなく素直に満たそうとする力強さに憧れていたのもまた事実であった。そしてその頃の風景や人々を覆っていた時代の精神は今の支那大陸の風景と大きく重なっている。

そのバブルと言われた時代から30余年、日本社会からあの時のむき出しの欲望はあとかたもなくなった。

自動車一つとっても、平成元年に700万台を超えていた国内需要がいまや500万台。BMWが六本木カローラなどと呼ばれた時代に対して当時1割もなかった軽自動車の販売台数がいまや市場全体の1/3を越す状況である。対して今の中国の国内生産は年間2,900万台、工場の平社員がベンツやポルシェで通勤している世界である。

個人として振り返っても庇護された子供時代と違い自立と責任を求められる社会人としてその変化に翻弄されながら生きてきて、自分自身も求めてきたもの、求めたいものもまた変わってきている。

そういった日本社会と自分自身の軌跡、心境を思うにつけ、30年後に今の日中、それぞれの十代はどのような感傷を抱いて今の時代を回想するのだろうか。

by michikusajinsei | 2018-09-27 07:22 | 支那 | Comments(0)

昭和61年 山陰本線(その8)

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大好きな季節はと問われると夏と答えるのが常であるが、今年の夏の暴力的な暑さはさすがに堪えた。幸いなことに自分の仕事は内勤なので平日の昼間出歩くことはないが、休日も約束がない限り自宅でじっとしていたのが正直なところである。

こんな気候が続くと「日本は亜熱帯になったのか」なんて言説をたまに見かけるが、白状するとその感覚にはちょっと違和感を覚える。僕は熱帯のインドネシア、シンガポール、砂漠のカタールで生活したことがあるがこの酷暑は熱帯を通り越え、ほとんど砂漠の気候に近い。いや昼間の気候を比較すると湿気が多いぶん、もしかしたら今年の日本の方が過ごしづらいかもしれない。実際、中東の来客と話していて暑さの話題を振り向けると同じような感想を漏らす人が多かった。

それに比べると熱帯の気候なんていうものは天国で、確かに昼間は暑いが湿度はそれほど高くないし、特にネシア、シンガポールのような海風の通りの良いところは夜になると気温も下がって汗をかくこともなく、ある意味、避暑に来てもおかしくないような快適さ。シンガポール生活が気に入っていたことの一つはこの気候にあったことも一因である。

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まあ、そういった個人の感覚的な印象はともかくこれだけ暑いとさて少し前の日本はどうだったのだろうかという問いかけが浮かぶ。自分が青少年期ってここまで暑くなかったことは確かだがそれを実証的に調べてみるとどうだろうか。

そしてそう思う人は自分だけではないようで、僕の勤め先では毎週月曜日の朝礼でHSSE(Health Safety Security and Environment)講話と言って安全衛生にかんする豆知識を調べて持ち回りで発表する習慣があるのだが、つい先日、同僚がそれを調べて発表してくれた。

昭和51(1976)年7月の記録では最高気温は全て34℃以下、前年の昭和50(1975)年は34℃に到達したのはわずか1日。昭和52(1977)年に至っては全て34℃未満。その傾向はその後もしばらく続く。そして日本の気温が急激に上昇し始めたのは昭和も60年を過ぎた80年代後半以降、平成に入ってからその傾向が顕著になっているとのことである。確かに自分の記憶としてもそうだ。

僕が高校生だったのは昭和57-59(1982-84)年の3年間だが、高校3年の夏がそれまでに比べて非常に暑く、冷房もなかったから教室でバケツに水を入れて気分だけでも涼しく感じるよう努力をした記憶がある。ただその時でも気温は34℃だった。30年以上前のただ1日の気温をなんで今でも覚えているかといえば、当時はそれが異常な暑さで、その暑さが受験勉強の苦しさと相まって印象に残っていたからだろう、きっと。

逆に言えば、その前までの夏といえば灼けつくような日差しという言葉はあってもそれは他の季節に比べての比喩的な表現で、昨今のような外にいるだけで本当に痛くなるような日差しとは無縁であった。それよりも夏といえばどの季節にも増して活力が湧いてくる時期で、逞しい入道雲とどこまでも続く青空に優しく見守られて青春を謳歌する、振り返るとそんな時間が若き日の僕たちが過ごしていた時代の夏の季節感であった。
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その優しかった夏の時代、僕にとってその時代の夏の光景は海と結びつく。そして僕が殊の外、気に入っていたのは海の光景は山陰本線中部。

初めてそこを訪れたのは高校2年の修学旅行。旅行自体はバスでの移動だが途中、山陰本線を並走し休憩のため止まったドライブインのすぐそばにあった駅が五十猛。

この駅の近くで見た日本海と小高い丘の織りなす美しさに魅せられ、大学に入って、また社会人になってからも何回か通った。

by michikusajinsei | 2018-09-04 06:37 | 山陰本線 | Comments(0)