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UK in 1988(その3)

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「ロックは死んだ」

セックスピストルズ、ジョニーロットンの言葉で、その人なりとこの言葉そのものがパンクムーブメントの象徴ですが、最初、この言葉を知っても意味がわかりませんでした。

前の投稿に書いた通り、僕の世代はポストパンクムーブメントの世代です。だから音楽の様式や表現としてパンクミュージックの存在感はありましたが、パンクムーブメントの登場の衝撃というものに立ち会っていないので、今にして思えば、それを経験していた世代とそこに温度差があったのかもしれません。
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自分にとってのロックミュージックは生きるとか死ぬといった批評の対象ではなく、目の前、あるいは過去のそれであっても自分の琴線に触れたもの、ただ、それだけでした。

曲そのものの好悪はもちろんありますが、ロックミュージックというものの価値を疑っていたわけではありません。

そして、その価値とは、煎じつめて言えば「素朴さ」であり「未熟さ」であるわけです。いや未熟さなんて書くと誤解を受けるかもしれませんね、普通は良い意味では使いませんから。
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でも、ある意味、未熟さという言葉に否定的な価値を与えているのは大人の価値観でしょう。その大人の価値観それ自体に対する反抗という観点から見れば未熟さそのものがロックミュージックの魅力であり、それが力であった、そんな風に思っていたのです。ところが。ある世代以上からみれば、それが「死んだ」と言われる。なぜ、そんな風に言われるのだろうか。

浴びるように音楽を聴きながらも折に触れそんなことが疑問としてわだかまりとなっていたのです。
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ただ一方で、自分が興味を持てる音楽とそうでないものは確かに別れてきました。

一番好きだったのはデビッドボウイ。前の投稿にも書きましたが、彼の紡ぎ出す音楽と言葉、その時々の多彩なサウンド風景、全てが神そのものでした。とりわけアルバムとしてのziggy Stardust、一つの曲としてのHeroes、それにDrive'In Saturdayはレコードで、あるいはウォークマンやカーステで何百回と聞いたか。

ただ彼を除けば、特定の歌手なりバンドなりに傾倒することはありませんでした。スプリングスティーンの明日なき暴走やフロイドのWish you were here、 Zeppの天国への階段、アズテックカメラのWalk out to Winter、あるいはスザンヌヴェガのルカといった曲をよく聞いていました。

スプリングスティーンやフロイドも当時は30代でしたから充分若いですが、聞いていた曲はさらに若い彼らが20代の頃に作った曲、アズカメやスザンヌベガはまさに当時20代、ロックとは自分にとって青春の音楽そのもの。彼らに共感することで絶対的な孤独感を覚えることもなく日々を送れていた、そんな気がします。

今から思えば気恥ずかしいですが、未熟ではあったけれど自分自身の世界観というものを形成しつつあった時期、同時に無闇に拡大していく自我を持て余していた時期、まさに青春の闇をさまよっていた心情に彼らの歌はどれほど寄り添ってくれたか。彼らの音楽は当時の自分にとって救いそのものでした。

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しかし、そんな時代から30年が経ち振り返ってみると、確かにロックの原風景とも言える音楽を聴くことで、そこにロックミュージックの魅力を見出していましたが、其の頃からロックが青春の音楽ではなくなってきたのではないか、そんな気がしないでもありません。

高校1年でしたか、当時毎週買って愛読していた雑誌にFM Stationにローリングストーンズ結成20年特集というものがありました。そもそもロックに歴史があるんだと気がついたのはこの特集なのですが、ローリングストーンズといえば酒と薔薇と薬の日々、ロックミュージシャンの象徴的存在ですが、そんな彼らが結成20年、そして年齢も40歳「へー、ロックミュージシャンって言っても結構歳とっているんだな。」10代から見れば40歳なんて中年の象徴みたいな年齢、思わずそんな感想が湧いてきたのを今でも覚えています。

そしてその感想、というよりもっと漠然とした直感というか、自分がロックミュージックだと思っているものとの違和感がそこにあったわけです。
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そしてその違和感とは何か、その時は単なる世代の違いかと片付けてしまったわけですが、子供と大人の違い、あるいは素人と玄人、あけすけに言えばビジネスの匂いですが、今にして思えばそれが違和感であったんだと思うのです。

しかし現実のロックミュージックはそういったある意味、未熟さが許される世界ではなくなっていた。そして、それは僕が彼らの音楽をリアルに聞いていた80年代よりはるか前に始まっていたのですが、それがいよいよ本格化し、大人の世界が前面に出るようになってきた時代、どのように思います。

もちろん、それが悪いことではありません。ただ、そこに明らかい大人と子供の違いが露わになってきた、そしてその違いとは端的に言えば時間の感覚と社会的な存在感、でしょうか。

当事者の音楽、今から思えば僕がロックミュージックに求めていたものはこれでした。

ギリギリのラブソング、そういうとかっこいいかもしれません。かといってただの欲求不満という言葉で片付けるにはもう少し切実さがあった。自分を受け入れてくれる誰か。あるいは世の中がどこかにあるのではないか。そしてその世界への続く道がどこかにある、そしてその道へと導く灯火、今、52歳の僕がこんなことを書くと気恥ずかしくなってしまいますが、10代後半から20代前半にかけて僕の琴線に触れた音楽はこれだったのではないか。その日から30年以上経ってしまいましたがようやくそれがわかった気がします。

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そしてロックミュージックが体現していた青春的な音楽、それはここに真髄があったのではないでしょうか。

「明日なき暴走」にしても「Wish You were here」にしても、たくさん売れた曲で、彼らの代表曲の一つですし、発表するからにはそりゃ当人たちは売りたいし売れてほしいと思ったでしょうが、マーケティングをしてこれらの曲を作ったわけではないでしょう。というより逆ではないでしょうか。自分の衝動的な気持ちを叩きつけたようなこれらの曲は独りよがりではあるけど、まさに当事者じゃなきゃ作れない切実さに溢れています。

仕事とはつまるところ、何かを予測してそれに向けて時間を振り分けることだと言えなくもありません。そのスパンが週単位、月単位、それぞれの目標に応じてあるわけですがかなり明確な目標の達成のために時間を意識します。また社会的な存在感、これは言うまでもないでしょう。その二つの達成度合いに応じてついてくる社会的信用、ブランド、それを守ることの重さ、大きさの違い、あるいはそれを追求する手練手管、大人と青年の分かれめは、そういった世界に身を投じることを割り切って受容できるか否かではないでしょうか。

その大人社会への違和感を表明することで社会的な存在感を増してきたロックミュージックが、正にその大人的な価値観に取り込まれ、ひとつのブランドとして完成された時期、それが80年代であり、その象徴がライブエイドである、そんな風に言えると思います。ロックミュージックの社会的影響力を利用して政治的な問題であったアフリカの飢餓を救う、正に大人社会の論理そのもののイベントですから。その意味で確かに「ロックは死んだ」そういうセリフが出てくるのはある意味必然だったのかもしれません。

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そんな時代からさらに30年以上経ちました。

デビッドボウイは亡くなり、ミックジャガーは勲章を授けられました。もうロックミュージックは若さの象徴ではなくはっきりと老いを意識する時代へと変化してきています。聞いていた当時はまさかそんな時代が来るとは思いもよりませんでしたが、結局、ロックミュージックの体現していた世界観もまた永遠の存在ではなく一つの時代のアイコンであった、そのそんな風に総括できるかもしれません。

しかし、「死者は雄弁なり」そんな言葉もあります。

私たちは、時にそういった時代の変化の中でも、ある時間が永遠であることを感じる瞬間があり、またこの言葉を実感する人たちがいます。

フレディーマーキュリー、この時、バンド加入から15年、そして39歳。

15年という年月はクイーンというバンドと彼自身が存在感を増していく過程であり、並行してビジネスとしての自分たちをどういう風にマネジメントしていくかという姿が描かれていました。そう紛れも無く大人の世界の風景です。

一方でこのボヘミアンラプソディーという映画を見ていて最も泣ける瞬間、それはライブエイド直前の二つのシーン、フレディーマーキュリーがエイズであることをバンドメンバーに告白し、ビジネスパートナーではなく同志的な友情を再確認する場面、それと長年にわたり心情的確執があった父親との和解の場面です。友人関係、親子関係、ある意味、この二つはビジネス以前の世界、素の自分に共感してくれたり赦してくれたりする関係、ある意味、少年時代の風景であり、この時の彼にはその二つが失われずに残っていたわけです。

この2面性が、このときのロックミュージックに立ち位置そのものと言ったら言い過ぎでしょうか。そして時代の流れは当然後者に対して容赦ない。友人も親子も10代の人間関係はいつまでも維持することができません。それはいつの日か前者の大人の社会に呑まれていきます。それは個人だけではなく社会的な存在としてのロックミュージックも避けることはできませんでした。

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クイーンがライブエイドの会場であるウェンブリーの舞台に姿を現した時、陽の長い英国ではまだ昼の明るさが残っていました。そして彼らがその舞台を去るときには、陽も暮れかかり闇が迫ろうとしていましいた。

ロックミュージックが青春の衝動的な若書きの音楽である時代の終焉を象徴するかのような日が没した薄暮の中で彼らが最後に歌った曲、それは「We are the Champion」王者は傷ついても闘い続ける限り永遠に王者であるという歌です。王者交代を予感しつつもなおまだ闘い続けなければならないという歌詞。この歌こそ、正にこの瞬間に彼らによって奏でられるべき曲として相応しいものは他にありません。そして歌い終わった彼らの退場とともにひとつの時代の幕もまた閉じていきました、

ライブエイドは、そういった意味でロックミュージック青春時代への挽歌であり、またその時代の中で担った役割を終えたことへの有終の美をそれとは知らせずにクイーンに託して飾らせた、そんなイベントでもあった、そんなように今では思えるのです。

本日は平成最後の日です。

この日に何を書くか念頭に置いて日々を送っていたわけではありませんでした。年が明けて評判に誘われてみた「ボヘミアンラプソディー」の感動とその感動により呼び戻された自らの青春時代の感覚をゆっくりと思い出しながら、その時代へのレクイエムを書くような気分で書き連ねた結果、この日にそれを書き上げることができたことの偶然の一致に自分でも驚きます。

平成の30年は自分にとっても我が身から青春という時代が去っていった時間でもありました。その最後の日にこれを書き上げたことで、自分にとっての青春時代に忘れていった宿題のひとつに決着をつけることができたことに、ホッとしたような、けれども少し寂しいようなそんな複雑な気分を感じていますね。


by michikusajinsei | 2019-04-30 18:36 | UK | Comments(2)

UK in 1988 (その2)

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このライブエイドより少し前、デビットボウイが「レッツダンス」というアルバムを発表しました。

この楽曲自体には特に好きも嫌いも感じなかったのですが、自分が影響を受けていた渋谷陽一が自らが主宰している雑誌にこのアルバムの発表を受けて書いた記事「青春の終わりとロックの始まり」この記事というか論考には大きなショックを受けたのを今でも覚えています。
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今、その雑誌自体は手許にないので印象だけで内容を思い出しているのですが「ロックミュージックというものはある種、青春時代の象徴のように扱われてきた音楽だ。青春時代とは自分自身をうまくコントロールできなくて、そしてこうあるべしという世界観を大人たちから押し付けられてそれに抗っている時代、そういったと世界との違和感、あるいはその大人社会との折り合いのつかない自分の存在証明を表現していたのがこれまでのロックミュージック。

しかし時代は変わった。ロックミュージックもポピュラーミュージックの一分野。まず売れるのが第一、これからのロックミュージックはある世代の代弁者みたいな存在や少数派であることの逆説的な優越感から脱しポップミュージックの王道としてより幅広く受けいられることの方向を目指すべきだ。」

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はっきり言ってこの言説は失望と戸惑い以外の何物でもありませんでした。

レッツダンスの発表が1983年4月、僕が高校2年になったばかりのころです。まさに青春時代のとば口にたち、世界の広さを感じ始めた一方で芽生え始めてきた自我を持て余し感情の浮き沈みが激しく、そんな自分自身の葛藤に寄り添ったのがロックミュージック。

ブルーススプリングスティーンの出世作、「明日なき暴走」、原題は"Born To Run"ですからほとんど反対のような邦題の気がしましたが、図らずも原題と邦題でそのギャップが露呈しているこの曲が典型だと思うのですが、絶望と希望の二面性、死とそこからの再生を疾走感のある音楽の乗せて表現されている、それが僕にとってのロックミュージック、でした。

書いていて少し当時の気持ちを思い出してきましたが、ギリギリの切迫感とでも言うのでしょうか、今から見れば幼稚ですけど当時の自分的にはどこに出口があるのかまったくわからない。彷徨の中でどこか明かりが見えないか、その明かりの見えるところに連れて行ってくれるかもしれない、そう思って聞いていたのです。
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そんな気持ちで浴びるように様々なアーチストの曲を聴いていた時に「ロックミュージックっていったって、所詮は大衆向け音楽の一分野、いかに自分が独自の世界を持っているって歌ったって、売れなきゃ目立たない。その意味でやはり売れてなんぼの世界だよ。」と書かれたのですからたまりません。NHK FMでの彼が紹介するロックミュージシャンは気に入ったものが多かったし、その軽妙な語り口自体には魅了されていましたけど、その頃のロックミュージックは特別なものと思っていましたし、ある意味、人生そのものとまで感じていました。

特にこの記事がきっかけで興味を覚えたデビッドボウイの世界、その音楽と詩は当時の自分にとって(彼のある歌の中にもそのような表現がありましたが)神そのものでした

by michikusajinsei | 2019-03-24 09:13 | UK | Comments(0)

London in 1988

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ある意味、この映画で個人的にもっとも納得感、現実感があったのはこの停滞期の描かれ方でした。

クイーンというバンドがいて、彼らにはボヘミアンラプソディーやWe are the Championという大ヒット曲があり、あと何故だか判らないが初期の頃から日本で人気があり「手を取り合って」という日本語の歌も歌っている、そんな断片的な知識はありましたが、僕が熱心に洋楽を聞いていた中学校3年から大学入学前後にかけて、1981 (昭和56)から1986(昭和61)年にかけてクイーンのことが自分の周りで話題になった記憶がありません。

あ、あったか一つ。

ちょうど、その時期はMTV全盛期、音楽と同じかそれ以上にミュージックビデオの出来が売れ行きを左右した時代ですが、その頃、だしたクイーンのビデオで全員が女装していたものがありましたね。この映画でも本家のMTVで「不道徳」ということから放映禁止となってメンバーが激怒するシーンがありました。

このビデオ、日本じゃ普通に見られましたから僕も見ましたが何を訴えたかったのかわからず、音楽自体にも迫力が感じられず「悪趣味」と思った印象しかありませんでした。

一言で言えばその頃のクイーンは「煮詰まっていた」そういうことなんでしょう。
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また、その頃、僕は渋谷陽一という音楽評論家の影響を強く受けていたのですが、彼の言葉、彼自身の表現か借りてきた言葉かはわかりませんが、に「スーパースターは僕たちの不幸の総和だ」という一文にとりわけ囚われてました。

人生いつだって確からしいものなどほとんどありませんが、とりわけ若い頃というものは、不安、不満、怒り、恐怖といった観念的なものに支配されがちなものです。そういう時に人は何に救いを求めるか、ある種のメシア信仰としてスーパースター待望、特にリズムとメロディー、そして時として言葉にて我々の官能に理屈を超えて訴えかけるロックスターという存在は当時の若者にとって救世主そのものに時として写っていたのです。

特に70年代に登場したバンドやスターはそのような性格をその前代である60年代スターと比べてより明確に持ってました。
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今になって思うのはそれはその当時の時代風潮、いやもっとあけすけに言えばそういう風な売られ方を好むと好まざるとに関わらずされたのが70年代、80年代だった、そんな風に思います。いやこれは英米のロックスターだけではなくて日本のアイドルだって同じです。

山口百恵なんて今から思えば想像を絶するくらい若い時代に大人の世界を背負わされていました。「いい日旅立ち」なんて発表当時は違和感を感じることもなく普通に聞いていましたがその世界観「雪解け真近の北の空に向かい、過ぎ去りし日々の夢を叫ぶ時、帰らぬ人たち、熱い胸をよぎる〜」なんて二十歳そこそこの女の子が歌う世界じゃないですよね。

そしてこれは少し下の世代、松田聖子も中森明菜も一緒、彼女たちは10代で30代以上の大人の価値観で作られた歌を歌っていました。だからキャンディーズが普通の女の子に戻りたいと言ったり、キョンキョンのようにアイドルを相対化した歌を歌ってある種の反逆を試みたくなったのでしょう、当事者としては。
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さて、それはともかくとしてライブエイド。

今にして思うのはライブエイドとは社会的な一つのモードチェンジだったのでは、ということです。

ロックミュージックっていうのはカウンターカルチャーの申し子、少なくとも僕の高校の頃まではそんな感覚がありました。良い子は近づいちゃいけないってね。特に僕たちの世代はポストパンクムーブメントですから余計です。レコード一枚買うのにドキドキし、親や学校の先生に見つからないだろうか、なんて今から思えば噴飯物のプレッシャーを感じていました。

そんな風潮が当たり前の中でライブエイド、アフリカの飢えた子どもたちを救おう、です。いや、その感覚が間違っているわけではないですがその場にいたものとしては、なんか違うんじゃないの、そんな違和感を拭いきれませんでした。

by michikusajinsei | 2019-02-24 23:27 | UK | Comments(0)

UK in 1988

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「ボヘミアンラプソディー」観てきました。

いや、もう、評判通りの素晴らしさで見に行ったのは3週間も前ですが誰もが口をそろえるようにラストのライブエイドの再現は圧巻で、今も僕の頭の中ではボヘミアンラプソディーが鳴りっぱなしです。

ただ音楽も素晴らしかったですが、何よりも青春映画として傑作ですよ、この映画は。若いゆえ、ある意味未熟であるがゆえの傲岸さ、強引さ、全能感と、それとは裏腹な信じるものが誰なのか判らなくなっていく孤独感、帰るべき、あるいは帰りたい場所を求める渇望感、友情と葛藤、母親への甘えと父親への反発と和解、そういう個人の軌跡に加え、ちょうどこの頃から急速に産業化しだしたロックミュージック業界の 内幕や興隆期に漂う特有の陶酔感、そういった時代の風景も含めてこのフレディマーキュリー27歳から39歳までの物語であますところなくそれらが描かれ、それが言い知れぬ感動となり深い余韻を持って劇場を後にしました。
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ただ一方で、この映画を見てそしてクイーンの軌跡を真面目に振り返るまで僕はクイーンというバンドを随分誤解していたことき気がつきましたね。

僕の10代は鉄道を別にすればロックを聴くことに明け暮れていた。というよりその二つだけしか生活の中になかったのですが、その風景の中にクイーンはいませんでした。この映画を見た人誰もが息を呑んだライブエイドが行われたのは1985年。確かにリアルタイムでそれを僕は見ていましたが、クイーンの演奏にそれほど感動した記憶はないし、また日本での放送ではビートルズが復活するのかっていう関心ばかりがうるさくて、そして僕自身はレッドツェッペリンが復活することに関心が向いていて他の出演者にはほとんど興味が向いていませんでした。いやもっとはっきりと言ってしまえば、ライブエイドという企画自体を斜に見ていました。有名ミュージシャンの売名行為、あるいは偽善行為だよな、結局。そう思って見ていたのが偽りのない気持ちだったのです。

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事実、ワム!だとかU2といった当時新進気鋭のバンドもいましたけどイベントを迎える前の雰囲気として観客側には上に書いたビートルズやゼップのようにどちらかというと過去の大スターをもう一度見させてくれないかなあ、という意識が濃かったり、出演してくる方も過去の栄光をもう一度蘇らせる的な心情がように思います。そしてまたクイーンもそんなバンドの一つであるように思ってました。正直、クイーンというのは現役ではあったし、その当時でもレディオ・ガガのようなヒット曲はあったけれども全体的には停滞感が残るというか旬の時期は過ぎたバンドというイメージでした。

by michikusajinsei | 2019-02-06 07:20 | UK | Comments(0)