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1988 Paris (その3)

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3月末で終了した「越路吹雪物語」

終わった後も余韻を残し、久しぶりに見ていた満足感が高かったドラマです。
まあ、そう言っても僕が見ていたドラマはシンガポールでは朝ドラと大河ドラマ、帰国後は朝ドラしかないんですが、ドラマとしての放映環境が似ている朝ドラと比較しても質が非常に高い作品ではないでしょうか。

事実、視聴率も平均して7%前後と、この数字は昼ドラという時間帯としてはかなりの高視聴率だそうです。

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このドラマについて感銘を受けたので放映途中に一回、いわば瀧本美織賛歌としてこのブログでも書きました。越路吹雪の青春時代を演じた彼女の演技は本当に素晴らしくて、毎回、彼女の感情豊かな表情や声音に魅了されていたものです。そしてそう思っていたのは僕だけではないようで、ネットの評判もすこぶる良いよう。そりゃそうですよね。このドラマを見ていれば、彼女の輝きは誰の目にも明らかでしたから。

一方、イマイチだったと言われるのは、後半生を担当した大地真央。こちらは越路吹雪ではなく大地真央ショーをみているようと言われて、瀧本美織が続投したほうが良かったんでは、というのが専らネット上の評判。

正直、僕も、瀧本美織の活躍をもう少し見てみたいという気持ちはありましたし、大地真央の個性がより強く出ていたことは否めないとは思います。

でもねえ、だからと言ってミスキャストとは言えないでしょう。

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僕は越路吹雪の全盛時代をリアルタイムでは知りません。かと言って中学生の頃まで生きていた方ですから同時代での存在感を全く知らないわけではないです。そして、その頃の印象を一言で言えば「ゴージャスなおばさん」です。

いい意味でスターの虚像がきちんと管理されていた時代、彼女はまさに堂々したスターを演じるためにきらびやかな衣装を纏い、派手なメイクを施して大衆的な存在感とは無縁な世界をつくりあげました。そしてそれは盟友、岩谷時子の紡ぎ出す歌詞の世界の具現化でもあります。

ある種の大人の物語、夢の世界。半径数メートルの範囲で展開される人間模様と人生経験で構成されている昨今のポピュラーミュージックとは対極にある世界です。

これは良し悪しではなく、まさに時代の風景として捉えるしかないと思いますが、そういう前時代的なスター像を描くとしたら、同じような空気感をまとっている必要がある、その意味で円熟期の越路吹雪を造形するためには大地真央の持つ現代においてはやや鼻につきかねない過剰なオーラが不可欠だった、そんな風に思うのです。

瀧本美織の弾ける笑顔は、戦中戦後であっても平成末葉の今でも変わらない青春の輝き、異なる時代をつなぐ同質性を見事に表現し、一方、大地真央の大地真央でしかない圧倒的な存在感は、その存在感そのものがあの昭和と言う時代の表情を表していた、そうは言えないでしょうか。
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また、このドラマ、脇役陣の好演もたくさんありましたが、とりわけ感じ入ったのは藤本真澄役のデビッド伊東と若き日の内藤法美(越路吹雪の夫)を演じた長谷川純です。それぞれ本人の年齢は51歳と32歳。そして役柄上の年齢はおそらく藤本が40代から50代にかけて、内藤は30代前半でしょう。

デビッド伊東はプロデューサーという職種のある種の軽さと、経営者そして壮年期の男性の持つ重厚さの両面、長谷川純には青年から大人に変わる時期の落ち着きというものが感じられました。いずれも昭和中期に生きていた世代の、それぞれの実年齢に相応しい役柄を醸し出していたんですが、実はこれ、意外と現在の役者で難しいように思うんです。

老若男女を問わず、昭和の頃と比べると肉体的にも精神的にも今の人間は年齢の8掛けなんて言われます。だから昭和の時代を舞台にすると、特に30代以降は、だいたい役柄の年齢から10歳くらい老けた人がその役を演じてちょうど釣り合う感じ、ですか。実際、この作品の大地真央自体、その代表例でしょう、還暦越えの彼女が4-50代の越路吹雪を演じていたのですから

しかしこの二人に関しては正に実年齢と役柄の年齢が自然に一致していた、つまり昭和という時代に生きていた人間の風格が滲みでている、そこにこの二人の、役者以前に人間としての深みというものが見えて感銘を受けたのです。

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ところで、このドラマの視聴を楽しんでいる間、結局、今まで見続けていた朝ドラ「わろてんか」の視聴を復活することはありませんでした。見ていないので、このドラマ全体の良し悪しを言うわけにはいきません。でもこのドラマを見て改めて思ったのは、放映期間が半年というのは長すぎやしないか、ということです。

このドラマの枠は20分ですが広告を抜けば正味15分弱ですから朝ドラとほぼ同じです。それで59回。一方、朝ドラは151回。倍以上、ざっと100回近いドラマを別に作り上げなければいけない。これは、相当な負担だと思います。そのために、無理な話だてや不要なエピソードの連発に繋がるのではないか、そんな気がします。実際、「ひよっこ」や「べっぴんさん」も気合の入った部分のストーリーは素晴らしかったのですが、一方で「なにこの展開?」みたいな無理筋の部分もありドラマ自体の完成度を損なっていたストーリーがあったのも事実です。そういった点を考えると、今の半年一作ではなく、4ヶ月に一回程度がちょうどいいんじゃないか、そんな感想を持ちましたね。でも逆に言えば、半年間の長丁場をダレさせなかった「あまちゃん」や「カーネーション」はすごいと思います。

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とはいえ、もうこのドラマは終わってしまいました。劇中、繰り返し流れた素敵な間奏曲は未だに頭の中で鳴っていますが、新年度フレッシュな気持ちになって、改めて新しい朝ドラ「半分、青い」を見始めています。

そして昨日、いきなり衝撃を打たれた回を見てしまいました。昭和55(1980)年、小学校3年生の女の子が突然、片耳の聴力が失われる回です。

「...治らないのでしょうか。何か方法は」
「いえ」

「お母さん、実は片耳が聞こえない患者さんは結構いらっしゃいます。しかしみなさん、頑張って....」
「みなさんの話はどうでもいいんです。私の娘は一人です」

この医師と母親の会話に込められた絶望感、いたたまれなくなるシーンです。

うちに帰り、その事実を娘に伝える両親

「鈴愛の左耳はもう治らんやと、今の.....ままやと」
「ずっと?」
「うん」
「一生?」
「...うん...」
「もう私の左耳は聞こえんの?」
「うん」
「そうか....もう海から帰ってこんか」
「バイバイって言えんかったな」
「元気な時の左耳にバイバイ今までありがとなって言えんかった」

どういう気持ちで言ったか、そして聞いいたか。

僕もいちおう人の親です。我が身に置き換え、その時の苦しさや悔しさ、やるせなさを想像すると胸がつまり息が止まりそうになってしまいました。

「子供は生きているだけで親孝行」

自分もまた子であり、そして親でもあります。この言葉以外に言うべきことは出てきません。そして一夜明けた今朝もこのシーンの衝撃とその時に感じたこの気持ちが抜けてきていないのです...。

最後まで見続けこのドラマにどんな感想を持つかわかりません。でも始まって2週間、そしてこれから9月まで半年間、このドラマを生活のリズムにする日々となりそうです。

by michikusajinsei | 2018-04-13 07:16 | フランス | Comments(2)

Paris in 1988 (その2)

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前に「ゲゲゲの女房」の女房以来、ずっと朝ドラを見ていると書きましたが、今回の「わろうてんか」、久しぶりに挫折しました。

何かが悪いというわけではありませんが、どうもいまいちドラマ世界にしっくりとこないうちに少し忙しくなって録画ができずそのうちに見るのが絶えてしました。なんというか主人公の成長がのろすぎて見守ることができなかったという感じですか。

でも最近の放映の内容はようやくその面でかなり盛り上がっているようで、見続ければ良かったか。やはり継続は力なりですかね。

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とはいえ、テレビドラマを何も見ないとそれはそれであまりに無聊。なんとなく正月明けの番組を眺めていたら「越路吹雪物語」という文字が目にとまりました。

越路吹雪、亡くなったのが昭和55年で僕が中二の時ですからもちろん覚えていますが、それは名前だけ。長じてから旧作邦画を見るようになって、森繁の何かの映画で出演した夫人役の妖艶さが印象的でしたし、同時に名前は忘れましたが戦隊モノみたいな映画にも出演してこれはこれでビックリした記憶がありますけど、いずれにせよフォロワーになったことはありませんでした。

でも、そこは昭和の大スター、シャンソンの女王と呼ばれる存在。昭和芸能を愛する人間としては見なきゃ、なんて義務感みたいな気持ちもあって見るることにしたのです。それにテレ朝のwebsiteは無料再放送があるので見逃しても追いかけやすいということもありました。
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主演は青春期を瀧本美織と円熟期が大地真央。今のところ、瀧本美織の時代が放映されていますが、意外といいわ、このドラマ、というか予想外に瀧本美織がいいです。

彼女はそれこそ朝ドラ「てっぱん」の主演で知り、またそれしか知りません。そして「てっぱん」も個人的には悪くなく、サラサラと見ていたのですが巷間ではそれほど評判が良かった作品ではないです。要はこのドラマはサラサラと見ていたと書いたように主人公の個性や脚本のアクの強さといったものとは無縁だったのですが、その引っ掛かりの少ないがゆえ、失敗作ではないにしろ印象に残らない作品になったと思います。その主演女優だったので、正直、華があるわけでなし、なにしろどちらかといえばムチムチした健康美が売り物の女優がそれと対極にあるような宝塚の男役やるというのに違和感を覚えていたのですが、全然杞憂でした。

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まず歌がうまいのにビックリ。僕は越路吹雪ではなくクミコという歌手で岩谷時子訳詞の世界に魅了されたことがあるのですが、歌手が本業のクミコと比しても遜色なし。もう一つ特筆すべきはダンスの上手さ、これは共演している宝塚の男役トップだった(そうです)音月桂には切れ味という面では劣るものの、他の共演している宝塚系俳優には勝るとも劣らないスピード、リズムを感じさせます。

そして役柄そのものの演技も越路吹雪という大スターを引き受けるのではなく、戦中戦後、語り出すと左右どちらにころんでもプロパガンダ臭さが漂ってしまう時代背景、でもそんな時代であってもリルタイムでそこにあったはずの青春の輝きというものが素直に出せている、もちろんそれは脚本と演出の意図でしょうが、それを読み取って表現できるのは彼女の才能であり肉体であったと思います。おそらく本人もそういったことに手応えを感じているのでしょう。回を追うごとに感情表現の豊かさ、硬軟の使い分けが上手になり見ていてとても気持ちのよいシーンが続くのです。

さて、このドラマは通例の民放ドラマどおり3ヶ月で完結とのこと、ということは先週まででちょうど半分が過ぎました。残り半分はいよいよ青春後期から円熟期に入ります。

越路吹雪とその時代を知らないが故に戦中戦後の青春像という演じるのに難しい時代を天真爛漫さで突き抜けた瀧本美織の好演を受けて大地真央がどこまで先達像を描けるか。彼女は世代的に越路吹雪の記憶があるでしょうし何よりも宝塚の先輩たる不滅の大スターを演じる、そのプレッシャーは相当なものだと思います。

果たしてどんな越路吹雪像が現れるのか。続きが楽しみなドラマです。

by michikusajinsei | 2018-02-19 22:28 | フランス | Comments(0)

1988 PARIS

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僕が旧作邦画を見始めたのはそんなに昔ではありません。まぁ、そういっても20年以上は経っていますが学生時代は映画よりも音楽や鉄道の方に気持ちは傾いていましたから本格的に見だしたのは就職してからです。池袋の文芸座や銀座の並木座なんかにも行きましたが、当時は横浜にジャック&ベティという名画座映画館があってそこで浴びるように旧作邦画を見ていました。

そうやって集中的に見ていくと自然に映画会社の色がわかり自分の好みというのも出てきます。松竹は蒲田あるいは大船調と呼ばれているホームドラマ(余談ながらこのホームドラマの背景となる属性や習慣は戦前の京浜地区の中産階級とその暮らしぶりにあるんじゃないかと思っています)。東宝であれば都会の青年男女の恋愛や生活、大映はカツライスと呼ばれた勝新と雷蔵の二枚看板、東映、これはもう汗臭い男の世界、非常に大雑把に言えばそんな感じです。これはそてぞれの会社のトッププロデューサーである、松竹の城戸四郎、東宝の藤本真澄、大映の永田雅一、東映の大川博の意向でありまた好みであったのでしょう。そしてまた長らく僕の好みも個別の映画はもちろん別ですが傾向としてはその順番でした。

しかし上には書いてない、もう一つ大きな映画会社が日本にはあります。

「日活」

この映画会社はそのころの僕にとって興味の外でした。一つはロマンポルノ。それこそロマンポルノの全盛期は僕の10〜20代です。興味ないわけありません。でもそれと映画の評価は別でポルノ映画なんて男女の裸と絡みだけでしょ、っていう感覚でしたし、ロマンポルノ以前は少し前に書きましたが疎ましい親世代の象徴、石原裕次郎がそのイコンですからまったく食指が伸びませんでした。
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でもなんでしょう。最近、日活映画が気になってしかたありません。日活映画でもう一つダメだったのは日本なのに西部劇みたいな無国籍性もあるのですがそれらも含めて昭和30年代の日活映画が見たくてしょうがないのです。あの頃に日活映画の何に自分は惹かれるのか。そんな気持ちで一本の映画を見てきました。「街燈」中平康監督昭和32(1957)年2月封切りの映画です。

ストーリーはごく大雑把に言えば、それぞれブティックの経営という仕事を持った戦中派の女性(月丘夢路)と戦無派の女性(南田洋子)二人の生き方と男女関係を描いた作品です。パトロンを持ち銀座に店を構え同時に若いツバメをスタッフとして雇うしたたかな月丘と渋谷の住宅街に小粋なサロンのような店をだし恋愛には慎重な南田。でも最後はそれらを清算して出直しを図る月丘とひょんなことから出会った同世代の男と幸せな結婚を暗示して男を見送る南田で終わります。ある意味、単純なストーリー。特に脚本が優れているとかそういうことはありません。でもねえ、見ているとなんでしょうか、とても朗らかな気持ちになってくるのです。

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映画を観終わった余韻の中で考えてみたのですが、一つは文字通り見る楽しさ、実はこの映画はファションで語る旧作日本映画という企画の一環で上映されたものを見に行ったのですが、その企画でのセレクションにふさわしく新進気鋭であった時代の森英恵デザインの様々なファッションが見ていて華やかさやコンビネーション、そして職業を語ってくれてきます。また俳優の表情が一本調子でないところはさすが大女優の二人ですね。

しかし何よりも魅力を覚えるのは画面の中から湧き出てくる若々しい雰囲気であるような気がしてきました。この当時の実年齢、月丘夢路は34歳、南田洋子は23歳。そして監督である中平康が30歳、ついでに言えばプロデューサーの水の江滝子だって、彼らよりは上ですが当時でまだ41歳です。みんな若い。しかしここでいう若さには未熟さはあっても昭和40年代以降の若者にあるある種の独りよがりな幼さはあまり感じられません。

若さというのは一面厄介なものです。この映画から数年後、若さそのものを価値とする文化が出てきて以後の世の中を席巻するのですが、この映画はそこまではいきません。逆にみなさん、今の自分たちの目で見ると若いのに分別がありすぎる気がします。でも何というかそう、「明日があると信じられるからこそできる思い切りの良さ」その言葉が一番ふさわしいかな。悩みがないわけじゃないけれど登場人物たちは人生の決断をサバサバと思い切りよく口にしまた行動に移してしていきます。このリズムが心理劇であっても画面に躍動感を与えていますし、上に書いたように頻繁に変わる登場人物のファッションや街の情景がお洒落感と清新さを醸し出しています。

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今の時代は老いも若きも二十歳過ぎれば年齢は8掛けとか7掛けと言われます。さらに社会全体でリスクを避ける風潮から自分も含め4、50代の人間がのさばってか、なかなか30代の人に舞台を用意せず、彼らに陽が当たりません。

その世界に生きていると、30歳前後の人間が長所も短所も合わせてそのままの感性で作品を作ることができた時代、許された時代の彼らの感性、息吹きがとても眩しく感じられ、そしてそれを最も感じさせる映画、それが当時の日活映画の最大の魅力ではないか、そんな気がしています。

ただ、この結論は正直まだ自分の中でも完全に消化しきれていなくて日活映画の魅力を探る旅はもう少し続けていくつもりです。

なおそれらとは別にこの映画を見ていると時代の風景も立ち上ってきます。上に書いた通り月丘夢路はパトロンがいて銀座に店を出しているんですが、これはある意味、婚期を逃した女性-それもおそらく戦争の影響で-が自活して成功していくための手段でしょうがこれも戦後的な風景かもしれません。戦前の映画ではこの手の女性は出てきませんし、婚期を逃した女性が出てくるその場合はたいてい水商売か2号です。この月丘夢路もパトロンに依存していません(だいたい映画に登場しません)。そして最後は彼と別れてまた店を継続していくのです。この強さとその裏にあるやりきれなさ(おそらく戦争がなければ彼女も店を持つなんて考えることなく普通にお嫁入りしていたことでしょう)。個人的にはこの彼女の心象風景を想像させるところがこの映画で最も印象に残りました。

一方、南田洋子には恋人とチンピラのケンカを仲裁するところがあるのですが、そこのシーンで「暴力反対」と言ってその次の言葉は「再軍備反対」。60年安保はこの後ですが自衛隊が発足したのはこの映画撮影直前の昭和30年、逆コースと言われた当時の世情がこの一言に出てくる。こちらもまた戦争の影というものがリアルだった時代だからこそ出てきた言葉なのでしょう。そんな時代の断面を感じ取れるのも日活映画に限りませんが旧作邦画の奥深いところですね。

また今回の写真ですが、この映画にはほとんど電車は出てこないので、この映画の監督、中平康がフランス好きらしいことから昔撮ったパリの情景です。かなり牽強付会ですが。

ちなみにこの映画自体は、ダラダラ書いた僕の感想よりもはるかに上手にかつ簡潔にまとまった紹介があります。それは、たかぎみきさんという方の運営されているキネマ洋装店というサイトです。
→http://cineyoso.movie.coocan.jp

このサイトでは全盛期の日本映画で如何にファッションが登場人物の個性作りに重要な役割を果たしていたかが可愛いイラストと共に紹介されていて、映画好きの人には見て読んで楽しいサイトです。

今回の映画が上映された「ファッションと旧作日本映画」という企画も実はたかぎさんのプロデュース、映画とともに楽しい企画でした。

by michikusajinsei | 2017-02-05 12:56 | フランス | Comments(2)