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1988年 BARCERONA (その5)

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昭和21-26年、昭和27-32年、昭和33-38年、昭和39-44年、昭和45-50年、昭和51-56年、昭和57-62年

以前の記事で一言書いたことがあるのだが、僕は日本の近代は明治元年以降、6年毎で一つの世代とくくれるのではないか、との仮説を持っている。これは指を折ってもらえれば誰でも可能だが、試みに馴染みの深い昭和戦後を挙げてみた。そしてこう並べた年代を眺めると40代以上の人間はなんとなく僕が感じたことが判っていただけるのではないかと思う。

もちろん6年はそれなりの長さになるので最初と最後では時代の風景も変容を見せるのは当然だが、それでも振り返ると時代の潮目というのはそれなりの長さが続くのもまた事実である。特に感受性と社会性がせめぎ合う20歳という瞬間でその年代が過ごした時間をそれぞれ見てみるとより世代の特徴が鮮明になってくるのではないか。例えば最初の世代は高度経済成長を実感した時間であるし、その次の世代はオイルショック下の経済減速。戦後3番目の世代はジャパンアズナンバーワンという響きが現実味を持って語られ始めた時代にその時間を過ごしている。そして自分が属する世代、これはもうバブルの一言となるだろう。その次はオウムと阪神大震災によって昭和的価値観の黄昏を目の当たりにし、次の世代は金融危機とジャパンパッシングと言われ日本の存在感が揺るぎ始めた時代、そして最後は中華爆食と言われ中共の台頭をはっきりと感じ始めた時間。

確かに人それぞれ個人としては育った環境は違うが、人格形成の最終期にそれぞれの時代の息吹きに触れることで世代としての共通の潜在意識というか特有の感覚を持つことは、それに肯定的か否定的かの違いはあるかもしれないが、僕は間違いなく存在すると思っている。

ただ、この世代論はもう少し時代の遠近感を持って語りたい気も実はしている。

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冒頭に日本の近代は明治元年以後、と書いたが、近代はもう一つ大きな断面がある。そう、言うまでもなく大東亜戦争終結前後である。この二つの時間を並行して語ることで何か別の世代の風景が見えてくるのではないか、そんな想像を広げてみたくなる誘惑もあるのだ。

明治日本の輝かしい成果は日露戦役の勝利、これであることは誰も異論がない。この戦争は明治37年から38年にかけて行われたが、その瞬間に20歳という年齢に達していたのは明治18年生まれまで。そして、またこの世代まではほぼ江戸生まれの両親によって育てられた言わば「江戸の遺児」ともいうべき世代である。そしてその年限は偶然ながら上に書いたように昭和戦後の時代区分とも一致する。第三世代、昭和38年生まれまで。そしてこの世代の両親は戦中派、兵役もしくは勤労動員によって戦争と大日本帝国の記憶を強く持つ世代によって育てられている。

一方、明治19年以降の世代、これはそろそろ江戸の記憶がない世代が親となり始める時期であるし、また政治制度としても維新期からの訣別を象徴するかの如く明治18年の年末に内閣制度が創設され、その4年後に議会が開設された。正に帝国の基本構造が完成しつつある時期であり、この時代以降の世代は大きく括れば「江戸の遺児」に対して「帝国の子供たち」とも呼ぶべき存在になるかと思う。

そして戦後と呼ばれる時代はそれをなぞるかのように、昭和39年生まれ以降の世代から戦争或いは戦後を実感として語れる親は消えていき、また時代の風景としても戦後世界からの卒業ともいうべき東京オリンピックがその年に行われた。そしてピンポイントのこの世代である自分たちは正に明治19年の世代が20歳の頃に味わった日露戦役の勝利感が維新回天の頂点だったように、バブルという戦後日本の頂点ともいうべき時代風景に20歳で遭遇することになったのである。

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ここまで書いてきたのは20歳という年齢である世代が出会った時代の風景という話だったが、20歳という人生時間を世代という感覚の象徴としたのは、その時期を過ぎると世代という感覚での繋がりや意識の共有が急速に薄れていき、個々人の生活、或いは属している社会への帰属意識の方が高くなる。ある意味、時代から離れ自分自身の生活の流れに追いつくのが精一杯になってしまう。しかし、人生と社会の交差点はもう一度やってくる。それは50代。その年代に踏み入れた時、個人としての自分の立ち位置を問わずしてその築いた社会という帰結については、また再び世代としての責任を問いかけられているように思うからだ。

世代という感覚を一旦封印した個人がその後、どんな思いを抱いて日々を送り社会を築き、もう一度、社会と世代として向き合うことになったか、その時の心象風景はどんな世界か、今、それを問われる世代の一人として自分の実感を項を改めて書いてみたい。

by michikusajinsei | 2021-05-11 21:52 | スペイン | Comments(0)