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昭和58年&平成28年 岡山

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かつて一億総白痴化という言葉があった。言った人は大宅壮一でテレビが普及しだした頃に受け身でダラダラ見る風潮に警鐘を鳴らす意味で言った言葉とある。

言葉としてはなんとなく聞いたことがあったが、実際にその言葉の意味がわかったのは、後年、小津安二郎の「お早う」という昭和34年に制作された映画を見ていた時である。この映画は子供たちがテレビの購入を父親の笠智衆にせがみ、彼はそれを渋続けていたが最後、根負けして購入するのを決めた時に知人に半ば照れ隠しのようにこの言葉を引用しているのを見て、なるほど、当時テレビの茶の間への浸透というものはこういう風に進んで行ったのかと感心したのを覚えているからだ。

まあ白痴化したかどうかはともかく、大宅壮一の直感通りかそれ以上にテレビは僕たちの生活に深く根を下ろしていた。実際、親の目があった学生の頃はともかく、僕の感覚や実体験でも平成初頭、一人暮らしの若い男女は帰宅するとまずテレビ、誰か来てもそれを消すことはまずなくて、テレビを見ながら番組にツッコミをいれたり、またジーンと感動して語り合ったりして過ごすのが普通だった。
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そんな時代から30年、もうそんな風にテレビを受容している若者はいまい。みんなSocial Media一辺倒、いや若者だけではない。当時の若者である我々50歳代も同様。それぞれ世代ごとに使われるアプリケーションの違いはあっても暇さえあるとネットを介して双方向、一方通行を問わず情報のやり取りを楽しんでいる。

実は僕も同様で、暇さえあると、は言い過ぎにしても結構な時間、Facebookやツイッターを眺めているのだが、そんな日々の中で印象に残るツイッターのつぶやきがあった。

バブル絶頂の89年から30年。失われた30年かのように言われるけど、良くなった点も色々あるよね。
-転職が容易になった
-若者の民度が上がった(暴れなくなったし優しくなった)
-交通事故死者が減少(1万→3500)
-大学受験が緩和
-平均寿命が5年伸びた
-衣料等必需品の価格が下落
-レストランの質が向上

確かにねえって思わず、口に出してつぶやいてしまった。特に若者の民度が上がったのは、言葉で書くとなんか違和感があるが、お行儀が悪いなあと思う風体や態度を見せても、歩くだけで全身から殺気をみなぎらせている高校生というもの街中で見かけることは殆どなくなったし、同じく30年くらい前までの若者を苦しませていた受験戦争も緩和されている。

一言で言えば、刺激的な変化というものは殆どなかったが、ゆっくりとソフトに、しかし着実に社会全体を底上げするような格好で安全網整備が進んでいったのは間違いないと思う。

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鉄道も同様。

今回の写真は岡山の路面電車。モノクロの2枚は高校時代の山陰山陽旅行の途上の撮影でカラーは3年前、シンガポールから帰国後に骨休めの旅の途中で写した1枚、登場順番で言えば上から昭和28(1953)年、昭和56(1981)年。そして平成23(2011)年である。奇しくもほぼ30年刻みで登場した車輌が並ぶことになった。

この3枚の写真における2つの30年という年月の中で、やはり最新型への飛躍がその前の30年よりも明らかに大きい。意匠の好みは人それぞれだとは思うが、前2者が車社会の攻勢に埋没している雰囲気があるのに対し、なによりも新型は明らかに自動車の攻勢に対し立ち向かっていこうという覇気、あるいは当事者の意思がその意匠に感じられるというと褒めすぎだろうか。

こうしてみると平成の30年は失われた時代、あるいは頂点から転げ落ちた30年間と言われることが普通であるが、昭和で築いた土台を毀損した時代では決してなく、昭和という時代が到達した地平に立ってその欠点を見つめ、そして解決策を模索していた時間ではなかったか。もちろんバラ色ではなく、紆余曲折の中で道を見失っていた時間が長かったけれど、幕を閉じてみれば、昭和の夢、あるいは課題を着実に実現し解決していった時代でもあった、そんな風にも言えるように思うのだ。



by michikusajinsei | 2019-09-30 23:14 | 岡山電軌 | Comments(2)

Commented by 風旅記 at 2020-09-23 02:34 x
こんばんは。
SNSの時代になり、著名人以外の生身の声の中から驚きや気づきを得ることが多くなりました。平成という時代の振り返り、それは自分が生きてきた時間でもありますので実に興味深く感じます。
広く鉄道を振り返ったときに、路面電車の世界にとっては、それまでになかった意味や価値が生まれ始めた時代だったように感じます。それ以前に廃止され尽くしたからかもしれません。今となっては宇都宮で完全に新規の路線が造られるまでに至り、いい飛躍があったのだと実感します。一方で普通鉄道はどう捉えればいいのか、迷うところがあります。技術的な進化は勿論ありましたが、北海道に象徴されるように都市部以外ではなかなか明るい展望がひらけてきていません。いち鉄道ファンとして、もう少し考えてみたいと思っています。
考えさせられる記事、興味深く拝見させて頂きました。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
Commented by michikusajinsei at 2020-09-23 23:04
風旅記さま、コメントありがとうございます。

平成という時代はダイナミックな昭和と比べると停滞感が漂うのは否めませんが、生きてきた実感では昭和の夢が花開いた時代だった面もあると思っています。ある意味、昭和の熱気とはある一点に皆のエネルギーや関心が集中して生み出されたのに対し、平成は仰る通り、多様な意見の表明が許され少数派でも生きやすかったけれど、逆に何か一つ象徴的なもので時代を共有するという感覚は生まれ難かったですね。

鉄道に関しては、細長い列島で港へのアクセスが容易という地勢から貨物需要はどうしてもコスト面で内航海運にかないません。そうなると旅客需要だけで生きていかなければなりませんから、今のJR東日本のような新幹線と首都圏の通勤路線の組み合わせでできるだけ稼ぐというのが現実の世界だと思います。

その中でLRTは数少ない発展の余地を感じさせる事業形態ですね。中規模の都市に立地し市内需要がそれなりに見込め、かつ輸送波動は大きくなるが観光開発が見込める沿線を持つ高松琴平電鉄や松本電鉄などはそちらに方向転換したらいいのではないかと思ったりしています。