昭和61年 山陰本線(その8)

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大好きな季節はと問われると夏と答えるのが常であるが、今年の夏の暴力的な暑さはさすがに堪えた。幸いなことに自分の仕事は内勤なので平日の昼間出歩くことはないが、休日も約束がない限り自宅でじっとしていたのが正直なところである。

こんな気候が続くと「日本は亜熱帯になったのか」なんて言説をたまに見かけるが、白状するとその感覚にはちょっと違和感を覚える。僕は熱帯のインドネシア、シンガポール、砂漠のカタールで生活したことがあるがこの酷暑は熱帯を通り越え、ほとんど砂漠の気候に近い。いや昼間の気候を比較すると湿気が多いぶん、もしかしたら今年の日本の方が過ごしづらいかもしれない。実際、中東の来客と話していて暑さの話題を振り向けると同じような感想を漏らす人が多かった。

それに比べると熱帯の気候なんていうものは天国で、確かに昼間は暑いが湿度はそれほど高くないし、特にネシア、シンガポールのような海風の通りの良いところは夜になると気温も下がって汗をかくこともなく、ある意味、避暑に来てもおかしくないような快適さ。シンガポール生活が気に入っていたことの一つはこの気候にあったことも一因である。

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まあ、そういった個人の感覚的な印象はともかくこれだけ暑いとさて少し前の日本はどうだったのだろうかという問いかけが浮かぶ。自分が青少年期ってここまで暑くなかったことは確かだがそれを実証的に調べてみるとどうだろうか。

そしてそう思う人は自分だけではないようで、僕の勤め先では毎週月曜日の朝礼でHSSE(Health Safety Security and Environment)講話と言って安全衛生にかんする豆知識を調べて持ち回りで発表する習慣があるのだが、つい先日、同僚がそれを調べて発表してくれた。

昭和51(1976)年7月の記録では最高気温は全て34℃以下、前年の昭和50(1975)年は34℃に到達したのはわずか1日。昭和52(1977)年に至っては全て34℃未満。その傾向はその後もしばらく続く。そして日本の気温が急激に上昇し始めたのは昭和も60年を過ぎた80年代後半以降、平成に入ってからその傾向が顕著になっているとのことである。確かに自分の記憶としてもそうだ。

僕が高校生だったのは昭和57-59(1982-84)年の3年間だが、高校3年の夏がそれまでに比べて非常に暑く、冷房もなかったから教室でバケツに水を入れて気分だけでも涼しく感じるよう努力をした記憶がある。ただその時でも気温は34℃だった。30年以上前のただ1日の気温をなんで今でも覚えているかといえば、当時はそれが異常な暑さで、その暑さが受験勉強の苦しさと相まって印象に残っていたからだろう、きっと。

逆に言えば、その前までの夏といえば灼けつくような日差しという言葉はあってもそれは他の季節に比べての比喩的な表現で、昨今のような外にいるだけで本当に痛くなるような日差しとは無縁であった。それよりも夏といえばどの季節にも増して活力が湧いてくる時期で、逞しい入道雲とどこまでも続く青空に優しく見守られて青春を謳歌する、振り返るとそんな時間が若き日の僕たちが過ごしていた時代の夏の季節感であった。
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その優しかった夏の時代、僕にとってその時代の夏の光景は海と結びつく。そして僕が殊の外、気に入っていたのは海の光景は山陰本線中部。

初めてそこを訪れたのは高校2年の修学旅行。旅行自体はバスでの移動だが途中、山陰本線を並走し休憩のため止まったドライブインのすぐそばにあった駅が五十猛。

この駅の近くで見た日本海と小高い丘の織りなす美しさに魅せられ、大学に入って、また社会人になってからも何回か通った。

by michikusajinsei | 2018-09-04 06:37 | 山陰本線 | Comments(0)