昭和57年 一畑電車

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この写真は昭和57(1982)年の夏に部内合宿で訪問した山陰は松江の鉄道、一畑電車の車輌である。

前回の記事では色素添加フィルムの劣化について恨み言を書いたが、今回は、経年変化が単純な劣化ではなく、いい意味で風化され現像当初にはない味わいを持つ場合があるというお話である。

この時の撮影は未だ自分の中でフィルムの使い方をどうするか考える前で普通にネガカラーであった。フィルムカメラが衰退した今となっては説明しないとどういう風にして写真を楽しんでいたのか判らないのかもしれないので書くと、フィルム写真全盛の当時、普通の写真屋さんに写真の仕上げを頼むと絹目と光沢という選択肢があり好みに応じてそれを選ぶのだが、その名の通りコントラストが高く華やかな光沢仕上げと、色調は地味だが画面の艶が落ち着いた絹目仕上げがあった。

この二つの仕上げ方法があったが、今もインスタ映えといわれる色彩のはっきりした表現が好まれるのと同様に、フィルム時代も主流は色彩が派手な光沢仕上げだったが、僕個人はテカテカ光る画面がどうにも好きになれず普通は絹目を好んで注文していた。さてそれで、この時も旅行から帰ってすぐに現像焼き付けにだしたのだが、期待に胸を弾ませて出来上がった写真はというと、そういった仕上げ云々以前に平板な階調で朝の光と空気感に包まれた現場の雰囲気が伝わってこず落胆したのを覚えている。艶の落ちた絹目仕上げだと駅舎にしても電車にしても歳月を経た重厚感は画面の中で沈んでしまう。おまけに写真の大きさも手のひらサイズだから迫力も生まれず、がっかりしてもう一度綺麗なプリントをと言う気持ちも起きないまま、タンスの中に30年以上眠っていたのである。

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そんな気持ちを30年以上経っても覚えてはいたのだが、写真の出来云々ではなく車輌自体の珍しさと同時期のフィルムの想像以上の劣化による危機感から慌てて今回スキャンしてみたわけだが嬉しい不意打ちというのだろうか、意外な写真に出来栄えにしばらくパソコンの画面を眺めてひとり悦に入ってしまった。スキャンした一畑電車の写真、パソコンのスクリーンにこの画像が現れた時、想像していたものと実際に現れたそれとの感覚の違いに思わず唸ってしまったのである。それはなんて言うのだろう絵画的な味わいと言うべきか。青みがかった薄い膜をまとったような色彩が現れた画面を見た時、そこに写真ではなく筆使いによる描写、それも油画ではなく水彩画のような柔らかさを感じたのだ。

写真というものが言葉通り真実を写すものならば今回のスキャンデータは現場の雰囲気を正確に反映しているわけではない。というよりありえない世界が表現されていると言った方が正確だ。しかし画面を覆う青い皮膜に真昼間の抜けるような青空とは違った、柔らかな朝空のもつ微妙なグラデーションと朝露の立ち込める空気感が感じられてならないのだ。手前味噌な表現と言われたらそれまでだが、この2枚の写真を見ていると35年前の夏の雰囲気が自分の心の中にありありと蘇ってくる。

初めての大旅行、それまで見たこともなかった地方私鉄の旧型電車、交換待ちの停車時間、興奮して軽い躁状態のようなフワフワした気持ちで友人たちと電車を取り囲んで夢中でシャッターを切った、そしてその時に同時に感じた朝日の輝きを昨日のように思い出す。

物理学の延長にあるデジタル写真では生まれ得ない化学反応によるフィルム写真ゆえの作用。しかも怪我の功名のような結果であるが30数年前の感動が思わぬ形で還ってきて自分な中では静かな喜びが湧き上がってきたのだった。
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一方、車内を写したこの写真。実はこの写真を撮った時のことは上の2枚とは対照的に全く覚えていない。その頃は写真を撮ることとは自分にとって車輌の写真を撮ること、それ以外の光景を撮ることはほぼなかったのだが旧型電車の車内を記録しておこうと思ったのか珍しく車輌以外の写真を撮っていた。

夏休みでガランとした早朝の電車、本を読むのに夢中な高校生、手持ち無沙汰からかぼんやりと窓外を眺める老人。木造下見板張りのホーム待合室と民家、板張りの床に運転席と客席に仕切りのない電車。戦前の面影を濃厚に残す車内ではあるけれども高校生のもつボストンバックにはPOPEYEのロゴがプリントされている。もしかしたらその時の自分はそこにミスマッチを感じていたかもしれないが、今となってはこれも時代の風景。マジソンスクエアガーデンだとか当時はこういうロゴを派手にあしらったカバンが流行していた。

その時代的には何の特徴もない光景だが、乗客の風情も窓外の建物も今となっては還らない光景である。一両の電車や一軒の建物といったものは保存できるが、それらが共存していた当時の雰囲気・空気感といったものは、過ぎてしまうとそれを共有できたもの同士でしか感じることができない儚さをどうしても感じてしまう。

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最後の写真はそれらから数年後、学校を卒業し社会に出てから、つまり平成に入ってからの写真である。特に昔の一畑電車が好みでそれを目当てにしたわけではないが、それでも旧型電車が残っているかなあと期待して久しぶりに訪れた山陰で目にした電車は味気ない大手私鉄の払い下げ、がっかりして通りすがりにこの写真を撮っただけで終わってしまった。

ただこの車輌もよくみると旧式のイコライザー型台車を履いている。調べてみると西武鉄道の新性能電車一期生で昭和34年に製造され、車体は当時の国鉄最新型である山手線を走っていた101系に準じているが下回りは国鉄旧型国電の払い下げという過渡期の電車。

前回の記事では新規装置導入推進派と実績重視派の意識の違いみたいなことも書いたが、この電車を見ていると中間的な回答もあるもんだな、と思う。外観や車内設備は最新型でお客さんから好評を得たいし、一方で保守を担当する現場は手間と費用のかかる新型の導入にはどうしても慎重になる。その中で均衡点として当時の西武鉄道が出した回答がこの電車。それはそれで西武鉄道の社風というものが出ているのかもしれない。

特に目を惹くこともない平凡な一枚の写真にも様々な物語や時代の風景、歴史を思う楽しみが隠されている、改めてそう思う一畑電車の写真である。

by michikusajinsei | 2018-08-20 07:08 | 山陰本線 | Comments(0)