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昭和62年 東武鉄道(その4)

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繰り返すようだが昭和中期から後期にかけての東武鉄道車輌群、あるいは沿線開発の道程を今回辿ってみると、その時代の課題に対する対応は無難というか定石を外さないという印象があった。もっと直裁に言えば二番煎じというか国鉄や各私鉄がある程度、実証した方法論を静かに踏襲している、そんなイメージだったのである。

しかし、自分にとって30年ぶりに東武鉄道の写真に火を通し、そしてその頃の、あるいはこれまでの東武鉄道の歩みというものに思いを馳せてみるとその印象は全くの誤解で、現実の東武鉄道は他の鉄道会社と比べても勝るとも劣らない積極果断な投資、それもその場の状況に場当たり的に対応しているのではない、ある種の一貫した哲学というものを持った鉄道事業を営んできた、そんな世界が見えてきた気がするのである。

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話が少し逸れるが、少し前にアップルが「エコシステム」という言葉を再発見して、購買と販売、それぞれの領域で自分の会社が中心となって世界を動かしていく企業経営像というものを追求していることをうまく表現した。その言葉を知った時「うまいこと言うなあ」と思ったが、スケールの違いはあれど自分の住んでいるこの日本で昔からそれを一貫して追求してきたのが日本の私鉄経営である。働き、学び、遊び、生活の全てをその沿線でできる限り完結できるように整備する、それが日本の特に大手私鉄といわれる会社の経営手法であった。ただ大筋ではそのように言えるとはいえ、当然ながら各鉄道の経営思想や置かれている状況に応じてその展開もまたさまざまだ。

そして東武鉄道が彼らの置かれた状況に対して出した答えは潜在的な経営資源の活用、具体的には前に書いたように国鉄の攻勢を鮮やかに返り討ちにしたDRCの建造、また私鉄界最長となる複々線区間の着工・完成などがその象徴になるかと思う。それらは現時点からみれば成功が約束された当然の投資のように映るが、その計画時点で言えば博打とは言えないまでも確立されたビジネスモデルが無い中での決断だったはずで、その意味で巨額の投資を前にした実行するか否かの逡巡は当然あっただろう。

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しかし、高度経済成長の波に乗って果てしなくひろがる関東平野北部に展開しつつあった通勤需要と活発化してきた観光需要に自らの立ち位置である北関東の中距離幹線鉄道という沿線環境を呼応させ、上手に活用するとすればどういう投資を実行すべきか。それは自社路線の潜在価値を見極め、乗りたくなる、住みたくなるブランドイメージを作ること、そしてそれに対応する基盤投資を着実に実行すること、である。それを論理的に突き詰めて導き出した、正に鉄道経営の優等生的な回答をそのまま実行したにすぎないと言えるかもしれないが、逆に言えばその軸をブラすことなく的確に実行した経営決断は賞賛されてしかるべきである。というか確かに思考は優等生であるが、それを実行する果断さは野武士的なバイタリティーを感じさせる。

私鉄経営におけるブランド力とは何か。東急や阪急のように生活産業全般に手を出すことで華やかさを演出するのも一つの方法論だが、鉄道沿線そのもの潜在力を見出し活用するのもまた有効な方法論である。東武鉄道の歴史を見ていると改めてそんなことを認識させてくれる。

by michikusajinsei | 2018-02-27 07:09 | 東武鉄道 | Comments(0)