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昭和60年 東武鉄道(その2)

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電車の顔なんて図形で言えば長方形に同じような機能を盛り込むだけだから、そんなに差が出るわけでもないが、でも何となくその鉄道の色というか個性というものが出てくる。東武鉄道といえば、自分の世代にとってその個性となる表情といえば前面3枚窓に前照灯と標識灯が縦に並ぶこのお面である。

東武鉄道そのものは、京浜地区の住民にとって馴染みがある存在ではなかったが、この写真にあるとおり日比谷線を経由して中目黒まで来ていたので東横線に乗っているとたまに見かけた。ただ正直なところ物珍しさはあったけれど、眼が惹き付けられるなんてことはなくて「ああ、東武の電車がいるなあ」と思う程度。一瞥してそれでおしまいというのが普通だった。

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そのようなはっきり言えば何の感興も湧かない存在にしていた大きな理由は、かたちもそうだが色、クリーム一色の塗装は汚れやすくまた車輌の立体感も減殺してしまう逆効果をもたらしていたし、当時の風潮でもあるがいかにも合理化優先という姿勢に余裕のなさというか車輌の輝きというものを殺すような企業の姿勢を無意識裡に感じ取っていたのだと思う。

とはいえ今の感覚で見てみると相変わらず格好よさというものを感じることはないが、全面も側面もそれぞれのガラス窓の意外な大きさとクリーム色の取り合わせは、それまでの東武のどちらかといえば暗い2色塗装から脱却した新しさを表明したかったのかなあ、などと思いつく。

おりしも、この電車が登場した昭和30年代後半はカラー映像が映画やテレビで幅広く浸透し始めた時代、色による広告効果は企業にとって大きな比重を占めるようになったきた。その時代相、東武はDRCでは塗り分け方を変えることで伝統の継承と新特急の華やかさをうまく昇華させたが、通勤電車には思い切って明るい塗装を選ぶことで何かを訴えたかったのか。

それはDRCとはまた違う夢、DRCのそれが非日常への憧れの世界であるならば、この通勤電車の運ぶ世界は日常そのもの、しかしその日常生活での夢の世界とは。

それはその頃、発見された郊外という世界、そこで夫婦と子供を中心とした家族の営みを理想化する世界観へと人々の視線を向けさせ「明るい家庭生活」の実現という夢を誘ったのかもしれない。そして当時、夢の象徴が公団住宅。木造アパートやトタン拵えのウサギ小屋住宅の生活から見れば、当時の若夫婦に団地と呼ばれた公団住宅の建物は白亜の御殿のように見えたのではないか。そういう憧憬の延長戦上で東武鉄道通勤電車の清新なクリーム塗装はその公団住宅の外観と同期しているように思える。

その意味でこのスタイルは東武鉄道なりの新時代へのメッセージだったのかもしれない。

by michikusajinsei | 2017-12-27 08:04 | 東武鉄道 | Comments(0)