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昭和60年 東武鉄道

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東武DRCは世間的には151系こだま型の劣化コピーなんて揶揄する向きがあるらしいが、そうだろうか。確かに高運転台にボンネットの外観という点は共通しているけど実際に両車を見た印象からすれば劣化コピーどころが力強さという点ではDRCの方に軍配を上げたくなる。

確かに151系には流麗な格好よさがあるが、繊細と言うと聞こえはいいがなんとなく線が細い印象を見ていると感じるのだけど、DRCの骨太な造形の車体と東武伝統の落ち着いた配色、車内は一転して柔らかい光を通した和紙を思わせるクリームの壁面にベージュのフルリクライニングシートのそれは旅の楽しさ、華やぎといったものを上手に演出している。

日光観光客、特に外国人を意識した、この電車が企画された背景はそう語られるが果たしてそれだけか。

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一億総中流時代ののささやかな贅沢

この電車の登場が昭和38年だから登場当時にはまだその言葉はないが、東京オリンピックを目睫に控え、その前後10%を超える経済成長も実現しいよいよ社会全体が上昇気流にあることを実感していた時代である。その流れの中、この電車を企画させた背景には家族の娯楽として泊まりがけの旅行ができる、そしてそれを通して家族の幸せや豊かさを味わえる時代が到来するのではないか、そんな感覚が企画者たちの脳裏にもあったと言えば深読みのしすぎだろうか。

そこまで明確に意識していなくても、50年前の訪日観光客と言えば豊かさの象徴のような存在、数で言えば少数派であろう。だから外人観光客を意識したとしても商売の主体は日本人である。日々の生活には追われてもたまさかの贅沢は許される世界、そして現実的にその世界は自分たちにとっても少し頑張れば手に届く時代になった。

戦中をくぐり抜けてきた明治大正の世代にも新世代の昭和生まれにも非日常の楽しさを味わえる新しい時代がやってきた、平和の配当とはこういうことか。当時の大人たちにはそう映ったのではないか。

そんな旅への期待や憧れをどう演出し、そして満足してもらうか。その当時の人が考えた豊かさを鉄道車輌の中でどう具現するか、そのの行き着いた答えがこのDRC、デラックスロマンスカー。今となってはやや気恥ずかしいデラックスという言葉であるが、当時のその言葉にあった語感はそのまま真っ直ぐに豊かさの享受に繋がっている。その意味で地味ではあるが、この特急電車はこの時代にとっての豊かさという感覚の無言の証言者のように見える。

個性的であれ、そういった呪縛がある種、デザインの貧困さにつながっているようなのちの車輌に比べて、先行する国鉄特急をヒントにしながらきちんと自らのアイデンティティーと目的を見極めて昇華された車輌、東武DRCにはそのような評価が相応しいように思うのだ。

by michikusajinsei | 2017-12-12 12:28 | 東武鉄道 | Comments(2)

Commented by シグ鉄 at 2017-12-15 10:47 x
昭和44年頃、当家はけごんを横目で見ながら6000系快速で日光に行きました。
豊かではなかったようです・・・
Commented by michikusajinsei at 2017-12-16 14:19
シグ鉄様、コメントありがとうございます。

私鉄ロマンスカー、確かに手が届く存在にはなってきてはいましたが、それでも贅沢な旅の象徴、まぶしかったですね。

実は、私の育った家も昭和40年代、お出かけといえば普通電車で行けるところばかりでした。