平成2年 京阪電車(その6)

京阪6000系を見たとき、なぜそんな大きな違和感を感じたのか。
その時は元々あまり関心がない鉄道だったので、その疑問をそのまま放置してしまったが、今回、改めてこの車輌の写真を見て自分がその時感じた大きな理由はおそらくヘッドライトの位置と大きさじゃないかと思う。あるいは正面の隅にわざわざコストがかかりそうな曲面ガラスを用いているところなどもそうだ。
しかしそういうパーツではないなにか、そう普通運用の列車は目立つことを控えるべしという価値観に挑戦するような押し出しの強さ、あるいは意思の強さというものを無意識に感じていたのかもしれない。
あるカラーで染まっている時、それを踏襲するのは安全である。白紙かつ無尽蔵の予算があってプロジェクトが生成されるということは通常はありえない。というよりプロジェクトというか投資は常に順番がつけられその時々の情勢によって着手されたり延期や中止されたりする。
鉄道会社という事業環境にそれを当てはめてみれば特に通勤型車輌の代替なぞ優先的にコストをかけるべき対象ではないだろう、普通は。まして京阪はその直前まで標準化を特急から普通まで推進していたからである。
ウィキペディアによると、この車輌の企画にはなんとしても年間優秀鉄道車輌の表彰であるブルーリボン賞かローレル賞を受賞するんだという意思が経営陣に強力に働いたそうである。なるほど、納得である。
考えてみれば5扉車にしても、テレビカーにしても普通ではない。車輌だけではなく関西私鉄随一を誇る複々線区間長もそうである。それが悪いわけではないがライバルの阪急が鉄道も経営している会社という色彩が濃いのに対して、京阪経営陣は鉄道会社は安全快適に乗客を目的地まで送ることを本業とするということを愚直に追求しているように見える。その経営思想からすれば年間最優秀鉄道車輌の表彰という栄光は悲願であっても不思議ではない。
そんな哲学で企画され製造された車輌、それが京阪6000系であり、当時の自分が感じた違和感は実はその情念の濃さに圧倒された、そういうことだったと今になれば思うのである。
by michikusajinsei | 2017-06-12 21:19 | 京阪電車 | Comments(0)

