山陰本線(その7)

ただ普通列車に客車列車が広範に残ったのは、何も国鉄に全盛時代へのノスタルジーがあった訳ではなく当時はそれとは知らなかったが荷物と郵便輸送の需要が大きかったためである。
その頃も段々と高速道路網は各地域にその路線を延ばしていたが、やはり需要が少ないところは後回しになり、そんな事情も相まって郵便車や荷物車を連結するために山陰西部には普通列車に客車が充当されるにが日常的だったのである。
そしてその環境は、生来の機関車好きの自分の嗜好に合いそれもまた山陰本線に何回か足を運ばせる動機であった。
その客車列車の存続を左右した荷物車と郵便車であるが、じつはその二つの車輌に大きな違いがあった。それは冷房装置の存在である。
その頃の郵便車の多くには冷房が装備されていたが、荷物車輌に限らず当時の冷房率は今から考えると非常に低くて、僕が電車を通学で毎日乗るようになった昭和54年(1979年)前後でも国私鉄を問わず首都圏でさえ非冷房車は珍しくなかった。全車冷房だったのは横須賀線と山手線くらいで京浜線に乗る時、夏などはユニットサッシの上段が閉まっていると乗る前に外側から開けたりもしたものである。
そんな中、この列車も一般乗客が利用する客車は当然冷房などなく窓を開けて涼をとっているのだが、普通列車に併結されている郵便車にはこの写真でも判るが、実は冷房が装備されていた。そしてこれは誰のための装備かといえば一般乗客はもちろん国鉄職員ですらない。郵便局員のためだけにあったのである。
国鉄は一面、鬼と言われた動労、鉄の団結を誇った国労という日本の戦後労働運動をリードしたこれらの組織が良くも悪くもその興亡を左右した、そのように総括できると思う。そして彼らの存在感は政治の季節でもあった高度経済成長という時代において時に一単位労組の域を越えていた。
しかし同じ官公労系で、それなりに政治への影響力もあった郵政系の労組である全逓は政治的な闘争もさることながら組合員の実際的な利益を重視していたのではないか、その結果として冷房率の向上を要求したのではなかろうか、そして対峙する使用者側の国も郵政には郵便事業だけではなく金融事業があることが労使関係を考える上で大きく影響したのではないか、そんな風に想像している。
つまりその事業が国家運営にとって極めて重要でそこに万が一でも混乱があってはいけないということで、国労・動労に比べ低姿勢で彼らに臨んでいた、そんなようにも思える。そして結果として郵便車に当時の感覚でいえば贅沢品ともいえる冷房が装備された、そんな事情があったのかもしれない。
しかし時は流れた。この直後に国鉄は民営化され三公社五現業の仲間であった郵便も21世紀の初めに民営化されている。電電公社を含めそれらが国営事業であったという意味は日本という国家の一体化と近代化を進める上で、人と情報の流動性を国家が担保し郵貯という手段で資金を集めそれで整備するということを意味する。
それが民営化されたということは、国家としての近代化が完了したという宣言であり、明治維新から始まる日本の近代化という大事業が終わったということでもある。
ある時代のある瞬間のそれもただの鈍行列車を撮ったにすぎない写真ではあるが、はからずも時代の風景というか今から見ると考えさせるものがあるなと思わせる風景を撮っていた。
by michikusajinsei | 2016-09-29 07:13 | 山陰本線 | Comments(0)

