平成21年 鶯谷(その2)
みなとみらい線の元町・中華街駅を降りて歩いて10分弱とのところに神奈川県立近代文学館という施設があります。神奈川県にゆかりのある小説家や詩人の自筆原稿などを保存展示している博物館です。普段文学なんて柄ではないのですが実は先週の土曜日にそこに行ってきました。先日、横浜駅を降りたときに下の企画展のポスターが貼ってあったので興味を惹かれてです。
この西村繁男さんと夜行列車という絵本、ご存知の方も多いと思います。発刊されたのは昭和55年ですから僕はそのとき中学2年生、さすがに絵本のユーザーという歳ではないので逆の意味でリアルタイムで読んだわけではないですが、当時の夜汽車の旅がその絵の中にとじまれている傑作との評価も高く、その原画が展示されるというので見に行ったわけです。
舞台となる列車は上越線経由金沢行きの急行「能登」、僕はこの列車を学生時代なんども乗っているのですがそのときは体質改善以降なので14系時代、しかしこの絵本で描かれている「能登」はその前、スハ43やスロ62、10系寝台などで編成された時代です。西村さんは鉄道ファンではないそうですが、絵としてのデフォルメと車輌のディティールをきちんと区別するために国鉄から各形式の青焼き図面を借り受けて描いたそうで例えば台車もTR47や55の違いなんかもきちんと描き分けられています。でも何よりも感銘を受けるのは夜汽車で旅するその頃の人々の姿ですね。
僕も宿代節約のために周遊券で乗れるこの「能登」や「越前」、「八甲田」に大垣夜行あるいは旧はやたまといった夜行列車をよく利用しました。そこで出会った光景は今でもよく覚えています。この絵本に出てくるくわえタバコでトランプをする若者、ハンチング帽をかぶったジャンバー姿の行商人風の中年男、着物を着て座席の上に正座している女性という絶えて久しく見ることのない老婦人も、その頃はたまに見かけました。
舞台となる列車は上越線経由金沢行きの急行「能登」、僕はこの列車を学生時代なんども乗っているのですがそのときは体質改善以降なので14系時代、しかしこの絵本で描かれている「能登」はその前、スハ43やスロ62、10系寝台などで編成された時代です。西村さんは鉄道ファンではないそうですが、絵としてのデフォルメと車輌のディティールをきちんと区別するために国鉄から各形式の青焼き図面を借り受けて描いたそうで例えば台車もTR47や55の違いなんかもきちんと描き分けられています。でも何よりも感銘を受けるのは夜汽車で旅するその頃の人々の姿ですね。
僕も宿代節約のために周遊券で乗れるこの「能登」や「越前」、「八甲田」に大垣夜行あるいは旧はやたまといった夜行列車をよく利用しました。そこで出会った光景は今でもよく覚えています。この絵本に出てくるくわえタバコでトランプをする若者、ハンチング帽をかぶったジャンバー姿の行商人風の中年男、着物を着て座席の上に正座している女性という絶えて久しく見ることのない老婦人も、その頃はたまに見かけました。
「夜汽車は人生の縮図だ」
夜汽車が絶滅してしまった今となっては、もうそのような表現も見かけませんが確かにそれを感じさせる光景があの頃の夜汽車にあったのも事実です。
夜汽車が絶滅してしまった今となっては、もうそのような表現も見かけませんが確かにそれを感じさせる光景があの頃の夜汽車にあったのも事実です。
また夜汽車の硬い座席で眠れないが故に見知らぬ乗客同士が言葉を交わしだすというのも日常的な世界でした。僕もそんな人々に出会い言葉を交わしたことが何度もあります。
「東京の人間だけには負けたくないと思って必死で東京で働いてきたが、気がつくと自分の子供たちはその東京の人間になって親である自分を田舎者扱い者しやがる」と独り言のように自分の人生を語りだした紳士。「佐藤首相はね、日本人は一切ベトナム戦争に関わっていないと国会で言っていたが、あれはうそなんですよ」とベトナム戦争の後方輸送に準軍属的な身分で従事したことを語る老人、そういったさまざまな人と出会いました。
そしてこの西村さんは、狭い画角で一瞬でしか表現し得ない写真や映画とちがう絵画の特性を活かして絵巻物のようなスタイルで昭和4、50年代の夜汽車の道中を見事に活写しています。何度もなんども眺めていると絵の中の一人一人が立ち上がり彼らのストーリーが頭の中に鮮やかに浮かんできます。たった一枚、横長60cmの原画に気がつくと10分以上見続けていました。
「東京の人間だけには負けたくないと思って必死で東京で働いてきたが、気がつくと自分の子供たちはその東京の人間になって親である自分を田舎者扱い者しやがる」と独り言のように自分の人生を語りだした紳士。「佐藤首相はね、日本人は一切ベトナム戦争に関わっていないと国会で言っていたが、あれはうそなんですよ」とベトナム戦争の後方輸送に準軍属的な身分で従事したことを語る老人、そういったさまざまな人と出会いました。
そしてこの西村さんは、狭い画角で一瞬でしか表現し得ない写真や映画とちがう絵画の特性を活かして絵巻物のようなスタイルで昭和4、50年代の夜汽車の道中を見事に活写しています。何度もなんども眺めていると絵の中の一人一人が立ち上がり彼らのストーリーが頭の中に鮮やかに浮かんできます。たった一枚、横長60cmの原画に気がつくと10分以上見続けていました。
そして同時に展示してある同じ年代の銭湯やその銭湯を中心として鳥瞰する下町の町並み、あるいは幼稚園の風景、これらもまたリアルタイム昭和4-50年代の少年としては当時のトタンに囲まれた街並みや、でこぼこの舗装があちこちに残り、雨上がりの日、そこにある水たまりを避けながら自転車で走り回った日々が泣きたくなるくらいの切なさで迫ってきます。
ただ今日の写真は残念ながらその頃の夜汽車ではなく、最晩年の夜汽車。デジタル時代の今とは違い夜の撮影はハードで僕の技量ではうまく写せませんでした。何よりも撮る対象ではなく乗って移動する存在でしたのであまり写真を撮ろうという気が起こらなかったのです。
ようやくこの時代になって、ある事情で早起きする日が続き、だったら会社に行く前に上野に残る夜汽車を取りに行こうかと思い立って晩秋に訪れた時の記録です。
この上の写真、上野駅に到着した客車列車が、そのまま逆向きで尾久の基地まで推進回送されていく独特の姿も夜行列車の引退とともに過去のものになってしまいました。
この企画展は、上の入場券の通り来週いっぱいまだ行われています。これだけを目当てに遠方から訪れるには、ささやかな展示会なので少し物足りなさが残ってしまうかもしれません。でも中華街で晩御飯を食べる前の一時間を使って訪れるのは、とても充実した時間の使い方になると思います。そういったことをご家族や恋人、友人と連休を過ごすために企画されてはいかがでしょうか。老若男女全ての方が展示されている絵のどれかに共感を覚える展示会だと思います。
by michikusajinsei | 2016-09-15 22:38 | 東北 | Comments(0)




