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昭和51年 東海道本線 & 昭和60年 山陰本線

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昨日は30年来の念願が叶って東映の「大いなる驀進」(昭和35年 関川秀夫)を神保町シアターで見ることができました。

寝台特急「さくら」の東京から長崎までの旅路で起こる出来事を映画化していますし全盛時代の日本国有鐡道(鉄道ではありません!)協力ですから最初から最後まで汽車、汽車、汽車。最も華やかな時代のブルトレ特急を心ゆくまで堪能できました。

主演は中村嘉葎雄と佐久間良子。僕はどうも昔から佐久間良子が苦手なんです。それは彼女の持つむせかえるような女の色気に圧倒されてしまうからなんですが、不思議とこの頃の中村嘉葎雄との共演ではそれがちょうど良い具合に抑えられる。たぶん、それは中村嘉葎雄のやんちゃキャラを前にすると彼女も肩の力が抜けて過剰なオーラというかフェロモンが発散されないからなんじゃないでしょうか。

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ま、それはともかく我々、鉄道ファンにとってこの映画の主役は彼らではなく20系ブルトレ、就中、ナシ20です。

ブルトレも食堂車も過去のものとなってしまった現在は、それの乗車経験があるだけでも恵まれているかもしれませんが、合理化に次ぐ合理化で余裕が失われていた末期国鉄時代のその姿は正直、あまり憧れを抱くような存在ではありませんでした。なんせ一部の人からは「昔、動くホテル。今、走るドヤ」なんて言われていましたから。

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しかし、この映画に映る全盛時代の20系は伝統ある優等列車の風格を色濃く残し年少の僕らが憧れた往年の客車特急の姿そのものです。個室寝台、プルマン式開放寝台のロネ、三段式のハネに東海道線、あるいは山陽線の線内需要がある程度見込まれたからでしょうかロザ、ハザという座席車もついています。展望車こそないですが、展望室は最後尾のハネに設置されていました。そしてその中で最も光り輝く車輌といえば食堂車、この編成でいえばナシ20、そのように思うのです。

優等客車と言っても、欧州のワゴンリや英米のプルマンに見られるような本当にホテルの一室を車輌に持ち込むようなことをしないのが明治以来、国鉄最末期まで官設鉄道のポリシーだったと思います。マロネ40のような例外もありますが、あれは進駐軍という存在があるが故に登場した車輌ですから思想において官設鉄道の系譜とは異質でしょう。その中で、例外的に様々な意匠を凝らし華やかさの演出が許されていたのは食堂車であった、そのように思います。

30番台の旧型客車も戦前のマシ38、戦後のマシ35は他の座席車がニス塗りの重厚な車内に対し、初期モダニズム感覚の化粧板(だと思います)を使用した明るい内装でまとめられています。さらに言えば毎年兆単位の赤字を出し断末魔のような民営化直前ですらあさかぜの食堂車を改装して優雅さを出そうとしていました。その国鉄思想のある意味頂点にいたのが僕はこのナシ20(とオシ16)、とりわけ日立製のナシ20がそうであったと思うのです。

日立製ナシ20のアルミを使いエッジの効いた装飾は本邦はもちろん同時代諸国の優等列車を見渡してもあれほど斬新なデザインは見当たりません。「もはや戦後ではない」と言われた昭和31年からわずか2年でこのデザイン。もう時代を大きく隔絶している。いや同時代だけでなく遂に国鉄時代にこれを凌ぐ内部デザインの車輌は現れなかったと言っても過言ではないと思います。

もっともこの映画のナシ20は日車製なのでその意味では少し残念ですがカーテン生地のデザインやベージュ色で品良くまとめられた車内造作、それはそれで日立の斬新さとは違う夜行列車にふさわしい寛ぎ感を演出している、そのように言えるかもしれません。

残念ながら僕はそのナシ20に乗ったことはありませんが、その車輌が動いていた時代はかろうじて知っています。実際、冒頭の写真はブレブレですがそれでも特急時代の20系を写真にのこすだけはできました。とはいえ同時代的に僕が親しんだ寝台列車は下の写真の如く20系の後継車輌である14系、24系でしたし、車内の設備も当然ながら新しい彼らの方が快適だったと思います。

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しかし今から振り返っても横浜駅のホームから見た食堂車ナシ20だけはそれらを寄せ付けない気品と華やかさがあった、それはやはり国鉄全盛時代に製造された故の余裕と力強さがあったからではないでしょうか。

ずいぶん肩に力が入って食堂車へのオマージュを綴ってしまいましたが、この映画、機関車もEF58、EF10、C59、C61、そしてC62と戦後幹線を彩る名機が走り回ります。個人的には九州路に入ってから登場する機関車たちの黒光りする美しさに瞠目しました。

正直言って映画作品としてはプログラムピクチャー。しかも平均点以下でしょう。でも我々鉄道ファンの価値観から見ればまた別の話です。映画の中で主人公に「この列車はたった7人で動かしているんだ」って言わせていますが、今から見れば7人も、です。ある意味、自動化されすぎておらずマンーマシンインターフェイスがもっとも調和のとれていた時代の汽車旅を垣間見ることができる鉄道映画の傑作、そう言っても過言ではないと思います。

今週は毎日上映されていますから首都圏在住の方は見に行かれてはいかがでしょうか。

by michikusajinsei | 2016-08-14 10:50 | 寝台列車 | Comments(2)

Commented by pikorin77jp at 2016-08-14 22:34
はじめまして。
新幹線ではなく ゆっくり窓を景色を眺めながら 電車の旅をしてみたい、と思い 探していたところ こちらのブログにたどりつきました。 道草人生、、、この言葉の響きがとってもすてきです。子供の頃 道草しないで まっすぐ帰りなさい、と先生に言われていましたが 今思えば この 道草が 生きて行くのに 大切なスパイスだと感じています。三隅町の棚田の記事も見てくださってありがとうございます。私も 初めて ここに連れてきていただいたのですが  とてものどかな風情あるところでした。お気に入り登録させていただいて また 訪問させていただきたいと思います。 いつか夢見るのんびり 列車の旅、、、実現させたいです。
どうぞこれから 仲良くしていただけたら嬉しいです。
Commented by michikusajinsei at 2016-08-15 19:13
pikorinさま、コメントありがとうございます。

いやハンドルネームを褒められるのはなんだかこそばゆいです。
比喩的にも、実際の軌跡でも道草ばかりの人生ですが、結局、それが今の自分につながっているんだなと思うことからつけました。

小生のブログは30年前に撮った写真を題材にして主に書いているのですが、そういった意味では、通過してきた人生経験があってその結果として生きている今が一番であるからこそ、過去を振り返る余裕があるのだと思います。

それはそれとして山陰本線西部を訪れたのは晩夏、あるいは初秋の時期が多かったのですがいつも空気が澄んでいて日の光が優しかった覚えがあります。折に触れそれらをこのブログでも今後登場させたいですし、何よりもまたいつか訪問してみたいですね。

pikorinさんのブログもこれからゆっくりと拝見させていただきたいと思っています。こちらこそ、今後ともよろしくお願いします。