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昭和61年 近畿日本鉄道(名古屋線&大阪線)

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何回か佐伯勇について語ってきたが、もちろん何か取材したわけではなく彼の事跡から僕個人が想像しただけである。だから真実かどうかはわからない。

実際に同時代人としても彼が近鉄経営の一線に立っていた頃は自分の生まれる前から幼児のころ。だから自分にとって彼の生前のイメージは近鉄の経営者というよりプロ野球近鉄バッファローズのオーナーである。と言っても特にプロ野球ファンでなかった自分にはそれほど強い印象があったわけではなかった。

今回も最初は近鉄特急の格好よさを書くつもりだったのだが、その途中で少年時代に読んだ鉄道ジャーナルの連載で「君よ知るや南のレーサーたち」という野村薫さんの記事があったことを思い出し、そこから近鉄特急網を作り上げた佐伯勇に興味を持って書いたのである。
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だから正直なところ彼に関する知識はウィキペディア程度しかないのだが、そのウキペディアを見ていて気がついたのは彼の就職した年と没年。彼は昭和2年4月に近鉄前身の大軌に入社し平成元年の10月に取締役相談役で逝去とある。つまり昭和時代最初の大卒社会人として入社し、役員として昭和最後の会計年度を終えたところで世を去っている。正に昭和サラリーマンの申し子ともいうべき人生。

その間、企業グループの総帥として近鉄はもちろん、近畿日本ツーリストや近鉄エクスプレス、都ホテルといったそれぞれの業界で大手と言われる会社を育て、また成績はなかなかパッとしなかったが近鉄バッファローズというプロ野球球団まで設立した。

もう凡人にはただ口を開けて呆然とするしかない華麗な経歴である。しかしながらそういった企業人としての側面はそれとして佐伯勇が鉄道ファンであったか、僕はそんなことにもっと興味があるのだが残念ながらそれに関する記録はウキペディアにはない。
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ただ、彼が入社以後に登場した参急2200系、近鉄2250系、ビスタカー、スナックカー、そしてアーバンライナーと看板となる車輌はすべてファン的に見てもセンスが良くて画期となる車輌ばかりである。

最初の2200系はさすがに若くてその登場に関与していないと思うが、それ以外はすべて経営者の一員として彼はデビューに承認を与えている。これらの車輌たちを見ていると彼が作り上げた近鉄車輌群は規模はもちろんだが質的にも同時代最高峰の電車である。何よりも特筆すべきことは一時代で終わらず更新毎に時代を画し長期間に亘って国鉄も含めて当時の他鉄道会社を圧し続けたことだ。

その意味でも彼の率いた頃の近鉄は正に日本一の大私鉄にふさわしい品格を企業集団としてだけではなく看板車輌そのものに具現していた。そしてそれは車輌プロデューサーとしての彼の卓越したセンスによるところであろう。マニアックな鉄道ファンというわけではないだろうが、鉄道車輌のデザイン&コンセプトによく通じていたという点で鉄道愛好家の視点は相当持ち合わせていたのではないだろうか。

会社を発展させることでまず社員を豊かにし、沿線開発を通じて利用者の便益を向上させ、さらにシンボリックな車輌を生み出すことで企業イメージの向上のみならず多くの鉄道ファンに夢を与えてくれた。

佐伯勇-鉄道事業者として本邦随一の存在である。

by michikusajinsei | 2016-05-28 14:32 | 近畿日本鉄道 | Comments(2)

Commented by アリナミン at 2021-10-10 11:35
サニーカーとビスタカーの撮影もお願い申し上げます
Commented by michikusajinsei at 2021-10-13 21:00
アリナミンさま、コメントありがとうございます。

普段は関東住まいなので最近の写真はないですけど、近鉄の写真は学生の頃はたくさん撮りました。最近、あまりブログをアップしておらず、また鉄道の話題から離れているのが多いですが、また折を見てアップしたいと思います。