昭和61年&62年 近畿日本鉄道(大阪線&南大阪線)
こじつけもいいところだが、電車の顔というのもある意味、社会的な時代を反映しているように思っている。
例えば昭和戦前の車輌は、電車にしても客車にしても端正でプロポーションは素晴らしいのだが、どこか近づき難い印象をもつ。
牽強付会と言われるのを承知で言えば、制服の凛々しさ、はっきり言えば軍服の持つある種の端正さ無縁でないように思う。
対して戦後派の車輌に感じるのはまず泥臭さだが、一方でそれが生み出す逞しさはそれはそれで経済成長に向けて躍進する経営者、労働者それぞれの押し出しの強さを感じてならない。
その代表格が国鉄72系と一つ飛ばして103系だと思うが、私鉄の同種の車輌たちにも同じ匂いがする。
残念ながら僕には近鉄の車輌一つ一つの歴史や特徴を語る知識を持ってないが、改めて30年前の普通型車輌を見ていると、一見型代節約のような同じシルエットの車輌と思っていたがどうしてどうしてなかなか味わい深い。
そう塗装じゃなくてシルエットで魅せる、それが鉄道車輌の伝統的なデザイン感だし、それの典型がこの頃の近鉄車輌のように思えるのだ。
何一つとして尖った部分はなく、おでこの2灯ライトにしても、幌にしても、またややアンバランスな大きさを感じさせる正面の窓にしてもそれだけとると泥臭い。
それは保守的といえば確かにそうだが、結果的にはその鉄道の色合いを強く印象付けていたように思う。
下の写真にみる新旧車輌も、デザイン傾向は全然違うが、上にあげたようなパーツは継承されている。
それらが集合してデザインされた電車1台は野暮のようでいて、不思議な風格があるように感じられてならない。中距離電車のもつ重厚感と言えばいいのか、特にマルーン一色の旧型塗装にそれを強く感じたものだった。
by michikusajinsei | 2016-05-25 00:04 | 近畿日本鉄道 | Comments(0)