昭和61&62年 近畿日本鉄道(大阪線 & 名古屋線その3)

しかし予算第一主義が通用するのは、あくまでも平時。危機的な状況でそれは全くの足枷となる。多くの場合、それは時間が勝負の世界であるが、その時に予算という制約の中でお金を出し渋っていては復旧なり被害の最小化の好機を失ってしまいかねない。
かと言って、プロジェクトマネージャーがなにか手を打ちたくても、多くの場合、必要な対応策のリソースは彼らの裁量を超えている。といよりどのような対応策をとるべきからして手につかないのが普通なのではないだろうか。結局のところ、彼らの責任と権限は予算の範囲内に終始する。そしてその予算はある程度のContingency(予備費)が見込まれているのが普通だが、伊勢湾台風のような巨大災害による不通といったことなどまでは想定されていない。
正直言ってお手上げである。
そして佐伯勇のリーダーとしての凄みは、まさにその瞬間に発揮された。経営者として危機に最大限のコミットを行ったのである。
今歴史を振り返ってみると、ややもすれば我々はまるで台風を契機として改軌工事を早めたのは必然だったかのように語るかもしれない。しかし、そうではなかったのではないか。これは我々が想像するよりも相当なリスクだったのではないかと思う。
今も昔も鉄道のような社会インフラ運営企業は公営にしろ民営にしろ動きを止めないのがまず求められる。そして不幸にもそのような事態が出来した場合、最短期間でとにかく再開することが何よりも求められている。
そういう状況であれば、まずは現状での復旧を優先させるべきだという圧力があってもおかしくなかったと思う。
しかし、佐伯はそのような非難がでるかもしれないことは承知で難易度の高い道を選んだのではないか。逆に言えば、だからこそ最短でこの工事を終わらせなければならない。改軌工事にまつわる話の冒頭にも書いたが、納期短縮というものはそう簡単にいかない。まして巨大災害の復旧工事でもある。
復旧工事、復興工事というものは確かに目標に向けて作業にあたる人間の集中力・士気を短期間であれば高めやすいし、同じく短期間であれば周囲にも多少の不便を我慢してもらえる。ある意味、施工するタイミングとしては悪くなかったかもしれない。ただそれも程度問題である。長引けば、必ず上に書いた非難が起きるし、それ以上に会社の経営への打撃が深刻となる。何としても通常の復旧工事と遜色のない期間で終わらせなければならない。しかし、それに関わる工事施工上の制約は想像以上に大きかったのではないか。
台風被害は範囲の大きさはあるが局地的災害ではあるので、資材自体の手当ては全国にあたれば何とかなったかもしれない。
しかし、それは何処にあるのか。想像であるが犬釘一本、貴重だったのではないか。通信事情だって今とは全く違うので、迅速に在庫が見つけるのは難しい。また仮にあったとして、それの供給ルートはどのように確保できたのか。道路だって寸断されているはずである。
現場も同様であろう。改軌工事はもともと施工中であったので図面はできていただろうし、現場の作業手順も決まっていただろう。しかし新設部分と復旧部分が入り混じり設計変更やら工事の段取りも錯綜しただろうし、災害で使えなくなった重機類もあったはずだ。
そして何よりも、近鉄社員および協力会社の方々の心情である。
彼らもまた災害の被害者である。本来であれば自分の家庭を守ることに注力したかったと思う。そんな中、社員はまだしも協力会社の作業員はきちんと集まるのか。
全てにおいて、復旧工事と改軌工事の同時施工はリスクが大きすぎる。
それでも佐伯勇は決断した。二兎を追う、と。
恐らく彼には、自分は誰よりも自社のことを隅々まで知っているという強い自負があったのだろうし、何よりも自社の社員に対し自分がきちんとバックアップすれば彼らは必ず期待に応えてくれるはずだという深い信頼があったのだろう。
名古屋線の改軌。
それはリーダーの意志と指導力の強さが遺憾なく発揮され、それに応える質が高く責任感の強い現場が存在し、その二つが噛み合って成り立った戦後鉄道史の輝かしい金字塔ではないだろうか。
by michikusajinsei | 2016-05-19 23:46 | 近畿日本鉄道 | Comments(2)
近鉄特急の記事、まとめ読みさせていただきました。素晴らしい!
Cedarなら漫然と写真並べて下らないヨタ話で終わるでしょうが、企業風土の解説をしっかりされてるのに、圧倒されました。
Cedarなら漫然と写真並べて下らないヨタ話で終わるでしょうが、企業風土の解説をしっかりされてるのに、圧倒されました。
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Cedarさま、コメントありがとうございます。
いや過分なお褒めにあずかり恐縮です。小生こそCedarさんの自由な発想と軽妙洒脱な文章にいつも感服しながら読んでます。それに比べると小生の文章は生硬で我ながら「講釈師、見てきたような嘘を言い」という感があるなあと思います。
小生のブログはともかくとして、諸氏の興味の方向や文体の違いって面白いし、そこににじみ出る個性を感じ取るのが趣味を同じくするブログやSNSでの交流の楽しさですね。
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