昭和62年 近畿日本鉄道(南大阪線2)
前回述べた佐伯勇の観光特急ネットワークは、友人から小田急と何が違うの?時代的にも観光優等列車は小田急の方が早いんじゃないか。またSE車だって時代を画する衝撃はビスタカーに勝るとも劣らないものがあったんではないか、と言われた。
ごもっともな指摘である。
観光地への優等列車は、開通早々の昭和4年に東京行進曲で「いっそ小田急で逃げましょか」と歌われ、家族の慰安だけではなくnon-businessの最たる駆け落ち或いは不倫旅行で大いに使われたことが想像される小田急の代名詞。それは近鉄或いは佐伯勇の独創ではない。
思うにスナックカーと共に築き上げた近鉄王国の独創は名古屋・京都・大阪の3地点からの回遊性にあるのではないか。
小田急は箱根、東武は日光。その狭いエリアでの回遊性はもちろんあるが、基本的には点と点の往復で完結する。もちろんそれはその鉄道の性格だから、それをどうこう言うわけでは無い。
その鉄道固有の性格を把握し、その特徴を、潜在力を、どう開発するか。確かに小田急も東武もヒントにはなったかもしれない。
しかし、近鉄という営業路線が長くてかつ拠点が分散している鉄道で小田急勝利の方程式は単純には適用できないであろう。意識の点でも、その直前まで国鉄と真っ向の速達性を競った血みどろの勝負を演じたわけなのだから。
その名阪間輸送がなくなってみると長大なローカル線が点在するだけの図体の大きいローカル私鉄に堕ちてしまうかもしれない、佐伯勇にはそんな危機感があったのでは無いか。
そして、その危機への起死回生の回答がスナックカーの大量増備とそれを用いた大和伊勢志摩そして吉野路への観光特急ネットワークであったんだと思う。
またそれは、一旦は自分を追い詰めた新幹線があってこそ機能するネットワークである。
正面からがっぷり四つで相対する、そして、それが叶わぬと状況となるや、今度はそれを奇貨として活用し全く違う方向で需要を創出する。
佐伯勇、まさに稀代の鉄道経営者と言う他はない。
by michikusajinsei | 2016-05-10 22:03 | 近畿日本鉄道 | Comments(0)





