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昭和61&62年 近畿日本鉄道 (名古屋線&大阪線その2)

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間もなく開催される今年のG7、場所は日本の伊勢志摩、そして会場は志摩観光ホテルだそうである。伊勢志摩は近鉄グループの天領、そして志摩観光ホテルはそのシンボル的な存在。いわば近鉄グループが影のホストとして今年のG7を仕切るのである。すでに亡くなって久しいが、もし生きてこの報を聞けたら佐伯勇は殊の外喜んだのではないだろうか。何と言っても伊勢志摩を観光地としてプロデュースしたのは彼が率いていた頃の近鉄だからである。
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少し前になるが、丸一日、ある上場企業の基幹製造子会社の社長に丸一日くってついて取材というか勉強をしたことがある。その社長は多忙にもかかわらず若輩の我々に色々な話をしてくれたが一番印象に残っているのは社長の役目ってなんですか、という問いに瞬発を入れず「ある程度の規模の会社は社長の能力で日々の動きが左右されることはない。いなくたって平時は会社は機能する。だから社長の役目は5年後、10年後のメシのタネを探すこと、それと大波に襲われた時に変化に対応する姿勢を見せることだな。」と答えてくれたことである。

僕は佐伯勇に感じるのは正にこの2点、将来展望の構想力と変化への対応力である。見方を変えれば現状に対する正しい危機感のもち方ということだと思う。
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自分もそうだが、よほど景気が良いか正反対にとてつもなく悪くない限り、我々凡人のサラリーマンは漠然とした不安感を抱えてはいるが、それが今そこにある危機として捉えていない。だから事態が急変するや途端に右往左往してしまう。

これを戦後の近鉄に当てはめてみるとどうか。管見では転機はいくつかあるが最大の転機は東海道新幹線の開通だったのではないか。何と言ってもドル箱の名阪特急の存続を危うくする存在が登場したのである。しかしその脅威をもって実は最高の果実をもたらしたのはそれを契機に構築した特急網である。そしてこれは有る意味鉄道経営史に残る革新的事業だったと思う。

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国鉄が東海道新幹線で目指したのは東名阪間の速達化である。というより鉄道事業の思想は新幹線に限らずその基本は今も昔も起点と終点の最短化である。それは近鉄においても変わらない。だからこそ名阪特急のサービス向上で国鉄に挑んでいたわけだ。

しかし東海道新幹線の開業は近鉄にとってそれまでのドル箱たる名阪特急の地位が危うくなる非常な脅威となる出来事である。そしてその危機に対する近鉄、そして佐伯勇の回答が沿線観光資源の開発による観光特急網の構築であり、その主役となったのがスナックカーだと思う。

前回、阪急以下インターアーバン系の私鉄が生活産業をいう切り口で面を押さえていったのに対し、大鉄道はそれができない故に鉄道本体の付加価値向上に意を注いだと書いた。もっとはっきり書けば、阪急以下は沿線に住んでもらうことに最大限の努力を払い、対して近鉄は乗ってもらうことに意を注いだんだと思う。その思想はスナックカーによる観光特急路線でも変わらない。

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しかし新幹線と万博が掘り起こした民族大移動と呼ばれる空前の観光需要に着眼し、新幹線を降りた観光客を全て自社に誘導するかの如き特急網の構築。そしてそれは結果として名阪間にある大和路と伊勢志摩における近鉄の面の支配を完成させた。

新幹線の開通をライバルの進化でなく活用すべき存在と捉えそれまでの点と線の強化からの鮮やかな転身、そしてそのスケールの大きさ、また世界に類例の少ない有料特急のフレキシブルな運用とそれによる増収。もちろんそれにはホテルや旅行そのものの手配も含まれる。
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そう佐伯勇の施策は40年後、50年後のJRのみならず世界各地の鉄道(だけではないかもしれない。運輸観光全般なのかもしれない)事業者が目指している道である。それを彼は結果として殆ど独力で構築している。

重複するようだが点と線の強化が至上命題でそれは喫緊の課題として強化しなければならない。それはそれで世界初の2階建電車であるビスタカーの就役などで対応している。短期的にはそれも印象的な事象だ。しかし東海道新幹線の開業は事実として自分たちの目睫にあってその脅威は計り知れない。そういう経営課題に対する回答として佐伯勇の対応は鉄道の長所を最大限活かしたこれ以上ないものだと思う。そしてその延長線上の成果として彼が手塩にかけた観光事業の地が遂に世界の桧舞台の会場に選ばれるまで到達したのである。

墓碑銘としてこれ以上のことはないのではなかろうか。

by michikusajinsei | 2016-05-05 23:20 | 近畿日本鉄道 | Comments(0)