平成31年 横浜

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今月に入ってからの週末は最悪でした。

最初の週が15年ぶりくらいにインフルエンザ罹患しダウン、ようやくそれが治ったと思ったら今度は20年ぶりに食中毒をやってしまい3連休は気息奄々で過ごしていました。

ようやく治った次の週末は今度は二日酔い、まあ、これは自己責任っちゃそうですが体力消耗していた時にいつもの調子でお酒を飲んだんでそれが良くなかったということなんでしょう。

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それでも日曜日には体力が回復してきて外になんか食べたくなって近所の中華料理屋で食べたのがこれ、海鮮ラーメン。

実は別のものを注文しようと思って入ったのですが、ちょうど目の前でこれが配膳されようとした瞬間、目が奪われて変心。待つほどもなく届けられたのがこれです。

見ての通り結構豪華、カニにホタテ、また見えませんがアサリにイカが入っています。
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以前話題にしたタンメンが野菜の風味が溶け込んだスープを味わうとしたら、こちらは適度な塩味のスープをタレにして海鮮を中心とした具を食べる、最後に締めのラーメンをすする、という感じでしょうか。

そしてその味わいを担保するのは作り手の力量。火を通しすぎると硬くなってしまうしエキスが出汁となって出てしまう。かといって冷めた状態だと美味しくない、第一、食中毒の危険がある(自分もなったばっかりでついそれを思ってしまいます)。

そういう絶妙のバランスで生まれたこの海鮮ラーメン、とても美味しくいただきました。

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ところで今月は自分の誕生月、そしていやしくも鉄道ブログでありながら汽車電車の写真が全くないのはいかがせむ、ということでしまらないですけど、在りし日、昭和のドラマがない、だからこそ忘れ去ってしまいそうな一つの情景を掲載してこの月を〆たいと思います。

# by michikusajinsei | 2019-02-28 22:46 | 横浜 | Comments(0)

London in 1988

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ある意味、この映画で個人的にもっとも納得感、現実感があったのはこの停滞期の描かれ方でした。

クイーンというバンドがいて、彼らにはボヘミアンラプソディーやWe are the Championという大ヒット曲があり、あと何故だか判らないが初期の頃から日本で人気があり「手を取り合って」という日本語の歌も歌っている、そんな断片的な知識はありましたが、僕が熱心に洋楽を聞いていた中学校3年から大学入学前後にかけて、1981 (昭和56)から1986(昭和61)年にかけてクイーンのことが自分の周りで話題になった記憶がありません。

あ、あったか一つ。

ちょうど、その時期はMTV全盛期、音楽と同じかそれ以上にミュージックビデオの出来が売れ行きを左右した時代ですが、その頃、だしたクイーンのビデオで全員が女装していたものがありましたね。この映画でも本家のMTVで「不道徳」ということから放映禁止となってメンバーが激怒するシーンがありました。

このビデオ、日本じゃ普通に見られましたから僕も見ましたが何を訴えたかったのかわからず、音楽自体にも迫力が感じられず「悪趣味」と思った印象しかありませんでした。

一言で言えばその頃のクイーンは「煮詰まっていた」そういうことなんでしょう。
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また、その頃、僕は渋谷陽一という音楽評論家の影響を強く受けていたのですが、彼の言葉、彼自身の表現か借りてきた言葉かはわかりませんが、に「スーパースターは僕たちの不幸の総和だ」という一文にとりわけ囚われてました。

人生いつだって確からしいものなどほとんどありませんが、とりわけ若い頃というものは、不安、不満、怒り、恐怖といった観念的なものに支配されがちなものです。そういう時に人は何に救いを求めるか、ある種のメシア信仰としてスーパースター待望、特にリズムとメロディー、そして時として言葉にて我々の官能に理屈を超えて訴えかけるロックスターという存在は当時の若者にとって救世主そのものに時として写っていたのです。

特に70年代に登場したバンドやスターはそのような性格をその前代である60年代スターと比べてより明確に持ってました。
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今になって思うのはそれはその当時の時代風潮、いやもっとあけすけに言えばそういう風な売られ方を好むと好まざるとに関わらずされたのが70年代、80年代だった、そんな風に思います。いやこれは英米のロックスターだけではなくて日本のアイドルだって同じです。

山口百恵なんて今から思えば想像を絶するくらい若い時代に大人の世界を背負わされていました。鉄道ファンで言えば「いい日旅立ち」なんて発表当時は普通に聞いていましたがその世界観「雪解け真近の北の空に向かい、過ぎ去りし日々の夢を叫ぶ時、帰らぬ人たち、熱い胸をよぎる〜」なんて二十歳そこそこの女の子が歌う世界じゃないですよね。

そしてこれは少し下の世代、松田聖子も中森明菜も一緒、彼女たちは10代で30代の大人の価値観で作られた歌を歌っていました。だからキャンディーズが普通の女の子に戻りたいと言ったり、キョンキョンのようにアイドルを相対化した歌を歌ってある種の反逆を試みたくなったのでしょう、当事者としては。
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さて、それはともかくとしてライブエイド。

今にして思うのはライブエイドとは社会的な一つのモードチェンジだったのでは、ということです。

ロックミュージックっていうのはカウンターカルチャーの申し子、少なくとも僕の高校の頃まではそんな感覚がありました。良い子は近づいちゃいけないってね。特に僕たちの世代はポストパンクムーブメントですから余計です。レコード一枚買うのにドキドキし、親や学校の先生に見つからないだろうか、なんて今から思えば噴飯物のプレッシャーを感じていました。

そんな風潮が当たり前の中でライブエイド、アフリカの飢えた子どもたちを救おう、です。いや、その感覚が間違っているわけではないですがその場にいたものとしては、なんか違うんじゃないの、そんな違和感を拭いきれませんでした。

# by michikusajinsei | 2019-02-24 23:27 | UK | Comments(0)

UK in 1988

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「ボヘミアンラプソディー」観てきました。

いや、もう、評判通りの素晴らしさで見に行ったのは3週間も前ですが誰もが口をそろえるようにラストのライブエイドの再現は圧巻で、今も僕の頭の中ではボヘミアンラプソディーが鳴りっぱなしです。

ただ音楽も素晴らしかったですが、何よりも青春映画として傑作ですよ、この映画は。若いゆえ、ある意味未熟であるがゆえの傲岸さ、強引さ、全能感と、それとは裏腹な信じるものが誰なのか判らなくなっていく孤独感、帰るべき、あるいは帰りたい場所を求める渇望感、友情と葛藤、母親への甘えと父親への反発と和解、そういう個人の軌跡に加え、ちょうどこの頃から急速に産業化しだしたロックミュージック業界の 内幕や興隆期に漂う特有の陶酔感、そういった時代の風景も含めてこのフレディマーキュリー27歳から39歳までの物語であますところなくそれらが描かれ、それが言い知れぬ感動となり深い余韻を持って劇場を後にしました。
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ただ一方で、この映画を見てそしてクイーンの軌跡を真面目に振り返るまで僕はクイーンというバンドを随分誤解していたことき気がつきましたね。

僕の10代は鉄道を別にすればロックを聴くことに明け暮れていた。というよりその二つだけしか生活の中になかったのですが、その風景の中にクイーンはいませんでした。この映画を見た人誰もが息を呑んだライブエイドが行われたのは1985年。確かにリアルタイムでそれを僕は見ていましたが、クイーンの演奏にそれほど感動した記憶はないし、また日本での放送ではビートルズが復活するのかっていう関心ばかりがうるさくて、そして僕自身はレッドツェッペリンが復活することに関心が向いていて他の出演者にはほとんど興味が向いていませんでした。いやもっとはっきりと言ってしまえば、ライブエイドという企画自体を斜に見ていました。有名ミュージシャンの売名行為、あるいは偽善行為だよな、結局。そう思って見ていたのが偽りのない気持ちだったのです。

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事実、ワム!だとかU2といった当時新進気鋭のバンドもいましたけどイベントを迎える前の雰囲気として観客側には上に書いたビートルズやゼップのようにどちらかというと過去の大スターをもう一度見させてくれないかなあ、という意識が濃かったり、出演してくる方も過去の栄光をもう一度蘇らせる的な心情がように思います。そしてまたクイーンもそんなバンドの一つであるように思ってました。正直、クイーンというのは現役ではあったし、その当時でもレディオ・ガガのようなヒット曲はあったけれども全体的には停滞感が残るというか旬の時期は過ぎたバンドというイメージでした。

# by michikusajinsei | 2019-02-06 07:20 | UK | Comments(0)

平成31年 謹賀新年

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夏にも書きましたがそれにも増して年末は「平成最後の」という声があちこちで聞かれましたね。確かに昭和と比べると通用性という点で平成は西暦に取って代わられた感があります。じゃ昭和の頃はどうだったかというと僕が小学校の5年生だったかな、担任の先生が笑いながら自分の生まれた年を西暦で言える人って問いかけたら手を挙げた人は半分にも満たなかったことを今でも覚えています。そのくらい当時は西暦の影が薄かった。まあ、でも昭和の一時期も「皇紀」という時間軸を使おうと官民挙げて盛り上がった時期もありましたから歴史的時間と生活時間を統一したいという考えは昔からあったのですし、元号も由来は漢語文明、西暦同様に輸入文化ですからそれを墨守するのが伝統というわけではありますまい。

とはいえ元号という歴史時間に人生の哀歓を投影できる、これは日本人に生まれたある種の特権、そんな風にも思います。明治以降は一世一元、一人の人物の人生が時代の区切りになりますし、普通の人間にとって肌身の感覚で時間の流れを時間できるのはやはり祖父母から自分の生涯までくらいの期間が常識的、そして元号という時間の制約は肌感覚の歴史時間と絶妙に連動しているというかそのものだと思うからです。

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僕は昭和が終わった日、21歳でした。そして平成の終わりの日を52歳で迎えることになります。

僕は日本の近代たる明治から平成の期間、明治元年以降、日本人は6年で一つの世代と括れるのではないか、そういう仮説を持っています。さらに言えば明治元年から18年まで、明治19年から昭和20年まで、そして昭和21年以降の生まれと大きく括れると思っているのですが、それはともかくとして、その伝でいえば、僕の同世代は昭和39年生まれから昭和44年生まれまで。最年少の44年生まれが昭和の終わりに19歳です。昭和最後の20年間はまだ戦前戦中の記憶が鮮明な世代が健在でしたし、現実世界は経済が力強く成長していた時代で両親の世代はその中核でした。そういう昭和を担った世代の薫陶の下で育った世代、人格形跡期が丸ごと昭和であった最後の世代、単に昭和生まれというだけではなく時代の風景としての昭和を語れる最後の昭和人、そんな風にも言えると思います。

そんな昭和に対してたまらなく愛惜の感、郷愁の念を持つことはひとかたならぬものがあるのですが、人生という学校で我が身が鍛えられたのは平成という時間でした。

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平成という時間の中、僕は、あるいは僕たちの世代は何をしていたのでしょう。

昭和の残照の時間、底が知れない不況の恐怖と戦った時間、ジャパンバッシング、ジャパンパッシング、ジャパンナッシングと世界における存在感が頂点近くから急速に低下させていった時間、一方でITの幾何級数的な発展による全く新しいコミュニケーションの世界やバリアフリーの発展深化、公衆空間の完全空調化など快適性が目に見えて進歩した面もあります。今あげたような、それぞれの状況や背景、支える技術や思想というものがありますがそういった変化に対して最前線に立って社会および家族の営みを支えてきました。そうして送ってきた平成の日々の物語はまだ生々しくてとても書けるものではありませんしその物語はまだ終わっていません。ただクサい言い方になりますけれど、その苦闘の中で鍛えられ、先輩たちの世代と同様にままならない状況に対して汗と涙を随分流したものではあるとの思いはあります。

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今回の風景も昨年同様、冬の北海道です。

「地平らかにして天成る」

当時の小渕官房長官の由来説明で平成の世は始まりました。その前の昭和が常に「激動の」という形容詞をつけて語られていたことと比べて、なんとも落ち着いた語感、静謐さを感じてその二文字を受け入れた、そんな記憶が自分にはあります。

平成という時代は確かに間も無く終わります。その日がなんで4月30日なのか違和感は正直あるのですが、それでもその日までは今上陛下の御代、平成という時代は続きます。逆に考えれば平成という時代をかみしめる期間が年の3分の1、4ヶ月もあり昭和と平成の間にあったような慌ただしさはあまり感じません。転換点ではあるが一方で継続を強く意識させる年、そういった年である平成31年、平成最後の年頭にその幕開けに感じた感情を改めて思い出したい、そんな気分で静謐さを感じさせる風景を選びました。

平成という年代はまもなく終わりますが、今上陛下もご譲位されますが健在ですし、平成という時代の風景で学びまたその時代に課題を残している僕の人生の旅もまだまだ続きます。

今年一年もまたよろしくお願いします。

道草人生拝

# by michikusajinsei | 2019-01-04 09:36 | 北海道 | Comments(0)

1988年 PARIS

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自分自身は絵心というものが全くなくて、絵を描けと言われるとそれはもう苦行そのもの。できた絵はポンチ絵というレベルですらなくこれは謙遜でもなんでもなく幼稚園児レベルの下手さ加減なのだが、絵、というかデザインを楽しむことにかけては結構年季が入ってるとの自負がある。

まあ、そんなことで威張ったってしょうがないし、だから何なのと言われると二の句が継げないが、それでも人生の引き出しは多い方が良いと信じているし、そういう趣味が一致して縁ができた関係もある。

もっともそれがいつからかと言われても定かではないが、たぶん写真を撮るようになってから、少しでも良い写真が撮りたくて色々な写真集、画集などを見ているうちにいつとはなしに、徐々にそれ自身を楽しむようになったといったところか。段々に手段が目的化していったのである。とにかく素直に興味のあるところに身を任せて歩いていたら別の世界に出会った、そんな感じであろうか。

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僕は趣味の世界での志向性を考えるとき、コンテンポラリー派とディスコグラフィー派に分けられる、そう思っている。同じ音楽やもの、人を好きになっても、見えている世界の違い。大げさかもしれないがこの2者では世界観そのものが違う。前者は現在進行形の世界そのものを追うことが興味の中心になり、後者は過去にさかのぼってルーツや変遷を楽しむ、そういった感覚であろうか。

これは例えば音楽の話だと僕の世代で言えばベストヒットUSAかミュージックトマトで洋楽を聴き始めても、そのまま絶え間なくTOP10をフォローするタイプと、いつのまにかプログレやモータウンなんかに浸っているタイプに分かれていった。

もちろん普通はそれらが入り混じって趣味の世界に浸っているわけだがそこは軸足の置き方の違いというもの、そして僕自身はといえば典型的なディスコグラフィー派、一つの車輌なり鉄道会社を好きになると今、それが走っている光景や纏っている意匠より、そのルーツやどうしてそんな車輌が生まれたかを求めて色々と調べたくなるのが常だった。

そしてそういったものを調べだすと次々と新しい疑問や未知の世界が広がってくる。鉄道趣味という世界の知るうちに芽生えた新たな好奇心、その行き着いたところの一つがデザインという世界、その中でも造形物、就中、建築逍遥の世界だった。

# by michikusajinsei | 2018-12-20 07:22 | フランス | Comments(0)