
今、30歳以下の世代の方々が羨ましいな、と思うことが一つある。それは15歳の春を寿ぐ世代共通の歌を持っていることだ。
アンジェラアキ「手紙」
今 負けそうで泣きそうで消えてしまいそうな僕は誰の言葉を信じ歩けばいいの?
一つしかないこの胸がなん度もばらばらに割れて苦しい中で今を生きている
この15歳の問いかけに対して大人の自分がこのようにリフレインを返している。
今 負けそうで泣きそうで消えてしまいそうな時は自分の声を信じ歩けば良いの
大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけど苦くて甘い今を生きている、と。
そう15歳から見れば勝手なことばかり言ったり気ままに生きたりしているように見える大人たちも、数限りない眠れぬ夜を過ごしているんだよ。そんな大人たちもなんとか自分の声が聞こえてくるのを待ちながら、あるいは探しながら生きているんだよ。簡単に諦めたり、焦ったりせずに生きていくいんだよ、そういうメッセージを自分たちの脳裏に刻んで卒業できるのだから。
こういった若い心に寄り添うメッセージがどれほど苦境に立った時に自分の心を慰藉してくれるか、その歳までに積み重ねたことと合わせて自分なりの答えを見つけるための応援になるのか、自分ではどうすることもできないと思っている暗闇の中で、あるいは頑張りが効かなくなりかけている状況で支えてくれるものを15歳の時に素晴らしい贈り物として与えてもらえるのだから。
ただ、この曲が身に染みてくるのは15歳では少し早すぎるとは思う。少なくとも自分の15歳はただ鉄道を調べることに夢中で、人生の苦しさどころか青春という気持ちの持つ甘さと苦さすら感じていなかった。自分にそれが訪れたのは18歳、大学に入学した歳だった。
昭和60(1986)年10月26日、僕は東京千駄ヶ谷の国立競技場にいた。翌年に控えたサッカーメキシコW杯東アジア地区最終予選韓国戦、ホームでの初戦である。この時、僕は大きな屈託を抱えていた。志望していた大学には入ったものの学校の雰囲気や勉強に中々馴染めず、また、とある雑誌の編集部でアルバイトもしていて、こちらは特に若手の編集部員の方々とは仲良くなり色々なことを喋って楽しく過ごしていたが、基本的には肉体労働に近い仕事だったこともあり、そして自分からそれ以上の仕事をさせてもらうことを訴えるような勇気もなく惰性で流れる日々だった。そんな日々の中で救いはサッカー、特に日本代表の活躍だった。
その年のスポーツシーズン、日本全体で言えば阪神タイガースの快進撃に沸いていたが、野球に余り関心がない僕にとってはそれはただ聞き流していた。かといってサッカーはといえば前年のロス五輪予選に必勝体制で臨みながら初戦のタイ戦で5-2で破れるとそのまま4連敗と全く良いところなく敗退。そんな代表チームに期待を寄せる人など殆どいなかった。正直、自分もそうだった。ただ初戦の北朝鮮戦は高校卒業直後の春休みということもあり、また自分にとっても初めての代表観戦にもなるので見に行ってみよう、程度の軽い気持ちだった。
結論から言うとこの一戦がものすごい試合だった。スタンドには黒ずくめの朝鮮学校生を中心とした北朝鮮の大応援団が日本人を圧倒(事実、観衆25000人で在日応援の方が15000人とも20000人とも言われていた)、ホームなのに「ニッポンコール」すら出すのを憚れる状態。またプレーヤーにしてもフィールドは春雨がやまない中であちこちに水たまりができている。とても国を代表する競技場とは思えない泥んこ状態のグラウンドだった。ただ、そんな状態のグラウンドでも北朝鮮選手の技術は際立っていた。曲芸的なフェイントはないが早いスピードの強いパスを正確につないで日本を圧倒していた。失点は時間の問題ではないか、素人目にもそう映っていた。しかし日本は得点を許さない。走り負けはしない、水溜り故のルーズボールには徹底的に喰らいつく、をしつこく実践していた。日本の先制点はそんなサッカーの結実だった。北朝鮮ディフェンダーのクリアーを中盤の西村がカットしそのままゴール前へ縦パス。水溜りで減速したために北朝鮮守備陣が一瞬虚をつかれセンターフォワードの原がノーマークとなり慌てたディフェンダーのタックルをボールを浮かしてかわし、そのままゴール。「やったぁ」自分も思わず叫び声をあげて立ち上がってしまった。とにかく嬉しかった。その後も試合は一進一退、後半に入り北朝鮮のボールがネットを揺らしたがオフサイドに救われた。その時も我知らず「オフサイド!!」と大声で叫んでいた。結局、虎の子のその1点を守り切りその試合に日本は勝利を収めた。
感動は比較するものではないが、スポーツの試合を見ていてこれほど感動したことはそれまでなかった。躍動する肉体、ボールの動きに対する集中力とひたむきさ、思いもよらないパスの軌跡、ゴール前での緊張感、時に飛び交う怒号、そしてゴールをめぐる歓喜と失望、勝利を願う祈るような気持ち、それが渾然一体となって我々を包みこむ。当時はそんな言われ方をしていなかったが、まさに生きる喜びと勇気をもらった、ここにいれば何か救われるのでないか、国立競技場を後にするとき。そんなことを思い始めていた。こうしてその年、日本代表との旅が始まった。そしてこの旅については以前書いたことがある。
(この項、続ける予定)