
30年前の5月、Jリーグが開幕した。
以前、日本代表と併走した若き日の思い出を描いたことがあるが、その日々も大学卒業と同時に区切りをつけ、というか区切りがつきその頃になると新しい社会人生活の刺激に生きる手応えを感じている自分がいた。
もちろん、全く興味を無くしたわけではないけど、会社の中で小さな成功と失敗を積み重ねつつ自分の存在が認められていくその手応えの方が遥かに強くサッカーだけではなく相撲も鉄道もそれまでの自分の人生を彩っていた世界から一旦離れ、同期や先輩たちとの飲み会の方が生きている実感を得られた。
とはいえサッカーを追いかけてきたことは仕事でも役立って、社会人生活の3年目、僕はUAEの大きなプロジェクトを担当することになったのだが、その時、ちょうど広島でサッカーアジアカップが開かれ、UAEのお客さんも応援のため来日、3年目のぺーぺーが何かそれに関わることはなかったがサッカー関係の話題を振られて時に備えてカンペみたいな豆知識を先輩に渡したりはしていた。余談になるが30年というJリーグの歴史の中で、うまくスタートダッシュを切れたのは、このアジアカップ広島大会を優勝で乗り切れたことが大きかったと思う。この大会の優勝とその盛り上がりが日本サッカーは上り調子であることを鮮烈に印象づけ翌年のJリーグ開幕への良い弾みになったのではないだろうか。
しかし僕自身はサッカーよりもその頃は自分自身の新生活の刺激の方が遥かに楽しくて、特にJリーグ開幕その当日の僕はといえばインドネシアのカリマンタン島の現場で初めての一人暮らし、初めての海外生活、毎日が新鮮でワクワクしていた日々、正直なところ日本のサッカーよりも自分の身の回りの生活の方が遥かにエキサイティングで、強い関心を持って迎えたわけではなかった。
それでも夜になると当時はネットなどもなかったし、新鮮な情報の活字に飢えていたので数日遅れで事務所に届く日本の新聞を部屋に持ち帰って読むのが日課であり、Jリーグ開幕の記事を読んでは「いよいよ開幕か。」という気分がほんの少し胸に満ちてきたのを覚えている。