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令和5年 大分県(その1)

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今回はいつもと趣を変えて、夏の旅の備忘録。

8月30日に神奈川を出て大阪で先輩と久闊を叙し、その晩は南港から別府まで、さんふらわあでの船旅、翌日はレンタカーで国東半島を切り取るように廻って姫島という小島で宿泊、翌日は福岡で一泊し用事を済ませて9月2日に帰宅という行程だった。

なお、この写真は久大本線豊後森駅に保存されている旧機関庫とこの機関区とは直接関係ないがボロボロの保存状態から美しく整備されてここに運ばれた蒸気機関車9600形。建物は廃墟に近いし機関車も静態保存でしかないが、こうして組み合わされるとどちらも現役感を強く感じさせるのは不思議である。
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実は九州は自分にとって縁が深い土地である。ここ数年、仕事の関係で年に何回か北九州に出張があり、またその縁や、あるいは偶然の機会などから九州在住あるいは出身の知人、友人との交流が増えてくるに従い親近感を覚えてきていたからである。

しかし何よりも縁が深いと感じるようになったのは父方の祖母の出身地が大分県佐伯市にある大入島であることを近年になって知ったことが大きかった。自身の成長の中で祖父母4人と生活を共にできたことは貴重な経験だった。全員、明治末葉の生まれ、父方、母方、男女の順番で出身県を言えば、長野、大分、東京、神奈川である。そして自分とその出身地との関わりについては濃淡はあるがいずれも実家もしくはそれに近い系統がその地に存在して自分自身も身近に感じていたが、唯一、父方の祖母の生まれ育った大分は昭和初期に祖母たちが一家で台湾に移住してしまったせいもあり縁遠く、あまり意識することなく自分自身生きてきた。

ただ、ここ数年、九州との関わりが増えてくる中で、自分の源流の一つがその地にあることを意識することが強くなり、改めて大分という地域を自分で味わってみたいという気持ちから旅行先として選ぶようになったのである。

# by michikusajinsei | 2023-09-09 12:23 | 九州 | Comments(0)

昭和62年 近畿日本鉄道養老線(その3)

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猛暑という言葉はあっても酷暑という言葉はなかった時代、夏という季節は若さと爽やかさという感覚に結びついていた気がします。
8月のお盆の時期、線路端を歩いていると日差しの強さに熱気を感じましたが、一方で夏風がその熱気を和らげてくれて、いくら歩いても苦になりませんでした。

この写真を撮った頃は高校を卒業していましたが、高一、高二の頃、運動部の同級生たちが秋の関東大会を目指して夏合宿に青春のエネルギーを燃やしているのと同じ感覚を僕は犬走りと呼ばれる線路側の小道を歩きながら味わっていたのです。体力の続く限り歩き、そして五感を働かせて誰も見ていない景色を見つけたかった。

正直な気持ちを白状すれば運動部で躍動している同級生たちにコンプレックスを感じていました。それが好きで寝ても覚めてもいい鉄道写真を撮ることに情熱を傾けていましたが、どうしても青春の情熱という言葉で人々が想像する若者の姿とネクラと言われていた趣味に没頭する自分自身の行き方とのギャップになんとも言えない居心地の悪さを感じていたのです。

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しかし人生で初めて自分自身の限界への挑戦することが青春という季節の通過儀礼だったとすれば、良い写真とは何かを追い求める衝動、そのために犬走を歩き続けた日々はやはり青春という言葉でしか表せない人生の瞬間だった、若さの中にあった焦りやいたたまれなさから無縁になって久しい今になるとそれはそれで幸せな時間を過ごすことができていたんだ、そんな風に思うのです。


# by michikusajinsei | 2023-09-03 21:00 | 近畿日本鉄道 | Comments(0)

昭和62年 近畿日本鉄道養老線(その2)

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電車に乗ろうとしている老婦人の装いに昭和の普段着を感じます。

派手だとか地味だとか形容する以前に自分の子供頃にみていた人々はこんな格好で日々の暮らしを送っていました。


# by michikusajinsei | 2023-08-13 13:27 | 近畿日本鉄道 | Comments(3)

昭和62年 近畿日本鉄道養老線

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近鉄養老線は高校のころに大垣夜行に乗ったときに、その存在を知りました。

その時は西に向かうことに気持ちがいっていたので途中の駅でどんな鉄道があるのかといったことにはあまり興味がなく、大垣駅で乗り換えるときに停車している車輌を見て初めてこの路線があることを認識したものです。

朝日に輝く海老茶色の車体が印象的でいつか写真を撮りたいな、と思いましたが実際に訪問したのは、それから数年後のことです。

# by michikusajinsei | 2023-07-17 16:09 | 近畿日本鉄道 | Comments(2)

1988 Zurich

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30年前の5月、Jリーグが開幕した。

以前、日本代表と併走した若き日の思い出を描いたことがあるが、その日々も大学卒業と同時に区切りをつけ、というか区切りがつきその頃になると新しい社会人生活の刺激に生きる手応えを感じている自分がいた。

もちろん、全く興味を無くしたわけではないけど、会社の中で小さな成功と失敗を積み重ねつつ自分の存在が認められていくその手応えの方が遥かに強くサッカーだけではなく相撲も鉄道もそれまでの自分の人生を彩っていた世界から一旦離れ、同期や先輩たちとの飲み会の方が生きている実感を得られた。

とはいえサッカーを追いかけてきたことは仕事でも役立って、社会人生活の3年目、僕はUAEの大きなプロジェクトを担当することになったのだが、その時、ちょうど広島でサッカーアジアカップが開かれ、UAEのお客さんも応援のため来日、3年目のぺーぺーが何かそれに関わることはなかったがサッカー関係の話題を振られて時に備えてカンペみたいな豆知識を先輩に渡したりはしていた。余談になるが30年というJリーグの歴史の中で、うまくスタートダッシュを切れたのは、このアジアカップ広島大会を優勝で乗り切れたことが大きかったと思う。この大会の優勝とその盛り上がりが日本サッカーは上り調子であることを鮮烈に印象づけ翌年のJリーグ開幕への良い弾みになったのではないだろうか。

しかし僕自身はサッカーよりもその頃は自分自身の新生活の刺激の方が遥かに楽しくて、特にJリーグ開幕その当日の僕はといえばインドネシアのカリマンタン島の現場で初めての一人暮らし、初めての海外生活、毎日が新鮮でワクワクしていた日々、正直なところ日本のサッカーよりも自分の身の回りの生活の方が遥かにエキサイティングで、強い関心を持って迎えたわけではなかった。

それでも夜になると当時はネットなどもなかったし、新鮮な情報の活字に飢えていたので数日遅れで事務所に届く日本の新聞を部屋に持ち帰って読むのが日課であり、Jリーグ開幕の記事を読んでは「いよいよ開幕か。」という気分がほんの少し胸に満ちてきたのを覚えている。

# by michikusajinsei | 2023-05-28 21:17 | スイス | Comments(0)