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昭和62年 福井鉄道(その11)

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毎朝の運動に出かける時、日の出の時間が日々早くなっていることを実感します。まだまだ朝晩の冷え込みは厳しく厚手のコートは欠かせませんが日差しの強さはもう春の到来ですね。

水温む頃という表現、寒い寒いと日常生活で口にはしても関東育ちの自分には肌感覚としては馴染みがなかったのですが北国を冬の終わりに旅するようになった時、初めてそれを実感できるようになりしました。

# by michikusajinsei | 2023-02-26 16:09 | 福井鉄道 | Comments(2)

平成28年 神戸三宮

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「ツナグ」辻村深月、「赤道 星降る夜」古内一絵、「クロノス・ジョウンターの伝説」梶尾真治、このひと月余りで読んだ本である。

辻村深月、古内一絵は昨年からの読後の余韻で彼女たちの作品履歴から未読の本から探して選んだもの、ただ彼女たちの作品は高校ものが多いので、さすがに高校生活舞台は今の自分にリアルさがないのでそれ以外の作品から、クロノス・ジョウンターの伝説は作者梶尾真治も含めて全く知らない存在だったが、友人のミュージシャンが同作品の舞台に楽曲を提供していることを知ったことから興味を惹かれて手にしたのである。つまり、これらの作品に関心を深めて買ったのではなく偶然に手にしたのであるが、3作品ともに同じ世界観、「ツナグ」と「赤道 星降る夜」は故人の蘇りを通じて、「クロノス・ジョウンターの伝説」はタイムマシーンを使って今の自分達が過去に遡るというかたちで、それぞれ愛をつなげる物語だった。

「これは僕自身に起こったシンクロニシティと言えるのかもしれない」

この3冊の中で最後に読み始めた「クロノス・ジョウンターの伝説」の途中でそう感じた。とはいえ、非現実的な世界線が現れてそのまま自分をどこか別の世界に連れて行ってくれるわけでもなさそうである。ただ、どうしてもそこに暗示めいたものを感じてしまったのである。

普通の社会を舞台にした小説はどうしてもご都合主義の場面があって、それが人間関係の場合もあれば苦し紛れの非現実的な存在の人間を登場させたりすることで、その都合の良さに興醒めすることもままあるが、この3作品を読んで感じるのは、その非現実性を前提とすることで痺れるような切実さ、人を愛する気持ちというものが、より明瞭に浮かび上がり、我々が心の中に隠しているロマンの部分が現れ、そこに身を浸す読書体験が得られることであったように思った。

異性や年齢、関係性を問わず、自分が想いを抱いている人々に対して、その気持ちを伝えることは息をするようにはいかないもの、でもなんとか伝わってほしいという気持ちは思いの強弱はあれど誰にでもあると思う。そして伝わらないどうしようもなさもまた、我々自身の哀しい現実である。その自分自身のやるせなさに対する慰謝の気持ちが、どこかを彷徨って結果的にこの3冊の本をほぼ同時に手にさせたということかもしれない。

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今回の写真は神戸三宮駅前に残る昭和戦前のものと思われる地下道出入り口。戦災と震災に耐えて無数の人々の往来を繋いできた通路。過去と今を結ぶ回廊としての地下道出入り口。時代は変わり、街や人々の姿も変わっていく。しかし地下から地上を見上げる通路からの景色や光は案外変わらない。同じく地上から地下を見下ろすときも視野が限定されるためか見える世界の変化はなくただ通り過ぎる人々の風態に時代の移り変わりを感じるくらいである。

ただこの三宮に限らないが地下道出入り口は都市空間においてある種の劇的な転調を体感する数少ない場所でもある。光を求めて階段を駆け上がることもあれば、安息や雨宿りのために地下に潜ることもある。

過去は変わらず存在する。嬉しいこともあったが恥ずかしいことや苦いことの方が遥かに多い。ただ、そのどちらかと言えば思い出したくない過去を生きてきたからこそ、それでも生きてこれたことへの自信から変わることへの恐れもそれほど大きくない。その意味で自分に起きたシンクロニシティめいたものは夢みたいなことが起こることの暗示ではなく、自分の中で世界観の変化を求めていることの発露ではないか、そんなふうに思いたくなった。

人が地下道から見える光に感じる気持ちは今も昔も変わらない、それを現実化するためにはあとは少しの勇気が必要、その勇気を手助けするものはロマン。感傷的と言われるかもしれないが、そんなことを感じた読後感である。


# by michikusajinsei | 2023-02-19 20:27 | 山陽本線 | Comments(0)

昭和57年 山陽本線

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鉄道写真を熱心に撮影していたのは中学3年の14歳から大学4年の22歳までの8年間、その中でも最も楽しく、最ものびのびと撮っていたのは高校1年、2年の時期、自分で足を伸ばせる距離も広がりましたし、魅力的な車輌もたくさい走ってました。それにその頃はまだ大学受験も先のことと考えていましたので、成績は底辺を彷徨ってましたが、かといってあまり気にしてもしょうがないし受験勉強の時期が来たら頑張ればいいさ、と能天気に過ごしていたものです。

その高校2年、初めて友人とふたりで泊まりがけの遠出をしたのが山陽本線、広島・山口の鉄道巡り。これは本当に楽しかったですね。そして、この時期、ある意味、生意気盛りの時代ですからカタログ写真のような列車写真はつまらない、なんとか人が撮らないような写真を撮ってやろうと野心に燃えたりもしていました。まあ、幼稚っちゃ幼稚な発想ですが、若さというものは須くそんなものでしょう。大海を知らない怖いもの知らず、けれど、人生そういう時代を経験してなんぼのもんじゃないでしょうかね。

この写真はそんな工夫を重ねていた時に撮影した1枚、山陽本線の難所、広島市郊外に瀬野八と呼ばれる急勾配区間があります。この区間、重量貨物列車は当時の機関車単独では登りきれないことから後ろから押し上げる補機をつけていました。この補機の力強さとダイナミックな迫力を写真で表現できないかと考えて撮影した1枚です。

# by michikusajinsei | 2023-02-12 17:59 | 山陽本線 | Comments(0)

昭和63年 釧網本線(その3)

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個人的な肌感覚なのですが昨年は久しぶりに四季それぞれが穏やかな表情を見せた1年だったのではないかと感じてました。
とりわけ小春日和の多かった10月、11月に秋らしい秋はいつ以来かなぁと思いながら街歩きなどを楽しんだものでした。

そして昨日は立春、年の移り変わりを季節におくのであれば正に新春、この日をもって本当の意味で年が改まったと言えるかもしれません。

一方で、過ぎ去っていくことを実感すると寒かった季節、辛かった時期もなんだか名残惜しくなることもあります。今日の写真はそんな去りゆく季節への惜別の1枚。

雄大かつ素晴らしい景色の中で鉄道写真を撮るのが楽しいと言いながら、流石に冬の夕方となると寒さもありますし、急速に日が落ちていくことからくる寂寥感が心に押し寄せてきます。この写真を撮った直後、列車に乗り根釧原野を後にするのですが温かく明るい車内に入ると、やはりホッとした気持ちが湧いてきたものです。

さて月も季節も変わりました。釧網本線、あるいは道東の旅の話はまたするかもしれませんが、今回はひとまずこの写真で締め括ります。





# by michikusajinsei | 2023-02-05 17:04 | 北海道 | Comments(2)

昭和63年 名古屋鉄道(その2)

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先週、スカーレット電車で掲載したのは新型でしたが、当時、この線には昭和戦前期に走っていた車輌も健在でした。
その車輌を写した1枚です。

鉄道ファン的にはゴツいリベット、戦前の流行であった丸み帯びた半流線型と呼ばれる前面、そして名鉄独特のローマン書体の車輌番号と非常に魅力あふれる車輌なんですが、当時は古臭い小型車両なんて、と思っていた自分はせっかく走っている路線を訪ねながらこの走行中の写真はこの1枚きりです。

ただ、確かこの日の岐阜は30℃を超える真夏日、そのジリジリとした日差しに照らされながら佇んでいた風景をなぜか今でも鮮明に覚えています。写真に撮らなきゃと思いはしたものの、どうしてだか判りませんがついにカメラを向けられず、やがて発車してしまいました。

今から思えば何をしていたのかというところで、写真に残せなかった後悔はもちろんありますが、この電車との出会いはある意味、写真を撮れなかったもどかしさがあったことによりその時の情景が自分の中に明瞭な記憶として残っているのかもしれません。

ちなみに、今見ると外観もそうですが車内の長い吊り革がいかにも昔の車輌っぽい味を出しているように思いますね。

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もう1枚、こちらは名鉄岐阜市内線の主みたいな存在だったモ510、この車輌はさらに古く大正年間の製造です。
これは、流石に知ってましたが、写真よりも乗る方に関心があったこと、また市内線は街中の電停でカメラを出して撮影するのが憚れる雰囲気というか躊躇いがありましたので、結局、この1枚きりです。

ただ、この車輌も写真はないですが電停で何本も電車をやり過ごして、ようやく乗れた時に胸を弾ませた感覚は残っています。

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プロスポーツの世界で記録よりも記憶に残る選手でありたい、という言葉をまま目にしますが、自分にとってこの名鉄岐阜の電車は正にそのような存在でした。

# by michikusajinsei | 2023-01-29 20:48 | 名古屋鉄道 | Comments(0)