昭和62年 東武鉄道(その2)

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一瞬の華やぎと共にDRCが通過した後に姿を見せた2連の普通電車、いかにもローカル線っぽいのんびりとした風情である。そして電車自体の外観も東武標準形、細かい区分はあるが私鉄界の103系と言われた一連のデザインの車輌である。

南関東の住民である私にはあまり縁がない車輌なので、それでも撮影はしたが正直、DRCや5700系の時の興奮とは雲泥の差。折角だから撮影するかという気持ちで撮ったのであろうからその時の光景をまるで憶えていない。

しかし、今回、ブログに掲載する写真を選んでいて、この写真、あるいは風景になんともたまらない旅情というか郷愁を感じてしまった。

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収まりの良い風景、そう言ってしまえば身も蓋もないが適度に人の手が入った里山の風景を走る2輌編成の電車。ある意味、その地域の豊かさの象徴のような風景である。

思うにこの2輌編成というのが存外大事で、例えば北海道の広漠な大地を走る単行の気動車、その風景はそれはそれで素晴らしいが、その大地にポツンと取り残されたような孤独感、どうしても過疎という言葉を連想してしまう寂寥感があるし、都市圏の長大編成通勤車輌はダイナミックでエネルギッシュではあるけど、長年、そこで暮らしていても時として過剰なエネルギーの圧迫感というものを感じてしまう。

しかし、2輌という列車単位は輸送力としては小さいが、単行のようにある種、旅客輸送の限界を示すような悲愴感はなく、地域社会の足としてきちんと機能していることを示しているように思われる。

往時、鉄道が陸の王者であった時代、国鉄に求められたのは地域輸送よりも中距離区間の輸送を主力とし全国をネットワーク化する機能であり、逆に言えば、地域単位のきめ細かな輸送の多くは私鉄が担当する姿が一般的だった。そして残念だが鉄道がその地位を下りた昭和末期、そういった私鉄の多くが消えていった。そして自分の幼少時代はその波が訪れる直前、もしかしたら無意識で見ていた風景が自分の中で蘇り、この写真に郷愁感を呼び起こしたのかもしれない。

当時はそこまで考えが及ばなかったが、鉄道を維持するというのは大変な事業で今のJR北海道の苦境を見ていると鉄道事業が成り立つためには沿線の厚みが決定的に重要であることを痛感する。逆に言えばそれらを運ぶ列車の単位がその地域の豊かさをある意味、象徴していると言っても過言ではない。だからと言ってもちろん自動車に依存した地域を貶めるつもりは全くないが、鉄道と道路交通が共存している社会の方が社会インフラの靭性面でも、人と人とのつながりといった感性面でも住みやすい地域ではないか、そんな風に思っている。

北関東ののんびりとした鉄道情景にもそれを維持できる環境、維持している努力が隠されていた、そんなことを考えさせる写真である。

# by michikusajinsei | 2017-12-21 07:14 | 東武鉄道 | Comments(2)

昭和60年 東武鉄道

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東武DRCは世間的には151系こだま型の劣化コピーなんて揶揄する向きがあるらしいが、そうだろうか。確かに高運転台にボンネットの外観という点は共通しているけど実際に両車を見た印象からすれば劣化コピーどころが力強さという点ではDRCの方に軍配を上げたくなる。

確かに151系には流麗な格好よさがあるが、繊細と言うと聞こえはいいがなんとなく線が細い印象を見ていると感じるのだけど、DRCの骨太な造形の車体と東武伝統の落ち着いた配色、車内は一転して柔らかい光を通した和紙を思わせるクリームの壁面にベージュのフルリクライニングシートのそれは旅の楽しさ、華やぎといったものを上手に演出している。

日光観光客、特に外国人を意識した、この電車が企画された背景はそう語られるが果たしてそれだけか。

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一億総中流時代ののささやかな贅沢

この電車の登場が昭和38年だから登場当時にはまだその言葉はないが、東京オリンピックを目睫に控え、その前後10%を超える経済成長も実現しいよいよ社会全体が上昇気流にあることを実感していた時代である。その流れの中、この電車を企画させた背景には家族の娯楽として泊まりがけの旅行ができる、そしてそれを通して家族の幸せや豊かさを味わえる時代が到来するのではないか、そんな感覚が企画者たちの脳裏にもあったと言えば深読みのしすぎだろうか。

そこまで明確に意識していなくても、50年前の訪日観光客と言えば豊かさの象徴のような存在、数で言えば少数派であろう。だから外人観光客を意識したとしても商売の主体は日本人である。日々の生活には追われてもたまさかの贅沢は許される世界、そして現実的にその世界は自分たちにとっても少し頑張れば手に届く時代になった。

戦中をくぐり抜けてきた明治大正の世代にも新世代の昭和生まれにも非日常の楽しさを味わえる新しい時代がやってきた、平和の配当とはこういうことか。当時の大人たちにはそう映ったのではないか。

そんな旅への期待や憧れをどう演出し、そして満足してもらうか。その当時の人が考えた豊かさを鉄道車輌の中でどう具現するか、そのの行き着いた答えがこのDRC、デラックスロマンスカー。今となってはやや気恥ずかしいデラックスという言葉であるが、当時のその言葉にあった語感はそのまま真っ直ぐに豊かさの享受に繋がっている。その意味で地味ではあるが、この特急電車はこの時代にとっての豊かさという感覚の無言の証言者のように見える。

個性的であれ、そういった呪縛がある種、デザインの貧困さにつながっているようなのちの車輌に比べて、先行する国鉄特急をヒントにしながらきちんと自らのアイデンティティーと目的を見極めて昇華された車輌、東武DRCにはそのような評価が相応しいように思うのだ。

# by michikusajinsei | 2017-12-12 12:28 | 東武鉄道 | Comments(2)

昭和62年 東武鉄道

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ここのところ、電車の遅延に遭遇することが多い。

自分自身は特に気が短いということはないと思っているが、それでも乗れると思った電車、着けると思った時間に着けないストレスはどうしてもイライラした気分を催す。昨日の午前中もそうで昼飯前で空腹だったこともあったから遅れてきた列車にかなり不機嫌な顔をして横浜駅から乗車した。

そんなささくれ立った気分で窓外の景色をなんとなく眺めていて樹源寺の踏切をを過ぎた頃、東海道の線路を追いかけてきた列車が並走しだした。

189系の団体列車である。

確かに今となっては旧国鉄の生き残りで貴重な車輌ではあるが、だからと言って特に好きな車輌というわけではない。何時もだったら、一瞥をくれただけでそのまま関心を失ったんだと思うが昨日は違った。

冬の柔らかな斜光線が疲労の色濃い車輌を実に優しく包み、なんとも言えない気品というものを感じさせてくれていたのである。

そうなると現金なもので今までの不機嫌さは急速に消え、そのまま抜き去られるまで189系の疾走する姿を追いかけていた。
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冬の斜光線、特に小春日和の関東地方で感じるそれは形あるものの表情を浮かび上がらせるものとしては屈指であると思っている。写真を撮っていると光そのものが主役であると感じることはよくある。夏や秋の日差しのようなドラマチックさ、春の日差しのキラキラした透明感。その場に出会うと鉄道情景ではなく光それ自体が主役のように感じられて言葉を失ったこともあった。

それに比べるとこの時期の斜光線にはそういう力強さはない。しかし不思議なものでこの斜光線で鉄道車輌を撮っていると、どの季節の光にも増してその車輌の特徴というものを鮮やかに浮かび上がらせてくれる。

この写真に映る東武のロマンスカー、DRC、1720系。151系のパーラーカー展望車に代表されるように広窓が隆盛を誇った新性能電車初期に東武伝統の狭窓で登場。伝統に囚われると窮屈になってしまうが、小気味よく並ぶ窓の列はそれはそれで優等列車の持つスピード感をうまく表している。何よりもその狭窓が並ぶ美しさが最も輝くのはこの時期の関東地方の日差しだった、今振り返るとそんな印象を抱く撮影である。

# by michikusajinsei | 2017-12-04 12:17 | 東武鉄道 | Comments(0)

昭和61年 郡山駅(その5)

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先日、神保町シアターで「植木等と渡辺プロダクションの映画」という特集がありました。似たような企画が20年以上前に横浜の映画館でも上映され、クレージーキャッツ全盛期の破天荒な映画はその時に楽しんでいたので、今回は最近の作品「会社物語 Memories of you」を観てきました。

最近の作品といっても昭和63年ですからもう30年前になるのですね。僕は旧作邦画を好んで観てますが、それは懐古趣味というよりはむしろ未知の世界、あるいは失われた世界への憧れや好奇心といった気持ちが強いです。その点、この映画、21歳の時に封切られた作品ですから自分自身の人生としてはリアルタイムの時代風景。その意味ではいつも見ている邦画と比べると制作年は新しくても気持ちとしてはノスタルジア、懐古気分が湧いてきましたね。

ただ同時に別の感情も湧き上がってきます。この映画の主人公は定年間際の会社員、彼の心象風景を丹念に描くのが主題。悔恨と諦念、いくばくかの充実感、そして同年代への連帯といった風景です。勤続34年で間も無く定年を迎える主人公、大学卒で56歳、今の僕と6年しか違いません。映画の世界はその退職間際の1〜2ヶ月の人間模様を描きます。「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」そんな雰囲気が濃厚な周囲の視線。そうか自分もそういう目で見られる歳なんだな、思わずそんな言葉を映画館の中でつぶやきそうになりました

リアルタイムでこの映画を見たら、いや20年前の特集で見ても今回自分が見たような感慨はわかないでしょう。それは単に自他を問わず周囲の環境の問題だけではないです。その違い、一言で言えば時間を意識するか、そういうことではないかなって思います。

21歳の自分はもちろん将来という時間はもちろん不安でしたがそれはどこでとまるかわからない果てしなさへの不安でしたし、それはその10年後でもさして変わりません。上の写真に映る空ではないですが、ぼんやりとした曇り空がどこまでもなんとなく続いていく、そんな感覚で時間を見ていました。

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それはさておき、こういう映画を見ると、一方で思うのはその頃の、今の僕と同年代の人たちはどういう世界観を当時抱いていたのだろうかということです。映画の最後の方で酔っ払った植木等が銀座を歩いていて「日本をこんなに(豊かに)したのは俺たちだ」って叫ぶカットがあります。やはりここには世代特有の息吹きというものを感じます。ある種の勝利感、陶酔感。この映画の封切りに前後しバブル景気というものが加速していきますが、このバブルという時代も世代によって感じ方はそれぞれだと思います。その中で最も無邪気にその雰囲気を謳歌したのがこの世代、国民学校世代ではないかと思います。

昭和30年前後に成人を迎え平成初頭に社会の第一線を引退していった世代。戦後社会とは一面、会社社会。会社の発展と世代の成長が軌を一にしていた、少なくともそう信じていた世代にとって、バブルの華やかさは実際に体験したかどうかは別にして、彼らの過ごした会社社会の成長物語の大団円として盛り上がったあの頃の世間の雰囲気は、彼らにとって格別心地よいものだったのではないでしょうか。

少し前ですが、僕はキハ82のことを日本株式会社の幸せな申し子と書いたことがあります。

http://anosyaryo.exblog.jp/21196856/

この文章を書いているとき、実はこの世代のことを念頭に置いていました。でも、実際の社会で特急用車輌のように一世を風靡するような存在は別格です。この世代で言えば長島や裕次郎のような大スター。彼らは社会や世代の象徴ではありますが、夢の存在であって社会を支えていたわけではありません。

一方、同じ年に同じような性格で登場した別の車輌があります。それがこのキハ58。僕の地元、神奈川には縁がありませんでしたが、非電化亜幹線の急行用として登場し電化が進んでからは普通列車に転用され全国津々浦々を走った車輌です。その意味では華やかな車歴を誇るという車輌ではありません。しかし航空路線、新幹線、高速道路と言った現在、我々が仕事に観光に普通に使っている交通機関が貧弱だった昭和3、40年代、まさに先にあげた世代が実務の最前線で活躍していた時代に彼らの移動を担ったのはこの車輌です。彼らの夜討ち朝駆けの日々を支えたのがこの車輌、この車輌が彼らを様々な土地に運び、その活動がやがて全国規模での経済成長に繋がっていった、正にキハ58の走るところに日本の経済成長の力強さが宿っていた、そういった意味では高度経済成長の裏の主役という車輌と言っても過言ではないですし、この世代を象徴する車輌なのではないでしょうか。

ちなみにこの「会社物語」クレージーキャッツが最後にメンバー全員で演奏した映画でもあるそうです。そういった意味でも昭和最晩年になんともふさわしい映画であるように思いました。

# by michikusajinsei | 2017-11-26 15:47 | 東北 | Comments(2)

昭和60年 郡山駅(その4) 

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鉄道ファンで良かったなあ、と思うことは駅で中途半端な待ち時間があっても飽きがこないことである。他の人にとっては無味乾燥な風景や車輌が自分が興味があるということで思わず身を乗り出したくなるような魅力を持ったりもする。

この景色も鉄道ファン、その中でも蒸気機関車好きでないと盛り上がることはないかもしれないが、ターンテーブル。蒸気機関車の方向を切り替える設備。これが本当に現役だったところは僕が旅を重ねていた昭和末葉になると殆どなかったけど、でも設備があるだけで興奮してしまったのはマニア心情の最たるものであろうか。

ただ、そんなことは言っても所詮稼働していない設備である。よく言えばマニアックという言葉だが、まあ世間的には酔狂、その言葉の方が相応しいかもしれない。

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それと比べるとこちらはまだ理解してもらえるか。いややっやぱりだめか。

この駅は郡山、東北本線の大駅であり、水郡線、磐越の東西線が発着している。こういったある程度、大きな駅に行くと、そしてそこが何線かの始発駅だとするとその線で使用される車輌が停泊していた。そういう場合、車輌が珍しかろうがなんだろうが、停泊しているその事実だけで鉄道ファン気質としてつい注目してしまう。そしてこれは今でもそうだ。品がない言い方かもしれないが、駅に着く前から思わず舌なめずりしてどんな車輌がいるかと期待してしまう。

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そしてそれは一人旅なら勝手だが、問題なのは仕事が絡んだ旅の話。それまで鹿爪らしい顔をして商談相手先の話をしてはいても大きな駅に近づくと気もそぞろ、そして車窓に見慣れない車輌が現れると一転、急にそれまでの話が上の空、え、この車輌なんだっけ、なんて方向に頭がいってしまう。

つい先日もそう。上越新幹線に乗っていて長岡近くでキハ58の姿が見えた瞬間、もういけない。急に押し黙って思わず窓の外、その車輌が行き過ぎるのを追っかけしてしまう自分にどうしようもない業の深さを感じたりもしてしまうのだ。

# by michikusajinsei | 2017-11-20 06:34 | 東北 | Comments(0)