昭和60年 & 63年 東武鉄道(その2)

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関東の私鉄は、都市内移動の短時間乗車が多い下駄電みたいな区間と、乗車時間が一時間を優に越すような中距離区間が並存しているところが多い。

というより下駄電区間オンリーの東急や相鉄が例外で殆どの鉄道はそういう中距離区間を持っているが、その中でも老舗といえばこの東武鉄道、戦前から100キロを超える区間で電車を走らせていた。西の参宮急行と並んで戦後の電車王国日本の嚆矢ともいうべき鉄道である。

そんな事実を今更ながら知ってこの写真を眺めると私鉄の103と言われる8000系も当時感じていた私鉄下駄電の優等生ともいうべき姿だけではなく別の電車の血筋が流れているんだと思わせるスピード感がある。羊の皮を被った狼というと大げさだが、中距離電車としての風格というものが何とは無しに感じられるのだがそれはどこから来るのであろうか。

デハ5、後のモハ3240形。伊勢崎線、東上線、そして日光線といった東武鉄道主要幹線の電化に合わせ大量増備された車輌、この車輌が8000系電車の源流ともいうべき電車である。

この電車は英国の会社、旧デッカー社のライセンス電装品を用いて製造されたためデッカー電車と一般には呼ばれるが、僕にはそれよりも別のあだ名「関東の野武士」、この別称くらいこの電車に似合う呼ばれ方はないのではないかとその言葉を聞いた時から思っていた。
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登場が昭和2年だから戦前が全盛期だった車輌なので年代的にもちろん自分は写真など撮っているわけはないが、窓が小さく腰高な車体にリベットが整然と並ぶ濃い葡萄色の車体が鎧を思わせ、デッカー社製を象徴する2丁の大型パンタグラフの存在感は槍刀といった武具の鋭さを喚起する。そういった見るからに重量感がある車体をどっしりと受け止める風情のイコライザー台車は野性味溢れる悍馬のようだ。その車輌が唸りを上げて関東平野を疾駆する姿は、まさに武骨であるが逞しさにあふれる武人そのものの姿ではないか。妄想の類と言われればそれまでだが、そんな想像をしてしまうのである。

ちなみに上の写真の車輌は、後年、その野武士電車の下回りを流用して製造されたものとのこと。この写真を撮影した当時はそんな由来は知らず、それこそ8000系のバリュエーション新製車輌だと思っていたが今見ると確かに下回りは戦前製車輌で標準的だったイコライザー付きの台車を履いている。なるほどハコと言われる車体は当時の東武標準デザインでの新造で下回りは旧車流用ということか。

標準化と使えるものは使い尽くすというハイブリッド思考の産物がいかにもこの頃の東武鉄道らしい。

# by michikusajinsei | 2018-01-11 06:48 | 東武鉄道 | Comments(0)

昭和60年 & 62年 東武鉄道

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ブログ掲載の順番では後継のステンレス製を取り上げたが東武鉄道、というより私鉄を代表する通勤型といえばこの8000系。旧国鉄及びその系統たるJRグループを除けば最も多く製造された車輌である。

とは言っても元々が国鉄のブルートレインに憧れて始まった鉄道趣味の道、私鉄の通勤型なぞは長く興味の外、学生の頃、一時は毎日のように使っていた西武池袋線なぞ一枚も写真を撮っていない。この8000系も知識としては当時、私鉄界で最量産電車と知っていたがどんな電車かということの関心は湧かなかった。

それでも写真を撮ったのは東武鉄道自身が自分にとって珍しかっただけでついで撮りでしかない。

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そんな中途半端な気持ちで写した写真であるが、特に下段の幌付き先頭車は中々迫力があって格好良い。この8000系顔はなんとなく平板な印象が強かったのだが正面に微妙な角度があったのか。

ところで東武鉄道と言えば保守性と言う言葉を条件反射のように覚えてきたが、それの象徴のような8000系のことを調べると必ずしもそうではないようだ。この電車の登場は昭和38年、新性能電車の第一世代にあたるかと思うが最初から台車に空気バネを備えていたとある。同じ年に登場した京王帝都の5000系は同じ空気バネに更に冷房装置まで装備したが、そちらは特急運用にも使われる看板車輌で普通運用が主体の車輌としてはこの時期に空気バネを備えたのは珍しいのではないか。

その背景には長距離区間の走行がある東武鉄道の事情もあるそうだが、同じ事情の国鉄では東海道線や横須賀線はその末期までコイルバネ台車が主力だから東武鉄道の意外な先進性にちょっとした驚きを感じる。

# by michikusajinsei | 2018-01-06 12:23 | 東武鉄道 | Comments(2)

平成30年 謹賀新年

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平成も30年経ちました。

僕が自分の人生で30年という歳月を初めて感じた日は今でも鮮明に覚えています。それは昭和50年8月15日、その日、あの戦争を知らない世代が30歳になったという感慨をテレビで何度も放映していたからです。

でも昭和20年という時間は自分にとって全く実感が湧きませんでした。当時小学校3年生、身の回りの大人は全員その時代を知っていましたが彼らの話を聞いても別の世界の事としか思えませんでした。さすがに小学校3年生ではそれは仕方ないでしょう。ただ少し前のブログにも書きましたが20代前半になってもやはり30年という時間は遠くなるような感覚で捉えていました。

でも今は違います。これからの30年という時間は自分の人生にとって終わりの始まり、坂を下る事を意識して生きていく時間、限られた資源であることが実感としてわかります。その事実は寂しくまた冷厳な事実です。

このブログで掲載している写真は副題の通り、戦後日本という時間の流れでは真夏の時代と名付けた時代に撮影したものですが、その真夏のような時代を動かしていたのはその頃40歳前後であった団塊の世代です。もっとも大きな人口の塊がもっとも活力に溢れた時代、この副題を考えたときは意識しませんでしたが戦後という時間を四季で捉えればあの時代が真夏になったのは彼らの成長を考えると当然という気がします。

そしてそのことが示唆する、もし人生において真夏と呼ばれる時間があるとしたらやはりそれは40歳前後、去年50歳を迎えた僕自身の、あるいは僕たちの世代の真夏の時代は平成という時代の中でいつのまにか終わってしまいました。

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でもまた一方で、歳を重ねるということは自分の周囲にある固定観念や制約を外せるんじゃないかという考えを持つことを学びました。失った若さと引き換えに、目の前の渡れる川の幅が広がってくる、あるいはその距離を見定める勇気と余裕が出てくるという感覚でしょうか。

もちろん、実際にそんなことは一足飛びにはできません。負わなければいけないものも確かに背負ってはいます。でも、この年齢だからできる、或いは味わうことができる世界があるのではないか、そんな風にも思い始めています。その感情が年頭にあたりこの写真を選ばせた心境です。

昭和62年に北海道の広漠とした雪原で迎えた朝焼けの光景。荒れ野ではありますが朝日は確実に輝いていました。こんな冷たく乾いていると思った世界でも考え方、見方を変えれば別の表情があります。

今年はシンガポールから帰国して3年です。帰国直後の一昨年はやや躁状態で生来の好奇心を発散させていた時間でした。翻って昨年はその感覚は多少ありつつも怠惰な気分と体力の維持に失敗して特に後半は失速した感があります。そして3年目の今年はどうなるか。

思えばこの2年は過去を捨てシンガポールから舞い戻った人間、気障と言われてしまいますが大佛次郎の「帰郷」あるいは「冬の紳士」という作品に描かれた男達に自分を投影していました。しかし3年目です。小説世界の観念論ではなく実際に生きる人間として過去と未来を同時に調和させていく年にそろそろしていかなくてはいけません。

今年一年もまた、よろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。

道草人生拝

# by michikusajinsei | 2018-01-01 15:24 | 北海道 | Comments(4)

昭和60年 & 63年 東武鉄道

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東武鉄道も時流に乗ってステンレス車をだしていて、その頃、僕は鋼製電車に食傷していたから、東武鉄道の中では比較的好ましい外観だと思っていた。

だからといって興味を持つほどもなくこの電車もたまたま撮った写真の一枚だが、改めて見ると東武顔の伝統たる前照灯と標識灯の縦列配置に三枚窓は変わっていない。そしてその表情だが、今見るとメタリックな外観のそれとの組み合わせで何やらロボット、6-70年代の書物で未来を描く際によく書かれていたロボットの表情によく似ている。

まあ、それはともかくこういった鋼板からステンレスへと構造上の刷新を図る場合、それに合わせて表情の刷新を考えると思うのだが、こういうところが東武鉄道の保守性だろうか。あるいは手堅さを尊ぶ社風なのかもしれない。とはいえ、そのためであろうかワンポイントの横帯もこの照明類との干渉をさけるためか側面と一体感がない位置に巻かれてしまい、なんとも落ち着きのないデザインとなってしまった感がある。

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その反省があったのだろうか、次に登場したマイナーチェンジ車はこの伝統を訣別し横型照明ボックスに改め、横帯も今度は側面との一体感をもたせようやく誰もが納得するというか、安定感のある外観になったように思うし、側面の横帯のお陰で東武鉄道の味というものも損なわれていない。

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ただ、この車輌は確かに東武鉄道の味というものをなんとかその帯一本で残してはいるが、平凡な外観といえば外観で同時代の他の私鉄と比べると没個性という感もしなくもない。

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そう思うのも、この後、21世紀になってから東武鉄道の通勤車輌デザインは好悪がはっきりと別れる大胆な方向に進み周囲を瞠目させることになるが、このステンレス車輌は通勤電車として自然に求められる機能性や合理性を自然に形にしたような外観で正に当時の東武鉄道の良い意味での保守性を体現した車輌のように思うのだ。

# by michikusajinsei | 2017-12-31 10:12 | 東武鉄道 | Comments(2)

昭和60年 東武鉄道(その2)

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電車の顔なんて図形で言えば長方形に同じような機能を盛り込むだけだから、そんなに差が出るわけでもないが、でも何となくその鉄道の色というか個性というものが出てくる。東武鉄道といえば、自分の世代にとってその個性となる表情といえば前面3枚窓に前照灯と標識灯が縦に並ぶこのお面である。

東武鉄道そのものは、京浜地区の住民にとって馴染みがある存在ではなかったが、この写真にあるとおり日比谷線を経由して中目黒まで来ていたので東横線に乗っているとたまに見かけた。ただ正直なところ物珍しさはあったけれど、眼が惹き付けられるなんてことはなくて「ああ、東武の電車がいるなあ」と思う程度。一瞥してそれでおしまいというのが普通だった。

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そのようなはっきり言えば何の感興も湧かない存在にしていた大きな理由は、かたちもそうだが色、クリーム一色の塗装は汚れやすくまた車輌の立体感も減殺してしまう逆効果をもたらしていたし、当時の風潮でもあるがいかにも合理化優先という姿勢に余裕のなさというか車輌の輝きというものを殺すような企業の姿勢を無意識裡に感じ取っていたのだと思う。

とはいえ今の感覚で見てみると相変わらず格好よさというものを感じることはないが、全面も側面もそれぞれのガラス窓の意外な大きさとクリーム色の取り合わせは、それまでの東武のどちらかといえば暗い2色塗装から脱却した新しさを表明したかったのかなあ、などと思いつく。

おりしも、この電車が登場した昭和30年代後半はカラー映像が映画やテレビで幅広く浸透し始めた時代、色による広告効果は企業にとって大きな比重を占めるようになったきた。その時代相、東武はDRCでは塗り分け方を変えることで伝統の継承と新特急の華やかさをうまく昇華させたが、通勤電車には思い切って明るい塗装を選ぶことで何かを訴えたかったのか。

それはDRCとはまた違う夢、DRCのそれが非日常への憧れの世界であるならば、この通勤電車の運ぶ世界は日常そのもの、しかしその日常生活での夢の世界とは。

それはその頃、発見された郊外という世界、そこで夫婦と子供を中心とした家族の営みを理想化する世界観へと人々の視線を向けさせ「明るい家庭生活」の実現という夢を誘ったのかもしれない。そして当時、夢の象徴が公団住宅。木造アパートやトタン拵えのウサギ小屋住宅の生活から見れば、当時の若夫婦に団地と呼ばれた公団住宅の建物は白亜の御殿のように見えたのではないか。そういう憧憬の延長戦上で東武鉄道通勤電車の清新なクリーム塗装はその公団住宅の外観と同期しているように思える。

その意味でこのスタイルは東武鉄道なりの新時代へのメッセージだったのかもしれない。

# by michikusajinsei | 2017-12-27 08:04 | 東武鉄道 | Comments(0)