昭和60年 & 63年 東武鉄道

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東武鉄道も時流に乗ってステンレス車をだしていて、その頃、僕は鋼製電車に食傷していたから、東武鉄道の中では比較的好ましい外観だと思っていた。

だからといって興味を持つほどもなくこの電車もたまたま撮った写真の一枚だが、改めて見ると東武顔の伝統たる前照灯と標識灯の縦列配置に三枚窓は変わっていない。そしてその表情だが、今見るとメタリックな外観のそれとの組み合わせで何やらロボット、6-70年代の書物で未来を描く際によく書かれていたロボットの表情によく似ている。

まあ、それはともかくこういった鋼板からステンレスへと構造上の刷新を図る場合、それに合わせて表情の刷新を考えると思うのだが、こういうところが東武鉄道の保守性だろうか。あるいは手堅さを尊ぶ社風なのかもしれない。とはいえ、そのためであろうかワンポイントの横帯もこの照明類との干渉をさけるためか側面と一体感がない位置に巻かれてしまい、なんとも落ち着きのないデザインとなってしまった感がある。

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その反省があったのだろうか、次に登場したマイナーチェンジ車はこの伝統を訣別し横型照明ボックスに改め、横帯も今度は側面との一体感をもたせようやく誰もが納得するというか、安定感のある外観になったように思うし、側面の横帯のお陰で東武鉄道の味というものも損なわれていない。

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ただ、この車輌は確かに東武鉄道の味というものをなんとかその帯一本で残してはいるが、平凡な外観といえば外観で同時代の他の私鉄と比べると没個性という感もしなくもない。

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そう思うのも、この後、21世紀になってから東武鉄道の通勤車輌デザインは好悪がはっきりと別れる大胆な方向に進み周囲を瞠目させることになるが、このステンレス車輌は通勤電車として自然に求められる機能性や合理性を自然に形にしたような外観で正に当時の東武鉄道の良い意味での保守性を体現した車輌のように思うのだ。

by michikusajinsei | 2017-12-31 10:12 | 東武鉄道 | Comments(2)

昭和60年 東武鉄道(その2)

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電車の顔なんて図形で言えば長方形に同じような機能を盛り込むだけだから、そんなに差が出るわけでもないが、でも何となくその鉄道の色というか個性というものが出てくる。東武鉄道といえば、自分の世代にとってその個性となる表情といえば前面3枚窓に前照灯と標識灯が縦に並ぶこのお面である。

東武鉄道そのものは、京浜地区の住民にとって馴染みがある存在ではなかったが、この写真にあるとおり日比谷線を経由して中目黒まで来ていたので東横線に乗っているとたまに見かけた。ただ正直なところ物珍しさはあったけれど、眼が惹き付けられるなんてことはなくて「ああ、東武の電車がいるなあ」と思う程度。一瞥してそれでおしまいというのが普通だった。

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そのようなはっきり言えば何の感興も湧かない存在にしていた大きな理由は、かたちもそうだが色、クリーム一色の塗装は汚れやすくまた車輌の立体感も減殺してしまう逆効果をもたらしていたし、当時の風潮でもあるがいかにも合理化優先という姿勢に余裕のなさというか車輌の輝きというものを殺すような企業の姿勢を無意識裡に感じ取っていたのだと思う。

とはいえ今の感覚で見てみると相変わらず格好よさというものを感じることはないが、全面も側面もそれぞれのガラス窓の意外な大きさとクリーム色の取り合わせは、それまでの東武のどちらかといえば暗い2色塗装から脱却した新しさを表明したかったのかなあ、などと思いつく。

おりしも、この電車が登場した昭和30年代後半はカラー映像が映画やテレビで幅広く浸透し始めた時代、色による広告効果は企業にとって大きな比重を占めるようになったきた。その時代相、東武はDRCでは塗り分け方を変えることで伝統の継承と新特急の華やかさをうまく昇華させたが、通勤電車には思い切って明るい塗装を選ぶことで何かを訴えたかったのか。

それはDRCとはまた違う夢、DRCのそれが非日常への憧れの世界であるならば、この通勤電車の運ぶ世界は日常そのもの、しかしその日常生活での夢の世界とは。

それはその頃、発見された郊外という世界、そこで夫婦と子供を中心とした家族の営みを理想化する世界観へと人々の視線を向けさせ「明るい家庭生活」の実現という夢を誘ったのかもしれない。そして当時、夢の象徴が公団住宅。木造アパートやトタン拵えのウサギ小屋住宅の生活から見れば、当時の若夫婦に団地と呼ばれた公団住宅の建物は白亜の御殿のように見えたのではないか。そういう憧憬の延長戦上で東武鉄道通勤電車の清新なクリーム塗装はその公団住宅の外観と同期しているように思える。

その意味でこのスタイルは東武鉄道なりの新時代へのメッセージだったのかもしれない。

by michikusajinsei | 2017-12-27 08:04 | 東武鉄道 | Comments(0)

昭和62年 東武鉄道(その2)

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一瞬の華やぎと共にDRCが通過した後に姿を見せた2連の普通電車、いかにもローカル線っぽいのんびりとした風情である。そして電車自体の外観も東武標準形、細かい区分はあるが私鉄界の103系と言われた一連のデザインの車輌である。

南関東の住民である私にはあまり縁がない車輌なので、それでも撮影はしたが正直、DRCや5700系の時の興奮とは雲泥の差。折角だから撮影するかという気持ちで撮ったのであろうからその時の光景をまるで憶えていない。

しかし、今回、ブログに掲載する写真を選んでいて、この写真、あるいは風景になんともたまらない旅情というか郷愁を感じてしまった。

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収まりの良い風景、そう言ってしまえば身も蓋もないが適度に人の手が入った里山の風景を走る2輌編成の電車。ある意味、その地域の豊かさの象徴のような風景である。

思うにこの2輌編成というのが存外大事で、例えば北海道の広漠な大地を走る単行の気動車、その風景はそれはそれで素晴らしいが、その大地にポツンと取り残されたような孤独感、どうしても過疎という言葉を連想してしまう寂寥感があるし、都市圏の長大編成通勤車輌はダイナミックでエネルギッシュではあるけど、長年、そこで暮らしていても時として過剰なエネルギーの圧迫感というものを感じてしまう。

しかし、2輌という列車単位は輸送力としては小さいが、単行のようにある種、旅客輸送の限界を示すような悲愴感はなく、地域社会の足としてきちんと機能していることを示しているように思われる。

往時、鉄道が陸の王者であった時代、国鉄に求められたのは地域輸送よりも中距離区間の輸送を主力とし全国をネットワーク化する機能であり、逆に言えば、地域単位のきめ細かな輸送の多くは私鉄が担当する姿が一般的だった。そして残念だが鉄道がその地位を下りた昭和末期、そういった私鉄の多くが消えていった。そして自分の幼少時代はその波が訪れる直前、もしかしたら無意識で見ていた風景が自分の中で蘇り、この写真に郷愁感を呼び起こしたのかもしれない。

当時はそこまで考えが及ばなかったが、鉄道を維持するというのは大変な事業で今のJR北海道の苦境を見ていると鉄道事業が成り立つためには沿線の厚みが決定的に重要であることを痛感する。逆に言えばそれらを運ぶ列車の単位がその地域の豊かさをある意味、象徴していると言っても過言ではない。だからと言ってもちろん自動車に依存した地域を貶めるつもりは全くないが、鉄道と道路交通が共存している社会の方が社会インフラの靭性面でも、人と人とのつながりといった感性面でも住みやすい地域ではないか、そんな風に思っている。

北関東ののんびりとした鉄道情景にもそれを維持できる環境、維持している努力が隠されていた、そんなことを考えさせる写真である。

by michikusajinsei | 2017-12-21 07:14 | 東武鉄道 | Comments(2)

昭和60年 東武鉄道

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東武DRCは世間的には151系こだま型の劣化コピーなんて揶揄する向きがあるらしいが、そうだろうか。確かに高運転台にボンネットの外観という点は共通しているけど実際に両車を見た印象からすれば劣化コピーどころが力強さという点ではDRCの方に軍配を上げたくなる。

確かに151系には流麗な格好よさがあるが、繊細と言うと聞こえはいいがなんとなく線が細い印象を見ていると感じるのだけど、DRCの骨太な造形の車体と東武伝統の落ち着いた配色、車内は一転して柔らかい光を通した和紙を思わせるクリームの壁面にベージュのフルリクライニングシートのそれは旅の楽しさ、華やぎといったものを上手に演出している。

日光観光客、特に外国人を意識した、この電車が企画された背景はそう語られるが果たしてそれだけか。

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一億総中流時代ののささやかな贅沢

この電車の登場が昭和38年だから登場当時にはまだその言葉はないが、東京オリンピックを目睫に控え、その前後10%を超える経済成長も実現しいよいよ社会全体が上昇気流にあることを実感していた時代である。その流れの中、この電車を企画させた背景には家族の娯楽として泊まりがけの旅行ができる、そしてそれを通して家族の幸せや豊かさを味わえる時代が到来するのではないか、そんな感覚が企画者たちの脳裏にもあったと言えば深読みのしすぎだろうか。

そこまで明確に意識していなくても、50年前の訪日観光客と言えば豊かさの象徴のような存在、数で言えば少数派であろう。だから外人観光客を意識したとしても商売の主体は日本人である。日々の生活には追われてもたまさかの贅沢は許される世界、そして現実的にその世界は自分たちにとっても少し頑張れば手に届く時代になった。

戦中をくぐり抜けてきた明治大正の世代にも新世代の昭和生まれにも非日常の楽しさを味わえる新しい時代がやってきた、平和の配当とはこういうことか。当時の大人たちにはそう映ったのではないか。

そんな旅への期待や憧れをどう演出し、そして満足してもらうか。その当時の人が考えた豊かさを鉄道車輌の中でどう具現するか、そのの行き着いた答えがこのDRC、デラックスロマンスカー。今となってはやや気恥ずかしいデラックスという言葉であるが、当時のその言葉にあった語感はそのまま真っ直ぐに豊かさの享受に繋がっている。その意味で地味ではあるが、この特急電車はこの時代にとっての豊かさという感覚の無言の証言者のように見える。

個性的であれ、そういった呪縛がある種、デザインの貧困さにつながっているようなのちの車輌に比べて、先行する国鉄特急をヒントにしながらきちんと自らのアイデンティティーと目的を見極めて昇華された車輌、東武DRCにはそのような評価が相応しいように思うのだ。

by michikusajinsei | 2017-12-12 12:28 | 東武鉄道 | Comments(2)

昭和62年 東武鉄道

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ここのところ、電車の遅延に遭遇することが多い。

自分自身は特に気が短いということはないと思っているが、それでも乗れると思った電車、着けると思った時間に着けないストレスはどうしてもイライラした気分を催す。昨日の午前中もそうで昼飯前で空腹だったこともあったから遅れてきた列車にかなり不機嫌な顔をして横浜駅から乗車した。

そんなささくれ立った気分で窓外の景色をなんとなく眺めていて樹源寺の踏切をを過ぎた頃、東海道の線路を追いかけてきた列車が並走しだした。

189系の団体列車である。

確かに今となっては旧国鉄の生き残りで貴重な車輌ではあるが、だからと言って特に好きな車輌というわけではない。何時もだったら、一瞥をくれただけでそのまま関心を失ったんだと思うが昨日は違った。

冬の柔らかな斜光線が疲労の色濃い車輌を実に優しく包み、なんとも言えない気品というものを感じさせてくれていたのである。

そうなると現金なもので今までの不機嫌さは急速に消え、そのまま抜き去られるまで189系の疾走する姿を追いかけていた。
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冬の斜光線、特に小春日和の関東地方で感じるそれは形あるものの表情を浮かび上がらせるものとしては屈指であると思っている。写真を撮っていると光そのものが主役であると感じることはよくある。夏や秋の日差しのようなドラマチックさ、春の日差しのキラキラした透明感。その場に出会うと鉄道情景ではなく光それ自体が主役のように感じられて言葉を失ったこともあった。

それに比べるとこの時期の斜光線にはそういう力強さはない。しかし不思議なものでこの斜光線で鉄道車輌を撮っていると、どの季節の光にも増してその車輌の特徴というものを鮮やかに浮かび上がらせてくれる。

この写真に映る東武のロマンスカー、DRC、1720系。151系のパーラーカー展望車に代表されるように広窓が隆盛を誇った新性能電車初期に東武伝統の狭窓で登場。伝統に囚われると窮屈になってしまうが、小気味よく並ぶ窓の列はそれはそれで優等列車の持つスピード感をうまく表している。何よりもその狭窓が並ぶ美しさが最も輝くのはこの時期の関東地方の日差しだった、今振り返るとそんな印象を抱く撮影である。

by michikusajinsei | 2017-12-04 12:17 | 東武鉄道 | Comments(0)