平成29年 神奈川喫茶店逍遥

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実は先週からパソコンが壊れてしまって電車の写真がアップできません。ちよっとお休み。そこで閑話休題、一休みと言えばあの頃の感覚だと喫茶店。

実は日本に戻ってから結構な頻度で喫茶店に行ってます。それも昔ながらの喫茶店ってところです。カフェとかじゃなくて。あ、もちろんカフェ風のところも行きますよ。でも選べるんだったらと言うこと。

しかし気がつくと喫茶店、随分減った気がします。少し前まではどこの駅に降りてもあったのに、今は無い駅もあるのではないでしょうか。

ちなみに、この喫茶店は根岸線の磯子駅のそばのお店です。いそご模型と言うこれまた昭和遺産のような模型店に行ったあと、雨宿りでボーっとしながら雨か小降りになるのを待つために入ったお店です。

by michikusajinsei | 2017-10-31 22:09 | 横浜 | Comments(0)

昭和60年 郡山駅(その3)

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現在は絶滅してしまった急行列車、それが走っていた当時は車輌そのものも差別化された存在と見ていた。お面は普通電車と変わらないが(それでもシールドビームの小さい前照灯の普通型と比べ、大型前照灯は迫力があった)、2ドアでドア間が長く、バランスの良い寸法の側面。そして特に乗っている時に感じるのは吊革がないことで、それが急行型電車に都市近郊を走る電車とは違う貫禄というものを与えていた。

と言っても東海道は185系という中途半端な車輌があって、さらに急行用の車輌も普通車と同じ湘南色だから、修学旅行塗装の「おくいず」は別にして特別視していなかったのが正直なところ。だから今になると飽きるほど見ているのに殆ど写真に撮っていない。

そこにいくと東北路の急行は、まず普通列車が客車に対し電車、そして塗装が交直流のクリームと小豆の2色塗りわけ。この塗装がエキゾチックで格好良くて、車体は殆ど同じなのに自分の地元を走る急行にはない高級感というものを感じていた。

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とはいえ昭和60年代に入ると急行列車自体も退潮。また客車、特に普通客車列車はそれ以上に退潮して殆どみることはなく、またお金がなくて新造電車もないということでかつての急行型電車が普通運用に入っていた姿である。

そしてこのように塗装を変えられると以前の急行型の特別感がすっかり消えて普段着姿が板についてしまうのが国鉄型電車デザインのよく言えば変幻自在なところか。

まあこの塗装だけなら正直格下げ感がありありとでていて侘しさというものがあったのだが、この時代のこの車輌にはひとついいところがあって、グリーン車が座席を変えずにそのまま外観だけ変更されて普通列車に充当されていたこと。この撮影した列車にそれが連結されていたかどうかは覚えていないが、東北本線の普通電車に乗るときは、いつもこの格下げ車輌が連結されていないかどうか期待しながら待ったものである。

ところで今回、撮った写真を改めて見てみると2枚目の車輌は前照灯と客室窓が改造されてまるっきり通勤電車と同じ外観だ、無残!と思っていたがよく見ると冷房装置が旧型の角張ったタイプ。これはこれで改造車特有の新旧部分が混在している面白みがあるし、それはそれで今見るとその時代の表情というものがそこに現れているようで貴重な姿だ。

ちなみにこの時には原型の塗装も同時に撮影している。

http://anosyaryo.exblog.jp/21002334/

この写真、ただのキオスク写真に過ぎないのにアクセス解析を見ているとコンスタントに閲覧されている。写真としての芸もなく、また急行とか特急のようなストーリーがある優等列車でもない普通運用のこの写真が多少なりとも注目を得られているのは、この交直塗色に魅力を感じる同好の士が思いの外、いるのからなのかもしれない。

by michikusajinsei | 2017-10-22 08:32 | 東北 | Comments(0)

昭和60年 郡山駅(その2)

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国鉄交流電機と言うと地味な印象があった。いや地味というより軽量級という方が正確か。

一つには交流電機はEF71という例外があるが概ね4軸動輪のいわゆるD型なのでそもそも車体長が短いし動輪が少ないことは当然非力なんだろうな、特に諸元を注目することなく、なんとなく小型で出力が小さい亜幹線用の機関車、そんな風に思っていた。

もっとも、これは6軸動輪のF級電機やEH10のような大型機が往来する東海道筋に育ったという自分自身の偏見で、実際に東北路で見るようになった交流電機はギュッと絞った感じが東海道の直流電機とはまた別の魅力がある。

今の機関車は交流電源をそのまま使えるモーターを使っているのだろうが、当時の機関車のモーターは全て直流使用、だから交流電源の機関車も直流に変換する機械を搭載していたので特に屋根上が賑やか。更にこの写真のED77は暖房発生装置を搭載して車体重量が重いためであるのか、車輌形式は動輪が4軸であるため"ED"でも車体には重量分散のための台車が別にあるので、それが短い車体に似あわない力強さを与えている。

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加えて窓上のひさしとスノウプロウ。前者はツララ切り、後者は雪かき、この二つの北國仕様がさらに深い陰影をその表情に与えている。

ただ格好良いと思ったいちばんの決めては何と言っても塗装。深紅の塗装一色の車体である。

東北の山野は高低差はあまりないが、横にも縦にも大きく広がっていて懐が深いというか北海道の原野とはまた違う自然の果てしなさというものを感じさせる。そのややもすると人々の営みというものを呑み込むような黒々とした森の中、その自然を切り開いて疾走する鉄路の存在感は格別のものがあり、そしてその先代の主役である蒸気機関車がくろがねの馬であるならば、交流電機ももまた別の美称があってしかるべきだろう。

「緋縅の鎧を身に纏ったあらえびす」

メカニックな屋根上と深紅の車体、その精悍さを表現するとすればいささか古風な物言いになるがそんな形容がぴったりするのが東北路の国鉄交流機、そういう風に思っている。


by michikusajinsei | 2017-10-15 15:45 | 東北 | Comments(0)

昭和61年 養老線(その3)

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一応、今はJRが私鉄というか国鉄ではないので近鉄から私鉄界ナンバーワンという肩書きは外れてしまったが、どうしても自分の中では国鉄の姿は消えず、そしてまたそれに伍していた存在としての近鉄の姿もまた消えていかない。

当時の近鉄は以前書いた佐伯勇という大立者がいて、その意味でも大きな存在感があったが、鉄道事業そのものもヨンハチハンの世界標準軌、サブロクの日本標準軌、そしてニブロクの狭軌と異なる3本の規格を運営していた。

当時の国鉄は標準軌の新幹線はあったがニブロクと言われるナローはもちろんなくて、また東の雄、東武も中京地区の大将、名鉄も線路幅は統一されており、そんなバラバラな規格を維持しなければいけないというのは収益性という点では大きなハンディになったであろうが、逆に言えばそういった路線を維持できる懐の深さとある種の余裕を持っていたのが当時の近鉄だった

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そう鉄道を中核とする企業集団という点では東急や全盛期の西武のように近鉄を凌ぐ会社はあるけれど、鉄道事業者としては日本一は近鉄、いや路線長こそ北米の巨大鉄道会社とは比較にならないが事業としての鉄道の多様性を維持していたという点ではそれら巨大私鉄に勝るとも劣らない経営力を持っていた、やや褒めすぎかもしれないが、鉄道ファンとしてはそういう気持ちにさせる鉄道会社であった。

とはいえ、もちろんそういう風に異なる規格を持つにいたる背景は買収や統合の結果でその意味ではまさに資本主義と統制経済の奇妙な同居によるものであり、それは昭和戦前・戦中という時代、戦争遂行を巡って微妙な緊張感があった政財官、それぞれの思惑の妥協の産物の面もある。その意味で昭和という時代が作り出した鉄道会社と言ってよいと思う。

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この写真はその近鉄路線群中で日本標準軌に属する養老線。

実は養老線というものは、そもそも実物を見るまで路線自体知らなかった。そしてその出会いは朝の大垣駅である。

大垣という駅は住んでいる方には失礼かもしれないが街の規模に比べて駅の造作が大きく新幹線が止まる駅でもないのに、地元横浜駅を凌ぐ東海道筋の大駅の風格があった。東京から大垣夜行で朝、この駅に着き降り立つホームは幅広く堂々としていて、窮屈なボックスシートから解放された気分もあいまって実に伸び伸びとした感覚を味わったことを思い出す。

そしてそのホームのベンチに座って、西に行く電車を眺めていると目に入ってきたのがこの近鉄養老線の姿、地味な小豆色の塗装であるが朝日に輝いて次々と通勤輸送に発着する姿に次に乗る電車を忘れてしばらく見入ってしまた。

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そしてその車輌の姿もよく見ると、車内に臙脂のクロスシートが見える車輌がある。これは何か由緒がある車輌かもしれない。

知識としては近鉄の名古屋線は伊勢湾台風を奇貨とした改軌までは日本標準軌、かつてはそこにロマンスカー特急が走っていたと知っていたが改軌後にその車輌がどうなったかは当時知らなかった。しかし、目の前に停まっている車輌には改造車特有のアンバランスさが感じ取れる。これはもしかしたら、かつての特急車か、そう思って予定を変更して撮影したのがこの時の写真である。

正直なところ、車輌は魅力的だったが沿線はあまり撮影映えするような風景はなかった。淡々とした田園風景と小さな駅、点々とした小規模な宅地が連続する、そんな印象が残っている。
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その養老線、その後、本体から分離され養老鉄道となったが純粋民間資本として運行していくには苦しい経営状況が続き、本年中に公有民営、施設は関連自治体が出資する第三セクターが所有し運行は養老鉄道が引き続き行う経営形態になるそうである。

赤字とはいえ、沿線人口が地方都市として比較的多く、また近鉄という大会社が経営していたという事情が廃線を免れ鉄道存続が可能になったのだと思うが、中京地区という鉄道事業者にとっては鬼門のような土地で、珍しくも自治体が援助の手を差し伸べたこの鉄道がこの経営形態で再度活性化するのを願わずにはいられない。

by michikusajinsei | 2017-10-08 16:31 | 近畿日本鉄道 | Comments(0)