昭和63年 BARCERONA

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もし鉄道趣味に染らなければ自分はどうなっていたか

先日、斯界の大ベテラン趣味人と話していてそんなことが話題になった。実年齢も鉄道趣味人としてのキャリアもはるかに高くまた深い人たちである。当然ながらみなさん、楽しそうにその人生を肯定的に振り返っておられたのが印象的であったが、さてわが身を振り返ってみるとどうか。

鉄道趣味の入り口は二つある。実物と模型。いやその言い方だと少し不正確か。実物誌か模型誌か。インターネットがない時代、目の前を走る機関車・電車が格好いいというレベルを超えて自分の興味を深化させるのは本しかなかったが、僕の場合は前者だった。「鉄道ファン」「鉄道ジャーナル」といった鉄道雑誌を眺めて時刻表を舐めるように読んで行く予定のない旅の計画をいつも考えていた。

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やがてそれが許されるようになり、鉄道を旅するようになってあちこち出かけたが、そこではいろいろな風景が広がっていた。荒涼とした風景とキラキラした新雪が同居する冬の北海道や青い海原と深い森の緑のコントラストが眩しい夏の東北、朝靄に浮かぶ島々が幻想的な瀬戸内、そして稲作が南の国から伝わってきたことを偲ばせるようなクリークという言葉が思い浮かんでくる九州の農作地帯。

そういった地理への興味は、旅先の歴史や文化というものに興味を覚えていった。

運炭列車が健在だった夕張と筑豊に見る日本の近代の光と影、象潟の水田地帯で列車を待ちながら、国語の時間に習った芭蕉の俳句を思い出したりしていた。名鉄や近鉄に乗り尾張平野を流れる大河を渡るとき、宝暦治水の物語、関ヶ原合戦から明治維新につながる薩摩徳川の暗闘に人の持つ情念の濃さというものを考えたりしていた。

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その好奇心は日本の中に留まらなかった。沸騰した蒸気の力をシリンダーで回転運動に変換する、ただそれだけの単純な原理で動くにすぎない蒸気機関車が、どうして各国で多様な車輌が生み出されているのか。 しかも多様であるが、なぜかその国でしかないともいうべき風貌を持っているのか。鋼鉄の騎士というような精悍さを感じるドイツ国鉄制式蒸機、彫刻を思わせるような立体感のフランス私鉄の流線形蒸機、機械の存在感を華麗な塗色で極力隠しおもちゃのような外観を持ちながら走り出すと時速150キロを超えるスピードを誇るイギリス近代蒸機。

ある意味、それは人間以上に雄弁にその地方の風土やその国が生み出す技術の可能性と限界を語っていたのではないか。思想ではない事実の重みの中でその国の鉄道はどのように発展して行ったのか、いつかこの目でその風景を、鉄道を見てみたい。そんな思いがいつの頃から自分の中で生まれ、膨らんでいった。

高校から大学の頃。今にして思えば近代という時代、欧州が時代の中心であった時代の最後の時期である。いつしか、その欧州を旅してみたいと思うようになった。

by michikusajinsei | 2017-08-26 15:50 | スペイン | Comments(0)

平成29年 横浜駅

先日、横浜駅の新築現場を歩いていると、こんな立て看板に出会った。

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これを読んでも横浜駅に馴染みがない人にはピンとこないかもしれないが、昭和3年完成の旧駅舎の取り壊し工事が始まった頃から延々と40年以上どこかで何かしら改造工事が行われていて、その果てしなさから「あれは、日本のサグラダファミリアだよな」なんて物言いがされているのである。それがいつくらいから言われ始めたのか、自分の記憶に振り返っても15年以上前、今世紀の前半にはしていた。

それは不便さに対する皮肉や、街の中心がいつまで経っても完成しない継ぎ接ぎだらけのみすぼらしい姿に対する自嘲的な気持ちを、世界的に未完成で有名な建物と同列におくことでそれを緩和し同時にその営みの時間的な壮大さを誇りたいような衒いも少し混じった複雑な気持ちで言っていた。

しかしである。この文章、申し訳ないが噴飯物とはこのこと。新陳代謝を誇りたいのは気持ちとしてはよくわかるが、現実のサクラダファミリアは設計したガウディの構想をいかに忠実に再現するかに力点が置かれている。新陳代謝しつづけるという表現とは正反対、何よりもサクラダファミリアとの対比は新陳代謝という言葉の持つ若々しさを誇るような気持ちからではなく、上にあるような劣等感を隠す心理状態でから言われてきたものであるからだ。

だから、むしろサクラダファミリアを引用することなく、継ぎ接ぎだらけと言われながらも常に変化し続ける特異性にこそ横浜駅のユニークさがあることを強調すべきだったのではないか、この文章を読んでいるとそんな気がしてくる。

もっとも、この文章、強調したい点はそこではなくて変わり続けてきた時間の流れの中で、それぞれにとっての横浜駅は?ということ。そしてもちろん僕にもこの駅を通じた思い出は色々とある。そんなことを思い出させてもらえた訳だから、こんなことに文句をつけるのは野暮なことなのかもしれない。


by michikusajinsei | 2017-08-16 12:30 | 横浜 | Comments(2)

昭和61年 野上電鉄(その6)

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前回はGEのことを書いたが、今回は別のアメリカ企業である。Brill。

電車黎明期に革新的な台車を発明し製造して一時期は世界を席巻した会社である。日本にもたくさん輸入され規模の大小を問わず様々な鉄道に使われた。

この旧阪急1型もそのBrillが使われている。ただ、野上電鉄に来た際に旧南海電車のお古と振り返られたそうで、原型をとどめていたわけではないが振り返られた台車も同じBrillとのことなので、おそらくこの手動ブレーキハンドルは製造当時のものをそのまま流用したのであろう。

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Brillの台車は、この電車のように日本ですら地方私鉄で標準軌と狭軌が同じブランドで揃ってしまうくらいだから米本国だけではなく世界中で電車製造の初期時代にひろく使われ、そのころの電車の台車の代名詞的存在だった。ただその会社寿命は意外に短く1868年に創業されて実質的に1926年にブランドは残るも別の会社に買収されたとある。

短いといっても50年は続いているのでそれなりの歴史はあると思うが、電車時代の勃興期にのみその名を残して、その後の隆盛には立ち会えなかった。前回のGEが百年以上続いているのと比べると、盛名に比して会社の寿命は意外と短い。

もっともGEは今でこそ主力事業の一つとして機関車を製造しているが、基本的には総合電気・機械製造の会社でモーターにしてもコンプレッサーにしても電車用の部品はそれほど比重が高くなかったのに対し、Brillは台車製造を主力事業としていたためアメリカ本国で電車が伸び悩んだ影響を大きく受けたのかもしれない。

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それはともかくとして、このハンドル、なんとも言えない美しさがある。

「用の美」という言葉がある。要求された機能を実現した結果として造形されたフォルムの美しさを語った言葉であるが、このハンドルにはそれは当てはまらないだろう。そしてもちろん過剰な装飾とは無縁である。

平板な直線で構成してもなんら問題ないし、そもそもブレーキハンドルの形に発注側が関心を寄せるとも思えない、換言すれば商業上の価値を見出しえない部分である。そこをあえて、と言っていいだろうがお金をかけて3次元的な立体の優雅な曲線を持つ部品を作ってしまった。

またデザインと同時に感じるのは鍛造製品のもつ金属の美しさ。これはもちろん機能的に鋳物である必要はないためで存在が珍しいわけではないが、だからなおさらわざわざプレスをするのに難しい形を設計してこの部品を作ってしまうところに、鍛造製台車の製造で名を馳せたBrillという会社の面目躍如たるもの、心意気というものを感じてしまう。

物作りというものは確かに設計が第一ではあるが、同時にそれを成功させるのは自信に満ちた工作技術であり、それはある種、匠の技、職人芸に由来するものが多い。

20世紀後半になるとすっかり物作りの国としての印象が薄くなってしまったアメリカだが、この頃には、確かにそういう工業製品大国としての精神が息づいていたんだな、そんなことを感じさせる電車でもある。

by michikusajinsei | 2017-08-12 09:49 | 野上電鉄 | Comments(0)

昭和61年 野上電鉄(その5)

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ただ出自にこだわらずと言っても、そして地味で野暮ったいと言っても、阪急電車はここから始まった、そう言われるとその面影というものを探してしまう。

この一連のシリーズの冒頭に登場した先輩によると、窓割や腰板の寸法などは踏襲しているが車体そのものは木造から半鋼製、屋根も二重屋根から普通の平屋根になり、そして下回りは標準軌から狭軌に改造されていることから製造当初を偲ぶものは殆どないのではないかとのことだった。

「そんなものか」

そう思ったが、ネガを探してみるとこんな写真を撮っていた。

GE、General Electric製のコンプレッサーである。エジソン由来のこの会社、今でもしぶとく生き残り、というかシーメンスと並んで今でも産業機械では東西の横綱を分け合う会社である。特に天然ガスの液化に使用する大型コンプレッサーに関してはこの会社の独壇場だがかつてこんな小さな空気圧縮用のコンプレッサーを作っていたとは知らなかった。
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ウィキペディアによるとこの電車の電装品はGE製で揃えられたが、野上転属の際に南海電車のお古と取り替えられたとある。ただどうやら下回り一式が交換されたわけでないらしい。そしてそれが正しいとすると、稼働歴75年である。これは驚異的な寿命だ。

とかく国際的な大企業となると毀誉褒貶いろいろあるものだし、実際にこの会社の資本主義の権化のような弱肉強食ぶりは産業界に身を置くものとしては鼻白むことがないではない。とはいえ、GEをGEたらしめているのは高品質の製品であることはまぎれもない事実であるし、その価値に正しく見合うと彼らが決めた価格が世界で受け入れられているというのもまた事実である。

一方、野上電鉄。平成に生き残った鉄道の中では最後まで旧型の駆動方式である釣り掛け式のモーターで動く電車だけで構成され、冷房車すら導入されなかった鉄道である。過去の遺物にすがって生き続けざるを得なかった会社、冷厳なことを言えばそういわざるを得ない。

小さな一両の電車ではあるが、その中に思わぬ形で対照的な企業像が埋め込まれていたのだ。

確かに空気圧縮用のコンプレッサーは高度な機械ではない。とはいえ振動や熱など様々な要因で故障や経年劣化が避けられないのが回転機械の宿命である。それがここまで寿命が保たれていること、それを維持してきたこと、小さな機械であるが、設計し製造したメーカー、それを丁寧に保守し続けたユーザー。かたや世界的な大企業、こなた最後は野垂れ死のような最後を迎えた日本の地方企業、普通であれば何一つ接点がありようがない組み合わせである。

この野上電鉄23号、旧阪急1型という文化的な価値だけではなく機械としても、この二つの企業が持つ良心というかある種の遺伝ともいうべき企業文化によってたくらまずして成し遂げられた金字塔的な存在だった、今にしてそう思うのだ。

by michikusajinsei | 2017-08-05 17:19 | 野上電鉄 | Comments(0)

昭和61年 野上電鉄(その4)

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この車輌が阪急、というよりその前身の箕面有馬電鉄の1型として登場したときは木造車体に二重屋根。たしかにそれがそのまま残っていたらとんでもないインパクトがあり、誰も放っておかなかっただろう。しかし実車は阪急時代に様々な更新工事を受け、ある意味個性の薄い電車になっていた。いや個性の薄い電車という言い方はちょっと酷か。

典型的な昭和前期の田舎電車というか、短い車体長にちょっと腰高で3扉、もっさりという言葉がなんとなく似合う。そんな印象を得たのが正直な所である

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そう、確かに外見は野暮ったいが、一歩車内のに足を踏み入れ、その空間を見回すと別の感想が湧き上がってくる。

虚心坦懐にその造作を見れば、古典車輌の香りというものに満ちている。肌理の細かさが美しい木製の窓枠や座席端部、たおやかな曲線で造形された車内灯カバー、吊り革を支える細身の金具が形成する美しいトラス、そして仕切りが全くない客室と一体化した運転台。

冷たいステンレスパイプとのっぺりとした樹脂に囲まれた現代車輌とは対極にある生の素材、手作りの味というものが横溢していると言ったら褒めすぎだろうか。

by michikusajinsei | 2017-08-02 12:16 | 野上電鉄 | Comments(0)