昭和62年 小田急電鉄&大井川鐵道

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建築探偵で世に知られる藤森照信さんの著書に「昭和住宅物語」という本がある。平成2年の出版で今簡単に手に入るわけではないがこれはもう掛け値なしの良書で、タイトルだけで判断すると昭和という時代に作られた住宅の概説みたいだが、そういった単なる概説にとどまらない時代と格闘した建築家列伝として何度読んでも飽かずあらたな発見がある。

僕の学生時代は、バブルという軽佻浮薄の時代だから真面目に勉強するのはバカみたいな雰囲気があって、僕もまあその時代風潮に乗っかてバイトに精を出して全国の電車を追いかけたクチだが、一方でその時代の学問風景として一世を風靡した思潮であるポストモダンという言葉くらいは知っていたし真面目な友達なんかはその旗手であった浅田彰などを読んでいた。

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正直、僕はそのポストモダン論なんていくら読んでも判らなかったし、それ以前に興味はわかなかったが、当時の昭和の晩年という時代相の影響はあって多少なりともその時代をどう捉えるかということに関心を持っていたのは事実である。そしてその昭和という時代、それは学者の衒学的な言説ではなく事実として正にモダニズムという巨大で多面的な時代精神が息づいていた。

というより実感として日本という国ほどモダニズムに自覚的に向かい合わざるを得なかった国はないと思うし、その中で震災復興、戦災復興という側面も相まってもっともその先鋭なかたちでそれの昇華を求められたのは、それこそ目に見えるかたちで時代の象徴が誰にでも明らかな建築である。

藤森先生の著書では文章でこそ藤森調の軽妙さでまとめられているが選ばれているテーマは正にそれ。意識するしないはあるかもしれないが、昭和日本を代表する建築家たちがそれぞれモダニズムとどう切り結んだかが見事に活写されている。そしてその中でも白眉と僕が思うのが、前期と後期のモダニズムの転換をもたらした清家清の章である。

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前期と後期のモダニズムの違いというものは勉強不足で正直わからない。ただその章で紹介されていた「斎藤助教授の家」も自邸である「私の家」もなんとも言えない清々しい開放感に満ちている。明らかにそれ以前の近代建築に見える堅苦しさというか、端正かもしれないが緊張感を感じさせる建物にはない健やかな伸びやかさというものをとても感じるのだ。

そうなんて言うのだろう、確かに系統的には断絶があるわけではなくもちろんモダニズムという流れには位置するが、素人目にもそれ以前と以後とを画する異次元の飛躍がそこにはある。

清家清が建築界にデビューしたのが昭和20年代後半、ちょうど連合国による占領が終了する頃である。鉄道車輌にも同時期に異次元への飛躍を思わせる車輌の登場があった。

小田急3000系、Super Express、俗に言うSE車である。
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昭和32年登場のこの車輌、国鉄との共同開発で設計され、新幹線の直接の礎となった車輌で事実、試験運転で当時の狭軌世界最高記録を樹立している。その登場の経緯や経過はWikipediaに詳述されているが、もし未読であればぜひ読んでみたらと言いたくなるくらいドラマがたくさんある。それは技術開発の過程の面白さもあるが同時に戦後という時代の若さ、ダイナミックさを強く感じさせる人々の関わり方があるからだ。端的に言って個人としても組織としても未知に挑戦する躍動感にあふれているのだ。

もっとも僕がこの車輌を見たのはそういったストーリーを小耳には挟んでいたが、デザイン的にも運用的にもやや2線級を感じさせた晩年の姿である。それでも通学の途上でたまに新宿駅のホーム越しにこの車輌を見かけると当時の他のロマンスカーにはない造形の骨太さというか貫禄を感じたものだった。

by michikusajinsei | 2017-06-27 06:17 | 小田急電鉄 | Comments(0)

昭和62年 小田急電鉄(その2)

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人間の脳というのは9歳、小学校3年生の頃に爆発的に進化するらしい。それ以前、以後では記憶の量と質が段違いになるそうである。

言われてみると確かにそんな気がしてくる。僕の小学校3年といえば昭和50年。戦後30年、三木内閣の頃であるが、この頃になってくるとそういう世相の記憶もはっきりしてくる。それ以前、たとえば巨人の長嶋が監督になったのが同じ昭和50年。その監督1年目のデビューというのははっきりと記憶にある。アナウンサーが「さあ、長嶋監督、きょうがその監督デビューです。」といった放送と共に覚えているが、その前年、わずか半年前の引退風景はまったく覚えていない。

相撲もそうである。先代の貴ノ花が初優勝した50年春場所の座布団が乱舞したテレビ桟敷の興奮はいまでもありありと思い出すが、その前年の相撲風景などまったく記憶にない。そう、生まれてはいたけれど昭和40年代というのは自分にとっては過去というよりほとんど歴史である。

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とはいえ、時代の風景としての記憶はなくても身の回りの光景は断片的だけど記憶に残る。とりわけ旅の風景は幼心にも刺激的だったのか今でも思い出せるものが多い。この3100系小田急ロマンスカーもそう。

この電車の外観はそれほど格好良いという印象はない。個人的な感覚といえばそれまでだがなんとなくウルトラマンセブンに類似した顔つき(ウルトラマンセブンの方が登場は後だが)に寄り目の前照灯がある意味、愛嬌があるというかある種おもちゃっぽい印象があったのである。ただ、そういったこととは別にこの電車には個人的に特別な感慨がある。

僕が祖母と二人で箱根に初めて旅行行った時、それが今となっては三歳なのか、四歳なのか、あるいはもっと大きいときか小さいときかはもうわからないのだけど、それでも「こんど行く箱根はね、ロマンスカーっていういい電車に乗って行くんだよ。楽しみだねえ」という祖母の言葉を45年以上たった今でもこの電車を見ると思い出す。そしてその時の旅自体はもう覚えていないが、なんとなく臙脂色の座席に祖母に連れられて座った記憶がおぼろげではあるが残っている。

そういった意味で僕にとってはとても懐かしい記憶を呼び起こす大事な電車の一つである。

by michikusajinsei | 2017-06-21 12:19 | 小田急電鉄 | Comments(0)

昭和62年 小田急電鉄(その1)

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"Where is most onset in Japan?"

ある日、シンガポール人の友人に問われたことがある。bestではなくmostとはまあ文法的にはなんだろうか、いかにもシングリッシュという表現だが、どうもその語感の通りで「日本で一番の温泉はどこ?」ってことを聞きたかったらしい。

温泉らしい熱い湯だったら草津、ひなびた感じだったら花巻の鉛温泉か。そういや最近は湯布院が人気らしいな、なんて考えが頭をよぎったものの、景色の良さ、交通の便、言葉、そして地元神奈川ということで若干の身贔屓も入って"It's Hakone"と答えた。

まあ自分がそう答えなくても箱根が日本を代表する温泉であることはガイドブックでも紹介されているし、特別に日本の温泉というものに関心がなければ「日本の温泉はこんなところね。」って感覚で通り過ぎていくところだと思う。

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しかし実際の箱根は温泉街の風情はあまり感じられないし、かといって今風のリゾートという雰囲気とはもちろん違う。「行楽地」今となってはやや古めかしい語感の言葉であるが、この言葉が最もしっくりくるように思う。

なんと言うか、旅立ちのワクワクするような高揚感に欠けるが、逆に旅の終わりに味わう寂寥感のようなものもない。そういった旅の持つ非日常性よりも日常の生活感をある程度継続しながら、温泉旅館で上げ膳据え膳でホッと寛ぐ観光地。それが自分にとっての、あるいは自分たちのような東京西南部から神奈川東部の住民にとっての箱根の感覚だ。

by michikusajinsei | 2017-06-17 16:01 | 小田急電鉄 | Comments(0)

平成2年 京阪電車(その6)

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京阪6000系を見たとき、なぜそんな大きな違和感を感じたのか。

その時は元々あまり関心がない鉄道だったので、その疑問をそのまま放置してしまったが、今回、改めてこの車輌の写真を見て自分がその時感じた大きな理由はおそらくヘッドライトの位置と大きさじゃないかと思う。あるいは正面の隅にわざわざコストがかかりそうな曲面ガラスを用いているところなどもそうだ。

しかしそういうパーツではないなにか、そう普通運用の列車は目立つことを控えるべしという価値観に挑戦するような押し出しの強さ、あるいは意思の強さというものを無意識に感じていたのかもしれない。

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あるカラーで染まっている時、それを踏襲するのは安全である。白紙かつ無尽蔵の予算があってプロジェクトが生成されるということは通常はありえない。というよりプロジェクトというか投資は常に順番がつけられその時々の情勢によって着手されたり延期や中止されたりする。

鉄道会社という事業環境にそれを当てはめてみれば特に通勤型車輌の代替なぞ優先的にコストをかけるべき対象ではないだろう、普通は。まして京阪はその直前まで標準化を特急から普通まで推進していたからである。

ウィキペディアによると、この車輌の企画にはなんとしても年間優秀鉄道車輌の表彰であるブルーリボン賞かローレル賞を受賞するんだという意思が経営陣に強力に働いたそうである。なるほど、納得である。

考えてみれば5扉車にしても、テレビカーにしても普通ではない。車輌だけではなく関西私鉄随一を誇る複々線区間長もそうである。それが悪いわけではないがライバルの阪急が鉄道も経営している会社という色彩が濃いのに対して、京阪経営陣は鉄道会社は安全快適に乗客を目的地まで送ることを本業とするということを愚直に追求しているように見える。その経営思想からすれば年間最優秀鉄道車輌の表彰という栄光は悲願であっても不思議ではない。

そんな哲学で企画され製造された車輌、それが京阪6000系であり、当時の自分が感じた違和感は実はその情念の濃さに圧倒された、そういうことだったと今になれば思うのである。

by michikusajinsei | 2017-06-12 21:19 | 京阪電車 | Comments(0)

平成2年 京阪電車(その5)

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退屈だとか単調とかあるいはマンネリなどと批判的なことを口にしているくせに、いざそれを破る存在が現れると途端にそれら古いデザインの車輌を擁護し新しい車輌にケチをつける。なんとも自分勝手な話というか無定見というか、まあ褒められるような対応ではない。

ただよほど嫌いな車輌であれば別であるが、その定番的デザインが風景に馴染んでいればいるほどその殻を破る車輌が最初は異端視されるのは否めないのだと思う。そして京阪6000系はまさにそのような性格の電車だった。

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特に京阪電車のデザインが格好良いと思っていたわけではないが、この車輌が登場した時の違和感は相当なものだった。京阪の過去車輌はもちろんだが、まず他の鉄道のどれにも似ていない。いくら個性的であれと言っても法規の上で寸法の制約もあるし製造費用もある。また時代の流行というものあるからたとえ違う鉄道会社であってもなんとなく雰囲気が似てしまう場合が多い。

ところがこの京阪6000系。これはそういった意味での公式をすべて無視したようなところがあり、なんというか良くない意味で鉄道離れしていると感じたのが正直なところである。

by michikusajinsei | 2017-06-07 23:35 | 京阪電車 | Comments(0)

平成2年 京阪電車(その4)

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標準化は避けて通れない話で鉄道に限らずどの産業もすべからず取り組んでいるが一方でそれに収まらない状態もまま存在する。

人間社会であれば体制と違う方向に進む、あるいは反抗するのは個人の信条によるところが大きいが、産業でそれが発生する場合は状況の産物でままそのような特異児ともいうべき存在が生まれてしまう。

鉄道界で言えば、それは新しい技術を取り入れる時であったり、あるいは需要予測などの想定外、あるいはそれに追いつかない事態にそのような車輌が生まれてしまう。

京阪電車でいえばこの写真の5000系がそう。本邦初の5扉車。これより扉が多い車輌も存在するがそれは編成に1両というように限定されているが、これは1編成全車両が5扉。

登場の経緯はなんでも施設の関係で1編成の連結両数の制約があり、一方で深刻化するラッシュ時の混雑があった。車内空間を広げることはできないけれど少しでも立席空間を大きくし、また乗降時間が短くなるようにという観点でこの5扉車が製造されたそうだ。そうであるからこの5扉が活用されるのはラッシュ時のみ。日中はそのうち2つの扉が閉鎖されそのスペースに天井から座席が降りてくる。このメカは京阪しかないが似たような試みで近鉄にラッシュ時はロングシートで日中は座席が転換してクロスシートになるL/Cカーというものが存在している。

一方東に転ずると山手線にはかつて6扉車というものがあった。これはラッシュ時は椅子が跳ねあげられ日中はそれが使えるが京阪のように椅子そのものが増えることはない。確かにラッシュ時には椅子がない方が良いという感覚も特に女性にはあるようだから開発の思想そのものが間違いとは思わないが、それでも居住空間の快適性の追求という観点では西の私鉄の取り組みの方が優れているように感じるのは否めないところ。

冒頭に、ユニークな車輌は状況の産物で人の意思の介在はあまりないようなことを書いたが、そうはいっても設計する人やその会社の思想がそこに反映するのは当然ある。

ラッシュ時の座席に関して東西の違い、この一点でも東西の考え方の違いが見て取れて、鉄道探求の世界は面白い。



by michikusajinsei | 2017-06-02 11:35 | 京阪電車 | Comments(0)