平成2年 京阪電車(その3)

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どの鉄道会社もできるだけ標準化を推進したい、でも一方で我が鉄道独自の個性、あるいは自社の看板鉄道の差別化を求めたい、その相克で苦吟しているのだと思う。京阪電鉄が巧みだなと感心するのは、その電車デザインの標準化と差別化のバランスでそれがとても上手だ。

上の写真はかつて特急列車として運用されていたが、当時はすでに特急運用からは外れ普通運用についていた1900系である。

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こちらは当初から普通運用のために製造された2200系。どちらも昭和30年代後半に製造された兄弟車輌だ。

そして両車共にこの頃の京阪電車の特徴であるおでこの大きなヘッドライト、さらに寸法まで確認したわけではないが正面3枚窓も見る限り同じ。もちろん塗装も同じだから見る限り京阪電車としてのアイデンティティー(と標準化)は見事に統一されている。また出現は少しあとだが、前回のブログに掲示したこの次の世代の特急車輌3000系も同様。しかしこれらの車輌全てが雄弁にその個性を主張している。

3000系は塗装も違うし正面に京阪伝統の特急マークを掲示しているから一目瞭然と言えばそれまでだが、1900系も昔日の来歴を知らなくても、なんと言うのだろうか一味違う気品というか、風格というものを2200系に比べて感じると言っては贔屓目すぎるだろうか。

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このカラー写真の車輌1000系、実はここに掲示するまで来歴をろくすっぽ調べず、古い車輌だろうって思っていた。車番も若いし、なんとなく垢抜けない外観をしているからである。それでも京阪十八番のおでこライトはあるので、そういう場合は京阪に限らず更新車が多い。この車輌もそうではないかなあくらいには感じていたが調べてみると中々面白い。

元々は戦前に製造された1000系という車輌があったが車齢30年を超えさすがに車内の陳腐化や経年劣化が目立ってきた。ただ下回りは丈夫でまだまだ使えたため、車体を新造してついでに形式も新しく700系という車輌を作ったそうである。

ところがこれで終わらず、数年後、今度は京阪電鉄が使用する架線電圧を600ボルトから1500ボルトに変更することになった。そうなると旧来のモーターも型番によっては改造にお金がかかる。700系はもとは戦前製の下回りであるから当然その対象。とはいえ、車体は新造したばっかりだから全て廃棄するのはもったいない。ということで今度は下回りを新造し、そして形式名も昔々の1000系を復活させたそうである。下回りのサイズの都合でシルエットは旧型車、そして若い番号ということで一見、古参のような顔をしながら実は結構新しいというなんとも味わいのある電車がこの車輌、そしてやはり京阪伝統のおでこライトを採用して戦後京阪のアイデンティティーをちゃんと主張している。

縁が薄かったためさほど関心がなかった京阪電車だが、中々調べてみると薄味だけど出汁の濃い関西風味を感じさせる電鉄である。

by michikusajinsei | 2017-05-28 12:50 | 京阪電車 | Comments(0)

平成2年 京阪電車(その2)

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最も京阪電車が地味だったというのは単なる関東在住者の印象にしか過ぎない。たまたま昭和中期の関西私鉄はプロ野球球団を持っていて、それほど野球に興味がなくてもなんとなくそのイメージが湧いたのに対し、在阪大手の中では京阪だけがそれを持っていないので親近感が湧かなかったということもあったと思う。

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しかし実際のの京阪は、その沿線開発や路線網の整備、堂々たる車輌群、どれをとっても第1級の私鉄にふさわしい陣容建てである。

これも勝手な思い込みというか思い入れというか、阪急や阪神と違いスピードの優位性がそれほどない京阪に抱いていたのは優雅さ、それが少し過度な褒め言葉ならば余裕というものだろうか、豪華という言葉ではないけれども国鉄はもちろん阪急と比べてもワンランク上の車内造作でゆったりとしながら快適に京阪両都を結ぶ、そんなイメージである。そしてその中心にいたのがテレビカーという名のロマンスカー。3000系でありその後継車である8000系である。

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外観的には旧来の3000系の方が好みであるけど、車内の造作はこれはもう8000系が圧倒的。登場して30年近く経ち、10年ほどまえには更新改造を受けているそうだが、日本全国古今東西、特別料金不要で乗れる列車では最も豊かな車輌だろう。この車輌のゆったりとした座りごごちの椅子に腰を下ろして石清水八幡宮界隈の景色をボーっと眺めていると、他の私鉄では味わうことの少ない時間を費消することの楽しさを覚えるのが常である。

by michikusajinsei | 2017-05-22 12:22 | 京阪電車 | Comments(0)

平成2年 京阪(その1)

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僕が小学生の頃、昭和50年代の関西私鉄の存在感は格別のものがあった。なんて言うのだろうか、あの頃の関西私鉄を思うと僕の頭の中には土地柄もあって桃山文化の華麗な屏風絵のようなきらびやかさが浮かんでくる。それはただ車輌が格好いいだけではなくて、沿線の情緒や各社の運行思想がもつ独特の個性が強烈で、そういう要素が薄くてただ大量輸送に追われている当時の関東圏の電車に囲まれていた自分には憧れの存在だった。

日本を代表する鉄道と言えばもちろん新幹線だったけれど、運行していた車輌の質、ネットワークの肌理の細かさ、ターミナル駅を筆頭にした施設と沿線開発の質の高さ、そして運賃の安さ。

経営再建をめぐり右往左往していた国鉄と比べ明らかに数段高い位置にいたのが当時の大手私鉄、中でも関西大手の阪急、阪神、近鉄、南海、そして京阪の5社だった。

ただ正直なところそれらすべての関西私鉄が興味があったわけではない。やはり注目の的だったのはスピードかロマンスカーの華やかさ。前者が阪急、阪神。後者がビスタカーの近鉄とデラックスズームカーの南海である。

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車内設備はさておいてスピードという点で、当時国鉄在来線で最高速度を誇ったのが特急ではなくて京阪神間の新快速、それに伍して競争していたのが阪急・阪神。いずれも特急券などいらない普通運賃だけで乗れる列車である。それはある意味、胸のすくような痛快さでもあった。

それに比べるとスピード面で京阪に何か特徴があったとはとても言えない。私鉄の紹介文などを読むとスピードがないぶん、三条京阪と淀屋橋という京阪両都の繁華街中心部にターミナルが立地することでそれを補っていると書かれても土地勘の薄い関東の小学生にはいまいち訴求力の欠けるものだった。

by michikusajinsei | 2017-05-15 20:40 | 京阪電車 | Comments(0)

昭和63年 北海道

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ひよっこの主題歌「若い広場」のワンフレーズ「さなぎは今、蝶になってきっと誰かの腕の中」

「女の子って、大人の美しさを身につける前の高校生の頃って少し太めになるのよ。体重はそれほど変わらないのに何故かね。自分たちはそれで色々と悩むんだけど、やがてある程度までは自然に痩せてくるの。あれって今から考えると不思議ねえ。」以前、職場で雑談していた時、そんなことを言っていた女性がいた。

ひよっこの有村架純はとても懐かしい雰囲気をまとっている、いや彼女だけではない出てくる若い俳優みんな全てが懐かしい匂いがする。最初、それは演出による昭和の匂いとも思ったが、それだけではない何かがある。

それは認めたくはないが、自分が失ってしまった若さ、その若さとは、ひたむきさであり、また垢抜けないけれど素朴な健康美じゃないだろうか。そしてそれは正にこの年代、10代後半の数年間なだろう。このひよっこというドラマではその若さがなんの飾り気もなく正面から描かれている。

ただ懐かしいのはそういった容姿だけではない。

実は偉そうに10代の乙女のことを書いたが、男子校出身の僕は正直なところ、自分が10代だった時の同世代の女の子のことは殆ど知らない。僕が知っている彼女たちは、地元でも旅先でも、列車の中の姿。特に地方の列車は下校時の車輌は高校生でいっぱいだから、その車輌に乗り合わせると彼女たちの姿が眩しくて訳もなく気恥ずかしく感じたのを昨日のように思い出す。そして列車の中で見かけた昭和の女学生たちは日本全国どこで出会っても、他愛のない話題で盛り上がり快活でよく笑っていた。そして今振り返ってみると、あの頃の車内に満ちていたざわめきは、ポケベルに始まりラインに繋がる彼女たちのコミュニケーション革命で今となってはもう感じることができない昭和の失われた感覚の一つかもしれない。

しかし、そんな時間はやはりすぐに終わってしまう。

http://anosyaryo.exblog.jp/20482753/

自分のブログ第一回の記事のリンクを張るが、夏休みの昼下がりに見た風景は春休みの夜汽車や連絡船では一変していた。今でも忘れないのが青函連絡船の上り便、函館を夕方に出て青森発夜行に接続する便の2等桟敷席。制服姿にあふれ一見すると修学旅行の団体のようだが、どの顔も不安感と寂寥感に満ちていた。ある意味、僕はその集団に大きな衝撃を受けた。自分がふらふらと遊んでいる一方で、同年代のある人たちは実家を離れ就職し自活していかなければならない。思えば僕が初めて出会った社会の現実である。

ひよっこも今月から上京生活編に変わった。ゆっくりと人間関係が広がり、そしてまた成長していく姿が展開されている。このドラマの展開が毎日待ち遠しくてしかたない。

by michikusajinsei | 2017-05-10 22:59 | 北海道 | Comments(2)

昭和61年 野上電鉄 山陰本線


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男性では珍しいかもしれないが、僕は朝ドラの熱心な視聴者である。

きっかけはシンガポール赴任である。シンガポールは日本との時差が1時間、NHKの海外放送は定時ニュースや朝ドラ、大河ドラマなどは日本と同時間帯に放送しており、シンガポールでは午前7時15分、ちょうど朝ドラが終わった頃合で出勤時間になることからニュースを切ることなく、ながら見をすることから生活が始まったのである。

そしてまた、自分の赴任と同時に始まったのが近年の朝ドラ復活の端緒となった「ゲゲゲの女房」だったのも幸いだった。水木みのる夫妻の生涯を描いたこのドラマは作り物を超えるリアリティーがあり、また時代的にも自分の少年期が多く描かれていたこともあって興味が尽きなかったからである。以降、あまりにも話が荒唐無稽過ぎた「純と愛」を除いて毎回見てきた。

そんな朝ドラ自分史の中で一番は何と言っても「カーネーション」尾野真千子の繊細で思いつめたような演技ときめ細かい脚本が印象深い。それから「マッサン」と「あまちゃん」が続く。「あまちゃん」は役者の演技よりもある意味、震災という事実の重みと同時に50歳前後の自分たちの青春時代を振り返らせてもらうような趣があったし、「マッサン」はヒロイン、シャーロット・ケイト・フォックスの感情豊かな演技が素晴らしかったからである。特に戦時中に官憲が彼女を拘束しようと踏み込んできたときのアリアは圧巻で、その日の午前中は仕事にまるで身が入らず深い余韻に浸っていたのを思い出す。

ただ最近の朝ドラは役者や素材は良いのに脚本が雑というか人物造形や時代背景の作り込みが浅くて少々食い足らない思いがすることが多かった。
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そんな停滞を感じさせる中で4月から始まった「ひよっこ」

これが予想外に素晴らしい出足である。

まず音楽がいい。タイトルの歌は桑田佳祐。正直、サザンの歌はあまり好きではないが、この曲は昭和中期の歌謡曲に賛歌を捧げるようなメロディーと歌詞が素敵だし、劇中に挟まれる宮川彬良の音楽もシーンにマッチした抒情的な曲に佳曲が多くて聞いていて心に残る。

肝心のお話はまだ始まって1ヶ月であるので総括的な判断は難しいかもしれないが、上に書いた不満、人物造形と時代背景の描き方がとても自然で、また役者の演技がそれをうまく具現している。古谷一行の祖父のもつ丸みや木村佳乃の慎ましい母親ぶりは、ここのところ変な家族関係ばかり登場させていた朝ドラの流れを正しい(?)昭和のある家族の姿を描き何度もせつない気持ちを抱かせる。

ただそんな静かな生活を描く中で、特に素晴らしかったのは木村佳乃が失踪した夫を探しに上京し警察に相談し行ったときのアリア、

いばら「き」です。
「いばらぎ」じゃなくていばら「き」です!
谷田部実といいます。

わたしは、わたしは、出稼労働者を一人探してくれと頼んでいるのではありません。
ちゃんと名前があります。

茨城の奥茨城村で生まれ育った谷田部実という人間を探してくださいとお願いしています。

ちゃんと・・・ちゃんと名前があります!お願いします!
あの人は絶対に自分でいなぐなったりするような人ではありません!

お願いします!お願いします!
探してください!お願いします!

日本ではシンガポールと違い出勤前に見るわけにはいかないので帰宅後に見ているのだが、このシーンの木村佳乃の必死さの演技には大げさかもしれないが鳥肌が立ち息を呑んでしまった。物静かで感情を見せることは少ないがいざという時に見せる芯の強さ、感動という言葉では言い尽くせない感情が自分の中を走った瞬間である。

今回の写真は白熱灯が鈍く輝く昭和の夜汽車(実際は電車だが)と行商姿の女性の後ろ姿。30年前にこれを写したころ、こういった高度経済成長以前の情景にまだ各地で出会えた。ある意味、好奇心から自分の中では新鮮な情景ではあるが一方でこれらに旧世代の泥臭さを感じたのも(未熟としか言いようがないが)正直なところゼロではなかった。

しかし今となっては、どちらも見ること、感じることの叶わない懐かしい光景である。そしてまたバブルという時代にもこのような風景があったのも昭和日本晩年の時代相である。

by michikusajinsei | 2017-05-04 15:19 | 野上電鉄 | Comments(6)