昭和62年 福井鉄道(その3)

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この都市間連絡という特徴が福井鉄道をして他の地方私鉄にはない洗練された雰囲気をまとわせていたのではないか。今振り返るとそんな気がしてくる。

福井鉄道の場合、福井県の中核都市を結んでいるとはいえ決して輸送量は大きくない。だから列車編成は基本2輌でまかなえてしまう。その意味では他の地方私鉄と特に変わらないが、見ていてなんとも言えない品というものを感じるのだ。

その印象にはやや明度を落としたクリームと青のダブルトーンの塗装。これが大きく寄与していていたように思える。エースである200系はもちろん、その他の車輌もこの落ち着いた塗装が、山紫水明の風土に浮かず埋もらず確かな存在感を与えていた。
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またライトがその頃流行ったシールドビーム2灯などに改造されていないことも美観の維持には貢献していたし、車輌正面の下にある排障器が力強さを与え、狭軌車輌に感じるある種のひ弱さを減じている。

この上の写真は160系という元々は別の車輌を1台に改造した名物車輌で1輌の長さは路面電車と似たようなレベルであるが、やはりそうした特徴を備え鉄道線を走っていると路面電車にない存在感がある。

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しかし車輌の魅力もさることながら当時の福井鉄道で記憶に残るのは「活気」。閑散としていた地方私鉄が多い当時、都市部と都市間の二つの性格を持つためかかなり乗客が多く、それが当時の自分に最も印象が残ったことだった。


by michikusajinsei | 2017-02-25 13:15 | 福井鉄道 | Comments(0)

昭和62年 福井鉄道(その2)

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しかし、実はそうではなかった。
その頃、愛読していた「とれいん」で松本主筆がミニコラムみたいなものを書かれることがあったが、そこで日本ではインターバーンと呼ばれるのが普通だが英語表記だとInter Urban、インターアーバンと書くほうが正確であるということを述べている記事がでたのである。いや、これには驚いた。

でも言われてみれば納得である。確かに「インターバーン」と紹介される電車はアメリカ型ばかりでドイツの電車など見たことがない。なによりも英語表現をきちんと調べればすぐに分かることである。つまり自分が勝手に想像していた郊外と市内をつなぐ電車ではなく都市間を結びながら市中では路面電車のような道路を走る鉄道というのがこの名称の由来だったのである。

もちろんこの定義付けはアメリカの事情によって成立したものであるから何も日本の鉄道に無理に当てはめ福井鉄道は日本版インターアーバンなんて言う必要はないと思う。
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とはいえ、この定義自体ははまさに福井鉄道の性格そのもの。自分は勝手な思い込みで訪問する前は福井鉄道は福井市内と郊外を結んでいるから日本版インターバーンと思っていたわけだが、実際の福井鉄道はもちろんそのような性格もあるだろうけど、福井市と県下第2の都市、武生を結ぶ都市間連結電車、まさにインターアーバンとして成長してきたのだった。

by michikusajinsei | 2017-02-22 22:49 | 福井鉄道 | Comments(4)

昭和62年 福井鉄道(その1)

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僕が福井鉄道を知った頃、覚えた鉄道用語にインターバーンという言葉があった。当時の僕は自分の鉄道知識を広げたくて色々な雑誌から情報を吸収していたが、この言葉は多分模型関係から得たのだと思う。そして、その意味するところは郊外では普通の独立した駅と専用の線路を走るが市内に乗り入れる時に路面電車のように市中の道路に併設された軌道を走る鉄道というものだと思っていたし、その語源はドイツ語だと思っていた。

バーンはドイツでは道の意味だが、地下鉄のことをUバーンというので鉄道を表すのにわざわざアイゼンバーンと言わずに略してバーンと言うのだろう。郊外と市内を結ぶという意味でインターという接頭語をくっつけてインターバーン。そう思っていた。

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この福井鉄道はまさにその典型である。郊外を走る普通の電車が福井市内は路面を車をかき分けるようにして走行する。特に福鉄のエース200系の市内走行は圧巻で名横綱が花道を堂々と進むがごとく辺りを睥睨しながら走り、正に日本版インターバーンの面目躍如といった感を見るたびに抱いていた。

by michikusajinsei | 2017-02-18 08:39 | 福井鉄道 | Comments(0)

昭和61年 会津(その3)

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ところで、今回の投稿は実は蒸気機関車ではない。除雪車。国鉄の形式で言えば「キ620」という車輌である。

とはいえ構造的には蒸気機関車そのもの。国鉄の蒸気機関車に準じた設計でボイラーと弁装置を持ち、ただその違いは発生した蒸気を自走動力に使うのではなく排雪用のロータリー羽根を回転させるために使うという蒸気エネルギーの活用方法だけである。

そのため動かす時は後ろか前に機関車がつかないと動けないのだが、ともあれ広義でいえば蒸気機関車の一種といって差し支えないと思う。

この車輌が製造されたのが昭和23年から24年にかけて。国鉄最後の新造蒸気機関車であるE10の製造が昭和23年。改造名義であるがほぼ新造であるC61、C62が同じく昭和23、24年の両年だから、この車輌も国鉄が新造した最終期の蒸気機関車の一つ。

そして最後の頃は予備車だったらしいがそれでも廃車による除籍は昭和51年の秋らしいので、登場時だけではなく終いの履歴からも国鉄蒸機最後の一群ともいえる車輌でもある。

地味な車輌ではあるが日本の鉄道史的にはなかなか興味深い存在だ。
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だがそういう書誌学的な関心もあるが、何よりも興味があるのはこの車輌の動きである。排雪列車は数は少ないが見たことはあるけれど、この車輌はもちろんない。それは時代的にももちろんそうだが、このような車輌が活躍する地域と積雪量は素人が訪れるような安全な場所ではないので、仮に現役時代に間に合ったとしてもその稼働している姿を眺めることはできなかっただろう。

だからこそ想像する、その雄姿を。

上に書いたように自走できないことから必ず補機となる機関車がつく。2台の蒸気機関車が雪の壁を熱気を発し咆哮を上げながら切り崩していく。その光景にはどんなにか躍動感と迫力があっただろう。

一方で除雪作業は日本の鉄道運行確保業務の中で、最も過酷な任務だと思う。この車輌の本領が発揮されるのは人家などない山中の豪雪区間。人煙稀なる山塊に降り積もった雪を掻き分けライフラインを確保するその存在はそれはそれで頼もしいが逆に一歩間違えれば遭難する可能性だってある。その厳しさを思うとミーハーな気持ちでその姿を見てみたいなどと軽々しく言うべきではないという気持ちも感じてしまう。

ともあれ、その活躍も今は昔。現役を退いてこの地に保存されてから10年後に訪問し撮影したが保存状態がとても良く現役時代同様の生々しい鉄の質感を保っていた姿に感激したものだ。

そして歳月はそれからさらに30年を数えている。しかし冬将軍に立ち向かった正に歴戦の勇士ともいうべきこの車輌は会津の地に今も変わらず静かに保存されているとのことである。



by michikusajinsei | 2017-02-14 23:33 | 国鉄蒸気 | Comments(0)

昭和61年 会津(その2)

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ただその頃、蒸機を語る上で人口に膾炙していた言葉にはもう一つあった「蒸気機関車は人間に最も近い機械である。」この言葉はかなり自分の中に響いた。

そう機械。やはり僕がまず魅力を感じたのは詩的な言葉よりも事実としてむき出しの機械の美しさ、配管やコック、バルブという部品それ自体が雄弁に自己の存在を主張し、機械としての機能を想像させつつ全体としては黒一色のなかに溶け込んでいる。

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そしてその漆黒に覆われた躯体に対して、ロッドの鈍く光る鉄の質感。この対象の妙。

その一種、冷たい彫刻的な美しさが火を入れらると周囲は一転熱気に包まれ、発電機、コンプレッサー、給水ポンプといった回転機械が動作を開始、やがて重々しい金属の摩擦音と共にロッドが回りはじめる。

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その直前まで視覚でしか捉えていなかったオブジェクトが、そういった聴覚、触覚、さらに立ち込める蒸気と石炭の匂いまで含めれば嗅覚まで動員して動き出す。静から動への鮮やかな転換。呼吸するがごときブラストの息吹き。

石油やガスの製造工場も同じところがある。というよりもっと大規模に機械が回る音が共鳴し、あちこちで機械を動かす蒸気や石油やガスの反応がもたらす熱気に包まれている。そういう世界にまるで機械などに興味を持たない人々を作業着に着替えさせ案内していくと皆顔を紅潮させ興奮してくるのが手を取るように伝わってくる。

一つ一つは無機物にすぎない機械であるが、それが動き出し伝えてくるエネルギーに我々の魂が同期して同じように生命力の高揚をもたらすのであろうか。

言い尽くされてはいるが、やはり蒸気機関車の魅力はそういった機械の魅力と動きを端的に伝えてくれるところにあるように思う。

by michikusajinsei | 2017-02-11 09:04 | 国鉄蒸気 | Comments(0)

昭和61年 会津(その1)

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蒸気機関車に間に合わなかった世代、そう自分たちのことを書いたが、全く間に合わなかった訳ではなくて、子供の頃はまだ蒸気機関車は日本のあちこちで走っていたし、SLブームというものも朧げながら記憶にある。

そしてその時の常套句は「懐かしの」とか「消えゆく」という形容詞がほとんど。機関車そのものの魅力を訴える切り口はあまり身につかなかった。

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しかし同時代を生きてきたというような感興の薄い自分たちにはもう一つそんな言葉では自分の心に響くものがなく、そんな常套句を聞くたびに「何か違う」そんな感想を幼心にも持っていた。

by michikusajinsei | 2017-02-09 00:04 | 国鉄蒸気 | Comments(0)

1988 PARIS

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僕が旧作邦画を見始めたのはそんなに昔ではありません。まぁ、そういっても20年以上は経っていますが学生時代は映画よりも音楽や鉄道の方に気持ちは傾いていましたから本格的に見だしたのは就職してからです。池袋の文芸座や銀座の並木座なんかにも行きましたが、当時は横浜にジャック&ベティという名画座映画館があってそこで浴びるように旧作邦画を見ていました。

そうやって集中的に見ていくと自然に映画会社の色がわかり自分の好みというのも出てきます。松竹は蒲田あるいは大船調と呼ばれているホームドラマ(余談ながらこのホームドラマの背景となる属性や習慣は戦前の京浜地区の中産階級とその暮らしぶりにあるんじゃないかと思っています)。東宝であれば都会の青年男女の恋愛や生活、大映はカツライスと呼ばれた勝新と雷蔵の二枚看板、東映、これはもう汗臭い男の世界、非常に大雑把に言えばそんな感じです。これはそてぞれの会社のトッププロデューサーである、松竹の城戸四郎、東宝の藤本真澄、大映の永田雅一、東映の大川博の意向でありまた好みであったのでしょう。そしてまた長らく僕の好みも個別の映画はもちろん別ですが傾向としてはその順番でした。

しかし上には書いてない、もう一つ大きな映画会社が日本にはあります。

「日活」

この映画会社はそのころの僕にとって興味の外でした。一つはロマンポルノ。それこそロマンポルノの全盛期は僕の10〜20代です。興味ないわけありません。でもそれと映画の評価は別でポルノ映画なんて男女の裸と絡みだけでしょ、っていう感覚でしたし、ロマンポルノ以前は少し前に書きましたが疎ましい親世代の象徴、石原裕次郎がそのイコンですからまったく食指が伸びませんでした。
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でもなんでしょう。最近、日活映画が気になってしかたありません。日活映画でもう一つダメだったのは日本なのに西部劇みたいな無国籍性もあるのですがそれらも含めて昭和30年代の日活映画が見たくてしょうがないのです。あの頃に日活映画の何に自分は惹かれるのか。そんな気持ちで一本の映画を見てきました。「街燈」中平康監督昭和32(1957)年2月封切りの映画です。

ストーリーはごく大雑把に言えば、それぞれブティックの経営という仕事を持った戦中派の女性(月丘夢路)と戦無派の女性(南田洋子)二人の生き方と男女関係を描いた作品です。パトロンを持ち銀座に店を構え同時に若いツバメをスタッフとして雇うしたたかな月丘と渋谷の住宅街に小粋なサロンのような店をだし恋愛には慎重な南田。でも最後はそれらを清算して出直しを図る月丘とひょんなことから出会った同世代の男と幸せな結婚を暗示して男を見送る南田で終わります。ある意味、単純なストーリー。特に脚本が優れているとかそういうことはありません。でもねえ、見ているとなんでしょうか、とても朗らかな気持ちになってくるのです。

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映画を観終わった余韻の中で考えてみたのですが、一つは文字通り見る楽しさ、実はこの映画はファションで語る旧作日本映画という企画の一環で上映されたものを見に行ったのですが、その企画でのセレクションにふさわしく新進気鋭であった時代の森英恵デザインの様々なファッションが見ていて華やかさやコンビネーション、そして職業を語ってくれてきます。また俳優の表情が一本調子でないところはさすが大女優の二人ですね。

しかし何よりも魅力を覚えるのは画面の中から湧き出てくる若々しい雰囲気であるような気がしてきました。この当時の実年齢、月丘夢路は34歳、南田洋子は23歳。そして監督である中平康が30歳、ついでに言えばプロデューサーの水の江滝子だって、彼らよりは上ですが当時でまだ41歳です。みんな若い。しかしここでいう若さには未熟さはあっても昭和40年代以降の若者にあるある種の独りよがりな幼さはあまり感じられません。

若さというのは一面厄介なものです。この映画から数年後、若さそのものを価値とする文化が出てきて以後の世の中を席巻するのですが、この映画はそこまではいきません。逆にみなさん、今の自分たちの目で見ると若いのに分別がありすぎる気がします。でも何というかそう、「明日があると信じられるからこそできる思い切りの良さ」その言葉が一番ふさわしいかな。悩みがないわけじゃないけれど登場人物たちは人生の決断をサバサバと思い切りよく口にしまた行動に移してしていきます。このリズムが心理劇であっても画面に躍動感を与えていますし、上に書いたように頻繁に変わる登場人物のファッションや街の情景がお洒落感と清新さを醸し出しています。

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今の時代は老いも若きも二十歳過ぎれば年齢は8掛けとか7掛けと言われます。さらに社会全体でリスクを避ける風潮から自分も含め4、50代の人間がのさばってか、なかなか30代の人に舞台を用意せず、彼らに陽が当たりません。

その世界に生きていると、30歳前後の人間が長所も短所も合わせてそのままの感性で作品を作ることができた時代、許された時代の彼らの感性、息吹きがとても眩しく感じられ、そしてそれを最も感じさせる映画、それが当時の日活映画の最大の魅力ではないか、そんな気がしています。

ただ、この結論は正直まだ自分の中でも完全に消化しきれていなくて日活映画の魅力を探る旅はもう少し続けていくつもりです。

なおそれらとは別にこの映画を見ていると時代の風景も立ち上ってきます。上に書いた通り月丘夢路はパトロンがいて銀座に店を出しているんですが、これはある意味、婚期を逃した女性-それもおそらく戦争の影響で-が自活して成功していくための手段でしょうがこれも戦後的な風景かもしれません。戦前の映画ではこの手の女性は出てきませんし、婚期を逃した女性が出てくるその場合はたいてい水商売か2号です。この月丘夢路もパトロンに依存していません(だいたい映画に登場しません)。そして最後は彼と別れてまた店を継続していくのです。この強さとその裏にあるやりきれなさ(おそらく戦争がなければ彼女も店を持つなんて考えることなく普通にお嫁入りしていたことでしょう)。個人的にはこの彼女の心象風景を想像させるところがこの映画で最も印象に残りました。

一方、南田洋子には恋人とチンピラのケンカを仲裁するところがあるのですが、そこのシーンで「暴力反対」と言ってその次の言葉は「再軍備反対」。60年安保はこの後ですが自衛隊が発足したのはこの映画撮影直前の昭和30年、逆コースと言われた当時の世情がこの一言に出てくる。こちらもまた戦争の影というものがリアルだった時代だからこそ出てきた言葉なのでしょう。そんな時代の断面を感じ取れるのも日活映画に限りませんが旧作邦画の奥深いところですね。

また今回の写真ですが、この映画にはほとんど電車は出てこないので、この映画の監督、中平康がフランス好きらしいことから昔撮ったパリの情景です。かなり牽強付会ですが。

ちなみにこの映画自体は、ダラダラ書いた僕の感想よりもはるかに上手にかつ簡潔にまとまった紹介があります。それは、たかぎみきさんという方の運営されているキネマ洋装店というサイトです。
→http://cineyoso.movie.coocan.jp

このサイトでは全盛期の日本映画で如何にファッションが登場人物の個性作りに重要な役割を果たしていたかが可愛いイラストと共に紹介されていて、映画好きの人には見て読んで楽しいサイトです。

今回の映画が上映された「ファッションと旧作日本映画」という企画も実はたかぎさんのプロデュース、映画とともに楽しい企画でした。

by michikusajinsei | 2017-02-05 12:56 | フランス | Comments(2)