昭和61年&62年北陸の電気機関車(その4)

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この車輌は北陸鉄道の機関車。

車輌履歴的には昭和初期の製造になるが、昭和初期という初期モダニズムが一世を風靡した時代にしては少々前時代的な感じを受けていた。

それはある意味、当たっていてこの車輌は製造年こそ昭和10年代であるが車輌のデザインは大正初期に製造された南海電鉄の機関車をコピーしたものらしい。

のんびりした時代で旅客に使うものではないとはいえ、20年くらい前のデザインをそのまま採用してしまうのは同時代的な感覚からは如何なものかと思うが、それからさらに40年後の鉄道ファンにとっては、古典的な味わいを残した車輌が残ってくれていて嬉しくなったものである。
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さらに車体そのものにはあまり手を加えられていないが、正面の窓には凍結防止用のデフロスター、助手席にはその装備はないもののつらら切りようなのか金網が張られており一層精悍さを加えている。

同じ凸電でも福井鉄道のデキに感じたスマートさとは違い、北陸鉄道のこのEDクラスの機関車は南海電鉄という大鉄道のコピーでありまた当地で加えられた重装備も相まって男性的な力感がより強調されているように感じられないだろうか。

by michikusajinsei | 2016-12-30 12:31 | 北陸鉄道 | Comments(0)

北陸の電気機関車(その3)

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この機関車というか電動貨車はレイル誌によると以下のような履歴となっていた。

大正11年12月、梅鉢鉄工所で新製された電動貨車のデワ1が前身。昭和51年12月頃より休車になっていたが昭和54年6月に電動除雪車とするための大幅な改造を行い形式もデキ11形となって電気機関車の仲間になった

お隣の京福にいたデキ6が大正9年の製造だからほぼ同時代、ただデキ6は鋼体化改造されていたが、こちらは木造車体を残しており僕が現役で見た数少ない木造車輌のひとつである。

この写真を撮影したのは昭和62年の冬だから機関車になって8年目、新製してからだと65年を経過している。北陸の過酷な気象条件の下、木造車体を維持するのは大変だと思うが、この写真のように綺麗に整備されている姿を見ると福井鉄道整備陣の実力の高さが伺える。

by michikusajinsei | 2016-12-26 07:17 | 福井鉄道 | Comments(2)

Singapore Lunch Record 番外編

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出張で来た久しぶりのシンガポール、出張となると人と会って食事をするのも大事な仕事なんでなかなか自由に昼ごはんも食べられません。

でもまあ何日か経てばそれも一巡し、やっと在星中のホームたる食堂で昼ごはんを食べられました。

さて何を食べましょうか....と悩むことはなくてまずはカレー。ほっぺたが落ちるほど美味しいというわけではないですけれどやはり馴染みの味を最初に食べたいです。店のおっちゃん、おばちゃんも1年前と変わらずにただ容器だけが使い捨てになってました。

頼んだのはマトンカレー。これも安心の一品。ベジタリアンカレーもおいしいいですが、どうしても水っぽくなることは否めません。そうなるとチキンかマトン。いやあ、やはり美味しいですね。マトンの癖はカレーになるとじつにいい塩梅で風味のアクセントになります。辛さも丁度良い。

あ、でも普通の人には辛いかもしれません。自分では特に辛さの耐久力があると思っていなかったのですが、先月、食の達人方のお相伴にあずかったときに食べた四川の麻婆豆腐。自分はちょっと辛いかな程度の感覚でしたが、百戦錬磨の方々が汗を拭き拭き辛い、辛いと申されてました。

どうも長年月、ここのインド飯を食べている間に辛さへの耐久力がアップしていたようです。実際、舌では感じませんでしたが、頭頂部からは結構な汗が流れてきましたから。

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さてさて、インド飯屋は健在でしたが、ほかのお店は多くが入れ替わっていました。いやもう変化が激しいのがシンガポールのこういうフードコートのレストラン。6年間通ったこの食堂も7軒あったブースで変わらなかった店はひとつもありません。ですので今回はどうかなあ、と思って見てみると案の定、残ってたのはこのインド飯屋とフルーツジュース、それとチキンライスの店だけでした。そして新規出店した中でもっとも目を引いたのがここです。

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パスタとかいてあるのは遠目にもわかりましたが、なんか黒い麺らしい。これはもしかして、と近ずくとはたして「そば」いやこんなところで出会うとは思いもよりませんでした。

僕は学生時代、旅行するとその地の駅そばに旅情を感じてよく食べ、北海道にいたっては全駅の駅そば(北海道は駅そばがある駅が少ないのでそれが可能でした)を食べたりしましたが、そこで感じる旅情といえば、味よりもお店や利用している人の雰囲気というか醸し出す匂いでしたね。

そこで食べている人たちは津軽海峡冬景色ではないですが、誰も無口でザザッと慌ただしく食べて去っていくだけですし利用している人も仕事着も含めて日常の服。おしゃれ感などまったくないですが、その食べ方や普段着の雰囲気に僕は郷土色を感じていました。

それが日本食屋で日本を売り物にするのではなくシンガポールでパスタ屋さんに同居ですからちょっと感心してしまいました。

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ところで今回の訪問でおきた最大の変化はじつはお店の立地。今までは普通のオフィスビルの7階だったので知らないひとが行くのはハードルが高かったですが今は一階に移っていました。

観光地でもなんでもなくとあるビジネス街なんで行きたいと思うひとがいるかどうかわかりませんが入り口の写真を載せておきます。

by michikusajinsei | 2016-12-23 07:22 | シンガポール | Comments(0)

昭和62年 北陸の電気機関車(その2)

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北陸の私鉄を回っていた頃、そのガイドになっていたのは季刊誌になったばかりの頃の「THE rail-レイル」であった。それによるとこの機関車は昭和26年、東洋紡績の工場向け入れ替え機関車として新造され、名鉄ー遠州鉄道、そしてこの福井鉄道に来た由。

中小私鉄の電気機関車といえばこのての凸電が僕の頭の中では記号的に浮かんでくる。その中でもこのデキ3は機械室部分が運転室より細くて無骨な車輌が多い私鉄電機関車の中で、なかなかスマート。

この頃は除雪専用のようで夏でも大きな雪掻き用のスノープローを装備していた。それはそれで豪快な外観となり魅力的だったが、いちど小型の貨車をひいた姿をみてみたかったのが当時抱いた本当の気持ちだった。

by michikusajinsei | 2016-12-19 08:22 | 福井鉄道 | Comments(0)

昭和62年 北陸の電気機関車(その1)

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雪に縁が薄い関東育ちにとって、降雪対策を施した重装備の鉄道車輌はそれだけで魅力的だった。

北海道や東北、上越といった豪雪地帯には国鉄はもちろん中小私鉄であっても本格的な除雪車が所属していたが、それ以外の地域は大型のスノウプローを装備してそれに備えるのが通例で、冒頭に書いた雪があまり降らない地元の神奈川の相模鉄道にも当時は無蓋車におおきなスノープローを常備した車輌を保持し万が一の事態に備えていた。

神奈川ですらそうなのであるから常時降雪がある北陸の私鉄は当然にその対策が行われていて、その任に当たっていたのが電気機関車たちである。

もともと客車や貨物列車を牽引するために購入されたであろうこれらの電気機関車たちも昭和末期となるとその需要もなくなり、保線工事とこの冬季対策が主な仕業。逆に言えばそれがあるから残されていたとも言える。

今まで路線別に掲載することが多かった当ブログであるが、今回は昭和末期にみてきた北陸の私鉄電気機関車という形で掲載したい。

by michikusajinsei | 2016-12-16 06:50 | 福井鉄道 | Comments(0)

昭和58年 飯田線

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今日は小津安二郎の113回目の誕生日であり、そしてまた53回目の命日。近親者でもないのに、朝起きた時はそんなことを思い出しもしなかったのに、仕事を終えて帰ってきたところでそれを思い出した。そしてなんとなく見たくなったのは彼の遺作「秋刀魚の味」

いや見たくなったというより聞きたくなったというのが正確かな。小津映画の魅力はたくさんあるが、特に戦後の作品で印象的なのは斉藤高順の音楽。明るさの中にそこはかとない物哀しさと叙情性にあふれどこまでも優しいそのメロディーは笠智衆の温和な笑顔と共に僕たちの心に惻々と響きわたるように感じる。


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これらの写真は飯田線。特に飯田線が彼のフィルムに残っていたわけではないが、小津監督の片腕である厚田雄春キャメラマンが大の鉄道ファンでその影響からか何気ないカットで鉄道が時々、顔を見せる。例えば形式は異なるが「麦秋」では鎌倉付近を走る横須賀線が登場していた。そして飯田線を走る車輌には横須賀線で活躍していたのと同じタイプもいたので鎌倉に長く住んでいた彼があるいは乗っていたかもしれない。

この写真を撮っていた時は小津の没後からちょうど20年経っていたことになる。このころはまだ彼のフィルムに残されているそういった昭和中期の風景は特に意識しなくてもあちこちで感じられた。しかし今となっては、さらにこの写真を撮ってから30年以上経過している。はたしてこれらの風景がいまどれくらい残っているのだろうか。

by michikusajinsei | 2016-12-12 22:56 | 国鉄 近郊型電車 | Comments(0)

昭和63年 三河遠江

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何回か前に過渡期のことを書いたが、JR発足直後の国鉄型車輌の装いこそその最たるものである。時間とお金の余裕がない中でそれでも前とは違う清新さをアピールしたかったのか。

この写真に見るFの65、1000番台はナンバープレートに色が差されている。この写真を撮った頃は何もそこまでして国鉄との違いを出そうとしなくてもいいじゃないかと思っていたが、今振り返ってみるとこの小さな色差しに分割民営化された直後のJR各社の必死さの象徴ように思える。

何も調べていないが、おそらくこの色差しは現場の発案だと思う。

とにかく親方日の丸から切り離され、また大量人員整理で職場のモラルは低下、そんな環境で一刻も早くまず職員の会社に対する求心力を高める必要があった。そのためには会社としての独自性発揮と現場重視の姿勢を見せなければという思いから、こういった小さな提案を一つずつ取り上げて実施していた、そんな経営風景を想像しているのだ。

ただ趣味的にはすれ違っているコンテナ車の塗装、こちらの方が興味深い。正に過渡期、国鉄とJRがすべて違うデザインで積載されている。

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こちらの車輌は飯田線。国鉄時代、電車の色と言えば湘南色か横須賀色が定番。その中で飯田線のスカ色に装われた旧型国電の代替で登場したこの車輌が京浜東北カラーだったのは新鮮だった。

しかし、それも束の間、新会社に伴いそのコーポレートカラーが模索されている中で塗り替えられてしまったようである。そしてそれが湘南カラー。ワンポイントとはいえ先祖返りするかのような光景に苦笑したくなる。

by michikusajinsei | 2016-12-09 22:56 | 国鉄 近郊型電車 | Comments(0)

昭和63年 豊橋鉄道軌道線(その4)

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中京地区で昭和末期に路面電車が走っていたのは豊橋と岐阜の二つの都市だが、その後、岐阜が平成になって廃止になるとは思いもよらなかった。

特に二つの都市を比較してということではないが、ほぼ中心地限定で走っている豊橋に対して、岐阜は郊外に直通もしていてより鉄道の特性が活かせる路線だと思っていたからである。

ただそれは鉄道偏愛者の視点なのかもしれない。度々、ありがたいコメントをいただけるシグ鉄様のお話だと、岐阜は道路がせまくて道路通行に支障があったとのこと。

言われてみれば、これは自分が住んでいる横浜でもそうで、中心部を通る路線バスは市営も民営も今でもかなり活況を呈していて市電を廃止したのは間違いじゃなかったかと思うこともあるのだが、やはり道路の狭さは致命的で今以上に道路事情が悪く交通戦争と呼ばれたあの時代に廃止されてしまったのはやむを得ないのだろう。
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それと比べると豊橋は両側車道2車線を維持しかつ複線の路面交通を成立させている。自動車王国三河で道路整備をした結果として皮肉なことに路面電車と自動車の分離が無理なく行われたために路面電車が活躍する余地が出てきた、そんな風に考えることもできるかもしれない。

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ただ、そうは言っても単に交通行政だけの問題だけではないだろう。記憶が間違っていなければ、縮小しかなかった戦後の路面電車界で平成に入って久しぶりの路線延長があったのはここ豊橋鉄道である。そしてこの街には以前に紹介した公会堂やこの教会のように独特な意匠の建築が残されていた。

もちろん今となってはのっぺらぼうな高層建築も建っているだろうが、豊橋という街は路面電車にしても建築遺産の扱いをみても空間の贅沢な使い方ー地理的にも歴史的にもーをなんとなく感じさせる。

by michikusajinsei | 2016-12-04 09:44 | 豊橋鉄道 | Comments(2)

昭和63年 豊橋鉄道軌道線(その3)

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「君たちは過渡期だから」

高校の頃、教師たちにしばしば言われた言葉である。僕の生まれは昭和42年だが早生まれなので学年的にはその前年、昭和41年生まれとして過ごしたのだが、この年はご存知の方も多いと思うが丙午。前後の学年に対し出生数が異常に少ない。そのためか教育プログラムの変更が行われ特に理数系での変更が目立った。

このプログラムの変更が行き着くところは有名な円周率を3にしてしまった「ゆとり教育」だと思うが、とにかく「詰め込み教育」との非難の中で教える内容を薄くし始めた改定である。

だが現場の教師としてみれば、そうは言ってもつい癖で教科書に載っていない内容まで教えたり、試験に出したりする。そうなると生意気盛りの高校生はきまって教室内でのブーイング。それに対する教師たちの苦し紛れの弁解が上のセリフだったのである。

まあ、これくらいはっきりしている過渡期というものは珍しいと思うが、過渡期の風景というものは、その時は全くそう感じず、後になってあの時はそうだったのか、と思うのが普通である。

もっとも教育プログラムだけではないかもしれない。僕の高校1年からの10年間、昭和57年から平成5年はまさに時代の変わり目、途中バブルという空間とその後の奇妙な凪のような時代も挟んで過渡期にいることを感じさせる世相の風景が多かった。
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ところで鉄道の世界にも過渡期の車輌というのが存在する。木造車輌と鋼製車輌、そして今はSUS製車輌と変わってきたが、木造と鋼製のあいだに短いあいだ存在したのが半鋼製車輌。躯体は鋼材で作られているが、室内の造作は木造という車輌である。

この路面電車もそのタイプ。と言うより調べてみると半鋼製で4輪ボギーの路面電車はこの一派が本邦初登場(昭和2年新造当時は名古屋市電の車輌だが)だったそうである。

確かに言われてみれば、ずんぐりむっくりタイプが多い近代型路面電車の中で、この車輌は昔日の木造車輌、特に地域は違うが都電の4000系列の面影を感じさせる細面、木造車輌の感覚で鋼製車輌を設計した感が強い。乗車はしていないので車内はわからないが当然ながらドアの内張りや窓枠は木製であろう。鋼製とちがい簡単に傷がついてしまう木造車輌の維持は工学的な能力よりも工芸品を扱う能力を求められていたにちがいない。しかしそれらが多数派ならともかく、少数になってくるとその苦労や経営的な負担もかなりのもになっていたのではないか。それを考えると鉄道線も含め豊橋鉄道の経営陣は車社会の三河の中で相当な愛情をもって鉄道の維持に努めていた、そんな風に思えるのである。

ともあれ、このような骨董的な車輌を普通に維持することができた時代。それもまた昭和〜平成過渡期の一断面である。


by michikusajinsei | 2016-12-01 07:19 | 豊橋鉄道 | Comments(0)