昭和61年 貴志川線(その6)

a0322896_08304851.jpg














「早起き三本の得」「ギラは寝て待て」

いささか品のない表現だが、僕が学生の頃に鉄道写真を撮っていた人たちの間で膾炙していた言葉である。デジタルになって、ほぼ無制限に写真の枚数を写せる現在ではこのようなユーモアも通じないだろうけど、そうはいってもやはり写真に向いた季節や時間というものは変わらない。

存在自体、抽象度の高いモノクロ写真と違ってカラー写真は基本的には事実そのものを映し出すのが特徴である。でもフィルムの性質や露光時間、そしてもちろん光の加減により、時に思わぬ表情を印画紙に定着してくれる。特に夏の光の力強さは朝そして夕刻、被写体に様々な形で輝きを与えてくれた。この写真もそんな1枚である。

「光の花道」

どうってことない日常を一瞬きらめかせる光の魔術の中、誰もいないホームで表舞台への出番を待つかのごとく車齢50年の古豪は静かに発車を待っていた。




by michikusajinsei | 2016-08-31 06:51 | 南海電鉄 | Comments(6)

昭和61年 貴志川線(その4)

a0322896_23565466.jpg









































貴志川線で写真を撮っている時には気がつかなかったが、前面に幌がついている番号とそうでない番号があるようだ。

今の車輌は前面がフラッシュサーフェースだから貫通可能でも幌がむき出しになっていることはないが、昭和の電車は国私鉄問わずこの幌付きが魅力的なものが多い。あの平凡なスカ線や湘南の113系でさえも幌が付いているだけで精悍さを感じたものである。

この1202番も同様、走っている路線はいたってのどかな路線であるし、2輌という小さな編成単位なのだがこの幌の影響で本線を疾走するイメージが湧いてくる。

a0322896_23562527.jpg










































対してこちらの幌なし正面、こちらは幌なしというより下部のエプロン状になった連結器周辺の覆い板が私鉄、特に西日本の私鉄の特徴のように思っていて同じ日本国内で、ほぼ同じ車体寸法で製造されているはずなのに、そこに異国の香りというかエキゾチックな雰囲気が立ちのぼっているように関東育ちの身には感じられた。

a0322896_23563295.jpg










































また、これも今回気が付いたことだが行き先表示板がよく見ると、和歌山と貴志が左右逆に書かれているものが存在している。

なんてことはないが、マニュアル通りにことを行わなかったり、あるいは些細な間違えがあったりすると血相変えて怒る人が溢れかえる昨今と比べ、なんとものんびりした運営がなされていたものだと感心してしまう。

「いい加減」

時と場合により言葉の意味がまったく正反対に変化してしまう日本語の代表例だが「この頃の南海貴志川線って、いい加減な運営度合いでいい加減に走っている路線だよ。」ともし書いたとしたら、それを読んだ人は各々どう感じるだろうか。

ゆとりを持った運営でのんびりとした速度で走っている電車ですね、ととるか、それとも行き先案内一つ統一できずタラタラした速度で走っている電車だよ、ととるか。

そこに出てくる感じ方の差異が、案外、その人たちの間で越えられない性格上の溝を浮かび上がらせているのかもしれない。いやそういった個人差を越えて、実際にこの電車が走っていた昭和という時代と平成も30年近く経った現在との感覚の差なのかもしれない。

by michikusajinsei | 2016-08-23 22:37 | 南海電鉄 | Comments(0)

昭和61年 貴志川線(その3)

a0322896_23580048.jpg















美しき戦前派関西電車の並び、今となっては二度と還えらない風景、これに自分が間に合ったのはただ、ただ幸運という言葉しかない。

by michikusajinsei | 2016-08-22 00:10 | 南海電鉄 | Comments(0)

昭和61年 貴志川線(その2)

a0322896_08291540.jpg














南海電車に限らないが、旧型車輌にはあまり明度の高い塗装は似合わないと思う。例えば、野上電鉄。あの明るいクリーム&レッドは旧阪神に似合っていたかというと微妙で少なくとも阪神間を疾駆しているイメージはあの塗装からは湧いてこない。これは逆も真なりで新性能以降の電車には逆に明るい塗装が似合う。京王帝都の5000系がその前のグリーン一色塗装で装おわれていたら、かなりイメージが異なっていたのではないだろうか。

些か雑駁な分け方ではあるがその視点から見ると、この貴志川線の2色塗りわけは緑と青灰色というあまり明度の高くない組み合わせが車体の凹凸を浮かび上がらせかつ上品さを保っている、そんな風に感じられたのである。

ややもすると戦前製の電車が単色から塗り分け塗装に更新されると落ち着いた感じを失い妙な軽さを感じてしまうのだが、この南海電車の場合はそういった弊を免れむしろ戦前製電車の持つ重厚感が程よく中和され塗り分け更新塗装の中では数少ない成功例のように思うのだ。


by michikusajinsei | 2016-08-20 00:24 | 南海電鉄 | Comments(0)

昭和61年 貴志川線(その1)

a0322896_06493585.jpg















昭和60年代の当時としても和歌山県下を走っていた私鉄各線の古豪健在ぶりは際立っていた。それはまるで営利企業ではなく保存鉄道の世界と言っても過言でないくらいビンテージ車輌がゴロゴロしていて、そしてその最右翼は言わずもがな野上電鉄であるが、並び立つ存在といえば、この南海貴志川線、1200形であった。

と書いてはみたが白状すると、実は訪問した当時、この車輌どころか南海電鉄貴志川線そのものを知らなかったのが本当のところである。

だから和歌山の駅について初めてこの1200形をみたとき、明らかに戦前型の外観をした車輌が視界に入ってきて嬉しい不意打ちともいうべき軽い興奮状態に陥ったことを今でも覚えている。

a0322896_07131901.jpg
















そして、その興奮をもたらしたその理由は今にして思えば塗装にあった。

ステンレス全盛の昨今と違い、当時の私鉄各社は文字通りコーポレートカラーを表すものとして車体の塗色を大事にしていたが、正直、南海電鉄のグリーン濃淡塗装は本線筋の車輌だと地味さを強調されてしまいアピールすべきCIが塗装によって逆に損なっているように思っていた。

ところがその塗装がこの1200形を装うと実にすっきりして、当時残っていた他の戦前派車輌には見られないスマートささえ感じられたのである。
a0322896_07135534.jpg
















旧型車輌、特にリベットの多いゴツゴツした車輌はなかなか塗装が難しい。ことに明度の高い塗装だとなんていうか「年増の厚化粧」という雰囲気を感じさせてしまうところがある。かといって単色塗りでは仏壇イメージがでてきてなかなか難しい。

そんな固定観念を抱いていた当時の僕にとって、この1200形との出会いはかなり新鮮であった。

by michikusajinsei | 2016-08-16 21:57 | 南海電鉄 | Comments(2)

昭和51年 東海道本線 & 昭和60年 山陰本線

a0322896_10534185.jpg


















昨日は30年来の念願が叶って東映の「大いなる驀進」(昭和35年 関川秀夫)を神保町シアターで見ることができました。

寝台特急「さくら」の東京から長崎までの旅路で起こる出来事を映画化していますし全盛時代の日本国有鐡道(鉄道ではありません!)協力ですから最初から最後まで汽車、汽車、汽車。最も華やかな時代のブルトレ特急を心ゆくまで堪能できました。

主演は中村嘉葎雄と佐久間良子。僕はどうも昔から佐久間良子が苦手なんです。それは彼女の持つむせかえるような女の色気に圧倒されてしまうからなんですが、不思議とこの頃の中村嘉葎雄との共演ではそれがちょうど良い具合に抑えられる。たぶん、それは中村嘉葎雄のやんちゃキャラを前にすると彼女も肩の力が抜けて過剰なオーラというかフェロモンが発散されないからなんじゃないでしょうか。

a0322896_10535900.jpg



















ま、それはともかく我々、鉄道ファンにとってこの映画の主役は彼らではなく20系ブルトレ、就中、ナシ20です。

ブルトレも食堂車も過去のものとなってしまった現在は、それの乗車経験があるだけでも恵まれているかもしれませんが、合理化に次ぐ合理化で余裕が失われていた末期国鉄時代のその姿は正直、あまり憧れを抱くような存在ではありませんでした。なんせ一部の人からは「昔、動くホテル。今、走るドヤ」なんて言われていましたから。

a0322896_23224448.jpg















しかし、この映画に映る全盛時代の20系は伝統ある優等列車の風格を色濃く残し年少の僕らが憧れた往年の客車特急の姿そのものです。個室寝台、プルマン式開放寝台のロネ、三段式のハネに東海道線、あるいは山陽線の線内需要がある程度見込まれたからでしょうかロザ、ハザという座席車もついています。展望車こそないですが、展望室は最後尾のハネに設置されていました。そしてその中で最も光り輝く車輌といえば食堂車、この編成でいえばナシ20、そのように思うのです。

優等客車と言っても、欧州のワゴンリや英米のプルマンに見られるような本当にホテルの一室を車輌に持ち込むようなことをしないのが明治以来、国鉄最末期まで官設鉄道のポリシーだったと思います。マロネ40のような例外もありますが、あれは進駐軍という存在があるが故に登場した車輌ですから思想において官設鉄道の系譜とは異質でしょう。その中で、例外的に様々な意匠を凝らし華やかさの演出が許されていたのは食堂車であった、そのように思います。

30番台の旧型客車も戦前のマシ38、戦後のマシ35は他の座席車がニス塗りの重厚な車内に対し、初期モダニズム感覚の化粧板(だと思います)を使用した明るい内装でまとめられています。さらに言えば毎年兆単位の赤字を出し断末魔のような民営化直前ですらあさかぜの食堂車を改装して優雅さを出そうとしていました。その国鉄思想のある意味頂点にいたのが僕はこのナシ20(とオシ16)、とりわけ日立製のナシ20がそうであったと思うのです。

日立製ナシ20のアルミを使いエッジの効いた装飾は本邦はもちろん同時代諸国の優等列車を見渡してもあれほど斬新なデザインは見当たりません。「もはや戦後ではない」と言われた昭和31年からわずか2年でこのデザイン。もう時代を大きく隔絶している。いや同時代だけでなく遂に国鉄時代にこれを凌ぐ内部デザインの車輌は現れなかったと言っても過言ではないと思います。

もっともこの映画のナシ20は日車製なのでその意味では少し残念ですがカーテン生地のデザインやベージュ色で品良くまとめられた車内造作、それはそれで日立の斬新さとは違う夜行列車にふさわしい寛ぎ感を演出している、そのように言えるかもしれません。

残念ながら僕はそのナシ20に乗ったことはありませんが、その車輌が動いていた時代はかろうじて知っています。実際、冒頭の写真はブレブレですがそれでも特急時代の20系を写真にのこすだけはできました。とはいえ同時代的に僕が親しんだ寝台列車は下の写真の如く20系の後継車輌である14系、24系でしたし、車内の設備も当然ながら新しい彼らの方が快適だったと思います。

a0322896_23214835.jpg















しかし今から振り返っても横浜駅のホームから見た食堂車ナシ20だけはそれらを寄せ付けない気品と華やかさがあった、それはやはり国鉄全盛時代に製造された故の余裕と力強さがあったからではないでしょうか。

ずいぶん肩に力が入って食堂車へのオマージュを綴ってしまいましたが、この映画、機関車もEF58、EF10、C59、C61、そしてC62と戦後幹線を彩る名機が走り回ります。個人的には九州路に入ってから登場する機関車たちの黒光りする美しさに瞠目しました。

正直言って映画作品としてはプログラムピクチャー。しかも平均点以下でしょう。でも我々鉄道ファンの価値観から見ればまた別の話です。映画の中で主人公に「この列車はたった7人で動かしているんだ」って言わせていますが、今から見れば7人も、です。ある意味、自動化されすぎておらずマンーマシンインターフェイスがもっとも調和のとれていた時代の汽車旅を垣間見ることができる鉄道映画の傑作、そう言っても過言ではないと思います。

今週は毎日上映されていますから首都圏在住の方は見に行かれてはいかがでしょうか。

by michikusajinsei | 2016-08-14 10:50 | 寝台列車 | Comments(2)

昭和62年 野上電鉄(その2)

a0322896_22425765.jpg














写真の本分が記録だとするとモノクロよりもカラーの方が良いに決まっている。

というかデジタル写真が標準となった21世紀、そんな前提の立て方自体が時代錯誤であるとは判っている。でもいま、自分の若き日の写真をスキャンしていると、当時はお金がなくて仕方なくという気分で撮っていたモノクロの写真の質感に今更ながら感心してしまうことが多い。

自画自賛じゃないかと揶揄されることを承知で言うが、自分で撮った野上電鉄の夏の風景を見ていると、あの紀の国の夏のジリジリとした暑さをカラー以上にモノクロが雄弁に伝えているのではないか、そんな風に思うのだ。

この写真でも葦簀が立てかけている建物は実は新建材で建てられている現代風の建物なのだがモノクロではその真実の姿が白と黒の世界で後退し、夏の日差しに反射する壁面の白さが葦簀の質感をより強調しているように思う。

a0322896_22430203.jpg















しかしなんと言ってもモノクロの真骨頂は陰影深い具象を撮す時である。改札口のサッシが少し残念だが堂々たる入母屋造の木造駅舎と彫刻のような石積みのホーム、彫りの深いプレモダンの旧阪神。そしてモノクロのややハイキーな写り込みがその陰影と夏の日差しを強調している。

日本の夏、そこで感じる日差しの強さや夏を象徴づける蝉時雨の音はそれぞれの地方で少しづつ違うと思う。ただ学生時代に通ったためか、僕にとって紀の国の夏はある意味、地元の神奈川以上に思い出深いものがあるのだ。



by michikusajinsei | 2016-08-12 20:54 | 野上電鉄 | Comments(0)

昭和62年 野上電鉄(その1)

a0322896_23222511.jpg















この卵型の旧阪神に魅せられて3年連続で野上電鉄に通ったが、走行写真も合わせて撮影を堪能したのは最初の時だけである。2年目はこの写真だが走っていなかったし、3年目は日方のホームでこの車輌を眺めていると検修員の方が下回りの整備を始め、これはと色めき立ち、思いもがけぬ走行風景にその日の午後に出会えたが、肝心の撮影時にカメラの電源を入れ忘れ記録に残せなかった。そんな苦い思い出がある。

a0322896_22434049.jpg















それはともかく、この24号は最後は塗装を変えられたようだが廃線時点まで走り今は古巣の阪神に引き取られていると聞く。その意味で天寿を全うした幸せな電車だったと言えるが、この写真をよく見るとジャンパー栓受けは剥ぎ取られステップは折れ曲がり、車体裾は波打っている。前回の美しい姿と比べてなんとも痛々しい。

果たしてこれは何か事故の影響かあるいは解体を前提に作業を始めて中止したのか,あるいは整備作業の一環なのかよくわからないが、とにかくある時期危機的状況にあったことは歴史の一駒としてここに挙げておきたい。

by michikusajinsei | 2016-08-10 07:15 | 野上電鉄 | Comments(0)

昭和61年&63年 野上電鉄(その1)

a0322896_10284494.jpg















野上電鉄には昭和61年から3年連続で訪れている。

最初の年は、特定の車輌を目的としたわけではなった。強いて言えば阪神喫茶店の同類車輌が見られればいいかな程度の気持ちだったし、その阪神小型車輌群はパンタがZパンタに変わっているのを聞いていたので正直、訪問する前から興醒めというか甘く見ていたのが正直な気持ちだった。

所詮、都落ちした電車が無残に改造されてしかも予備車でかろうじて生きているのではないか、そんな風に想像していた。

しかしその想像はあっさりと裏切られた。それはこの車輌の存在である。初めて日方の駅に降り立ってこの24号を見たときの感激は今でも忘れられない。
a0322896_10285071.jpg
































僕はインターアーバンの真髄はモダニズムではなくプレモダンの造形だと信じて疑わないし、そういう意味である意味、モダニズムの持つシャープさに欠け野暮ったいのがインターアーバン電車の味だと思っている。そしてそれを体現していたのが京阪と阪神の初期型だと思うのだが、まさかその生き残りの車輌にこの場所で出会うことになるとは思ってもみなかったからだ。
a0322896_10290166.jpg















よく言われるように阪神電車の持ち味はほっそりした車体ながらまぎれもなく軌道線ではなく鉄道線を感じさせるところの編成を組んだときに感じる美しさにあると思う。

それにたいし、このプレモダン造形の24号はどちらかというと単行かせいぜい2連という単位での運用が最も本領を発揮しているように思えるしまたその姿が最も美しいと思う。その意味で長く過ごしたこの野上の地が存外、水にあっていたのかもしれない。

a0322896_10285373.jpg
































それにしてもこの美しさはどうだろう。リベットの位置とその直線感、また下回りに目を移せば小さなスポーク車輪とそのシルエットの隙間からは陽の光に輝くバラストが目に沁みる。

珠玉としか形容できない光景だった。

by michikusajinsei | 2016-08-07 14:53 | 野上電鉄 | Comments(0)