昭和51年 東戸塚

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もう一つ観た映画は石井輝男監督の「黄線地帯(おうせんちたいと読みます)-イエローライン」(昭和35年、新東宝)です。この映画、実は10年来見る機会をうかがっていたのですがなかなか上映してくれるところがなくて今回ようやく見ることができました。ちなみに黄線とは赤線、青線と同じで色街の警察符牒、なんでも異人相手の私娼街を指すそうですが、本当にそんな言葉が使われていたのかはわかりません。

冒頭、殺し屋の天知茂が東京で請け負った殺しの仕事で依頼主に嵌められ、逃亡と復讐を企ててるところから始まります。

余談ですが殺しの武器は拳銃。昭和中期のドラマではよく使われています。当時は従軍経験のある方がたくさんいたので今よりもそういった火器に馴染みがあったからかもしれません。

その後、舞台を神戸に移して物語は進んでいくのですが、これ以上物語の筋と結末を僕が書いても薄っぺらい紹介になるだけなので割愛。気になる方はネットで探せば色々と出てきます。

そうは言っても気になるのは鉄道です。どんなものが出ていたか。

まずは都電。丸の内の公衆電話ボックスのシーンで窓外に都電が見えます。クリームに赤帯塗装。とこれは良かったのですが神戸の街を徘徊するシーン。道路に架線が見えたので神戸市電の登場を期待していると、なんとまたクリームと赤帯の電車。後で港のシーンもでてくるのですが、ここもよく見ていると横浜市民にはお馴染みの新港埠頭にある赤煉瓦倉庫が度々登場。そうです、神戸が舞台といいながら、ロケは京浜地区で済ましているのです。折角、動いている神戸市電が見られると期待したので、ちょっとガッカリ。でも同時に緑塗色の都電を初めてカラーで見られたので、それと相殺ってとこですか。

それから、もう一つ、天知茂が神戸への逃亡の利用したのが急行銀河。これも夜行列車のはずなのに東京駅への進入シーンは昼間。この翌年に製作会社の新東宝は倒産してしまったので、お金がかけられなかったのかもしれません。

ちなみに、今回の写真は20系時代の銀河、非常に薄いですが、いちおう映画と関連づける写真を選びました。

それはともかく、ことほど左様にリアリティとは程遠い映画ですが、映画鑑賞の醍醐味が非日常的世界への没入だとしたらこれほど魅力的な映画はそうざらにはありません。

by michikusajinsei | 2016-06-28 06:42 | 寝台列車 | Comments(0)

昭和63年 阪急電鉄

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先週も旧作邦画を二つ見てきました。

まずは松林宗恵監督「美貌の都」(昭和32年、宝塚映画)、宝田明と司葉子が主演です。

映画の冒頭、いきなり阪急1200系の正面どアップで登場し、次のシーンは宝塚線の庄内駅改札に集う朝の通勤風景。改札に立つ駅員には小林桂樹。ホームには形式名はわかりませんが、初期型らしいダブルルーフの電車が進入してきます。

いや、もうびっくりしました。映画を見ていて汽車電車が出てくると、それだけで思わず身を乗り出してしまうのですが、予想もつかない登場だとそれが倍加されます。そしてこれは、見終わった後に気がついたのですが、映画の製作が宝塚映画という阪急東宝グループの子会社、つまりこのシーンは阪急電車の宣伝でもあったのですね。特に冒頭の1200系は映画前年の31年登場ですから冒頭の正面どアップはまさにそれそのものでしょう。

映画の筋は、小さな自動車部品下請け工場に勤める工員宝田明と司葉子。貧しいけれど特にそれを不満に思うことなく生きそして付き合っていた二人だが、ひょんなことから金持ちのボンボン、木村功に司が見初められる。最初は紳士的に振る舞われそれに夢中になる司だが、やがて....。

さてストーリーはともかく、この映画もまたプログラムピクチャーならではのスピード感と準主役・脇役の力量でご都合主義の起承転結に結構なリアリティーを与えています。この映画で言えば、浪花千栄子、淡路恵子、清川虹子、或いは環三千世。

僕は明治大正生まれの関西人と残念ながら話をした経験がないのですが、浪花千栄子のセリフを聞いていると往時のネイティブ大阪弁とはこういうかんじだったのか、という独特のリズム感とその間合いにいつも聞き惚れてしまいます。更に水商売が似合いながらも、それに染まり切らない凜とした姿勢が魅力の淡路恵子に生活に疲れた初老の女をやらせたら天下一品の清川虹子の二人。そしてどこか放課後生活の延長上みたいな爽やかさを感じる不良娘役の環三千世が出色。小津映画では置物みたいな役でしたが、ここでは溌剌として可愛らしく、また意地らしい。

しかし何と言ってもこのこの映画は小林桂樹、彼につきます。役柄は宝田明の同郷の先輩で仕事場は阪急の駅員。とにかく親身で誠実で、という彼が生涯を通じて練り上げていった自身のキャラクターそのまんまですが、この兄貴分という設定でそれが最もよく発揮されているように思います。

この映画もそうですが、あまりの美男子でそれが故にか逆にどこかいつも不安定な役柄が多い宝田明に対し、絶対の安心感をもつ兄貴分として小林桂樹が配されたのは映画への感情移入という点で大成功だったと思います。

あ、でもこれももしかしたら阪急電車の宣伝かもしれませんね。こんないい駅員が勤めている阪急電鉄は良い会社っていうことの。
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ちなみに電車は阪急ばかりではありません。映画のラスト近く、司葉子が京都の料理茶屋で運命と対峙するシーンがあるのですが、縁側の向こうには鴨川沿いを走る京阪電車が登場します。ぼんやりしているんで形式名はわかりませんが、モノクロの色味から特急車輌の1700系ではなさそうです。

それから、金持ち木村功邸でのパーティーシーンで、場の雰囲気に馴染めない宝田明が彼の弟に誘われ、子供部屋で三線式のED58(?)がライトを光らせて走らせる場面があります。この時代の鉄道模型と映画では小津安二郎の「麦秋」が有名ですが、こちらはプロレタリアな工員の宝田明に金持ち小学生のオモチャの修理をさせるというよりブルジョア感を高める演出に使われていました。

ともあれ、色々と書いてきましたが、鉄道ファン的には昭和30年代の動いている阪急電車を堪能できる作品でありました。

by michikusajinsei | 2016-06-25 22:48 | 阪急電鉄 | Comments(4)

昭和61年 富山地方鉄道

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このブログはexblogを使用して更新しているが、見ての通り画面上にページビューカウンターはない。いや、もしかしたら別の契約にすればついているのかもしれ無いが、とにかくご覧になった方の累計を記録しているカウンターはないのである。
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ただ似たような機能として管理者ページにPCからのアクセスカウンターのみ記録してくれるサービスがある。このカウンターはなんでも同日に複数回、同じ人がアクセスしても一回と数えるとのことで、そういう意味ではネットの訪問者数に近いのかもしれない。
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そして、その記録によると一昨日の深夜に一万人の大台を超えたようである。ブログを開設したのは一昨年の12月だから約1年半。ようやく大台に乗ったことになる。

もっともexblogはPCとスマホ・タブレット・通常携帯とそれぞれ別々に訪問者数をカウントしており、累計を表示しているのはPCだけなのでデバイスを問わずこのブログを訪問していただいた方の数を集計すれば大台越えは数ヶ月前まで遡れるかもしれないが、なにはともあれ大台突破の数字を確認した時、久しぶりに心の底から嬉しい気分が湧き上がってきた。

好き勝手なことを書いているだけのブログであるが、それでも見ていただける方がいることは生きていく上で、ある意味支えになるし、さらにコメントをいただける時などはその日の気分のありようが全然違う。自己満足と言われればそれまでだが、このブログを開設して良かったなあ、と本当に思っている。
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そういうわけで記念すべき回はやはりその数字の車輌をもっていきたかった。そして自分のライブラリーにある10000台の車輌といえば富山地鉄。そのなかでもキリ番にふさわしいのはこのモテ10001。これしかないと9900を超えたくらいから考えていた。
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この車輌、両運だが、それぞれ精悍な貫通路付きの正面とやや丸みを帯びた半流線型の正面というまったく違う表情を持ちさらにカニの目玉のような2つの前照灯を屋根上に構えている。更に側面の大きな両開扉。それとは対照的な狭窓が残る客室窓。パンタも2丁だ。

昭和初期から中期にかけての旧性能車が好きな人に好きなように電車をデザインしていいよって言ってそれを特徴付ける要素をみんな盛り込んだらこうなったって感じである。

普通、そのような総花的なデザインはゴチャゴチャして感心しないのだがこの車輌に関しては思いの外、バランス良くまとまっている。やはりそれはそれぞれの造作に機能としての必然性があるからだろう。この電車に限らないが、昭和期の鉄道車輌は設計者の自己主張ではなく機能面、あるいは当時の技術的な制約面から造形された車輌が多い。そしてその機能を突き詰めて実現した造形にこそ独特の個性と美が宿った、そんな気がするのだ。

「美しきもののみ機能的である」丹下健三の有名な言葉であるが、この電車の写真を選び、そしてこの文章を書いてきてその言葉を思い出した。

駄文や写真の出来への評価はともかくとして、閲覧頂いた延べ1万人の皆様、ありがとうございました。そして今後とも宜しくお願いします。




by michikusajinsei | 2016-06-23 23:49 | 富山地方鉄道 | Comments(2)

昭和58年 東神奈川&東戸塚

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僕の高校時代の鉄道趣味界隈は、去り行くEF58と地方ローカル線が2大潮流。御多分に洩れず、僕もその潮流に乗って日々を送っていた。特にFのゴハチは沿線住民だったこともあって数だけはかなりの写真を撮っている。もっとも今、それらの写真を見返すとさほど珍しいものではなかったためか手堅く撮ろうなんて意識がなく雑な構図やピントが甘い写真が多くて勿体無い。

とはいえ、そんな写真でもあの頃の自分なりに一生懸命考えて何かをフィルムに残したかったんだろう。縦に横に色々と視点を変え、車輌の位置で画面の中に残す情報の選択を行っていた。

特に縦位置は、狭軌車輌の持つ繊細さが強調され気に入った構図だったが、画角が狭いためシャッターチャンスが微妙なところが泣かせどころ。置きピンではなく最後の最後までファインダーの中でピント調節をする習慣だったので、この写真も間に合わず結果としてややピントが甘い。
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また静止画の中でいかに動きを感じさせるかも意識の中にあった。この写真もそう。流し撮りに挑戦している。

結果的に中途半端なところで車体が切れている構図だが、なんとなく今日は出来が悪くても、あの頃の写真を掲載したい気持ちになり登場させた。

当時はそのように思っていなかったがトンネル突入を前にして点灯した大型前照灯の灯りと、台車枠からチラッと見える先輪の輝きが今の車輌にない視覚的なダイナミックさを与えているように感じる。


by michikusajinsei | 2016-06-22 00:23 | 国鉄 荷物列車 | Comments(0)

昭和60年 五反田

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三本目の映画は「事件記者 拳銃貸します」昭和37年の日活映画です。快作ですね。

白タク稼業が摘発され組への上納金が払えず困ったチンピラ二人。彼らが屋台のおでんやでクダを巻いていると、そこの女将がおもむろに拳銃を差し出し、これを1日1万円で貸すから稼いできな、と。

隣で酔いつぶれて寝ている客を見て躊躇する二人。「この人は起きやしないよ、さ、どうする。」女将の気迫に圧されて拳銃を受け取り質屋強盗を企てる2人が夜の街に消えていく....。

その夜の街の舞台が、池上線五反田駅のガード下でした。映画の中でも2色塗り、TKK時代の3450が登場します。

五反田というのはなかなか趣のある街です。堂々としたオフィス街であり、近くに女子大もあります。また駅を貫く大きな桜田通は車の往来が激しくある意味、とても活気がある街です。

でも特徴つけているものはそんなものではないでしょう。五反田にいったよってと言うと首都圏在住者は、ふっとにやけますね。まあ男の歓楽街で有名なところですから。そしてその存在が五反田に街としての陰影を与えているのは間違いないです。

僕はこの映画が製作された昭和37年の五反田の情景は知りません。しかしモノクロの画面にうつる五反田のネオンや3階高架に進入する車内の明りが眩しい池上線。モータリーゼーション到来前なのにひっきりなしに走る去る車の光跡。そういった夜を夜と感じさせない光の乱舞に高度経済成長最初期の活気が映し出され、しかし、同じ街のガード下では訳ありの人間たちがひっそりと闇の稼業に手を染める世界が展開する。

もちろん新宿も渋谷も光と闇という点では同じです。ただこれらの街に屋台のおでんやは似合わない。やはりこれは五反田という街でしか描き得ない映画ではなかったか、そんな感想を持ちました。

しかし、それよりも印象的だったのはこの映画の夫婦役、山田禅二と新井麗子。この二人が絶品でした。彼らのことは全く知らなかったのですが、山田禅二の昨今の俳優に見られない悪役顔は、もう面構えという単語がこれほどふさわしい俳優滅多にいません。女将&女房の新井麗子は、女ひとりで屋台を商う女将の気迫と女房および母親の切なさや隠れた色気を全身から発散させています。

1時間余りのプログラムピクチャーですが、ドラマと情景、そして俳優のアクションが見事に融合していて、プログラムピクチャーでありながらこれほどの快作を作成した撮影所の力量に唸らざるを得ません。そしてそれを支えたのが、この映画の監督である山崎徳次郎や上の山田禅二や新井麗子といった俳優を筆頭とした個性豊かな人材でしょう。

そういった意味で撮影所のシステムが機能していた最後の時代の日本映画社会の実力が存分に発揮され、そこにあった職人芸の豊かさを存分に味わえる作品だと思います。

by michikusajinsei | 2016-06-18 09:56 | 国鉄 近郊型電車 | Comments(2)

昭和63年 梅小路(その4)

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別の日に見た映画「旅路」これは鉄道員が主役の映画でした。

この作品、僕は知りませんでしたが、NHKの朝ドラが先に放映され、話が続いている途中にこの映画が製作され競作となったそうです。

舞台は大正から昭和一桁の北海道は函館本線の塩谷駅に勤務する駅員夫婦の物語。仲代達矢と佐久間良子の主演です。

まあ、ストーリーは朝ドラという言葉でイメージされる夫婦情愛ものの王道。黒澤明に出ていない時の仲代によくあるボーっとした無表情男と美しさ絶頂期の佐久間良子の全然夫婦に見えない演技のイマイチさというかぎこちなさが印象に残るくらいで特筆すべきものはありません。

なので冒頭に俳優名よりもいきなり協力、日本国有鉄道と出てきますからストーリーよりも縦横無尽に登場する蒸気機関車の動きを堪能していました。
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今、昭和の頃を舞台にしたドラマで鉄道風景がでてくると、車輌も施設も場違いなものが登場することが多くて感興を削がれますが、この映画はそんなことはありません。映画の製作された年代と舞台になった年代に約40年の違いがありますが、何と言っても物持ちのよい、また赤字にはなっておりましたが後年と比べればまだまだ活力がある頃の国鉄が後援しているのですから伊達ではありません。

例えば函館本線だからといってその頃に走っているはずもないC62やD51を出すようなことはせず、もうキューロク、キューロク、9600型のオンパレード。旅客に貨物に大活躍。客車だって、狭窓にモニタ屋根が美しいスハ32系です。

主人公は最初駅員で途中から車掌に転ずるのですが、ロケされている駅の風景もサッシなどない燻んだ木造駅舎の外観はもちろん往時の風景そのままですし、セットと思われる駅舎内部もタブレットが普通に使われていた時代ですからタブレットの玉を取り出す機械など本物感に満ちています。

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もちろん、それが舞台の年代と場所に完全にあっているかと言えばそうでないでしょうが、それでも嘘ではない本物の雰囲気に満ちている、そんな言葉がふさわしい映画の中の鉄道風景でした。



by michikusajinsei | 2016-06-15 23:18 | 国鉄蒸気 | Comments(0)

平成21年 鶯谷

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少し前に書いたことがありますが、社交の都合で趣味を聞かれた時はサッカーと答えることにしています。無難ですからね。そういう儀礼的な関係ではなく少し親しい人になると、古い日本映画を見ることというのが加わります。

とはいえ、その趣味はここ10年ばかりはご無沙汰でした。大きな理由はホームにしていた名画座が閉館したからですが、この6年はシンガポール暮らしだったことも加わります。

しかしそのシンガポール暮らしも終わったので、日本で別の楽しみを見つけなきゃってことで復活。復活第一号はなぜか今まで一回も見たことがなかった赤木圭一郎の映画で「拳銃無頼帖 電光石火の男」、つづいて千葉真一「陸軍諜報33」。今週なんか3つも見に行ったのですが、この3つ、どれも鉄道が印象的に登場しています。どんな映画かというと...

「7人の刑事 終着駅の女」
これはもう大傑作ですね。あまりに感動したので号外と称してこのブログでも書きました。それを繰り返してもしょうがないので、別の感想というと東京という都市は東北地方に支えられていたんだなあ、ということでしょうか。東京にはむろん全国から人は集まってきたのでしょうけれど、転勤ではなくて学校を出て親元を離れて見習いから働く職場というと東北あるいは上信越地方からの方々が圧倒的に多かったのですね。そしてその方々が東京という街の生活を生産の面でも消費の面でも支えていた。こんなことは昔から言われていたことですが、この映画を見て改めてそれを思いました。

そしてその象徴として上野駅を舞台にし、悲劇と同時にさまざまな訛りの多重録音や溢れるような人の流れを画面に焼き付け圧倒的な活力を生み出したのがこの映画の醍醐味だと思います。物語の主役は人ですが、駅そのものが主役と言っても過言でないくらいこの映画における上野駅の存在感は強烈です。

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むかし、上司に地方から出てきた男が一軒家を構えるのは、自分の地元と東京を結ぶ沿線が多いと言われたことがあります。実はJR東日本への不満として、僕の地元である神奈川県内の鉄道施設に投資をしないというのがあったのですが、この映画を見ていてそれも当然だなって思いました。やはりJR東日本にとって鉄路の向こうの故郷は東北あるいは上信越、西下する方向ではない。だから自然と故郷の方角に視線が向かうのでしょう。故郷に錦は飾らないまでも故郷へとつながる道は発展させていきたいという心情でしょうか。JR東日本の投資は純粋に資本の論理だけではなくこんな心情が隠されているのではないか、そんな想像をしてしまいました。

ちなみにこの映画は封切当時は東京公開がなかったそうで長い間存在が知られておらず、数年前に発掘され大きな評判になったそうです。そういう映画なのでまた時期をおいてどこかで公開されるでしょうから、その時にまた見てみたいですね。

by michikusajinsei | 2016-06-12 00:08 | 東北 | Comments(4)

昭和62年 高野線(その3)

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蒸気機関車には間に合わなかったが、初期高性能電車は充分味わえた世代。
自分の青春時代を鉄道車輌の活躍した時代相に合わせてみるとそんな風に言えるのかもしれない。

国鉄で言えば101、103系は空気のような存在だったし、地元の私鉄で言えば京急600や1000はもちろんその全盛期をよく知っている。また東急は青蛙がまだ東横線を走っていた。そして覚えている限り人生最初の旅行は祖母と乗った小田急NSEロマンスカーである。

これらの車輌が登場したのは例外もあるが昭和30年代、僕が熱心に電車を追いかけていた年代は昭和50年代から60年代にかけてだから登場から四半世紀を過ぎたくらいだったので彼らは廃止の声などかからず日々を淡々としかし精力的に走っていた。

とはいえ、そういった初期高性能車輌でも見る事がかなわかった車輌ももちろんある。自分的に最も残念なのは近鉄の10000系列の新旧ビスタカーを見ていない事。そしてもう一つは、今回の車輌の先代、20000系デラックスズームカーである。

ビスタカーは関東育ちの自分が遠出を許されるようになる前に廃車になっているので諦めがつくが、デラックスズームカーはまだ走っているころに大阪に行っているのにもかかわらず、難波まで足を延ばして見に行かなかった。

興味がなかったわけではないが、はっきり言って油断していた。車齢が30年にも満たない虎の子のエース車輌がそう簡単に廃車になるわけがないと思っていたのである。しかし何よりも関東生まれの高校生には関西旅行に行くことさえ贅沢。玄関口の梅田でさえ大冒険である。同じ市内とはいえ距離的にはともかく心理的にも小遣いの配分でも難波は遠かったのも事実である。
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だから、この新しい「こうや」が登場した時、ずいぶんと落胆した覚えがある。デラックスズームカーは好悪が分かれるが、戦後鉄道車輌随一ともいうべき大きな曲線で構成された車体と窓、明度が高いが決して軽すぎず適度な落ち着きをもたらしているクリームと赤のダブルトーン塗装。優美さ、華やかさという点では傑作揃いの同時代私鉄ロマンスカーの中でも一頭地を抜く存在だったと思う。しかもちょっとしもぶくれの愛嬌のある顔立ちがツンデレ感を微妙に刺激し、それはそれで日本最古の私鉄と言う誇りと堺や岸和田といった活力溢れる庶民の街を沿線にもつ南海らしい気がしていた。

願わくば、規模では阪急梅田に譲るが、造作の素晴らしさでは勝るとも劣らないと言われた南海難波の旧ドーム駅時代に止まっている姿をぜひ見たかったものである。

それに比べると、この30000系こうや号は申し訳ないがずいぶんと格落ち感を覚えたものである。

ただ、それは先代車輌が余りにも良かったためにもしかしたら貧乏籤をひかされた気味があったのかもしれない。そういう車輌の系譜的な先入観を排して見てみると、この車輌の持ち味はある意味先代を超えたガラスの魔術ともいうべきその構成に特徴があるように思える。気持ちの良い開放的な曲面の全面と17mという短い車輌長を感じさせない絶妙な寸法の側面。優美であるがシャープさに欠ける先代と比べると程よい直線が先代にないスマートさを感じる。

些か才気走り前衛感がある先代と比べると保守的に見えて一見の存在感はかなわないが、上手に先代の持つ特徴を活かしながら破綻なくまとめあげた車輌。燻し銀の香りを持つ車輌といえば褒めすぎだろうか。

by michikusajinsei | 2016-06-08 06:53 | 南海電鉄 | Comments(2)

映画紹介(号外)

渋谷にあるシネマヴェーラと言う映画館で今週の水曜日と金曜日に「7人の刑事 終着駅の女」と言う作品(昭和40年 日活)が上映されます。

http://www.cinemavera.com/schedule.php

この作品、舞台はほぼ全て当時の上野駅でロケされています。

列車は余り出てきませんが国鉄時代最盛期の人波が溢れる上野駅とその周辺風景がロケでしか持ち得ない圧倒的な迫力でフィルムに残されており、ストーリーとしても高度経済成長期の溢れるような活気とその裏側に存在した世界が交錯する場所の象徴として上野駅そのものが背景となっており、そのドラマは見る者を飽きさせません。

映像はモノクロですが、跳ぶようなカメラワークがスピーディーで追うもの追われるもの緊張感・躍動感を表現し、その粒子を残したザラっとした質感が沸騰するようなあの時代特有の汗臭さ、熱気というものを伝えてきます。

ちなみに登場する車輌はEF57、58、DD13の初期型旧塗装。10系客車、また姿は現しませんが、駅の案内放送は「はつかり」の到着を伝えています。この案内放送も今となってはある時代の残された貴重な音源かもしれません。

首都圏在住の方以外は難しいかもしれませんが、ごらんになることを強くお勧めします。

by michikusajinsei | 2016-06-06 12:06 | Comments(0)

昭和62年 南海電鉄 高野線(その2)

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少し前にデジタルと違ってフィルムカメラの頃はフィルムの値段が高く、ワンカット、ワンカットが貴重だったと書いたことがある。だから出来不出来はもちろんあるが、とりあえず撮っておこうと言った漫然とした気持ちで写真を撮ったことはほとんどなくたとえお決まりの構図でも自分なりに考えてシャッターを切っていた。

とはいえ、中にはそうでない写真もある。

この写真がまさにその典型。いったいこの時の自分は何を撮そうとしていたのか、まるでわからない。車輌の大きさも中途半端だし、第一、この状態で車輌を撮りたかったらホームの先端まで行っていただろう。かと言って何か情景や資料的価値を考えて撮ったにしては今度は情報量が少なすぎる。全く30年前の自分に向かって「いったいお前は何を撮りたかったんだ?」と問い詰めたくなるような歯がゆい写真である。

とはいえ、そういった気持ちを離れてこの写真を見ていると整備が行き届き輝くような線路、それに様々な標識やら信号やらが写り込んでいて、それはそれで興味深い。そのひとつひとつの意味は暗号のようで僕にはわからないが全て安全を担保するために必要なんだろう。もちろん鉄道に限らず全ての交通機関は同じように標識と信号およびそれを支えるIT技術を備えているが、それらが同じ企業体で構成されることは殆どない。それを考えると鉄道というインフラ企業のシステム面での総合性と負担の大きさを垣間見る思いだ。

と真面目くさって書いたが、実はこの写真を再見して最初に気づき興を覚えたことはそんなことではない。左側ホーム先端部にある建物とその横にある筒。駅便と臭気抜きポールである。

この水洗化以前のご不浄にあった臭気抜きのポールは今となっては絶無と思われる設備である(だいたい役に立っていたのだろうか)。まあそれが写っていたからといって感激する人などいないだろうが、それでもこういった写真を見るとジャパン・アズ・ナンバーワンと書かれ世界の全てを買い占めるような勢いだったバブル景気当時の日本でもまだまだ基礎的なインフラ部分で前近代的なものがあったことが思い出させるし、同時にそれを維持する人なり産業があったこともこの歳になると分かってくる。駅のご不浄ひとつとっても大袈裟な言い方になるかもしれないが、この30年間の社会構造の大きな変化を見る思いである。
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さて個人で好き勝手なことを書いているブログとはいえ駅便からみたインチキ社会学で終わるのはやはり憚れるので、同じ駅で撮った車輌写真を一枚。この電車は通勤型なのであろうが2扉しかない。ラッシュ時の乗降は難渋していたのだろうと思うが、純粋にフォルムだけで見るとドア間の窓のサイズや四隅の丸みにそこはかとない優雅なセンスが感じられ通勤電車という範疇に収まらない風格を感じる。

by michikusajinsei | 2016-06-04 09:02 | 南海電鉄 | Comments(0)