昭和62年 池北線

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北海道らしい景色というとまずは広大な大地が思い浮かぶが、なかなかどうしてこのような風景もある。

ハエたたきと言われた電柱が立ち並ぶ中を進むキハ22。そして背後に高すぎず低すぎずちょうど人の視界を遮る程度の山並み。

若い人から見れば十把一絡げの昭和の風景かもしれないが、戦後も40年過ぎた時代にその場にいた若者としては、確実にその当時の現代ではなくひと昔以上前を想起させる風景だった。
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この写真を撮ったところは池北線である。

正直なところ、この池北線はなんとしても行きたいと思って訪れたところではない。ただ、あまり写真発表の無いところだからどんなところか判らないのでとにかく行ってみようかという気持ち、あと沿線の弟子屈町(コメントでシグ鉄様からご指摘を受けましたが、弟子屈町は釧網本線でした。恥ずかしいミスですがこのカッコ書きで訂正のお詫びとさせていただきます)は大横綱大鵬の出身地だから、そこはどんなところか見てみたいという気持ちだったか、とにかく予備知識ゼロ(これは別に池北線に限らないが)で出かけた。
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この地域に関係のある方には申し訳ないが、池北線は僕が経験した中でも非常に使いづらかった印象がある。とにかく列車本数が少なくて乗りつぶしならともかく、写真撮影となると一往復とるのに半日がかり、また絶景区間があるわけでもないので好き好んで撮りにいくところではなかった。だからこの線で撮った写真はとても少ない。にもかかわらず写真の出来はともかくとして、この線で撮った写真は自分にとって忘れ難い写真なのだ。

こう言っては身も蓋もないが、他の写真はこのスキャン作業を始めるまで忘れていたカットも多い。しかし、この池北線の写真は違う。池北線と聞くと自分の中で鮮やかにこれらの写真を撮っていることが思い出せるのである。

とりわけ、この鉄橋を渡るキハ22は30年経った今でも、構えたカメラのファインダーの中でシャッターを押した瞬間まで思い出せるくらい印象に残っている。

なぜだろうか。
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自画自讃ということではなくて、池北線の写真をみて思うのは水墨画の世界、とても東洋的な世界観の光景が広がっているように思う。

これらの写真はモノクロだから当然と言えばそうだが、現実の風景もそんな感じだった。これが初夏になると萌えるような緑が広がるのだろうけど、冬のこの線沿線は枯れた木々の間を縫って進んで行く、そんな思い出がある。そういった景色の中では旧世代ではあるがキハ22のしかも不人気だが単色塗装がとても似合っていた。

考えてみればキハの20番代くらい、動力近代化計画以後の車輌において単行が絵になるものはない。地味過ぎず派手過ぎず、しかし枯淡な風景の中で紅一点、密やかな存在感を放っている。

ある意味、キハ22にとっての池北線はその長い脇役人生の中で、数少ない主役として光り輝くことができた路線だったのではないか、30年という歳月が過ぎそんな風にも思えるのである。





 

by michikusajinsei | 2016-03-31 20:05 | 北海道 | Comments(2)

平成28年 清華楼

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この数日でだいぶ暖かくなりましたが、これを食べたのは先週、まだまだ夜風が強くてあったかいものが食べたいなあと思って歩いていた晩のことです。量としてはごはん、でも暖かいものの方がもっと欲しい、そう思っていました。

「道草人生、暑い国からの帰国直後ってさ、日本の気温が寒くても全然気にならないの。寒くたって半袖でも大丈夫な感じなんだよ。でもさ、これが2週間くらいたったら急にしびれるような寒さに感じられるから。結構、強烈だよ。」シンガポールから戻った直後、先に帰国していた同僚からそう言われました。

本当です。見に沁みる寒さと言うのを久しぶりに味わってます。実は昔はそれほど食べていなかったラーメンをしょっちゅう食べているのはそんな理由もあったのです。

とにかく暖かいもの、そして腹持ちがよいものとなるとなにか。

餡かけですね。

神奈川ではお馴染みのサンマーメン。これを期待して中華料理屋に入りました。

ところがメニューにない。がっかりしてもう一度見直すと「五目餡かけラーメン」とあったのでホッとして注文。そしてあらためてメニューを見直すと台湾料理の小皿が沢山ある。どうやらここは台湾料理が主力の店のようでした。

いつもならここでなにか頼むのですが、この日はその気にならず。なんて言いましたが実はお金が惜しくなったのです。馬鹿ですね。一皿400円前後、それを惜しんでどうしようとしたのか。こういうささやかな冒険のために自分の小遣いってあるのに。

さてそれはともかく、出てきましたのが写真のラーメン。なんか一瞬、違和感があります。

ご存知の方も多いと思いますがサンマーメンを特徴づけるのはもやし。それが全然入ってません。でもだからってどうってことないです。なるほどそれで五目餡かけラーメンか、中華丼の具をラーメンに乗っけたんでしょう。そして味わいはそのものですね、中華丼。麺がまた心持ち太く質感が餡に負けずによく絡みます。またスープが少し酸っぱくてそれが意外に餡かけに調和してました。

いや、満足、満足。お勘定の時のごちそうさまと言う声が我ながら弾んでいたのを覚えてます。

そして同時に宿題が一つできた気がします。今度またこの店でなにか台湾料理の小皿を食べなきゃ。




by michikusajinsei | 2016-03-29 12:07 | 横浜 | Comments(0)

昭和62年 室蘭本線

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沼ノ端は列車密度が高く様々な車輌を見ることができることも立ち寄った理由の一つである。

上の写真は以前、モノクロで掲載したこともある781系の国鉄時代の姿である。床下機器がグレーに塗られているが確かこれはこの頃、北海道だけの特徴で独自性を上品に演出しているように感じられた。
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同じくキハ48であろうか。間にキハ22を挟み全検上がりのなのかとても美しい。キハ48というのは個人的には不思議な印象の車輌で、単行で走ると我が身をもてあますようなところがある。これはキハ22のような20番台の気動車と大きく異なる。

しかしだ、編成を組むと俄然それが力強さを増して見えてくるのだから車輌のデザインとは面白いものだ。これは運転台の高さが大きく影響しているのだろう。急行型と同じ高運転室のキハ48とそうでないキハ22の差で、無意識のうちに高運転台の車輌は急行列車のような編成姿を脳裏にイメージしていたのかもしれない
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沼ノ端に魅せられたのは走る列車だけではない。この朽ち果てた小屋がとても魅力的だったことも大きな理由である。

原野にポツンと朽ちたこの建物だけが建っている姿は、まるでエドワードホッパーの描く世界のようで、枯れ野が広がる原野の色彩と同調し非日常のすがれた美しさを放っていた。
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この小屋はなんであろうか。専用線の車庫?

上の写真は別の年の情景であるが、自分の背の高さとほとんど変わらないような藪をかき分けて接近することは叶わず、ついにこの建物が何のために作られていたのか確認することはできなかったのが今でも心残りである。

by michikusajinsei | 2016-03-27 16:18 | 北海道 | Comments(0)

昭和62年 室蘭本線

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北海道、この言葉を口にするたびに僕は同時に二つの言葉を頭に思い浮かべる。

その言葉「可能性の大地」そして「未完の大器」
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僕は決して開発至上主義者でないが、あの雄大なそして適度に人の手が入った大地の整然とした美しさと対象的に人を寄せ付けない深さの森や人家が朽ち果て原野に戻っている風景をみるたびに厳しい自然環境の中で先人が築き上げて実現した夢と挫折し未だ次の夢が思い描けない溝に思いを馳せ粛然となることがある。

自然だけではない。社会もまたそうである。山田洋次監督の「家族」

高度経済成長末期である昭和45年の日本のある断面を描いた傑作。閉山する九州の炭鉱夫一家が未来への望みを託して北海道の酪農農場に移住する旅を描いたロードムービー。不安と悲しみに彩られた旅路のエピソードがいくつもつらなっていく。ほんの少しだがあの時代を知っている人間として何度も目頭が熱くなるのを抑えられない場面が出てくるが、最後は移住先の中標津で将来への希望を暗示する場面で終わる。

いよいよ明日、北海道に新幹線が上陸する。開通前からJR北海道の運営体制や思ったほどでもない時間短縮効果に対して冷めた声がかなりあるように思う。しかしこの可能性の大地に新幹線がどんな歴史を刻むのか、それはそれで期待し応援したいと思っている。
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とはいえ、ファン的には新幹線よりは在来線である。北海道の開発の歴史、そして産み出されてきたその豊かさを運ぶ大動脈であったのが昭和の鉄路である。

僕は北海道に行きたかったのは、もちろん雄大な風景に憧れてであるが、列車で言えばなお国鉄黄金時代の残り香を感じさせた長大編成からなるディーゼル特急と貨物列車である。とりわけ無骨な外観のDD51が牽引する貨物列車に大いに魅了されていた。
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それほどたくさん北海道を旅したわけではないが行くと必ず立ち寄ったのが、ここ室蘭本線沼ノ端。広漠とした原野に続く長い直線区間に本領発揮とばかり駆け抜けていく列車群はいつ見ても飽きなかった。

今回のDD51はその中で国鉄最晩年の頃の姿である。

by michikusajinsei | 2016-03-25 21:00 | 北海道 | Comments(0)

平成28年 藤棚商店街

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今週の月曜日に、藤棚商店街と言う横浜の古い商店街を歩いて入った喫茶店。お茶と言うよりは小腹が空いていたのでなにか食べたくなって献立を眺める。

入ったときは喫茶店だからパン類かナポリタンかな、って思ったけと目に留まったのは全く別のもの「ドライカレー」

前にいつ食べたか全く思い出せない、だからこそ、なんとなく気になって注文した。

別に味は格別なことはない。カレー粉がまぶされた炒めごはん。でもなぜかホッとする。

作り手も素材も全く自己主張することない。でも決してやっつけ感で作られているわけではない。

手をかければいくらでも進化し味わいも増していく日本の洋食。でも、その味わいの根底には家庭の味、祖母、母の味があるし、それは決して複雑玄妙ではなくて日々の暮らしの中で培われていったものだと思う。何て言うのだろう、そう、素朴さ、かな。

飽きることもないし、逆に食べることに集中することも強いない。また、一般的な食事のエチケットさえ気をつければ、特別なマナーもないし誰もが肩の力を抜いて食事を楽しむことができる。

だからこそ冷凍食品や出来合いのお惣菜、そして高級レストランの料理までそれぞれのおいしさがあるのを感じるのだと思う。

特筆することなど何もないけど、この料理としては素朴の極みのようなドライカレーを食べていて、ふとそんなことを思った。



by michikusajinsei | 2016-03-23 23:16 | 横浜 | Comments(0)

昭和62年 函館駅

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僕が初めて北海道に出かけた時はまだ連絡船があった。すでに旅客需要の主力は航空機に移っていたが、それでも割引運賃が一般的でない当時は飛行機代も高くそういった意味では鉄道にもまだ需要があったと思う。

今でも時折耳にする石川さゆりの大ヒット曲「津軽海峡冬景色」この曲を聴くたびに思い出すが、まさにあの歌の通り北へ向かう人たちはみな言葉が少なく、連絡船の座敷に思い思いに荷物と一緒に座って船の揺れに身を任せていた。正直言って華やかさはなく、長い旅路の疲労感と若干の侘しさが漂う2等の船内はそれはそれである意味、濃い情感を湛えていた。

しかし貨物輸送は別である。今回の北海道新幹線開通でも青函トンネルの貨物輸送における大動脈ぶりが紹介されていたが、それはこの頃も同じである。まだまだ国鉄側にも活気があって、昭和50年代にはいっても貨物専用の新造船が作られていたほどである。

そして青森駅も函館駅も決して広くない構内に、この控車がたくさん駐留し船への貨車の積み込みや引き出しに活躍していた。
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by michikusajinsei | 2016-03-21 15:23 | 北海道 | Comments(2)

昭和60年 石北本線

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北海道に憧れたのはもちろん自分の生まれ育った関東にない情景や車輌に惹かれてであるが、もう一つ蒸気時代、気障な言葉で言えば煙の名残を求めてという意識もあった。

この写真を撮った昭和60年は蒸気が引退してわずか10年しか経っていないが、それでも10年という月日は短いものではなく鉄道をめぐる情景も変化していた。前にも書いたが、蒸気時代の撮影地を参考にしてそこへ訪れても変貌が大きいところが多くがっかりすることも少なくなかった。しかしその点で北海道と山陰は比較的往時の情景や列車単位を残していた。

この貨物列車もそうである。牽引するDE10は趣味的には当時、まったく人気がなかったが僕個人は気に入っていた。シンメトリーでないのに間延びも短小感もなく絶妙なバランスと言えばいいか、そして角度によってスマートに見える時もあれば、荒々しい迫力を感じる時もある。

また重連でかなりの量数の貨物列車を牽引するのも、この写真のようにごく小さな輸送単位でも様になる。主役ではないかもしれないが、どんな情景でも列車にも絵になる車輌。ある意味、国鉄が実現した究極の洗練されたかたちだったのではないか、そんな風にも思える。
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雪の日の撮影、特にリバーサルは難しくうまくいった方が少ない。そういった意味では見事な失敗作だが、それでも今となってはトラにコンテナを積載ししんがりをヨが締めるという貨物列車が、昭和60年代というバウル直前の日本でもまだあった記録としてお目にかける次第である。

by michikusajinsei | 2016-03-16 20:10 | 北海道 | Comments(0)

平成28年 華福飯店

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これはマーラーゴマだれラーメン(汁なし)というような名前で出ていた料理でした。シンガポールで馴染んでからというもの僕はスープではなくタレに絡める麺類というものに目がないんです。

他の料理は写真があるものもあったり、或いは餃子みたいに写真なんかなくたってわかるものでしたがこれは想像もつかないので出てくるのを楽しみにしてました。

あ、余談ですがその前にビールも飲んでいましたが、これが特筆もの、泡がちょうどよい具合にたってしかも消えずに残っているのですね。温度も喉越しもちょうどよく、これだけ上手にビールが注がれるのもなかなかないです。久しぶりにビールを飲んで堪能しました。
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さて、それはともかく主役の麺。でてきたものを見て思わず独り言「これは、旨そうだなあ」すかさず店主が「そうでしょ、これは自信あるよ。うちにくるとこれしか食べないお客さんもいるくらい。まあ食べてみて。」

さっそくかき混ぜて口にれると「ほんとだ、とても旨いねえ」お世辞抜きにそう思い、またそう言いました。

この汁なし麺、それだけだと単調になりかねないゴマの甘さにマーラーのかすかな辛味が微妙な風味を与えています。おもわずワシワシ掻き込んでしまいましたが、同時に余韻を楽しみたくてゆっくりとしたペースにもしたい。食べながらそんな迷いを感じる料理も久しぶりです。

僕は、この料理、たいへん気に入りました。ただもしかしたら麺好きの人には好みが分かれるかもれませんね。大ぶりの具があるわけではないし、また麺も柔らかくてコシがあるわけではありません(僕はそこがこの料理にはあっていると思うのですが)。そういう意味では正統派の麺料理という範疇があるとすればそれには入らない。このお店でも食べてはいませんが普通の汁そばをおいています。横で食べている人の見てもその正統に則って作られています。でも、この麺はそうではない。

ともあれ料理って工夫次第でまったく違う美味しさも引き出せるんだよ、そんな店主の心意気を感じた一杯でした。

by michikusajinsei | 2016-03-14 18:47 | 横浜 | Comments(0)

昭和60年 石北本線

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キハ183への賛歌を綴ってきたが、昭和戦後の北海道鉄路といえばやはり真打ちはこのキハ82系である。

少年時代、時刻表や鉄道雑誌に親しむようになると空想の旅行を果てしなく繰り広げたが、中でも北海道と九州、この二つの大州にはとりわけ熱が入った。もちろんそこへの乗り込みは鉄道である。九州は言うまでもなく東京発のブルートレイン、そして北海道は583系の「青い」「はつかり」そしてそれに接続せて函館を起点に釧路に向かう「おおぞら」と網走行きの「おおとり」それらの特急群は名前の雄大さと共に少年の心に大いなる憧れと旅情を感じさせた。

だからはじめ北海道に行った時に最も楽しみだったのはキハ82系と出会うこと、そして函館駅でその姿をみた時の感動は今でもありありと思い出す。写真も撮らず、ただひたすら先頭から最後尾まで1輌、1輌、確かめて歩いた。函館駅のホームに佇むキハ82。それには当時ですら死語になりかけていたが、長距離優等列車という言葉しかふさわしいとは言えない姿とそれを取り巻く空気があった。

これは、どんなに言葉を尽くしてキハ183へのトリビュートを書いてもキハ183が太刀打ちできない車輌の格だと思うし、またそれはキハ82という車輌が背負った時代の重みが醸し出したものなのかもしれない(キハ82の生涯について思うところはことは少し前に書きました。http://anosyaryo.exblog.jp/21196856/)。

とはいえ、その回にも書いたが、僕の知る時代は晩年なのでだいぶくたびれてはいたのは正直否めない。しかし食堂車を連結し雪原をを疾走するこの車輌の姿はやはり素晴らしく国鉄黄金時代を背負った車輌の風格というものを強く感じさせた。

by michikusajinsei | 2016-03-12 16:38 | 北海道 | Comments(0)