昭和61年 京福電鉄

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旅情を感じる光景、自分の場合それはリアルタイムでない光景である場合が多いように思う。学生の頃、あちこちを旅していて人の情に触れた時や雄大な景色に圧倒されてそれを感じたことはあるが、あまり普通の風景にそれを感じる頃はなかった。と言うより、そういう光景はありふれたつまらないものとしか見ていなかった。

当時の僕は写真撮影の参考に昭和30年代に撮影された写真を参考に場所を決めて訪ねることが多かった。というより昭和30年代の光景に憧れてなんとかそれに近い写真撮影場所を求めていたという方が正しいかもしれない。だから車輌はともかく、なるべく画面にその当時の時代相がわかるようなものが写り込まないように努力していたのである。

浅はかだった。

今、自分がもっとも懐かしく旅情を感じるのは諸先輩が写した30年代の光景をなぞった写真ではなく昭和50年代末葉から60年代にかけての時代がわかる写真である。特に人や広告が写り込んだ写真に強い郷愁を感じる。

ネット上で承諾を得ない人の写真を掲載して良いか。これは確かに写した時間が最近であれば法的な面はともかく(と言うか知らないが)エチケットとしてなるべく避けるべきであろうと思う。しかし逆にある程度の時間が経過した写真はプライバシー侵害ということもないであろうし、何よりもその写真に何気なく写っている人の表情に様々な思いが去来していることを感じることがあってとても興味深い。

今回の写真、ぼやけているが真ん中に写っている女性の表情がなんとも言えず心に響くものがある。話す人がいないであろう車内から何気なくホームに目をやったその時に思っていたのはどんなことであろうか。

また、この写真はまったくの偶然であるが様々な動きを写していた。窓の外を見つめる女性だけではなく、車内業務に携わる車掌、ホームを歩く女性、また人ではないがドア表示灯も赤く点灯している。なにかそれらに特徴があるわけではない。ただ石油ストーブのある待合室や板に書かれた行き先表示を含め、この一枚の写真をみているとあの頃の地方私鉄の情景や人々の表情が自分の頭の中に生き生きと蘇ってくる、そして、その時に自分が抱えていた心の中も。

これらの写真を写していた当時、憧れていた風景は上に書いたとおり昭和30年代の光景である。それは当時から見た30年前の光景だった。そしてまた今から振り返るとこれらの写真に撮されている光景は奇しくもやはり30年前になる。美しいとは思えなかった、あるいはゴミゴミしているだけと感じていた光景がこうも自分の心中を揺さぶるとは。往時茫々とはこのことだろうか。

さて、京福電鉄の写真はこれでおしまいです。拙い写真と文章ですが、当時を知る現場の方のお目に止まってコメントまでいただき大変感激しています。同時に作業中の構内に入って写真を撮る無鉄砲なことを許してくれたことに茲で改めてお礼を申し上げたいと思います。





by michikusajinsei | 2016-02-29 19:08 | 京福電鉄 | Comments(0)

平成28年 常州飯店

僕が育ったところは横浜の今の駅で言えば東戸塚なんですが、両親共稼だったので子どもの頃、というか幼稚園の年中くらいまでは昼間は祖父母の家やら保育園やらをたらいまわしにされていました。区で言えば西区や南区です。また中学から電車通学だったんですが、その頃はまだ東戸塚駅がなかったんで弘明寺駅を使ってました。だから両区とその間の中区で構成される横浜の旧市街にはかなり馴染みがあるんです。

もちろんそんな幼児がのこのこあちこち歩くわけではないですが、祖母達が遊びやら買い物や無尽のお付き合いで子守をかねて連れ出しますからね。ちなみにその頃のバス賃は子供が25円でした。幼児ですが生意気に支払っていたんです。市電やトロリーバスもよく乗りました。記憶では横浜駅の東口に市電、西口にトロリーバス乗り場がありました。

だから日本に戻ってきてからも何かごはんを食べるとなるとついそちらの方面へ足が向いてしまいますね。特に今まで店の前を通りながら入ったことのない店には興味を惹かれます。少し前に書いた華楽なんかそうです。

それで本日のお店は常州飯店。この店は凄いです。
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何が凄いかというとロケーション。横浜橋にある『一番』というお店の隣に僕が覚えている限り20世紀からありますから。

一番というのは、横浜市の旧市街に馴染みのある人にとっては有名な定食屋。味はともかく量と値段のバランスはある意味、横浜最強です。しかも24時間営業なんで僕も若い頃はよく利用してました。

こう言っちゃ失礼だし身も蓋もないですが定食屋に期待されるのは洗練された味付けよりも量やスピード、また活気のある雰囲気でしょう。僕が横浜最強と書いた一番はそれを完璧に実現しています。それに伍して店の個性を訴え維持していく、これは並大抵のことじゃできないと思います。

というわけでかつては一番ばっかりこの辺では利用していたんですが年もとったし違う店でも食べてみたくなってこの店を選んだわけです。それで選んだのが半チャン鳥そば。

常識的なはラーメンの具の華は豚肉ですよね。煮豚、焼豚、百花繚乱。

でもラーメンって麺と汁が主役でしよ。あんまり具が威張ってもしょうがないと思うんです。その点、鳥そばはいいですね。そんな自己主張の強さはないです。でも、しっかりと美味しい時はその美味しさをアピールします。気分的にもちょっとリッチになりますから。だから今回も鳥そば。ついでに半チャン。

注文した後は読みさしの本を読んでました。お客は僕一人、再放送の大河ドラマが流れてます。

暫く集中して本を読んでました。ある章を完読したくらいのタイミングで鳥そばがきました。半チャーハンはまだです。気がつくと10分は優に立ってます。「ラーメンにしちゃ、ずいぶん時間がかかったな」そんなことをぼんやり思いながら、どんぶりに目を落とすと綺麗に白濁したスープ。と言っても脂ギトギトの豚骨ではありません。上品な塩ラーメンてな感じでしょうか、醤油の角を取ったような淡い塩味のスープ。鶏肉も適度に脂身があってスープが鶏肉き絡んでちょうどよいスパイスとなって箸が進みます。いや美味しいですな。半分くらい食べたところでチャーハンがきました。

a0322896_14185815.jpegこのチャーハン、ごはんが油で包まれて輝いています。いや、これは旨そうだ。

レンゲですくってひと口。もう思っていた通りの油の甘みと醤油の塩気、それにごはんの弾力が加わった正調日本の焼き飯でした。

昼定食の半チャーハン、これは時々、ベチャっとして弾力のないご飯に出くわします。おそらく作り置きで電子レンジであっためるのでしょう。それはそれで構いません。上に書いたように量とスピードも大事なサービスです。でもせっかく食べるんなら美味いものを食べたいし、作る方だって出来立てを食べてもらいたいんじやないでしょうか。

このお店の売り物、それは丁寧さではないかと思います。この店で食べてもらうからには美味しかったって思って店をでてもらいたい。そのための手間は惜しまないし出来立てを食べてもらいたい、そんな気持ちでつくっているのではないでしょうか。

常州飯店、いいお店でした。

by michikusajinsei | 2016-02-27 14:17 | 横浜 | Comments(0)

平成22年 新東京国際空港

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6年前のこの日、成田空港からシンガポールへと旅立った。関連会社への出向だったけど、日本人の同僚で知っている人はほとんどいなかったし現地で同僚となるシンガポール人は誰一人知らない。また日本を出る事情も複雑なものがあり随分と心細い気持ちで成田空港の出発ゲートで時間を待っていた記憶がある。

成田空港、僕の人生で少なからず感慨がある場所である。

初めて使ったのは昭和63年、アルバイトで貯めた金を使ってのヨーロッパ旅行、大韓航空である。そして就職してからは海外プロジェクトに関わることが多かったため、何度もこの空港を利用した。

日本全体の勢いというのは昭和の終わりとともに終わった。今振り返れば寂しいけど事実である。そうはいっても平成の初期はそんな雰囲気は全くなくてすこし停滞しているけどまたもとの成長路線が続くように思っていた。海外出張に行けば、日本ブランドの製品は溢れていたし派手な広告もたくさん打たれていた。

そんな中で開業した成田の第二ターミナル。初めての海外勤務を終えてインドネシアから帰ってきた時に目にした時の印象は今も鮮やかである。日航DC10から降り立ちボーディングブリッジを抜けて振り返ると窓の外に群れをなすようにして飛行機が駐機している。第一ターミナルはもちろん他のアジアの空港にないその壮大なスケールに感嘆したものだった。

しかし、時は移るものである。「道草人生、この6年でどんなことが変わったと思う?」たまにそう聞かれる。答えはその時の気持ちや聞かれた人により変わることもあるが目に見えて変わったなと思うのは成田空港の凋落である。a0322896_20024986.jpg













すでにもう6年前は巨大空港が乱立するようになって成田のスケール感はさほど感じなくなっていた。しかし空気はまた別で日本の玄関としての風格が感じられたし、また行き交う人も多様で華やかな雰囲気に溢れていた。

しかし、昨年の11月に所用で帰国した折、久しぶりに成田空港に降り立って感じたのはなんとも言えない寂しさである。とにかく閑散としている。レンタル携帯ショップも土産物屋もとにかく人が少なくて店員は手持ち無沙汰でなんとも言えない弛緩した空気が漂っていた。そして羽田空港の便が年を経るごとに良くなっていく。もう成田に栄光の日は戻ってこないのだろうか。

これらの写真を撮って1年も経たないうちに日本航空は破綻した。そしてその再建の過程で往時の日航国際線の象徴であったジャンボも売られ今はない。何よりも、この後すぐに羽田が国際線の再就航を始め表玄関の地位を奪っていった。

僕は羽田が再国際化してすぐに利用したが、発着案内には、見事に東アジアの各都市が並びしかも頻繁に就航していた。ある意味、アジアからの旅行者、資本が溢れるインバウンド景気と呼ばれる現在をまるで予期していたかのような案内板に瞠目したのである。国内から国外へ、そしてまた国内へ。そいった点からも国際線専門の成田から両者を備える羽田への玄関の交代は必然だったのかもしれない。

成田がもっとも華やかだった時代、それは国内の経済成長に陰りがみえ始めたころと重なる。国内需要の低下と円高は多くの企業に海外拠点の設立や拡大を促した。国内経済・産業の空洞化が声高に叫ばれた時期である。当然ながら多くの企業人が海外へと向かい、その玄関として成田は殷賑を極めた。皮肉なことに、国内の空洞化が進み、投下した資本による周辺部が太くなればなるほど成田空港は輝いたのである。

今は成田国際空港が正式名称だか、その頃の成田の正式名称は新東京国際空港だった。地元の方には失礼だが、東京という名前を掲げていた時が最盛期、偶然としか言いようがないが、成田を正式に名乗るようになってから徐々に輝きを失っていた、そんな印象が拭えないのである。

成田が表玄関として君臨していた20世紀末葉。それは丸々僕の20代から30代の大半、青春後期と重なる。そして今の僕は初老を越え中老と言われる年代になってしまった。学生時代とは別の意味で無我夢中だった時代、それはそれで振り返ると様々な思いがある。今回、あえて題名を新東京国際空港としたのも、感傷と言えばそれまでだがその時代のイコンとしての成田へ愛惜を感じる気分があったからだ。

何気なく撮した写真であるが、往時の空気を伝える、そして撮した当時の自分の心境が蘇ってくる個人的にはとても大事な写真である。




by michikusajinsei | 2016-02-24 21:19 | シンガポール | Comments(2)

昭和61年 京福電鉄

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テキ6。このブログに写真を載せるまでずっとテキではなくデキだと思っていたが、それはともかくこの機関車を見るのが京福電鉄を訪ねた目的だった。

とはいえその頃はそれほど深い関心があったわけではない。変わった機関車がいるんで見てみよう程度の気持ちだったのが正直なところであった。

しかし多少知識がつきまた往時を冷静に振り返れるようになった今の視線でみると自分的には実に貴重な車輌を目にしていたことに気づく。

まず当時は全く意識していなかったが単台車。自分が見た単台車の現役車輌はこれと豊橋鉄道の電動貨車。そして稼働していた姿をみたのはこのテキ6だけである。

そしてこれは、さすがにその当時から意識していたがYゲル。これは見たかった。

思えば日本最後のポールカーが運行していたのは姉妹路線である京福の京都方面。これは残念ながら自分の目で見ることは叶わなかった。

Yゲルはそのポールの香りを僅かななりとも伝える貴重な存在である、そんな思いで訪問したように思う。
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しかし実車をみて、その考え方は浅はかだったのはすぐにわかった。ポールの派生ではなくこのテキ6にはYゲルそのものに美しさが宿っている。

この機関車自体は大正一桁の生まれらしいが、数回前でダルマの姿を紹介した同型のいかにも大正的な曲線に対して、直線で構成され昭和の時代に花開くモダニズムの印象が濃い。その造形にはポールではいささか時代錯誤で似合わないと思うし、逆に今度はその後、世界を席巻する菱形パンタグラフではやや重すぎ、やはりバランスを欠いた外観になったのではないだろうか。

その意味では、Yゲルという選択は外観上では古典的な素朴さを持ちながら軌道から鉄道へと移行する電鉄への時代的要求の流れを具現し、偶然か必然かはともかくとして実に絶妙の構成美をこの機関車に与えた、そんな気がしてならないのである。















by michikusajinsei | 2016-02-21 15:47 | 京福電鉄 | Comments(0)

昭和61年 京福電鉄

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今回京福電鉄の拙い写真をブログに載せて最も嬉しくまた驚いたのは、力也会長さんという往時の福井口車庫でご勤務なされた経験のある方からコメントいただけたことである。

そのお話では、京福時代からの仕事に厳しい職人肌の方々が今も残りえちぜん鉄道を支えているとのこと。残念ながら今のえちぜん鉄道を訪問した経験はないが、写真で見るえちぜん鉄道の車輌は美しく保たれていて、さすが京福電鉄の美風を今に伝えていると思う。

なぜなら今、当時の京福電鉄の写真を見てつくづく思うのは車体の美しさである。当時は国鉄の特急といえども分割民営化直前で職場が荒廃していたからかもしれなが薄汚れた車輌も散見された。その中で白色という汚れが目立つ塗装にもかかわらず、見事に輝いている。
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そしてその輝きは人の手で保たれていた。何回か前のブログに整備されている方の姿が写っているが、機械ではなく人力で車輌を洗っていたのである。

それらの作業は冬の寒い最中、真夏の太陽の下、大変な苦行ではなかったのではないかと思う。できればしたくない仕事だったのではないか。しかし、それに対してきちんとした仕事をすることで自分の責任を果たす。そういった現場の誇りというものがにじみ出ているように思えてならないのだ。

自分も鉄道ではないが現場がある業界に勤めているので、現場の苦しさの一端はわかっているつもりだ。しかし、これらの写真を撮っていた頃は当然ながら全くわかっていなくて、外観の良し悪しばかりに目がいっていた。

馬齢を重ねただけだが、それでも四半世紀、社会に出て働いてきた。その今にして京福電鉄整備人の仕事ぶりに頭がさがる思いがするのである。
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今回は写すタイミングも露出も狂っている拙さに輪をかけた写真であるが往時の京福電鉄整備人の心意気を伝える姿をと思い、あえてアップすることにした。見苦しき点はご了承されたい。


by michikusajinsei | 2016-02-20 15:09 | 京福電鉄 | Comments(0)

昭和61年 京福電鉄

前回、仮台車の写真を掲載したが、あれは現役の仮台車。車庫の裏手に回るともう使用されていない仮台車が放置されていた。

そして、この台車をみたとき、自分は目を疑った。
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松葉スポーク。典雅な名前である。いかにも明治の車輌にふさわしい外観と名前。
曇天の中で雪をかき分けてこの台車に出会った時の印象は今でも鮮やかである。
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当時、珊瑚模型店が古典大系というシリーズで意欲的に明治の車輌を模型化していた。またとれいん誌上では、黒岩保美さんが明治の機関車の素晴らしい水彩画を定期的に発表されていた。2次元と3次元で展開された明治の車輌に当時の自分は大いに魅了されていた。
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しかし当時としても明治という時代は80年前、模型や絵画、写真といったものや博物館の展示は別として生きている鉄道の現場で出会うことなど想像もしていなかった。それが突然、目の前に現れたのである。このときの感激は30年たった今でも昨日のように思い出す。





by michikusajinsei | 2016-02-18 20:36 | 京福電鉄 | Comments(0)

平成28年 横浜 いな田


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この日曜日はとても暖かだったですね。ちょうど時分どきに用を足していたのでお昼ごはんを食べそびれてました。さてどうしましょう。

そのとき、横浜の戸部という地域にいたんですが歩いていていいお店を思いだしました。伊勢町というところにある持ち帰り専門の「いな田」というお寿司屋さんです。

このお店、とにかく味が優しいんです。お酢も塩も砂糖もすべてが淡い味わい。くどさやしつこさとは全く無縁で舌の上を撫でるようにすぎていきます。また営まれているご夫婦の醸し出す雰囲気が何というか春風駘蕩。ある時なんか、店のなかで奥さんがご主人の肩を揉んでいました。そんなお店の寿司を食べる、こんな春先を思わせる陽気にぴったりじゃないですか。

もちろん、帰国後初めてですから6年ぶり。でも雰囲気も味も何にも変わっていません。なんとなくこちらも顔つきが柔和であったようね気がします。

それで食べたのはアサリの佃煮入りのおむすび、定番のお稲荷さん。それから柚子大根があったのでお酒のアテに購入。近くのフジスーパーでお酒を買って掃部山公園で食べていました。寿司屋さんといって寿司を買っていないのはご愛嬌、お許しを。でも、久しぶりに食べるいな田のごはんは、やっぱり優しくて僕にとっては何ともホッとする味。僕は味を表す言葉、美味しい、不味いだけでない、気持ちの良い味という言い方もあると思うんです。このお店の味は正にそうですね。

ある意味、帰国後、一番充実した昼飯だったかもしれない。お酒を飲みながらぼんやりとそんなことを考え日向ぼっこを楽しんだ週末でした。

by michikusajinsei | 2016-02-16 12:28 | 横浜 | Comments(0)

昭和61年 京福電鉄

ちなみに今となっては整備が完了した後か開始前か判然としないがブリル台車だけの姿も写真に収めていた。ただ軸箱の蓋が中途半端に開いているのでおそらく整備前の状態ではないかと思う。
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そしてこれらの台車が整備されている間、車輌は仮台車をはいて整備完了の時を待っているのだが、その整備台車も今見ると味わいがある。仮台車というとそっけない鉄骨組立の文字通り仮の台車だが、物持ちの良い京福は枕ばねこそ抜いているが古い台車そのものを大事に使っていた。
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もちろんこんな状態で自走できないから、ここでテキが登場するわけである。a0322896_20135401.jpg

























by michikusajinsei | 2016-02-15 20:18 | 京福電鉄 | Comments(0)

平成28年 横浜 家系ラーメン

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華楽のところで書きましたが、僕は家系ラーメンに今のところ馴染めてません。やっぱり普通のラーメンやサンマーメン、タンメンの方が美味しいです。どうして何でしょう。コッテリしたものは割と好きなんですがね。

ただ、何店か食べてみて家系ラーメンにはごはんが必須だなあ、と思ったりしてます。

昼時にラーメン食べると、半ライスいる?って聞かれますが断ってます。カロリーオーバーを気にするってこともありますが一緒に食べたって美味しいと思わないからです。これは蕎麦屋でも天丼セットなんかもそうですね。麺とごはんは別物でしょう、やっぱり。

あえてうまいなあって思うのは、カップ麺の天そばで蕎麦だけ先に食べて、かき揚げと汁を残り物の冷えたごはんにかけて食べるときですね。これはうまいと思います。

と何となくこれを書きながら思ったんですが、家系ラーメンって、あれ一杯がごはんのおかずであるものなんではないでしょうか。

酒飲んでりゃ別ですが、おかずばっかり食べていると飽きてしまう。文字通り食傷してしまってごはんかパンがどうしても欲しくなる。特に味が濃いものはそうです。家系ラーメンって正にそんな感じなんです、個人的には。

個性を追求し、どんぶり一杯での美味しさを求めれば求めるほど、おかず化していく、何とまあ逆説的な進化だ、そんなことを感じました。

ちなみに、画面のラーメンはご覧の通り家系ラーメンではありません。特定の店ではなく家系ラーメン全般の感想なのに家系ラーメンの写真をのせて変な誤解を招きたくないためです。これは自宅近くで食べた肉味噌ラーメン。美味しかったですよ。

by michikusajinsei | 2016-02-13 17:59 | 横浜 | Comments(0)

昭和61年 京福電鉄

この日はどうも阪神ジェットカー流れの台車の修繕をしていたようだった。先に台車枠を載せたフラットカーの写真を出したが、車輪は別の場所にあった。車庫の中、別のフラットカーのうえで修繕を待っていたようだった。

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実はこの写真を載せるのにはためらいがあった。なぜなら見てわかる通り車庫に入り込んで撮影しているからである。

もちろん無断ではない。写真を撮っても構わないかと確認を取ってからの撮影である。とはいえ安全講習を受けたわけではないし、ヘルメットや安全靴を装着しての撮影ではない。それに何よりも職場で働いている方に対し、こちらは極楽とんぼを絵に描いたような学生である。何も知らない若造がいい気になって仕事場の撮影をしているわけだから面白かろうはずがなかったのではないか。

言い訳めくが、撮影している最中も遠慮の気持ちはあったし礼を失しない行動を若いなりに気をつけたことを覚えているが、それでも今から見れば暴走と言われても仕方がない行為であり、赤面するほかはない。

それでも恥をしのんでこれらの写真を公開する気になったのは、時折ありがたいコメントをいただくシグ鉄殿のブログで、この車庫が今となっては綺麗さっぱり影も形もなくなったことを知ったからである。
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自分も経験あるがかつて働いていた部署や職場が無くなってしまうのというのは切ないものだ。自分はこの写真を撮影した数年後にある会社に入り、幸いそれは今でも変わらないが、入社した時の配属先は不要な存在としてその数年後に取り潰されたし、若き日に働いた社屋も数年前に移転して壊されてしまい今はもうない。

無常といえばそれまでだが、やはり何か寂寥感を感じることはある。たとえ同じ社内の人間と話していても、初任部署が残っている、いないで感覚が微妙に違う。そして、そんな感傷を慰藉するのは年に数回、当時の先輩や同僚との飲み会だし、その席でお約束のように毎度、若き日の失敗談を披露される自分がいる。そう記憶には残っている。しかし、その頃、自分達が働いていた姿の写真など一枚もない。記録はないのだ。

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これらの写真は写した時は当然ながら車両が目当てであった。しかし偶然ながらこの車庫で働いている方の姿を撮していた。そしてまた普通の人は一般に自分の働いている姿など滅多に写真に撮られないし、そういった意味では自分が真剣に仕事に打ち込んでる姿を家族にみせる機会もあまりない。

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非常に可能性は低いが、このブログが当時、この車庫で整備に当たっていた方の目に止まり、責任と誇りを持って働いていた当時を思い出していただけたらと思い掲載することにしたのである。



by michikusajinsei | 2016-02-11 17:29 | 京福電鉄 | Comments(2)