昭和63年 豊橋鉄道軌道線(その4)

a0322896_17574499.jpg































中京地区で昭和末期に路面電車が走っていたのは豊橋と岐阜の二つの都市だが、その後、岐阜が平成になって廃止になるとは思いもよらなかった。

特に二つの都市を比較してということではないが、ほぼ中心地限定で走っている豊橋に対して、岐阜は郊外に直通もしていてより鉄道の特性が活かせる路線だと思っていたからである。

ただそれは鉄道偏愛者の視点なのかもしれない。度々、ありがたいコメントをいただけるシグ鉄様のお話だと、岐阜は道路がせまくて道路通行に支障があったとのこと。

言われてみれば、これは自分が住んでいる横浜でもそうで、中心部を通る路線バスは市営も民営も今でもかなり活況を呈していて市電を廃止したのは間違いじゃなかったかと思うこともあるのだが、やはり道路の狭さは致命的で今以上に道路事情が悪く交通戦争と呼ばれたあの時代に廃止されてしまったのはやむを得ないのだろう。
a0322896_09432099.jpg















それと比べると豊橋は両側車道2車線を維持しかつ複線の路面交通を成立させている。自動車王国三河で道路整備をした結果として皮肉なことに路面電車と自動車の分離が無理なく行われたために路面電車が活躍する余地が出てきた、そんな風に考えることもできるかもしれない。

a0322896_09432548.jpg















ただ、そうは言っても単に交通行政だけの問題だけではないだろう。記憶が間違っていなければ、縮小しかなかった戦後の路面電車界で平成に入って久しぶりの路線延長があったのはここ豊橋鉄道である。そしてこの街には以前に紹介した公会堂やこの教会のように独特な意匠の建築が残されていた。

もちろん今となってはのっぺらぼうな高層建築も建っているだろうが、豊橋という街は路面電車にしても建築遺産の扱いをみても空間の贅沢な使い方ー地理的にも歴史的にもーをなんとなく感じさせる。

by michikusajinsei | 2016-12-04 09:44 | 豊橋鉄道 | Comments(2)

昭和63年 豊橋鉄道軌道線(その3)

a0322896_01332924.jpg




























「君たちは過渡期だから」

高校の頃、教師たちにしばしば言われた言葉である。僕の生まれは昭和42年だが早生まれなので学年的にはその前年、昭和41年生まれとして過ごしたのだが、この年はご存知の方も多いと思うが丙午。前後の学年に対し出生数が異常に少ない。そのためか教育プログラムの変更が行われ特に理数系での変更が目立った。

このプログラムの変更が行き着くところは有名な円周率を3にしてしまった「ゆとり教育」だと思うが、とにかく「詰め込み教育」との非難の中で教える内容を薄くし始めた改定である。

だが現場の教師としてみれば、そうは言ってもつい癖で教科書に載っていない内容まで教えたり、試験に出したりする。そうなると生意気盛りの高校生はきまって教室内でのブーイング。それに対する教師たちの苦し紛れの弁解が上のセリフだったのである。

まあ、これくらいはっきりしている過渡期というものは珍しいと思うが、過渡期の風景というものは、その時は全くそう感じず、後になってあの時はそうだったのか、と思うのが普通である。

もっとも教育プログラムだけではないかもしれない。僕の高校1年からの10年間、昭和57年から平成5年はまさに時代の変わり目、途中バブルという空間とその後の奇妙な凪のような時代も挟んで過渡期にいることを感じさせる世相の風景が多かった。
a0322896_01332257.jpg














ところで鉄道の世界にも過渡期の車輌というのが存在する。木造車輌と鋼製車輌、そして今はSUS製車輌と変わってきたが、木造と鋼製のあいだに短いあいだ存在したのが半鋼製車輌。躯体は鋼材で作られているが、室内の造作は木造という車輌である。

この路面電車もそのタイプ。と言うより調べてみると半鋼製で4輪ボギーの路面電車はこの一派が本邦初登場(昭和2年新造当時は名古屋市電の車輌だが)だったそうである。

確かに言われてみれば、ずんぐりむっくりタイプが多い近代型路面電車の中で、この車輌は昔日の木造車輌、特に地域は違うが都電の4000系列の面影を感じさせる細面、木造車輌の感覚で鋼製車輌を設計した感が強い。乗車はしていないので車内はわからないが当然ながらドアの内張りや窓枠は木製であろう。鋼製とちがい簡単に傷がついてしまう木造車輌の維持は工学的な能力よりも工芸品を扱う能力を求められていたにちがいない。しかしそれらが多数派ならともかく、少数になってくるとその苦労や経営的な負担もかなりのもになっていたのではないか。それを考えると鉄道線も含め豊橋鉄道の経営陣は車社会の三河の中で相当な愛情をもって鉄道の維持に努めていた、そんな風に思えるのである。

ともあれ、このような骨董的な車輌を普通に維持することができた時代。それもまた昭和〜平成過渡期の一断面である。


by michikusajinsei | 2016-12-01 07:19 | 豊橋鉄道 | Comments(0)

昭和63年 豊橋鉄道軌道線(その2)

a0322896_12565645.jpg















今年日本に帰ってきてとても印象に残ったことがある。

僕がいつも使っている電車は横須賀線や東海道線、京浜線なのであるがふと気がつくと車内の広告が激減していた。吊り広告はそれでもみんな埋まっているが、網棚上の広告枠はガランとしていて広告抑えのプラ板だけが妙に目立っている。

最初は景気が悪いのかな、と思ってみたが考えてみれば僕が赴任する前の方が景気は悪かったはずだがこんなことはなかったし、銀行や証券会社がどんどん潰れ、残った邦銀も国際市場で円とドルを交換できないという未曾有の金融危機で不景気が頂点に達していた前世紀末でもこの枠は埋まっているのが普通だった。

a0322896_21390195.jpg















やはりネット広告へのシフトであろう。いや広告がシフトしたというより車内でぼやっとして広告を見上げている人は今や珍しい時勢。媒体として電車の車内は費用対効果が薄れてきた、そう判断されたのかもしれない。

a0322896_21484049.jpg
















一方で、ラッピングによる社外広告は折に触れ行われている。やはり、電車の物理的な存在感は大したものであるからか。

そんな社外広告であるが、それが盛んになってきたのはこのバブルの頃じゃないだろうか。僕が最初にそれで驚いたのは前に掲載した江ノ電のポカリスエット号。鮮烈な青一色の装いが沿線風景や時代の勢いにマッチしていた。

http://anosyaryo.exblog.jp/21282762/

そして、その風潮というか勢いは地方の路面電車にも及んでいて、ここ豊橋鉄道にも多くの車輌がさまざまな広告衣装を身に纏っていた。そしてもちろん当時はラッピングではなく塗装である。

まあ、お世辞にも優れたデザインというよりは、いささか泥臭い気がしないでもないが、またその垢抜けないところが地方私鉄の、というよりその地方の味というものであろう。刃傷跡がトレードマークの丹下左膳を彷彿とさせる全面デザインはよく見ると側面にまわり込んでいる住宅の階段だったなんて雅気があってなんともいえない愛嬌がある。

このよしだやという家具店、それこそネットで調べると現在も営業中である。

それに比べると西武デパートの広告はお中元・お歳暮の包装そのまんま、それはそれで微笑ましいし、それを曲がりなりにも路面電車にフィットさせる絵心は感心するが、地方の色という点では少し物足りないのを感じていた。

by michikusajinsei | 2016-11-26 23:24 | 豊橋鉄道 | Comments(2)

昭和63年 豊橋鉄道軌道線(その1)

a0322896_22201627.jpg















今思い出してみても、あの時どうして豊橋鉄道を撮りに行ったのかわからない。当時の自分にとって更新車輌だらけの地方鉄道にはあまり興味がなかったし、豊橋という街にも訪れたい何かがあるわけではなかった。

a0322896_09202957.jpg
































ただ何となくだが、この路面電車を見たくなって訪問したのかもしれない。特定の何系という車輌ではなく路面電車という存在に会いたくなって出かけた、そうであった気がする。

それにしてもさすが自動車工業で鳴らす三河の中心都市。市勢的にはそれほど大きくないのに片側3車線の立派な道路。そんな中、この軌道線もちゃんと複線を確保し、また架線柱のデザインもなかなか典雅といえるのではないか。地味ではあるけれども鉄道を維持するための投資はしっかりと行っていた、そんな30年前の豊橋鉄道の姿である。

ただそれはともかく、同時に写っている路線バスの丸っこい後ろ姿が今となってはもっと懐かしい。

by michikusajinsei | 2016-11-21 22:23 | 豊橋鉄道 | Comments(2)

昭和63年 豊橋鉄道(その6)

a0322896_11294209.jpg














35年くらい前の模型雑誌「とれいん」で色々な来歴の車輌をご自身で創造された鉄道カラーと更新改造を行った夢の地方私鉄を作り上げて一つの趣味世界を楽しんでいる方の紹介があった。

たしか完全にフリーデザインの車輌はなく、すべて原型となる車輌があるのだがそれを見事に統一化し、模型でしか実現できない素晴らしい個性を表現されていて当時、あまり地方私鉄に興味のなかった少年の自分もいたく感銘をうけたのを覚えている。

そして当時は考えもつかなかったが、この写真を撮影した当時の豊橋鉄道がまさにそうだった。

主に名鉄だと思うが、色々な来歴の車輌が集まりそしてそれらが豊橋鉄道仕様に改造され新たな個性を発揮していた。このような地方私鉄は当時、他に北陸鉄道や京福電鉄などもそうだったが豊橋鉄道のユニークさは黎明期から戦後の新性能型まで世代の幅広さが群を抜いていたことにあると思う。

その流れで今回、戦前の名車、冷房装置を搭載している新性能型と掲載したが本日は黎明期の車輌である。

デワ11

中小の私鉄には、旅客用とは別に車庫構内の入れ替え業務を行う業務用小型車輌がよく存在していて、それが独特の存在感をみせることがままある。ここ豊橋鉄道にもそのような車輌が存在していた。この車輌がそれである。

木造の車体に単台枠の台車、路面電車仕様でありながら普通の鉄道の規格で作られている過渡期の車輌、自分も古典的な車輌はいくつか見ているが、就中、単台枠の下回り、車輪が4つではなく2つしかない特徴を持つ電車の現役姿を見られたのはこの車輌だけだった。

回想してみれば、こんな趣味的には夢のような世界が展開していた豊橋鉄道、しかしその価値にまったく気がつかず、白状すれば撮りつぶしのような気分でたった一回訪問しただけだった。思えば勿体無いことをしたものである。

by michikusajinsei | 2016-11-18 18:04 | 豊橋鉄道 | Comments(2)

昭和63年 豊橋鉄道(その4)

a0322896_17524460.jpg














様々な来歴の車輌が混在しているが更新改造を受け、塗装も戦後中期以降の特徴である明るいダブルトーンで統一されている、それがこのころ訪問した豊橋鉄道の印象である。

a0322896_17523977.jpg














ただ当時の中小私鉄は別に保存ということを意識することなく過去の車輌を放置状態で残していた。

ここ豊橋鉄道もそうである。





by michikusajinsei | 2016-11-15 18:21 | 豊橋鉄道 | Comments(0)

昭和63年 豊橋鉄道(その3)

a0322896_23261717.jpg















戦前製の車輌にはムリヤリ感を発散していた大型2灯も最初からそれを装備した戦後車輌は一転して、なかなかバランスのとれたフォルムと品のある落ち着いた配色。

大型2灯ライトというと昭和晩年に生きていた関東の人間には京王帝都の5000系が目に浮かぶ。

そう、確かに京王帝都の5000系は名車だ。でもなんとなくあの前面を見ると僕はいつも「おかめ」を連想してしまう。愛すべきふくよかさ。

それに比べるとこの車輌はそのような押し出しの強さはない。それでもサブロク車輌特有の細面の正面を見ていると、それはそれで飽きのこない自然に備わった「用の美」というものを感じてしまう。

おそらく登場から最後までスター扱いされることはなかったであろうこの車輌も目を凝らせばその時代特有のデザイン言語の中で独特の地位を占める、そんな風に思えてくるのである。
a0322896_23261326.jpg















ところで、昭和晩年は特に注意していなくても明治大正の遺構というものがそこかしこに残っていた。この煉瓦積みの建物もそうである。

緑陰にかこまれ佇んでいるこの建物はいったい何に使われていたのだろうか。

by michikusajinsei | 2016-11-11 05:32 | 豊橋鉄道 | Comments(2)

昭和63年 豊橋鉄道(その2)

a0322896_10273640.jpg













戦前製の電車、ある意味、彼らはその当時の最新テクノロジーの産物である。また時代もモダニズムの勃興期、その時代精神が知らず知らずに鉄道車輌のデザインにも反映されていたからか、戦前製の電車は時に流線型をまとっても小気味よいくらいキリッとした直線で構成されていた。

またデザイナーもそれを意識したのか、それとも工業力の限界かパーツも小ぶりなものが多い。端的な例はヘッドライト。戦前製の車輌は150Wの華奢なLP42を標準としていた。

a0322896_10274052.jpg














これが戦後になると国私鉄を問わず次々と大型ヘッドライトに交換されていくのだが、それが大抵の場合、アンバランスで若い頃の自分にはそれが大いに不満だったのだが、わけてもこの豊橋鉄道の車輌を見た時は思わず唸ってしまった。

あまりにも強引な大型2灯ライトボックス、「さすが愛知」思わずつぶやいてしまった。

a0322896_22261093.jpg














なにが「さすが愛知」なのか。じつはこの豊橋鉄道に撮影に行く前に市内を歩いていたら上の写真の建物に出会っていたからである。

「なに、これ」思わず同行した友人と顔を見合わせて叫んでしまったことを今でも覚えている。それくらいこのアクのつよいこの建築には度肝を抜かれた。

ギリシャ様式の門柱にイスラムなドーム、そして帝政ドイツを想起させる大きな鷲の彫刻。建築の文法を無視し、まったく統一感がないデザインでありながら一度見ると二度と忘れない力強さ、それがこの建築にはあった。

全くの個人的な偏見なのだが、中京地区というとこってりした濃さというか、押し出しの強さを特に感じる。放っておくと日本の文化は線を細くして洗練する方向性を内在してるように思うが、ひとり中京地区はそれに抗して雄渾な線と迫力で押してくる。そんな印象が強い。

そんな印象を持つように至ったのは、この建築と豊橋鉄道の大型ライトボックスのイメージがオーバーラップして形成されたためなのかもしれない。

by michikusajinsei | 2016-11-06 00:01 | 豊橋鉄道 | Comments(0)

昭和63年 豊橋鉄道(その1)

a0322896_22253177.jpg















昨今の電車の造形はエッジを強調したりド派手な塗装をしたりと正直とても攻撃的で見ていて疲れる気分を覚えることもあるが、いわゆるアクの強さという言葉が当てはまる車輌は意外に少ない。やはりどこかスマートであることを意識しているのが平成流か。好き嫌いは別にして最終的には「あ、デザインされているんだ」と納得してしまう収まりの良さがあるように思う。

逆に一見、平凡でいてしかし他のどこにもないような個性を持っていたのが昭和戦前期の電車、しかも更新車輌だった、そんな風に思うことがある。


by michikusajinsei | 2016-11-03 22:35 | 豊橋鉄道 | Comments(0)