昭和61年 片上鉄道(その10)

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流線型が一世を風靡した時代に生まれたこの車輌。前回掲載したほぼ同年代のキハ303の無骨さに比べると流行を意識したせいか、なんとなく取り澄ました雰囲気がある。

ただこの車輌に限らないが初期モダニズム、或いは分離派の造形はどことなく垢抜けないところがあってスマートさには欠けるのだが、それはそれで味わい深い。

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一方、戦後に登場したこの車輌は強烈な個性というような造形とは無縁だけれども大ぶりな窓や前照灯に戦前型のどこか流行に遅れまいとして背伸びしたデザインに比べると伸び伸びとした余裕が感じられ今見てみると、確かに来歴やら希少価値では国鉄からの払い下げ車に譲るが、この線の主はやはり自社発注のこの車輌だったんだな、という思いがしてくる。

by michikusajinsei | 2016-10-31 21:05 | 同和鉱業 | Comments(0)

昭和61年 片上鉄道(その9)

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客車列車がお目当てだったこともあって気動車の写真はあまり撮影していない。
特にこのキハ303は旧鉄道省のキハ41000系の最後の生き残りであったが、駅構内でさらっと写しただけ。

当時も今も僕はこのシールドビームという前照灯が全く気に入らず、この更新改造を受けているだけで写真を撮る意欲がほとんど無くしていた。これも今から考えると贅沢というか実に勿体無いことをしていたものだ。




by michikusajinsei | 2016-10-29 16:52 | 同和鉱業 | Comments(0)

昭和61年 片上鉄道(その8)


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歴史の真実というものは時に我々の認識を裏切る、この里山の歴史もその一つなのかもしれない。

とはいえ、昭和生まれにとって母なる風景はこの緑豊かな里山であるのものまた事実なのである。

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そしてその風景を心に描く時、その里山には田圃や畑とならんで、山塊に寄り添う鉄路があり、なによりも故郷近くの駅で交錯する人々の出会いと別れ、それが多くの昭和日本人の感性に訴える戻っていきたい心象風景ではないだろうか。

ここ片上鉄道もまた、その典型的な里山を背景に持つ鉄道であった。
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しかし時代の流れは止まらない。僕の旅した時代は国私鉄を問わず地方の鉄道が断末魔の声をあげていた時代。ここ片上鉄道も例外ではなかった。

趣味的にはとても楽しい鉄道ではあったが、この時既に前途の厳しさを感じさせるチラシが貼ってあった。

by michikusajinsei | 2016-10-25 22:22 | 同和鉱業 | Comments(0)

昭和61年 片上鉄道(その7)

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数年前になるが竹村公太郎という元建設官僚の方が書いた「地形を見れば日本史がわかる」という本を読んだ。歴史を読む切り口は色々とあるが、これは唯物論的な発展史観を地形という切り口でまとめた本である。

そして非常に簡単に著者の主題を言ってしまえば、社会の発展とは人・物の移動する手段の整備とエネルギー源の確保にあり、それに関して日本の地勢はどのような影響を及ぼしまた治世者たちはその確保・改良に尽くしてきたか、ということである。

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この本の白眉は最終的には江戸時代を超え昭和5年に完成するに至った荒川放水路に行き着く江戸の改造過程で、狸親父と呼ばれ食えない政治家の代表格である徳川家康の土木事業家としての隠れた一面とその構想を受け継ぎ発展させていった過程であるが、個人的に最も印象に残ったのは、燃料を基本的に薪炭に依存していた日本(実は日本だけではなく全ての旧世界は、が正しいそうであるが)は江戸の末期になるとその資源が枯渇し禿山だらけだった、というところだった。

北斎や広重といった浮世絵の大家たちが残した風景では緑が存外少なく、その理由は利用できる里山の木はすべて燃料として伐採されつくされたからだというのである。

この指摘は自分にはとても新鮮な考え方だった。何となれば自分が旅をしてある意味、退屈を覚えるほど親しみ、逆に言えば、それほど馴染んでいた風景が実は日本の原風景ではなかった、という事実にである。

そう原風景どころか明治大正ですらない昭和によって創造された風景だったのだ。

by michikusajinsei | 2016-10-23 08:08 | 同和鉱業 | Comments(2)

昭和61年 片上鉄道(その6)

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客車列車を目当てに訪れた片上鉄道だが、やはりこの鉄道も主力は気動車であり、そしてその気動車もまたちょっと泥臭いけど個性的な車両が揃っていた。

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狭窓の側面に広窓の正面ってある意味アンバランスというか、強引なデザインで写真を撮っているときは「変な奴だなあ」と心中、つぶやきながら撮っていたけれども今見直してみると、アンバランスと思えた正面が意外と近代的な風貌-ちょっと157系を感じさせるような-になっていてそれはそれで合いの子的な面白さがある。



by michikusajinsei | 2016-10-19 23:18 | 同和鉱業 | Comments(2)

昭和60年&61年 片上鉄道(その5)

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行き当たりバッタリの旅行が多い中で、珍しくいきたいと思って訪ねた片上鉄道も、ではきちんと調べて行ったかというとそんなことはなく、自社発注の車輌と払い下げの車輌が混在し、そして特色といえば客車はブルートレイン塗装に装われている、という程度の知識であった。

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なんども書いて恐縮だが、当時の自分は極端な原形至上主義であったし、また国鉄型優先主義だったので混合列車運用ということを除けばさして片上鉄道に興味がわく車輌があるわけではなかった。

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これは、もう何をか言わんや、今から思えばこの鉄道の持つ趣味的な価値に全く気付いていなかったというとである。

この国鉄払い下げのオハ35も原形の葡萄色じゃないんだ、つまらないと思っていたし、自社発注の開放デッキ車輌に関してはイロモノだな、こいつは、と思っていたのが正直なところであった。

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そんな訳で写真はあまり撮っていない。もちろん動いていないからというのもあるし、撮影しやすい場所に留置されていなかったという制約も大きいが熱意がなかったのが本当のところである。

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当然ながら今の自分の気持ちは全然逆である。デッキ付きの開放車輌で短尺車輌なんて実に個性的、地方私鉄らしい(こんな表現というか発想自体がそもそも問題かしれないが)独創性にあふれている。或いは別の見方をすれば、短尺の車体長にTR-11という台車、それこそ大正後期から昭和初期にかけての汽車の姿そのもの。乗ってその動きに身を委ねればスピード感もレールの継ぎ目を刻む音も同じく当時の旅そのままを味わえるではないか!

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何を今更、30年経って気がついているのだ、と怒られてしまうかもしれない。ただ、この鉄道及び客車は幸いなことに有志の篤志家方々の手で動態保存されていると聞く。その意味では、このような時空を超えて往時の旅情を今に重ね合わせることができることを、当時を知るものとして伝えたい気持ちがあるのである。

by michikusajinsei | 2016-10-16 08:34 | 同和鉱業 | Comments(0)

昭和60年 片上鉄道 (その4)

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機関車牽引の定期客車列車がある、それは確かに片上鉄道の希少価値を高めていたが、それ以上に同鉄道を唯一無二の存在にしていたのは、この写真である。

混合列車、貨車と客車の併結運用。

これをどうして乗りかつ写真に撮りたくてこの鉄道を訪問したのだった。

客車列車は私鉄でこそ珍しかったが、まだまだ国鉄では各地に残っていたのでそれ自体の希少感はなかったのだが、この混合列車という運用はさすがの国鉄でも定期運用では絶滅していて残っていたのは自分の知る限りここ片上鉄道だけだった。

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この運用は確か朝の時間に一本あるだけで写真を撮ると乗れない、だから一日ではその両者を味わうことができない。そのためまずこの写真を撮った。

そして混合列車に乗ったのはその翌日、満員の車内は自分の同世代である高校生で、大学生で多少立場が違うとはいえ、通学している彼らの中、遊びにきている自分は場違いな気がしてちょっと気恥ずかしかったのを覚えている。

しかし同時に希少価値のある列車に乗れたという昂揚と、何よりもデッキ越しに見る揺れのはげしい貨車の動きやコンテナが搭載されていない空間がオープンカーのように風を切って進んで行く様に、普通の列車では見ることのできない躍動感や空気を切り裂くような開放感が感じられて悦に入っていたことを昨日のように思い出す。

by michikusajinsei | 2016-10-13 09:12 | 同和鉱業 | Comments(0)

昭和60年&61年 片上鉄道(その3)

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白状すると、宿代を考えて夜行列車が走っていることを第一に考え、あとは行き当たりばったりに行き先を決めていたのが自分の学生時代の鉄道旅行の実態なのだが、そのなかで数少ない例外がこの同和鉱業片上鉄道で、ここはどうしても訪問したくて、この鉄道を目的として訪れた数少ない鉄道である。

そしてこの同和鉱業片上鉄道の魅力は端的に車輌および運用の多様性にあった。

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前回、自分勝手な地方私鉄の定義付けを行ったが、当時自分が憧れた全盛時代の鉄道の姿をその通りに残しているのは本当に少なかった。

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東海道沿線育ちでブルトレに憧れて育った原体験があるからか、車種はどうであれどうしても機関車牽引の列車がないと自分としてはその路線への訪問意欲は高まらなかった。

そしてそこに客車列車があれば最高だったが、そんな贅沢を言うにはさすがに昭和晩年ともなると難しい。そうなると貨物列車の存在が重要になってくる。
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その貨物列車の営業自体は、例えば東武や西武、名鉄といった大手でもまだ残っていたし(と言ってもこれらには写真を撮りに行っていないので言行不一致のそしりをまぬがれないのだが)、もっと本格的な鉱山鉄道も残っていて、自分も三菱南大夕張などでその雰囲気を感じることはできた。

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また名車の払い下げも、こちらは国私鉄を問わず活発で、例えば北陸鉄道や弘南鉄道で愛知電鉄や阪和電鉄といった戦前期電車黎明時代の往年の名車の活躍を同じく目の当たりにすることができた。

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もちろん自社発注の車輌もかなりあり、それらのデザインはたぶん、その鉄道というよりは恐らく日車や川重、汽車会社といった車輌会社のイニシアチブで作られたのだろうけれど、そんな出自を忘れさせるように各車輌は自然にその鉄道に馴染んでいた。

そう、一つずつ取り出していけば、魅力溢れる鉄道は各地に残っていたのだが、それを全て包含していた鉄道となるとほとんどなく、その数少ない生き残りが、兵庫の別府鉄道とこの同和鉱業片上鉄道であった。

by michikusajinsei | 2016-10-11 00:19 | 同和鉱業 | Comments(0)

昭和60年 片上鉄道(その2)

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昭和鉄道黄金時代の地方私鉄、趣味的に定義づければ、旅客と貨物の両方を運営し、また車輌も自社発注の車輌と他の鉄道から転籍してきた車輌が混在している、そして欲を言えば電車やディーゼルといった自立して走れる車輌と機関車が牽引する客車列車が共存している、そんなところだろうか。

具体的にイメージしていたところは北海道の炭鉱鉄道や沼尻鉄道、静岡鉄道駿遠線といった軽便鉄道、それに丹後の加悦鉄道といったところである。

by michikusajinsei | 2016-10-05 07:53 | 同和鉱業 | Comments(4)

昭和60年 片上鉄道(その1)

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同和鉱業片上鉄道は自分が訪れた地方私鉄の中で、最も昭和鉄道黄金時の地方私鉄の存在感を彷彿とさせる機能と往時の車輌を綺麗に維持していた鉄道だった。

by michikusajinsei | 2016-10-02 22:46 | 同和鉱業 | Comments(0)