昭和61年 会津(その3)

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ところで、今回の投稿は実は蒸気機関車ではない。除雪車。国鉄の形式で言えば「キ620」という車輌である。

とはいえ構造的には蒸気機関車そのもの。国鉄の蒸気機関車に準じた設計でボイラーと弁装置を持ち、ただその違いは発生した蒸気を自走動力に使うのではなく排雪用のロータリー羽根を回転させるために使うという蒸気エネルギーの活用方法だけである。

そのため動かす時は後ろか前に機関車がつかないと動けないのだが、ともあれ広義でいえば蒸気機関車の一種といって差し支えないと思う。

この車輌が製造されたのが昭和23年から24年にかけて。国鉄最後の新造蒸気機関車であるE10の製造が昭和23年。改造名義であるがほぼ新造であるC61、C62が同じく昭和23、24年の両年だから、この車輌も国鉄が新造した最終期の蒸気機関車の一つ。

そして最後の頃は予備車だったらしいがそれでも廃車による除籍は昭和51年の秋らしいので、登場時だけではなく終いの履歴からも国鉄蒸機最後の一群ともいえる車輌でもある。

地味な車輌ではあるが日本の鉄道史的にはなかなか興味深い存在だ。
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だがそういう書誌学的な関心もあるが、何よりも興味があるのはこの車輌の動きである。排雪列車は数は少ないが見たことはあるけれど、この車輌はもちろんない。それは時代的にももちろんそうだが、このような車輌が活躍する地域と積雪量は素人が訪れるような安全な場所ではないので、仮に現役時代に間に合ったとしてもその稼働している姿を眺めることはできなかっただろう。

だからこそ想像する、その雄姿を。

上に書いたように自走できないことから必ず補機となる機関車がつく。2台の蒸気機関車が雪の壁を熱気を発し咆哮を上げながら切り崩していく。その光景にはどんなにか躍動感と迫力があっただろう。

一方で除雪作業は日本の鉄道運行確保業務の中で、最も過酷な任務だと思う。この車輌の本領が発揮されるのは人家などない山中の豪雪区間。人煙稀なる山塊に降り積もった雪を掻き分けライフラインを確保するその存在はそれはそれで頼もしいが逆に一歩間違えれば遭難する可能性だってある。その厳しさを思うとミーハーな気持ちでその姿を見てみたいなどと軽々しく言うべきではないという気持ちも感じてしまう。

ともあれ、その活躍も今は昔。現役を退いてこの地に保存されてから10年後に訪問し撮影したが保存状態がとても良く現役時代同様の生々しい鉄の質感を保っていた姿に感激したものだ。

そして歳月はそれからさらに30年を数えている。しかし冬将軍に立ち向かった正に歴戦の勇士ともいうべきこの車輌は会津の地に今も変わらず静かに保存されているとのことである。



by michikusajinsei | 2017-02-14 23:33 | 国鉄蒸気 | Comments(0)

昭和61年 会津(その2)

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ただその頃、蒸機を語る上で人口に膾炙していた言葉にはもう一つあった「蒸気機関車は人間に最も近い機械である。」この言葉はかなり自分の中に響いた。

そう機械。やはり僕がまず魅力を感じたのは詩的な言葉よりも事実としてむき出しの機械の美しさ、配管やコック、バルブという部品それ自体が雄弁に自己の存在を主張し、機械としての機能を想像させつつ全体としては黒一色のなかに溶け込んでいる。

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そしてその漆黒に覆われた躯体に対して、ロッドの鈍く光る鉄の質感。この対象の妙。

その一種、冷たい彫刻的な美しさが火を入れらると周囲は一転熱気に包まれ、発電機、コンプレッサー、給水ポンプといった回転機械が動作を開始、やがて重々しい金属の摩擦音と共にロッドが回りはじめる。

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その直前まで視覚でしか捉えていなかったオブジェクトが、そういった聴覚、触覚、さらに立ち込める蒸気と石炭の匂いまで含めれば嗅覚まで動員して動き出す。静から動への鮮やかな転換。呼吸するがごときブラストの息吹き。

石油やガスの製造工場も同じところがある。というよりもっと大規模に機械が回る音が共鳴し、あちこちで機械を動かす蒸気や石油やガスの反応がもたらす熱気に包まれている。そういう世界にまるで機械などに興味を持たない人々を作業着に着替えさせ案内していくと皆顔を紅潮させ興奮してくるのが手を取るように伝わってくる。

一つ一つは無機物にすぎない機械であるが、それが動き出し伝えてくるエネルギーに我々の魂が同期して同じように生命力の高揚をもたらすのであろうか。

言い尽くされてはいるが、やはり蒸気機関車の魅力はそういった機械の魅力と動きを端的に伝えてくれるところにあるように思う。

by michikusajinsei | 2017-02-11 09:04 | 国鉄蒸気 | Comments(0)

昭和61年 会津(その1)

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蒸気機関車に間に合わなかった世代、そう自分たちのことを書いたが、全く間に合わなかった訳ではなくて、子供の頃はまだ蒸気機関車は日本のあちこちで走っていたし、SLブームというものも朧げながら記憶にある。

そしてその時の常套句は「懐かしの」とか「消えゆく」という形容詞がほとんど。機関車そのものの魅力を訴える切り口はあまり身につかなかった。

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しかし同時代を生きてきたというような感興の薄い自分たちにはもう一つそんな言葉では自分の心に響くものがなく、そんな常套句を聞くたびに「何か違う」そんな感想を幼心にも持っていた。

by michikusajinsei | 2017-02-09 00:04 | 国鉄蒸気 | Comments(0)

昭和63年 梅小路(その4)

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別の日に見た映画「旅路」これは鉄道員が主役の映画でした。

この作品、僕は知りませんでしたが、NHKの朝ドラが先に放映され、話が続いている途中にこの映画が製作され競作となったそうです。

舞台は大正から昭和一桁の北海道は函館本線の塩谷駅に勤務する駅員夫婦の物語。仲代達矢と佐久間良子の主演です。

まあ、ストーリーは朝ドラという言葉でイメージされる夫婦情愛ものの王道。黒澤明に出ていない時の仲代によくあるボーっとした無表情男と美しさ絶頂期の佐久間良子の全然夫婦に見えない演技のイマイチさというかぎこちなさが印象に残るくらいで特筆すべきものはありません。

なので冒頭に俳優名よりもいきなり協力、日本国有鉄道と出てきますからストーリーよりも縦横無尽に登場する蒸気機関車の動きを堪能していました。
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今、昭和の頃を舞台にしたドラマで鉄道風景がでてくると、車輌も施設も場違いなものが登場することが多くて感興を削がれますが、この映画はそんなことはありません。映画の製作された年代と舞台になった年代に約40年の違いがありますが、何と言っても物持ちのよい、また赤字にはなっておりましたが後年と比べればまだまだ活力がある頃の国鉄が後援しているのですから伊達ではありません。

例えば函館本線だからといってその頃に走っているはずもないC62やD51を出すようなことはせず、もうキューロク、キューロク、9600型のオンパレード。旅客に貨物に大活躍。客車だって、狭窓にモニタ屋根が美しいスハ32系です。

主人公は最初駅員で途中から車掌に転ずるのですが、ロケされている駅の風景もサッシなどない燻んだ木造駅舎の外観はもちろん往時の風景そのままですし、セットと思われる駅舎内部もタブレットが普通に使われていた時代ですからタブレットの玉を取り出す機械など本物感に満ちています。

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もちろん、それが舞台の年代と場所に完全にあっているかと言えばそうでないでしょうが、それでも嘘ではない本物の雰囲気に満ちている、そんな言葉がふさわしい映画の中の鉄道風景でした。



by michikusajinsei | 2016-06-15 23:18 | 国鉄蒸気 | Comments(0)

昭和63年 梅小路(その3)

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鉄の質感とは時に思いもよらぬ艶かしさを見せることがある。特に駆動部に使われる時、その身に纏うオイルの輝きも手伝って金属という言葉の持つ冷ややかなイメージを裏切るような表情を見せてくれる。

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そしてそれとは別に加工方法の違いによる質感の違いもまた、これが同じ素材かと思うほど違う表情を見せる。

鋳造、鍛造、板金加工...それぞれが適切に組み合わされ一つの機械が組み上げられていく。

蒸気機関車を観察する楽しみは、そういった素材や製法の違いを設計家がどのように組み合わせで考えていたのかを想像する楽しみもあるように思う。

by michikusajinsei | 2016-04-23 07:25 | 国鉄蒸気 | Comments(0)

昭和63年 梅小路(その2)

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その国鉄蒸気の中で最も好きなのが、この機関車。18900、C51である。

少し前になるが、『とれいん』のインタビュー記事で摂津鉄道で有名な坂本衛さんが明治とも昭和とも違う大正時代の車輌への愛着を語っていた。曰く明治も昭和もそれぞれ時代の先端を走る洗練された雰囲気があるが、同時にある種、近寄りがたい印象がある。それに比べて大正時代の車輌はどことなく柔らなか印象があって親しみやすい、というような趣旨で語っておられた。

この時はC51ではなく4110の模型を前にして語っていたと思うのだが、それはともかく、この言葉くらい大正の車輌、就中C51の良さを簡にして要を得て語っている文章はないと思う。同時に鉄道という枠を超えてその時代特有のデザイン感を的確に表現しておられており読んでいて思わず唸ってしまった。

確かにバロック的な荘厳さの明治、シャープなモダニズムの昭和はそれぞれ鉄道風景にも強く感じられる。
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明治期は国産車輌はほとんどないがその代わりとして東京駅に代表される駅舎がそうだ。明治期の駅舎、特に鉄道の存在感が増していった中期以降に建設された駅舎は町の玄関として華麗な装飾を施したものが多い。

一方、昭和モダニズムを象徴する車輌といえば、C53、そしてP-6。どちらも無駄のない直線で構成された機能美をよく体現しているように思う。

対して大正時代はどうか。
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重厚無比と評されることもあるD50でさえ、サンドドームや化粧煙突、全面デッキの丸みに上の二つの時代にはないある種の野暮ったさと同時に柔らかさを感じてしまう。

そして僕はそのデザイン的に甘いところ、明治の様式の影響を受けながら一方でのちのモダニズムにつながる機械を全面に出した荒々しい造形に例えようもない独自性と魅力を感じるのだ。

by michikusajinsei | 2016-04-19 23:44 | 国鉄蒸気 | Comments(0)

昭和63年 梅小路(その1)


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僕は成人を昭和の時代に迎えた。

もう平成が30年近く経とうとしている今となっては、それだけで十分昭和を経験している世代と言われるであろうが、それでも昭和の醍醐味を実感しているかといえば微妙に間に合わなかったという感覚がある。僕の同世代は自分の決めた定義では昭和39年から44年生まれの学年だが、昭和あるいは日本の近代を完全に味わうにはほんの少し間に合わなかったのではないか、そんな感じがするのだ。

昭和、あるいは昭和戦後としても良いが、昭和生まれの白眉といえば東京オリンピックと大阪万博である。我々の世代はもちろん東京オリンピックは知らないし、大阪万博も全員記憶があるとは言い難い。そういう意味では東京オリンピックの記憶はともかく、大阪万博、あるいはそれらのイベントの背景にあった高度成長と言われる時代である昭和40年代をきちんと記憶している年代となると自分たちの先輩にあたる昭和33年から38年に生まれた世代まで遡ってしなうのではないか、そんな風に思えるのだ。

そして、その象徴とも言えるものが鉄道趣味の世界では蒸気機関車。

Fのデッキ付き電気も旧型国電(といより省電)も旧型客車も知っているが蒸気機関車は残念ながらそれと意識し見たことはない。世代で見ても、もちろん地域差があるので同列には言えないけど、幼児の乗り物好きを脱したレベルで蒸気機関車に触れることが可能だったかといわれるとなかなか力強く肯定的な回答を出来る人はいないのではないか。
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僕自身にとってみても、見たことがあるかといえばあるのかもしれない。横浜から蒸機が消えたのは昭和45年で、その頃蒸機が通る貨物線の近くをしょっちゅう通っていたのでなんとなく記憶にないでもないが、その後の記憶の補強だろうと言われればそうかもしれない。その程度の非常に儚い記憶でしかない。

だから、正直なところ蒸気機関車を知っている世代には羨望がある。そうついに僕たちは、その時代を共有し得なかった、という事実に。

そしてだからこそ、上の世代の方が「見世物興行」と言って見向きもしなかった梅小路機関区は僕にとってはとても大事な場所だった。ここに行けば常時煙を上げている罐がいたし、また火が入っていなくても本線につながっている、ただそれだけで公園や博物館におかれた蒸気機関車とは違う存在感があった。

by michikusajinsei | 2016-04-17 23:16 | 国鉄蒸気 | Comments(0)