カテゴリ:野上電鉄( 23 )

昭和61年 野上電鉄(その6)

a0322896_12091369.jpg















前回はGEのことを書いたが、今回は別のアメリカ企業である。Brill。

電車黎明期に革新的な台車を発明し製造して一時期は世界を席巻した会社である。日本にもたくさん輸入され規模の大小を問わず様々な鉄道に使われた。

この旧阪急1型もそのBrillが使われている。ただ、野上電鉄に来た際に旧南海電車のお古と振り返られたそうで、原型をとどめていたわけではないが振り返られた台車も同じBrillとのことなので、おそらくこの手動ブレーキハンドルは製造当時のものをそのまま流用したのであろう。

a0322896_17330506.jpg










































Brillの台車は、この電車のように日本ですら地方私鉄で標準軌と狭軌が同じブランドで揃ってしまうくらいだから米本国だけではなく世界中で電車製造の初期時代にひろく使われ、そのころの電車の台車の代名詞的存在だった。ただその会社寿命は意外に短く1868年に創業されて実質的に1926年にブランドは残るも別の会社に買収されたとある。

短いといっても50年は続いているのでそれなりの歴史はあると思うが、電車時代の勃興期にのみその名を残して、その後の隆盛には立ち会えなかった。前回のGEが百年以上続いているのと比べると、盛名に比して会社の寿命は意外と短い。

もっともGEは今でこそ主力事業の一つとして機関車を製造しているが、基本的には総合電気・機械製造の会社でモーターにしてもコンプレッサーにしても電車用の部品はそれほど比重が高くなかったのに対し、Brillは台車製造を主力事業としていたためアメリカ本国で電車が伸び悩んだ影響を大きく受けたのかもしれない。

a0322896_12090108.jpg















それはともかくとして、このハンドル、なんとも言えない美しさがある。

「用の美」という言葉がある。要求された機能を実現した結果として造形されたフォルムの美しさを語った言葉であるが、このハンドルにはそれは当てはまらないだろう。そしてもちろん過剰な装飾とは無縁である。

平板な直線で構成してもなんら問題ないし、そもそもブレーキハンドルの形に発注側が関心を寄せるとも思えない、換言すれば商業上の価値を見出しえない部分である。そこをあえて、と言っていいだろうがお金をかけて3次元的な立体の優雅な曲線を持つ部品を作ってしまった。

またデザインと同時に感じるのは鍛造製品のもつ金属の美しさ。これはもちろん機能的に鋳物である必要はないためで存在が珍しいわけではないが、だからなおさらわざわざプレスをするのに難しい形を設計してこの部品を作ってしまうところに、鍛造製台車の製造で名を馳せたBrillという会社の面目躍如たるもの、心意気というものを感じてしまう。

物作りというものは確かに設計が第一ではあるが、同時にそれを成功させるのは自信に満ちた工作技術であり、それはある種、匠の技、職人芸に由来するものが多い。

20世紀後半になるとすっかり物作りの国としての印象が薄くなってしまったアメリカだが、この頃には、確かにそういう工業製品大国としての精神が息づいていたんだな、そんなことを感じさせる電車でもある。

by michikusajinsei | 2017-08-12 09:49 | 野上電鉄 | Comments(0)

昭和61年 野上電鉄(その5)

a0322896_12093543.jpg















ただ出自にこだわらずと言っても、そして地味で野暮ったいと言っても、阪急電車はここから始まった、そう言われるとその面影というものを探してしまう。

この一連のシリーズの冒頭に登場した先輩によると、窓割や腰板の寸法などは踏襲しているが車体そのものは木造から半鋼製、屋根も二重屋根から普通の平屋根になり、そして下回りは標準軌から狭軌に改造されていることから製造当初を偲ぶものは殆どないのではないかとのことだった。

「そんなものか」

そう思ったが、ネガを探してみるとこんな写真を撮っていた。

GE、General Electric製のコンプレッサーである。エジソン由来のこの会社、今でもしぶとく生き残り、というかシーメンスと並んで今でも産業機械では東西の横綱を分け合う会社である。特に天然ガスの液化に使用する大型コンプレッサーに関してはこの会社の独壇場だがかつてこんな小さな空気圧縮用のコンプレッサーを作っていたとは知らなかった。
a0322896_12092487.jpg















ウィキペディアによるとこの電車の電装品はGE製で揃えられたが、野上転属の際に南海電車のお古と取り替えられたとある。ただどうやら下回り一式が交換されたわけでないらしい。そしてそれが正しいとすると、稼働歴75年である。これは驚異的な寿命だ。

とかく国際的な大企業となると毀誉褒貶いろいろあるものだし、実際にこの会社の資本主義の権化のような弱肉強食ぶりは産業界に身を置くものとしては鼻白むことがないではない。とはいえ、GEをGEたらしめているのは高品質の製品であることはまぎれもない事実であるし、その価値に正しく見合うと彼らが決めた価格が世界で受け入れられているというのもまた事実である。

一方、野上電鉄。平成に生き残った鉄道の中では最後まで旧型の駆動方式である釣り掛け式のモーターで動く電車だけで構成され、冷房車すら導入されなかった鉄道である。過去の遺物にすがって生き続けざるを得なかった会社、冷厳なことを言えばそういわざるを得ない。

小さな一両の電車ではあるが、その中に思わぬ形で対照的な企業像が埋め込まれていたのだ。

確かに空気圧縮用のコンプレッサーは高度な機械ではない。とはいえ振動や熱など様々な要因で故障や経年劣化が避けられないのが回転機械の宿命である。それがここまで寿命が保たれていること、それを維持してきたこと、小さな機械であるが、設計し製造したメーカー、それを丁寧に保守し続けたユーザー。かたや世界的な大企業、こなた最後は野垂れ死のような最後を迎えた日本の地方企業、普通であれば何一つ接点がありようがない組み合わせである。

この野上電鉄23号、旧阪急1型という文化的な価値だけではなく機械としても、この二つの企業が持つ良心というかある種の遺伝ともいうべき企業文化によってたくらまずして成し遂げられた金字塔的な存在だった、今にしてそう思うのだ。

by michikusajinsei | 2017-08-05 17:19 | 野上電鉄 | Comments(0)

昭和61年 野上電鉄(その4)

a0322896_20421399.jpg















この車輌が阪急、というよりその前身の箕面有馬電鉄の1型として登場したときは木造車体に二重屋根。たしかにそれがそのまま残っていたらとんでもないインパクトがあり、誰も放っておかなかっただろう。しかし実車は阪急時代に様々な更新工事を受け、ある意味個性の薄い電車になっていた。いや個性の薄い電車という言い方はちょっと酷か。

典型的な昭和前期の田舎電車というか、短い車体長にちょっと腰高で3扉、もっさりという言葉がなんとなく似合う。そんな印象を得たのが正直な所である

a0322896_20425868.jpg
















そう、確かに外見は野暮ったいが、一歩車内のに足を踏み入れ、その空間を見回すと別の感想が湧き上がってくる。

虚心坦懐にその造作を見れば、古典車輌の香りというものに満ちている。肌理の細かさが美しい木製の窓枠や座席端部、たおやかな曲線で造形された車内灯カバー、吊り革を支える細身の金具が形成する美しいトラス、そして仕切りが全くない客室と一体化した運転台。

冷たいステンレスパイプとのっぺりとした樹脂に囲まれた現代車輌とは対極にある生の素材、手作りの味というものが横溢していると言ったら褒めすぎだろうか。

by michikusajinsei | 2017-08-02 12:16 | 野上電鉄 | Comments(0)

昭和61年 野上電鉄(その3)

a0322896_06521138.jpg








































実は今でも明治時代に製造されてなお現役の車輌はいる。車庫内の入れ替え専用で本線に出ないから車籍はないが、京阪電鉄の寝屋川車庫にいる72号。車体は更新されているが台車と電動機、つまり電車の命ともいえる可動部は明治43(1910)年製がそのまま使われている。この野上電鉄の車輌が明治44年製造だから1年先輩になるわけで、それもあってか野上のこの23号は最後まで現役最古参という名誉ある称号を得られなかった。

とは言っても明治生まれの車輌である。もう少し当時としても注目を浴びても良かったと思うが、なんと言うかその歴史的な価値に比べて華がないのは否めなかった。自分がそうだったように野上といえば阪神、それが当時の通り相場だったように思う。



by michikusajinsei | 2017-07-26 16:52 | 野上電鉄 | Comments(0)

昭和61年 野上電鉄(その2)

a0322896_06523040.jpg
















今、人々が昭和時代と気軽に口にするのがどうも僕には馴染めない。昭和という時代は自分にとって歴史ではなく同時代そのものだからである。自分が言う時はどうしても「昭和」あるいは「昭和の頃」で終えてしまう。しかし明治大正ととなるとどうだろう。

確かに僕の若い頃、明治生まれの人は昭和天皇その人を筆頭に矍鑠としていて元気ではあった。実際、自分の周りでも、僕の祖父母は全員明治生まれであったし、大正生まれの人は学校の先生として教えも受けたり、社会に出て一緒に働いたこともある。だから決して歴史の教科書でしか出会えない遠い世界というわけではない。

a0322896_06520142.jpg















だが、そうは言っても特に明治生れと聞くとさすがに現役感覚はなく隠居した老人という印象が強くて、その頃としても終わった時代であり普通に明治時代と呼んでいた。

そんな感覚でいた時にである、突然、明治44年に登場した電車が年に数回走るような保存電車、あるいは予備車ではなくて日常を淡々と走っているという事実を聞かされたのだから驚いたというか不意を突かれた。

by michikusajinsei | 2017-07-23 21:37 | 野上電鉄 | Comments(0)

昭和61年 野上電鉄(その1)

a0322896_06505091.jpg















「これ、阪急1型や。ほう残っとるのは知っとったがまだ走っとるんだなあ」

昭和62年の夏休みだったと思う。野上といえば阪神小型車、そんなイメージでその前年に撮ってきた写真のネガをある先輩に見せたところの第一声はそれだった。

阪急1型、その前身である箕面有馬電気鉄道が開業に際し明治43年から44年にかけて製造した車輌である。車齢でいえば当時で75年、そんな車輌が残っているなんて全く想像していなかったからびっくりした。

a0322896_06510201.jpg















自分としてはその頃に地方私鉄のよくあったどこかの鉄道から流れた更新車、これといった特徴もない、言葉は悪いが十把一絡げで「田舎電車」と呼ばれている類の車輌だと思って写真に撮っただけだからである。それがまさかの由緒書き電車であったとは。

それが見たくて行ったこの鉄道に残っていた阪神小型車は例外もあるが概ね昭和初期の製造。それだって珍しかったのである。それを遡ること更に15年前、明治という時代の車輌が保存とかそういうレベルではなくごく普通の日常的な運用に入って走っているというのは想像もしていなかったのである


by michikusajinsei | 2017-07-18 12:20 | 野上電鉄 | Comments(0)

昭和61年 野上電鉄 山陰本線


a0322896_14095738.jpg















男性では珍しいかもしれないが、僕は朝ドラの熱心な視聴者である。

きっかけはシンガポール赴任である。シンガポールは日本との時差が1時間、NHKの海外放送は定時ニュースや朝ドラ、大河ドラマなどは日本と同時間帯に放送しており、シンガポールでは午前7時15分、ちょうど朝ドラが終わった頃合で出勤時間になることからニュースを切ることなく、ながら見をすることから生活が始まったのである。

そしてまた、自分の赴任と同時に始まったのが近年の朝ドラ復活の端緒となった「ゲゲゲの女房」だったのも幸いだった。水木みのる夫妻の生涯を描いたこのドラマは作り物を超えるリアリティーがあり、また時代的にも自分の少年期が多く描かれていたこともあって興味が尽きなかったからである。以降、あまりにも話が荒唐無稽過ぎた「純と愛」を除いて毎回見てきた。

そんな朝ドラ自分史の中で一番は何と言っても「カーネーション」尾野真千子の繊細で思いつめたような演技ときめ細かい脚本が印象深い。それから「マッサン」と「あまちゃん」が続く。「あまちゃん」は役者の演技よりもある意味、震災という事実の重みと同時に50歳前後の自分たちの青春時代を振り返らせてもらうような趣があったし、「マッサン」はヒロイン、シャーロット・ケイト・フォックスの感情豊かな演技が素晴らしかったからである。特に戦時中に官憲が彼女を拘束しようと踏み込んできたときのアリアは圧巻で、その日の午前中は仕事にまるで身が入らず深い余韻に浸っていたのを思い出す。

ただ最近の朝ドラは役者や素材は良いのに脚本が雑というか人物造形や時代背景の作り込みが浅くて少々食い足らない思いがすることが多かった。
a0322896_14102494.jpg















そんな停滞を感じさせる中で4月から始まった「ひよっこ」

これが予想外に素晴らしい出足である。

まず音楽がいい。タイトルの歌は桑田佳祐。正直、サザンの歌はあまり好きではないが、この曲は昭和中期の歌謡曲に賛歌を捧げるようなメロディーと歌詞が素敵だし、劇中に挟まれる宮川彬良の音楽もシーンにマッチした抒情的な曲に佳曲が多くて聞いていて心に残る。

肝心のお話はまだ始まって1ヶ月であるので総括的な判断は難しいかもしれないが、上に書いた不満、人物造形と時代背景の描き方がとても自然で、また役者の演技がそれをうまく具現している。古谷一行の祖父のもつ丸みや木村佳乃の慎ましい母親ぶりは、ここのところ変な家族関係ばかり登場させていた朝ドラの流れを正しい(?)昭和のある家族の姿を描き何度もせつない気持ちを抱かせる。

ただそんな静かな生活を描く中で、特に素晴らしかったのは木村佳乃が失踪した夫を探しに上京し警察に相談し行ったときのアリア、

いばら「き」です。
「いばらぎ」じゃなくていばら「き」です!
谷田部実といいます。

わたしは、わたしは、出稼労働者を一人探してくれと頼んでいるのではありません。
ちゃんと名前があります。

茨城の奥茨城村で生まれ育った谷田部実という人間を探してくださいとお願いしています。

ちゃんと・・・ちゃんと名前があります!お願いします!
あの人は絶対に自分でいなぐなったりするような人ではありません!

お願いします!お願いします!
探してください!お願いします!

日本ではシンガポールと違い出勤前に見るわけにはいかないので帰宅後に見ているのだが、このシーンの木村佳乃の必死さの演技には大げさかもしれないが鳥肌が立ち息を呑んでしまった。物静かで感情を見せることは少ないがいざという時に見せる芯の強さ、感動という言葉では言い尽くせない感情が自分の中を走った瞬間である。

今回の写真は白熱灯が鈍く輝く昭和の夜汽車(実際は電車だが)と行商姿の女性の後ろ姿。30年前にこれを写したころ、こういった高度経済成長以前の情景にまだ各地で出会えた。ある意味、好奇心から自分の中では新鮮な情景ではあるが一方でこれらに旧世代の泥臭さを感じたのも(未熟としか言いようがないが)正直なところゼロではなかった。

しかし今となっては、どちらも見ること、感じることの叶わない懐かしい光景である。そしてまたバブルという時代にもこのような風景があったのも昭和日本晩年の時代相である。

by michikusajinsei | 2017-05-04 15:19 | 野上電鉄 | Comments(6)

昭和62年 野上電鉄(その2)

a0322896_22425765.jpg














写真の本分が記録だとするとモノクロよりもカラーの方が良いに決まっている。

というかデジタル写真が標準となった21世紀、そんな前提の立て方自体が時代錯誤であるとは判っている。でもいま、自分の若き日の写真をスキャンしていると、当時はお金がなくて仕方なくという気分で撮っていたモノクロの写真の質感に今更ながら感心してしまうことが多い。

自画自賛じゃないかと揶揄されることを承知で言うが、自分で撮った野上電鉄の夏の風景を見ていると、あの紀の国の夏のジリジリとした暑さをカラー以上にモノクロが雄弁に伝えているのではないか、そんな風に思うのだ。

この写真でも葦簀が立てかけている建物は実は新建材で建てられている現代風の建物なのだがモノクロではその真実の姿が白と黒の世界で後退し、夏の日差しに反射する壁面の白さが葦簀の質感をより強調しているように思う。

a0322896_22430203.jpg















しかしなんと言ってもモノクロの真骨頂は陰影深い具象を撮す時である。改札口のサッシが少し残念だが堂々たる入母屋造の木造駅舎と彫刻のような石積みのホーム、彫りの深いプレモダンの旧阪神。そしてモノクロのややハイキーな写り込みがその陰影と夏の日差しを強調している。

日本の夏、そこで感じる日差しの強さや夏を象徴づける蝉時雨の音はそれぞれの地方で少しづつ違うと思う。ただ学生時代に通ったためか、僕にとって紀の国の夏はある意味、地元の神奈川以上に思い出深いものがあるのだ。



by michikusajinsei | 2016-08-12 20:54 | 野上電鉄 | Comments(0)

昭和62年 野上電鉄(その1)

a0322896_23222511.jpg















この卵型の旧阪神に魅せられて3年連続で野上電鉄に通ったが、走行写真も合わせて撮影を堪能したのは最初の時だけである。2年目はこの写真だが走っていなかったし、3年目は日方のホームでこの車輌を眺めていると検修員の方が下回りの整備を始め、これはと色めき立ち、思いもがけぬ走行風景にその日の午後に出会えたが、肝心の撮影時にカメラの電源を入れ忘れ記録に残せなかった。そんな苦い思い出がある。

a0322896_22434049.jpg















それはともかく、この24号は最後は塗装を変えられたようだが廃線時点まで走り今は古巣の阪神に引き取られていると聞く。その意味で天寿を全うした幸せな電車だったと言えるが、この写真をよく見るとジャンパー栓受けは剥ぎ取られステップは折れ曲がり、車体裾は波打っている。前回の美しい姿と比べてなんとも痛々しい。

果たしてこれは何か事故の影響かあるいは解体を前提に作業を始めて中止したのか,あるいは整備作業の一環なのかよくわからないが、とにかくある時期危機的状況にあったことは歴史の一駒としてここに挙げておきたい。

by michikusajinsei | 2016-08-10 07:15 | 野上電鉄 | Comments(0)

昭和61年&63年 野上電鉄(その1)

a0322896_10284494.jpg















野上電鉄には昭和61年から3年連続で訪れている。

最初の年は、特定の車輌を目的としたわけではなった。強いて言えば阪神喫茶店の同類車輌が見られればいいかな程度の気持ちだったし、その阪神小型車輌群はパンタがZパンタに変わっているのを聞いていたので正直、訪問する前から興醒めというか甘く見ていたのが正直な気持ちだった。

所詮、都落ちした電車が無残に改造されてしかも予備車でかろうじて生きているのではないか、そんな風に想像していた。

しかしその想像はあっさりと裏切られた。それはこの車輌の存在である。初めて日方の駅に降り立ってこの24号を見たときの感激は今でも忘れられない。
a0322896_10285071.jpg
































僕はインターアーバンの真髄はモダニズムではなくプレモダンの造形だと信じて疑わないし、そういう意味である意味、モダニズムの持つシャープさに欠け野暮ったいのがインターアーバン電車の味だと思っている。そしてそれを体現していたのが京阪と阪神の初期型だと思うのだが、まさかその生き残りの車輌にこの場所で出会うことになるとは思ってもみなかったからだ。
a0322896_10290166.jpg















よく言われるように阪神電車の持ち味はほっそりした車体ながらまぎれもなく軌道線ではなく鉄道線を感じさせるところの編成を組んだときに感じる美しさにあると思う。

それにたいし、このプレモダン造形の24号はどちらかというと単行かせいぜい2連という単位での運用が最も本領を発揮しているように思えるしまたその姿が最も美しいと思う。その意味で長く過ごしたこの野上の地が存外、水にあっていたのかもしれない。

a0322896_10285373.jpg
































それにしてもこの美しさはどうだろう。リベットの位置とその直線感、また下回りに目を移せば小さなスポーク車輪とそのシルエットの隙間からは陽の光に輝くバラストが目に沁みる。

珠玉としか形容できない光景だった。

by michikusajinsei | 2016-08-07 14:53 | 野上電鉄 | Comments(0)