昭和63年 紀州鉄道(その3)

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元号としての昭和は64年1月に終わったが、世相そのものが翌日から変わったわけではない。昭和という雄大な歴史時間は日没後もやはりそれなりの長い残照時間があった。

そしてそのたそがれた時間がいつ終わったのか、感覚的には平成5年から7年の間、西暦では1993年から95年にかけてだったのではないか、いま四半世紀前を振り返るとそんな風に思えてくる。なんとなれば平成5年は自民党政権が一旦終了した年だし、平成7年は阪神淡路の震災とオウム真理教で明けた年だった。そしてまたその年月が過ぎるのを待ってた如く平成8年正月明けに昭和と平成の代替わりを政府中枢で取り仕切り見守った宮内庁長官の藤森昭一がその職を辞している。

ただ逆に言えばその前の平成初年の数年間はバブル絶好調時のような浮かれた感じもなく、かといって、その数年後から突入する日本経済の失われた時代のような閉塞感があるわけでもない、ある種、凪のような安定した時間の中で過ごすことができた時代、そんな風にもまた思えるのだ。

閑話休題、そういった時代の転換期にはひょっこりと前の時代の残像が思わぬところにその痕跡を残していることもある。この写真を撮影したのは昭和最末期の63年の夏である。そして右下の検査表記に目をやると、そこには遂に到達しなかった時間、昭和67年5月に検査が切れることが表されていた。事実上の昭和最後の年に全般検査を通した車輌の検査有効期限が切れる昭和67年という年は奇しくも平成4年である。

偶然ではあるが、やはり一つの時代が転換するのは5年くらいかかるということ、そして振り返ってみるとこの5年間という時間が昭和的な感覚、インターネットも携帯電話もなく、また定時近くなると目が合えば、仲間で普通に飲み屋に向かう雰囲気が醸し出されていた、そんな社交が普通だった時代の感覚を味わえた最後の年月だったのかもしれない。

by michikusajinsei | 2016-07-31 07:26 | 紀州鉄道 | Comments(0)

昭和62年 紀州鉄道(その3)

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昭和の地方私鉄の普遍的な光景とはなにか、そう問われると僕はこのような情景を思い出す。そう業界用語で言うところの「だるま」である。

古書で見ていた諸先輩方の訪れた私鉄車輌めぐりには必ずそれなりの由緒があるような車輌が下回りを外されて鎮座している紹介記事がお約束のように掲載されていたし、昭和末期に旅した僕でさえそのような光景はありふれていた。そしてまた紀州鉄道も例外なくその光景を見ることができた。
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これは市役所前という駅で駅舎というか待合室代わりに使用されていた例である。率直に言ってかなり荒れていたし、それが市役所前なんていうその地方の中心地に鎮座するのはどうかという気がしないでもないが、ある意味、先回のキハ605よりも由緒あるように感じていたのが当時の感覚である。
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もっともそんな価値判断は今となってはどうでもよいが、外部の荒廃具合に比べると内部は意外にも小綺麗だったのが印象に残っている。

なによりも走らないキハ605と比べこちらは動けないし、ガラスが割れあちこちに錆が浮いているみすぼらしい姿ではあるが、待合室としてはるかに多くの乗客の役に立ってきた。つまり車籍がありいつでも走れる状態にありながらついに一度も営業運転で乗客を乗せることがなかった車輌と、車籍がないどころか車体を部分的には破棄されもはや鉄道車輌としての存在価値を失われたにも関わらず最後まで乗客をその車体にて守っていたこのだるま。果たしてどちらが鉄道車輌としての使命を全うしたかを考えると、いささか倒錯めいた感覚に襲われてしまうが、後者の方がその生涯を十全に全うしたのではないか、そんな感慨を持ってしまうのは禁じ得ないのである。

by michikusajinsei | 2016-07-28 21:42 | 紀州鉄道 | Comments(0)

昭和62年 紀州鉄道(その2)

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前回、キハ605のことを書いてその思わぬ生涯に興味をいだき、他の写真がないかと探してみたら別の年に訪問した時に撮していたようである。そしてこの写真に記録されている塗り分けから判断すると、この塗装は恐らく移籍元の岡山臨港時代のようだ。

ようだ、なんてなんでそんな中途半端な言い方をするかというとカラー写真が見当たらないからである。

強調するわけではないが、訪問当時はまったくこの車輌は眼中になかった。だから貴重なカラーフィルムを使って撮影しなかったんだと思うが、もし今の僕がその当時に横にいたら一枚くらい撮っておけよって言っただろう。その一枚が30年後の自分の気持ちを潤してくれるんだからさ、って。まあ、もっとも整理が良くないのでもしかしら撮っていて探せばでてくるかもしれないが。

それはともかく、紀州鉄道には2年連続で訪問しているはずなので、この一年の間に全般検査がありそしてその時に改めて紀州鉄道カラーに塗色を変えたということのようである。

どちらが似合っているか。
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どちらもそれぞれにそれぞれの味があると思うが、スマートさという点では岡山臨港塗装の方が上だと思う。それは湘南塗り分けのラインがウインドシルの部分にかかることで腰高感を中和しているところに起因しているのではないだろうか。

でも腰高感が強調されている紀州鉄道色もそれはそれで地方私鉄独特のいい意味での野暮ったさを感じられてそれはそれで趣が深い。

「動かざる名車」というと褒めすぎかと思うが、しかしいま改めてじっくりと見てみるとどちらの塗色であっても半世紀にわたり現役で残った車輌が醸し出す独特の風格というものが感じられないだろうか。

邦画でいえば松竹には「男はつらいよ」で通行人や女中で毎回のようにワンシーンだけの出演だった谷よしの、東映映画には半世紀にわたり切られ役を演じた福本清三といった俳優がいる。彼らはタイトルロールに名前が乗ることさえない場合もあるが、長期にわたり自分の出番であるそのワンカットに全てをかけていた。そしてそのスターたちとはまた違う存在感が映画全体を引き締め、あるいはそのシーンに余韻を与えていた。この車輌の存在も日本の鉄道シーンという括りで見れば、そういった隠れた名優たちの存在感に相通じるものがあるように思えるのだ。

by michikusajinsei | 2016-07-27 21:56 | 紀州鉄道 | Comments(0)

昭和63年 紀州鉄道(その2)

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僕が紀州鉄道を訪問したのは約30年前、正直、それが目的で訪れたわけではないけどそれでも大分交通から湘南型の気動車が走っているのは知っていて一度それを写真に撮ってみたい程度の気持ちはあった。

そしてそのキハ604は実に愛らしく、その頃でも少なくなっていた非電化地方私鉄黄金期の美しい姿に大いに魅了されたものだ。

ただ紀州鉄道には他にも車輌がいたようである。いたようであるなんて変な書き方になるのは、今回スキャンするまで自分がその車輌の写真を撮っていたなどすっかり忘れていたからである。

キハ605

正直に言って不細工である。全体的なシルエットは機械式気動車キハ40000の亜流でありながら張り上げ屋根、バスの乗降ドアのような折り曲げ式の扉など戦前製ではなくまた戦後型とも言い難い不思議なデザイン。今見てもやはり格好良いとは言いかねるし、当時も恐らく同じことを考えたのであろう、一応写真は撮っています程度の写真しかない。
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だからこの車輌に関しては全く知識がないのでウキペディアを見てみると新造は昭和27年の常磐炭鉱でその後、岡山臨港に移り岡山臨港の廃線で紀州鉄道にきたとのこと。しかし興味を惹かれるのが、その用途である。最初の常磐炭鉱では職員輸送用、続く岡山臨港と紀州鉄道では予備車的存在。そしてウィキペディアの記載を信じれば紀州鉄道ではついに一回も営業運転に入ったことはなく平成13年に廃車とのこと。

つまり普通の鉄道車輌は人を乗せて収益を得るために製造されるわけだが、この車輌はその本来の目的にさっぱり活用されず、それでも半世紀近い間現役であり続け、また廃車後も保存されそして遂には近年動態への復活工事が行われているとのこと。いやはや、ある意味、これほど特殊な経歴の車輌はほとんどないのではないか。

by michikusajinsei | 2016-07-26 06:46 | 紀州鉄道 | Comments(0)

昭和63年 紀州鉄道(その1)

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僕が住んでいる関東地方は昨日現在でまだ梅雨明け宣言はないけど、この週末の蝉の鳴き声を聞いているとそれも間も無くだな、と思わせる。まさに盛夏の候。久しぶりに自分が日本で一番好きな時期を過ごす日々。

この時期、日差しの強さで抜けるような青空というよりは白さが勝っている中、緑の絨毯を敷き詰めたような田んぼを進む紀州鉄道もまたグリーンとクリームのダブルトーン。まるで空と陸の色合いが一つの車輌に溶け込んでいるかのような紀州鉄道の夏である。


by michikusajinsei | 2016-07-24 09:15 | 紀州鉄道 | Comments(0)

昭和63年 紀州鉄道

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紀州鉄道は買収される前の会社名は御坊臨界鉄道である。臨界鉄道という名前はどちらかというと田園風景よりは工場地帯に引かれた貨物営業主体の鉄道というのが通り相場。

またいくら信用補完のために買収したって企業として運営して行くからには乗客がある程度見込める沿線人口が必要だろうし、その背景があっての路線長の短さから線路風景はおそらく民家が切れ目なく繋がっている市街地を通過しているのではないか、そんな予断で気動車の発車を待っていたのである。

結果として、この想像は半分あたり半分外れ。すでに掲載したような想像通りの風景もあるが、なによりも驚いたのは伸びやかに広がる水田地帯があることだった。

最初に乗った時から30年という月日が経つが、御坊の駅を出てから少しそのような風景があったが、真夏の日差しの中で全てはけ放たれた窓に突然視界が開け、青々とした夏の稲穂がどこまでも広がっていく水田が展開しそして飛び込んできた涼風の感触を今でもありありと思い出す。

by michikusajinsei | 2016-01-10 09:42 | 紀州鉄道 | Comments(0)

昭和63年 紀州鉄道

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綺麗な車輌に好印象を持って早速乗り込む。

クロスシートの背ずりが少し低いが、それはそれで地方私鉄らしさを感じて発車を待った。やがて滑るように走り出す。冷房をはないが開け放たれた窓から涼風がディーゼルエンジンの音とともに気持ち良く入り込んでくる。

「これはいいいぞ。」そんな感想が脳裏をよぎったのを30年経った今でもありありと思い出す。

当時、自分が憧れた世界の一つが湯口徹さんが発表していた昭和30年代の非電化地方私鉄とその情景だった。この紀州鉄道は少なくと車輌は湯口氏が旅した時代そのものの空気が大きな改造を受けることなく保存されている。いや保存というよりそのものである。この頃、いろいろな地方私鉄を廻り、車齢的にはもっと古い車輌にも乗っているけど、ほとんどの車輌は更新改造を受けているか、あるいは塗装が変わっており、紀州鉄道くらい原型の雰囲気を留めている車輌はなかったように思う。

そんな上気した気持ちを持って、わずかな時間でしかないが気持ちの良い汽車旅の予感に胸を弾ませて、今度は流れる車窓を見つめながら撮影する場所を見定め始めた。

by michikusajinsei | 2015-12-26 12:47 | 紀州鉄道 | Comments(0)