昭和62年&平成16年 小田急電鉄(その4)

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小田急ロマンスカーの中で最も流麗な外観を持つ車輌、それがこの10000系だと思っている。

以前にも書いたが、この頃は流し撮りのテクニックを上達させるのに夢中で記録的な走行写真をいちおう抑えるとしょっちゅう流し撮りに挑戦していたが、その中でもこの10000系のサイドは正におあつらえ向き。

自分の撮った流し撮りの中でも気に入っている一枚である。

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そういった自己満足はさておき、この車輌を見ていて気になるのは横からの外観と正面からの外観ではいささか印象が異なることである。

はっきり言えば側面の美しさに比べ、正面は凡庸な外観、というか側面の流麗さを裏切るような鈍重さを感じる。

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往時、銀幕の大スター、山本富士子は自分の横顔のある角度が気に入らず、その角度の写真は撮らせなかったし、また撮られた場合は破棄していたそうだ。

あのような完璧とも言える美女でも本人的にはバランスが悪いと思う角度があったというのは、ある意味、写真というメディアの面白さであると思う。光と影が交錯して思わぬ姿をあらわにしてしまう。動画では見過ごしてしまう瞬間が静的な画面で強調される意外性。

この10000系にもそれを感じる。実際、上の写真のように斜め正面まではスマートさは損なわれない

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ところが正面勝ちになるとどうもいけない。なんとなく上目遣いの情けない表情になってしまう。

例えて言うと小田急的には鉄路の女王のような優雅なイメージをロマンスカー的には目指したいのだろうが、NSE 3100系がウルトラマンセブンならば、この10000系はどちらかというとアニメ的なイメージが湧き上がってくる。

そしてそういった印象をもたらす原因の一つにはこのカラーリングがあるのかもしれない。なんとなく戦隊モノと言われるジャンルのアニメというかそのコスプレ的な世界を連想してしまう。白地にピンクって戦隊モノの中の女性隊員が纏う衣装じゃないだろうか。そういう意味ではステンレス製電車が入る前までの小田急と言えば白地に青、これまた男性隊員の衣装のイメージ。そして戦隊モノは複数の男性隊員に紅一点の女性隊員だから、無意識のうちに小田急は優雅ではあるが孤高でもある王・女王を頂点とした世界観から男女が等しく仕事を担い、その中で雄々しさと愛らしさが並立する現代的な価値観への転換を無意識にも感じてそれが現出したのかもしれない。。

おりしも男女雇用機会均等法が施行されたのが昭和61年、そしてこの電車の登場は昭和62年である。

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まあそんな妄想はさておき、ちなみに今年はSE車が登場して60年だそうである。今年が平成29年だから、いつのまにか昭和と平成の間の歳月をほぼ同じだけ走ったことになる。考えてみればロマンスカーなんていうネーミングも昭和的といえばあまりに昭和的だけどそれほど違和感なく使われてきた。

しかしこの写真を撮った30年前には初代のSEから当時最新型のこのHiSEまですべての車種が健在だったが、ラストランナーであるLSEもまもなくその生涯を終えようとしている。それは同時に自分たち昭和生まれにとって小田急ロマンスカーの象徴であったオレンジバーミリオンとグレー塗装時代の終焉でもある。

そしてまたこの世代交代は昭和という時代に花開いた箱根観光とそれをリードしてきた小田急ロマンスカーというある種の文化的存在にとっても一つの区切りなのかもしれない。

来春に登場する新型特急、これがどのような装いで現れ、またこれからどのようなストーリーを紡ごうとしているのだろうか。


by michikusajinsei | 2017-07-10 23:05 | 小田急電鉄 | Comments(0)

昭和62年 小田急電鉄(その3)

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「満を侍して」

この小田急7000系の登場の時くらい、この言葉がしっくりきたこともなかった。

異次元の飛躍と書いた3000系SE車はまさに時代の旗手という雰囲気はあったが、技術的にも商業的にも賭けのような冒険的な要素が多分にあるだけに車輌であるがゆえに安定感というものはあまり感じられない。すぐに交代選手である3100系NSEが登場し主役の座を奪ったように、革新的な車輌ではあるがどこか過渡期的な匂いを感じさせる。

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その3100系、前面展望席を備え小田急ロマンスカーの代名詞ともいえる車輌である。そして、この前のブログにも書いた通りで幼き日の思い出の中でとても印象に残っている車輌であるが、純粋に形態だけ見ると手放しで格好良いというのは躊躇してしまう。

前面展望席というのは構想としてはその前からあったそうだし、実際にその前年に名鉄でパノラマカーという車輌がデビューしている。海外に向ければイタリアにもセッテベロという特急車輌があったが実績はその程度。設計にあたっては乗客の安全の確保や車輌限界で未知への挑戦があったと思う。

とりわけ安全の確保は大きな課題でその解決策として名鉄パノラマカーでもそうだが前面に油圧作動の大きな衝撃吸収ダンパーを設置している。そしてそのダンパーは車輌最前面に設置する必要があることから、それをデザイン的にうまく収めるためにそこがライトの設置場所になったそうだ。それが外観を決定づける重要なポイントでここで好き嫌いが分かれると思う。つまり構造から出たデザインで、従来の鉄道車輌のイメージに収まらない斬新な外観と言われるのだが、僕はどうもこのライトボックスが出目金を想像してしまってスマートさが欠けているように思えてイマイチなのである。

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さて、そういう前2代の後継者として登場した7000系。

斬新さ、という点では正直なところ先代、先々代に譲る。彼らにあった衝撃はない。しかし小田急ロマンスカーという言葉に込められたイメージ、期待、それは編成全体を貫くスピード感、前面展望席、なによりもオレンジバーミリオンとグレーの配色を完全に消化、自家薬籠中のものとし、どこから見ても威風堂々まったく破綻を見せない。

この車輌は後年、塗装が後継車輌の10000系に合わせて一回変更されている。そういった塗装の更新は大抵の場合、リフレッシュという意図に反して厚化粧感、格下げ感を感じさせるのが通り相場だが、この7000系に限って言えばそんなことは微塵も感じさせず優美さと骨太な安定感が調和した外観は登場から35年が経過した現在でも色あせない。

デザインだけではなく高速性能も先代達に引けを取らない。僕が高校の頃、この車輌は国鉄に借り出されて高速走行の性能試験を行っている。その時は結構話題になり僕も撮影に行きたかったが確か平日のみだったので学校を休む訳には行かず残念に思ったことを覚えている。

その走行試験はSE車の時のように世界最高記録を樹立というような華々しさはなかったけれど、連接車というどちらかというと特殊な構造を長年にわたって磨き上げてきた小田急技術陣の成果が認められての登用であり、トラブルを起こすことなく無事に予定されていた時速130km走行を終えている。

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しかしこの名車も来年の春には引退が予定されている。そして折しも平成からの改元が予定されているのはその翌年。時代の流れに棹を差して走りながらも、昭和の空気感を最後まで維持して平成という時代を全うした車輌、そんな言葉がこの車輌にはもっともふさわしいように思うのだ。

by michikusajinsei | 2017-07-06 12:01 | 小田急電鉄 | Comments(2)

昭和62年 小田急電鉄&大井川鐵道

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建築探偵で世に知られる藤森照信さんの著書に「昭和住宅物語」という本がある。平成2年の出版で今簡単に手に入るわけではないがこれはもう掛け値なしの良書で、タイトルだけで判断すると昭和という時代に作られた住宅の概説みたいだが、そういった単なる概説にとどまらない時代と格闘した建築家列伝として何度読んでも飽かずあらたな発見がある。

僕の学生時代は、バブルという軽佻浮薄の時代だから真面目に勉強するのはバカみたいな雰囲気があって、僕もまあその時代風潮に乗っかてバイトに精を出して全国の電車を追いかけたクチだが、一方でその時代の学問風景として一世を風靡した思潮であるポストモダンという言葉くらいは知っていたし真面目な友達なんかはその旗手であった浅田彰などを読んでいた。

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正直、僕はそのポストモダン論なんていくら読んでも判らなかったし、それ以前に興味はわかなかったが、当時の昭和の晩年という時代相の影響はあって多少なりともその時代をどう捉えるかということに関心を持っていたのは事実である。そしてその昭和という時代、それは学者の衒学的な言説ではなく事実として正にモダニズムという巨大で多面的な時代精神が息づいていた。

というより実感として日本という国ほどモダニズムに自覚的に向かい合わざるを得なかった国はないと思うし、その中で震災復興、戦災復興という側面も相まってもっともその先鋭なかたちでそれの昇華を求められたのは、それこそ目に見えるかたちで時代の象徴が誰にでも明らかな建築である。

藤森先生の著書では文章でこそ藤森調の軽妙さでまとめられているが選ばれているテーマは正にそれ。意識するしないはあるかもしれないが、昭和日本を代表する建築家たちがそれぞれモダニズムとどう切り結んだかが見事に活写されている。そしてその中でも白眉と僕が思うのが、前期と後期のモダニズムの転換をもたらした清家清の章である。

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前期と後期のモダニズムの違いというものは勉強不足で正直わからない。ただその章で紹介されていた「斎藤助教授の家」も自邸である「私の家」もなんとも言えない清々しい開放感に満ちている。明らかにそれ以前の近代建築に見える堅苦しさというか、端正かもしれないが緊張感を感じさせる建物にはない健やかな伸びやかさというものをとても感じるのだ。

そうなんて言うのだろう、確かに系統的には断絶があるわけではなくもちろんモダニズムという流れには位置するが、素人目にもそれ以前と以後とを画する異次元の飛躍がそこにはある。

清家清が建築界にデビューしたのが昭和20年代後半、ちょうど連合国による占領が終了する頃である。鉄道車輌にも同時期に異次元への飛躍を思わせる車輌の登場があった。

小田急3000系、Super Express、俗に言うSE車である。
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昭和32年登場のこの車輌、国鉄との共同開発で設計され、新幹線の直接の礎となった車輌で事実、試験運転で当時の狭軌世界最高記録を樹立している。その登場の経緯や経過はWikipediaに詳述されているが、もし未読であればぜひ読んでみたらと言いたくなるくらいドラマがたくさんある。それは技術開発の過程の面白さもあるが同時に戦後という時代の若さ、ダイナミックさを強く感じさせる人々の関わり方があるからだ。端的に言って個人としても組織としても未知に挑戦する躍動感にあふれているのだ。

もっとも僕がこの車輌を見たのはそういったストーリーを小耳には挟んでいたが、デザイン的にも運用的にもやや2線級を感じさせた晩年の姿である。それでも通学の途上でたまに新宿駅のホーム越しにこの車輌を見かけると当時の他のロマンスカーにはない造形の骨太さというか貫禄を感じたものだった。

by michikusajinsei | 2017-06-27 06:17 | 小田急電鉄 | Comments(0)

昭和62年 小田急電鉄(その2)

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人間の脳というのは9歳、小学校3年生の頃に爆発的に進化するらしい。それ以前、以後では記憶の量と質が段違いになるそうである。

言われてみると確かにそんな気がしてくる。僕の小学校3年といえば昭和50年。戦後30年、三木内閣の頃であるが、この頃になってくるとそういう世相の記憶もはっきりしてくる。それ以前、たとえば巨人の長嶋が監督になったのが同じ昭和50年。その監督1年目のデビューというのははっきりと記憶にある。アナウンサーが「さあ、長嶋監督、きょうがその監督デビューです。」といった放送と共に覚えているが、その前年、わずか半年前の引退風景はまったく覚えていない。

相撲もそうである。先代の貴ノ花が初優勝した50年春場所の座布団が乱舞したテレビ桟敷の興奮はいまでもありありと思い出すが、その前年の相撲風景などまったく記憶にない。そう、生まれてはいたけれど昭和40年代というのは自分にとっては過去というよりほとんど歴史である。

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とはいえ、時代の風景としての記憶はなくても身の回りの光景は断片的だけど記憶に残る。とりわけ旅の風景は幼心にも刺激的だったのか今でも思い出せるものが多い。この3100系小田急ロマンスカーもそう。

この電車の外観はそれほど格好良いという印象はない。個人的な感覚といえばそれまでだがなんとなくウルトラマンセブンに類似した顔つき(ウルトラマンセブンの方が登場は後だが)に寄り目の前照灯がある意味、愛嬌があるというかある種おもちゃっぽい印象があったのである。ただ、そういったこととは別にこの電車には個人的に特別な感慨がある。

僕が祖母と二人で箱根に初めて旅行行った時、それが今となっては三歳なのか、四歳なのか、あるいはもっと大きいときか小さいときかはもうわからないのだけど、それでも「こんど行く箱根はね、ロマンスカーっていういい電車に乗って行くんだよ。楽しみだねえ」という祖母の言葉を45年以上たった今でもこの電車を見ると思い出す。そしてその時の旅自体はもう覚えていないが、なんとなく臙脂色の座席に祖母に連れられて座った記憶がおぼろげではあるが残っている。

そういった意味で僕にとってはとても懐かしい記憶を呼び起こす大事な電車の一つである。

by michikusajinsei | 2017-06-21 12:19 | 小田急電鉄 | Comments(0)

昭和62年 小田急電鉄(その1)

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"Where is most onset in Japan?"

ある日、シンガポール人の友人に問われたことがある。bestではなくmostとはまあ文法的にはなんだろうか、いかにもシングリッシュという表現だが、どうもその語感の通りで「日本で一番の温泉はどこ?」ってことを聞きたかったらしい。

温泉らしい熱い湯だったら草津、ひなびた感じだったら花巻の鉛温泉か。そういや最近は湯布院が人気らしいな、なんて考えが頭をよぎったものの、景色の良さ、交通の便、言葉、そして地元神奈川ということで若干の身贔屓も入って"It's Hakone"と答えた。

まあ自分がそう答えなくても箱根が日本を代表する温泉であることはガイドブックでも紹介されているし、特別に日本の温泉というものに関心がなければ「日本の温泉はこんなところね。」って感覚で通り過ぎていくところだと思う。

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しかし実際の箱根は温泉街の風情はあまり感じられないし、かといって今風のリゾートという雰囲気とはもちろん違う。「行楽地」今となってはやや古めかしい語感の言葉であるが、この言葉が最もしっくりくるように思う。

なんと言うか、旅立ちのワクワクするような高揚感に欠けるが、逆に旅の終わりに味わう寂寥感のようなものもない。そういった旅の持つ非日常性よりも日常の生活感をある程度継続しながら、温泉旅館で上げ膳据え膳でホッと寛ぐ観光地。それが自分にとっての、あるいは自分たちのような東京西南部から神奈川東部の住民にとっての箱根の感覚だ。

by michikusajinsei | 2017-06-17 16:01 | 小田急電鉄 | Comments(0)