昭和61年 貴志川線(その7)

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昼下がりの下で見る1200形はどこか好々爺然としたのんびりとした風情を醸し出しているが、黄昏時の一瞬に見せるその風貌は、正に戦前、戦中、そして戦後を生き抜いてきたもののもつ強者のような厳しさを漂わせていた。

by michikusajinsei | 2016-09-13 07:16 | 南海電鉄 | Comments(0)

昭和61年 貴志川線(その6)

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「早起き三本の得」「ギラは寝て待て」

いささか品のない表現だが、僕が学生の頃に鉄道写真を撮っていた人たちの間で膾炙していた言葉である。デジタルになって、ほぼ無制限に写真の枚数を写せる現在ではこのようなユーモアも通じないだろうけど、そうはいってもやはり写真に向いた季節や時間というものは変わらない。

存在自体、抽象度の高いモノクロ写真と違ってカラー写真は基本的には事実そのものを映し出すのが特徴である。でもフィルムの性質や露光時間、そしてもちろん光の加減により、時に思わぬ表情を印画紙に定着してくれる。特に夏の光の力強さは朝そして夕刻、被写体に様々な形で輝きを与えてくれた。この写真もそんな1枚である。

「光の花道」

どうってことない日常を一瞬きらめかせる光の魔術の中、誰もいないホームで表舞台への出番を待つかのごとく車齢50年の古豪は静かに発車を待っていた。




by michikusajinsei | 2016-08-31 06:51 | 南海電鉄 | Comments(6)

昭和61年 貴志川線(その4)

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貴志川線で写真を撮っている時には気がつかなかったが、前面に幌がついている番号とそうでない番号があるようだ。

今の車輌は前面がフラッシュサーフェースだから貫通可能でも幌がむき出しになっていることはないが、昭和の電車は国私鉄問わずこの幌付きが魅力的なものが多い。あの平凡なスカ線や湘南の113系でさえも幌が付いているだけで精悍さを感じたものである。

この1202番も同様、走っている路線はいたってのどかな路線であるし、2輌という小さな編成単位なのだがこの幌の影響で本線を疾走するイメージが湧いてくる。

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対してこちらの幌なし正面、こちらは幌なしというより下部のエプロン状になった連結器周辺の覆い板が私鉄、特に西日本の私鉄の特徴のように思っていて同じ日本国内で、ほぼ同じ車体寸法で製造されているはずなのに、そこに異国の香りというかエキゾチックな雰囲気が立ちのぼっているように関東育ちの身には感じられた。

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また、これも今回気が付いたことだが行き先表示板がよく見ると、和歌山と貴志が左右逆に書かれているものが存在している。

なんてことはないが、マニュアル通りにことを行わなかったり、あるいは些細な間違えがあったりすると血相変えて怒る人が溢れかえる昨今と比べ、なんとものんびりした運営がなされていたものだと感心してしまう。

「いい加減」

時と場合により言葉の意味がまったく正反対に変化してしまう日本語の代表例だが「この頃の南海貴志川線って、いい加減な運営度合いでいい加減に走っている路線だよ。」ともし書いたとしたら、それを読んだ人は各々どう感じるだろうか。

ゆとりを持った運営でのんびりとした速度で走っている電車ですね、ととるか、それとも行き先案内一つ統一できずタラタラした速度で走っている電車だよ、ととるか。

そこに出てくる感じ方の差異が、案外、その人たちの間で越えられない性格上の溝を浮かび上がらせているのかもしれない。いやそういった個人差を越えて、実際にこの電車が走っていた昭和という時代と平成も30年近く経った現在との感覚の差なのかもしれない。

by michikusajinsei | 2016-08-23 22:37 | 南海電鉄 | Comments(0)

昭和61年 貴志川線(その3)

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美しき戦前派関西電車の並び、今となっては二度と還えらない風景、これに自分が間に合ったのはただ、ただ幸運という言葉しかない。

by michikusajinsei | 2016-08-22 00:10 | 南海電鉄 | Comments(0)

昭和61年 貴志川線(その2)

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南海電車に限らないが、旧型車輌にはあまり明度の高い塗装は似合わないと思う。例えば、野上電鉄。あの明るいクリーム&レッドは旧阪神に似合っていたかというと微妙で少なくとも阪神間を疾駆しているイメージはあの塗装からは湧いてこない。これは逆も真なりで新性能以降の電車には逆に明るい塗装が似合う。京王帝都の5000系がその前のグリーン一色塗装で装おわれていたら、かなりイメージが異なっていたのではないだろうか。

些か雑駁な分け方ではあるがその視点から見ると、この貴志川線の2色塗りわけは緑と青灰色というあまり明度の高くない組み合わせが車体の凹凸を浮かび上がらせかつ上品さを保っている、そんな風に感じられたのである。

ややもすると戦前製の電車が単色から塗り分け塗装に更新されると落ち着いた感じを失い妙な軽さを感じてしまうのだが、この南海電車の場合はそういった弊を免れむしろ戦前製電車の持つ重厚感が程よく中和され塗り分け更新塗装の中では数少ない成功例のように思うのだ。


by michikusajinsei | 2016-08-20 00:24 | 南海電鉄 | Comments(0)

昭和61年 貴志川線(その1)

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昭和60年代の当時としても和歌山県下を走っていた私鉄各線の古豪健在ぶりは際立っていた。それはまるで営利企業ではなく保存鉄道の世界と言っても過言でないくらいビンテージ車輌がゴロゴロしていて、そしてその最右翼は言わずもがな野上電鉄であるが、並び立つ存在といえば、この南海貴志川線、1200形であった。

と書いてはみたが白状すると、実は訪問した当時、この車輌どころか南海電鉄貴志川線そのものを知らなかったのが本当のところである。

だから和歌山の駅について初めてこの1200形をみたとき、明らかに戦前型の外観をした車輌が視界に入ってきて嬉しい不意打ちともいうべき軽い興奮状態に陥ったことを今でも覚えている。

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そして、その興奮をもたらしたその理由は今にして思えば塗装にあった。

ステンレス全盛の昨今と違い、当時の私鉄各社は文字通りコーポレートカラーを表すものとして車体の塗色を大事にしていたが、正直、南海電鉄のグリーン濃淡塗装は本線筋の車輌だと地味さを強調されてしまいアピールすべきCIが塗装によって逆に損なっているように思っていた。

ところがその塗装がこの1200形を装うと実にすっきりして、当時残っていた他の戦前派車輌には見られないスマートささえ感じられたのである。
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旧型車輌、特にリベットの多いゴツゴツした車輌はなかなか塗装が難しい。ことに明度の高い塗装だとなんていうか「年増の厚化粧」という雰囲気を感じさせてしまうところがある。かといって単色塗りでは仏壇イメージがでてきてなかなか難しい。

そんな固定観念を抱いていた当時の僕にとって、この1200形との出会いはかなり新鮮であった。

by michikusajinsei | 2016-08-16 21:57 | 南海電鉄 | Comments(2)

昭和62年 高野線(その3)

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蒸気機関車には間に合わなかったが、初期高性能電車は充分味わえた世代。
自分の青春時代を鉄道車輌の活躍した時代相に合わせてみるとそんな風に言えるのかもしれない。

国鉄で言えば101、103系は空気のような存在だったし、地元の私鉄で言えば京急600や1000はもちろんその全盛期をよく知っている。また東急は青蛙がまだ東横線を走っていた。そして覚えている限り人生最初の旅行は祖母と乗った小田急NSEロマンスカーである。

これらの車輌が登場したのは例外もあるが昭和30年代、僕が熱心に電車を追いかけていた年代は昭和50年代から60年代にかけてだから登場から四半世紀を過ぎたくらいだったので彼らは廃止の声などかからず日々を淡々としかし精力的に走っていた。

とはいえ、そういった初期高性能車輌でも見る事がかなわかった車輌ももちろんある。自分的に最も残念なのは近鉄の10000系列の新旧ビスタカーを見ていない事。そしてもう一つは、今回の車輌の先代、20000系デラックスズームカーである。

ビスタカーは関東育ちの自分が遠出を許されるようになる前に廃車になっているので諦めがつくが、デラックスズームカーはまだ走っているころに大阪に行っているのにもかかわらず、難波まで足を延ばして見に行かなかった。

興味がなかったわけではないが、はっきり言って油断していた。車齢が30年にも満たない虎の子のエース車輌がそう簡単に廃車になるわけがないと思っていたのである。しかし何よりも関東生まれの高校生には関西旅行に行くことさえ贅沢。玄関口の梅田でさえ大冒険である。同じ市内とはいえ距離的にはともかく心理的にも小遣いの配分でも難波は遠かったのも事実である。
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だから、この新しい「こうや」が登場した時、ずいぶんと落胆した覚えがある。デラックスズームカーは好悪が分かれるが、戦後鉄道車輌随一ともいうべき大きな曲線で構成された車体と窓、明度が高いが決して軽すぎず適度な落ち着きをもたらしているクリームと赤のダブルトーン塗装。優美さ、華やかさという点では傑作揃いの同時代私鉄ロマンスカーの中でも一頭地を抜く存在だったと思う。しかもちょっとしもぶくれの愛嬌のある顔立ちがツンデレ感を微妙に刺激し、それはそれで日本最古の私鉄と言う誇りと堺や岸和田といった活力溢れる庶民の街を沿線にもつ南海らしい気がしていた。

願わくば、規模では阪急梅田に譲るが、造作の素晴らしさでは勝るとも劣らないと言われた南海難波の旧ドーム駅時代に止まっている姿をぜひ見たかったものである。

それに比べると、この30000系こうや号は申し訳ないがずいぶんと格落ち感を覚えたものである。

ただ、それは先代車輌が余りにも良かったためにもしかしたら貧乏籤をひかされた気味があったのかもしれない。そういう車輌の系譜的な先入観を排して見てみると、この車輌の持ち味はある意味先代を超えたガラスの魔術ともいうべきその構成に特徴があるように思える。気持ちの良い開放的な曲面の全面と17mという短い車輌長を感じさせない絶妙な寸法の側面。優美であるがシャープさに欠ける先代と比べると程よい直線が先代にないスマートさを感じる。

些か才気走り前衛感がある先代と比べると保守的に見えて一見の存在感はかなわないが、上手に先代の持つ特徴を活かしながら破綻なくまとめあげた車輌。燻し銀の香りを持つ車輌といえば褒めすぎだろうか。

by michikusajinsei | 2016-06-08 06:53 | 南海電鉄 | Comments(2)

昭和62年 南海電鉄 高野線(その2)

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少し前にデジタルと違ってフィルムカメラの頃はフィルムの値段が高く、ワンカット、ワンカットが貴重だったと書いたことがある。だから出来不出来はもちろんあるが、とりあえず撮っておこうと言った漫然とした気持ちで写真を撮ったことはほとんどなくたとえお決まりの構図でも自分なりに考えてシャッターを切っていた。

とはいえ、中にはそうでない写真もある。

この写真がまさにその典型。いったいこの時の自分は何を撮そうとしていたのか、まるでわからない。車輌の大きさも中途半端だし、第一、この状態で車輌を撮りたかったらホームの先端まで行っていただろう。かと言って何か情景や資料的価値を考えて撮ったにしては今度は情報量が少なすぎる。全く30年前の自分に向かって「いったいお前は何を撮りたかったんだ?」と問い詰めたくなるような歯がゆい写真である。

とはいえ、そういった気持ちを離れてこの写真を見ていると整備が行き届き輝くような線路、それに様々な標識やら信号やらが写り込んでいて、それはそれで興味深い。そのひとつひとつの意味は暗号のようで僕にはわからないが全て安全を担保するために必要なんだろう。もちろん鉄道に限らず全ての交通機関は同じように標識と信号およびそれを支えるIT技術を備えているが、それらが同じ企業体で構成されることは殆どない。それを考えると鉄道というインフラ企業のシステム面での総合性と負担の大きさを垣間見る思いだ。

と真面目くさって書いたが、実はこの写真を再見して最初に気づき興を覚えたことはそんなことではない。左側ホーム先端部にある建物とその横にある筒。駅便と臭気抜きポールである。

この水洗化以前のご不浄にあった臭気抜きのポールは今となっては絶無と思われる設備である(だいたい役に立っていたのだろうか)。まあそれが写っていたからといって感激する人などいないだろうが、それでもこういった写真を見るとジャパン・アズ・ナンバーワンと書かれ世界の全てを買い占めるような勢いだったバブル景気当時の日本でもまだまだ基礎的なインフラ部分で前近代的なものがあったことが思い出させるし、同時にそれを維持する人なり産業があったこともこの歳になると分かってくる。駅のご不浄ひとつとっても大袈裟な言い方になるかもしれないが、この30年間の社会構造の大きな変化を見る思いである。
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さて個人で好き勝手なことを書いているブログとはいえ駅便からみたインチキ社会学で終わるのはやはり憚れるので、同じ駅で撮った車輌写真を一枚。この電車は通勤型なのであろうが2扉しかない。ラッシュ時の乗降は難渋していたのだろうと思うが、純粋にフォルムだけで見るとドア間の窓のサイズや四隅の丸みにそこはかとない優雅なセンスが感じられ通勤電車という範疇に収まらない風格を感じる。

by michikusajinsei | 2016-06-04 09:02 | 南海電鉄 | Comments(0)

昭和62年 南海電鉄 高野線(その1)

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写真こそ撮っていないが、僕は湘南電車が湘南電車であった時代、つまり80系が東海道線東京口を走っている姿を見ている。正確な年はわからないが少なくとも昭和51年までは1日1往復、80系電車が東京駅まで乗り入れていていたからだ。確か島田駅発だったと思う。

その後、その本家本元には飯田線で撮る機会に恵まれたし、その亜流たる私鉄の湘南型はそれこそ全国津々浦々あちこちで見られた。当時の感覚でいえば登場から30年を過ぎ少々くたびれた中年の風情という感じである。まあ良くも悪くも輝いているという印象よりは実直に日々を走っている。そんな感じだった。

そんな湘南型で一番馴染み深かったのは何と言っても地元の京急600系だし、最も美しいと思ったのは福鉄の200系であるが、その登場の衝撃そのものの生き写しともいうべき車輌といえばこの南海電車にトドメを刺すと思っている。

口さがない人たちはコピー電車と酷評していたが、僕にとっては南海の湘南型はそれ以上に80系の持つ上に書いた印象ー垢抜けないところがより凝縮されていて洗練とは程遠いんだけれども、その垢抜けないところが、万事表面的な綺羅を求めていたバブルの時代に抗するようで、当時そのバブルの風潮に背を向けていた自分には好ましく思えたことを思い出す。

by michikusajinsei | 2016-06-01 22:40 | 南海電鉄 | Comments(0)