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平成30年 謹賀新年

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平成も30年経ちました。

僕が自分の人生で30年という歳月を初めて感じた日は今でも鮮明に覚えています。それは昭和50年8月15日、その日、あの戦争を知らない世代が30歳になったという感慨をテレビで何度も放映していたからです。

でも昭和20年という時間は自分にとって全く実感が湧きませんでした。当時小学校3年生、身の回りの大人は全員その時代を知っていましたが彼らの話を聞いても別の世界の事としか思えませんでした。さすがに小学校3年生ではそれは仕方ないでしょう。ただ少し前のブログにも書きましたが20代前半になってもやはり30年という時間は遠くなるような感覚で捉えていました。

でも今は違います。これからの30年という時間は自分の人生にとって終わりの始まり、坂を下る事を意識して生きていく時間、限られた資源であることが実感としてわかります。その事実は寂しくまた冷厳な事実です。

このブログで掲載している写真は副題の通り、戦後日本という時間の流れでは真夏の時代と名付けた時代に撮影したものですが、その真夏のような時代を動かしていたのはその頃40歳前後であった団塊の世代です。もっとも大きな人口の塊がもっとも活力に溢れた時代、この副題を考えたときは意識しませんでしたが戦後という時間を四季で捉えればあの時代が真夏になったのは彼らの成長を考えると当然という気がします。

そしてそのことが示唆する、もし人生において真夏と呼ばれる時間があるとしたらやはりそれは40歳前後、去年50歳を迎えた僕自身の、あるいは僕たちの世代の真夏の時代は平成という時代の中でいつのまにか終わってしまいました。

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でもまた一方で、歳を重ねるということは自分の周囲にある固定観念や制約を外せるんじゃないかという考えを持つことを学びました。失った若さと引き換えに、目の前の渡れる川の幅が広がってくる、あるいはその距離を見定める勇気と余裕が出てくるという感覚でしょうか。

もちろん、実際にそんなことは一足飛びにはできません。負わなければいけないものも確かに背負ってはいます。でも、この年齢だからできる、或いは味わうことができる世界があるのではないか、そんな風にも思い始めています。その感情が年頭にあたりこの写真を選ばせた心境です。

昭和62年に北海道の広漠とした雪原で迎えた朝焼けの光景。荒れ野ではありますが朝日は確実に輝いていました。こんな冷たく乾いていると思った世界でも考え方、見方を変えれば別の表情があります。

今年はシンガポールから帰国して3年です。帰国直後の一昨年はやや躁状態で生来の好奇心を発散させていた時間でした。翻って昨年はその感覚は多少ありつつも怠惰な気分と体力の維持に失敗して特に後半は失速した感があります。そして3年目の今年はどうなるか。

思えばこの2年は過去を捨てシンガポールから舞い戻った人間、気障と言われてしまいますが大佛次郎の「帰郷」あるいは「冬の紳士」という作品に描かれた男達に自分を投影していました。しかし3年目です。小説世界の観念論ではなく実際に生きる人間として過去と未来を同時に調和させていく年にそろそろしていかなくてはいけません。

今年一年もまた、よろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。

道草人生拝

by michikusajinsei | 2018-01-01 15:24 | 北海道 | Comments(4)

昭和63年 北海道

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ひよっこの主題歌「若い広場」のワンフレーズ「さなぎは今、蝶になってきっと誰かの腕の中」

「女の子って、大人の美しさを身につける前の高校生の頃って少し太めになるのよ。体重はそれほど変わらないのに何故かね。自分たちはそれで色々と悩むんだけど、やがてある程度までは自然に痩せてくるの。あれって今から考えると不思議ねえ。」以前、職場で雑談していた時、そんなことを言っていた女性がいた。

ひよっこの有村架純はとても懐かしい雰囲気をまとっている、いや彼女だけではない出てくる若い俳優みんな全てが懐かしい匂いがする。最初、それは演出による昭和の匂いとも思ったが、それだけではない何かがある。

それは認めたくはないが、自分が失ってしまった若さ、その若さとは、ひたむきさであり、また垢抜けないけれど素朴な健康美じゃないだろうか。そしてそれは正にこの年代、10代後半の数年間なだろう。このひよっこというドラマではその若さがなんの飾り気もなく正面から描かれている。

ただ懐かしいのはそういった容姿だけではない。

実は偉そうに10代の乙女のことを書いたが、男子校出身の僕は正直なところ、自分が10代だった時の同世代の女の子のことは殆ど知らない。僕が知っている彼女たちは、地元でも旅先でも、列車の中の姿。特に地方の列車は下校時の車輌は高校生でいっぱいだから、その車輌に乗り合わせると彼女たちの姿が眩しくて訳もなく気恥ずかしく感じたのを昨日のように思い出す。そして列車の中で見かけた昭和の女学生たちは日本全国どこで出会っても、他愛のない話題で盛り上がり快活でよく笑っていた。そして今振り返ってみると、あの頃の車内に満ちていたざわめきは、ポケベルに始まりラインに繋がる彼女たちのコミュニケーション革命で今となってはもう感じることができない昭和の失われた感覚の一つかもしれない。

しかし、そんな時間はやはりすぐに終わってしまう。

http://anosyaryo.exblog.jp/20482753/

自分のブログ第一回の記事のリンクを張るが、夏休みの昼下がりに見た風景は春休みの夜汽車や連絡船では一変していた。今でも忘れないのが青函連絡船の上り便、函館を夕方に出て青森発夜行に接続する便の2等桟敷席。制服姿にあふれ一見すると修学旅行の団体のようだが、どの顔も不安感と寂寥感に満ちていた。ある意味、僕はその集団に大きな衝撃を受けた。自分がふらふらと遊んでいる一方で、同年代のある人たちは実家を離れ就職し自活していかなければならない。思えば僕が初めて出会った社会の現実である。

ひよっこも今月から上京生活編に変わった。ゆっくりと人間関係が広がり、そしてまた成長していく姿が展開されている。このドラマの展開が毎日待ち遠しくてしかたない。

by michikusajinsei | 2017-05-10 22:59 | 北海道 | Comments(2)

昭和62年 池北線

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北海道らしい景色というとまずは広大な大地が思い浮かぶが、なかなかどうしてこのような風景もある。

ハエたたきと言われた電柱が立ち並ぶ中を進むキハ22。そして背後に高すぎず低すぎずちょうど人の視界を遮る程度の山並み。

若い人から見れば十把一絡げの昭和の風景かもしれないが、戦後も40年過ぎた時代にその場にいた若者としては、確実にその当時の現代ではなくひと昔以上前を想起させる風景だった。
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この写真を撮ったところは池北線である。

正直なところ、この池北線はなんとしても行きたいと思って訪れたところではない。ただ、あまり写真発表の無いところだからどんなところか判らないのでとにかく行ってみようかという気持ち、あと沿線の弟子屈町(コメントでシグ鉄様からご指摘を受けましたが、弟子屈町は釧網本線でした。恥ずかしいミスですがこのカッコ書きで訂正のお詫びとさせていただきます)は大横綱大鵬の出身地だから、そこはどんなところか見てみたいという気持ちだったか、とにかく予備知識ゼロ(これは別に池北線に限らないが)で出かけた。
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この地域に関係のある方には申し訳ないが、池北線は僕が経験した中でも非常に使いづらかった印象がある。とにかく列車本数が少なくて乗りつぶしならともかく、写真撮影となると一往復とるのに半日がかり、また絶景区間があるわけでもないので好き好んで撮りにいくところではなかった。だからこの線で撮った写真はとても少ない。にもかかわらず写真の出来はともかくとして、この線で撮った写真は自分にとって忘れ難い写真なのだ。

こう言っては身も蓋もないが、他の写真はこのスキャン作業を始めるまで忘れていたカットも多い。しかし、この池北線の写真は違う。池北線と聞くと自分の中で鮮やかにこれらの写真を撮っていることが思い出せるのである。

とりわけ、この鉄橋を渡るキハ22は30年経った今でも、構えたカメラのファインダーの中でシャッターを押した瞬間まで思い出せるくらい印象に残っている。

なぜだろうか。
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自画自讃ということではなくて、池北線の写真をみて思うのは水墨画の世界、とても東洋的な世界観の光景が広がっているように思う。

これらの写真はモノクロだから当然と言えばそうだが、現実の風景もそんな感じだった。これが初夏になると萌えるような緑が広がるのだろうけど、冬のこの線沿線は枯れた木々の間を縫って進んで行く、そんな思い出がある。そういった景色の中では旧世代ではあるがキハ22のしかも不人気だが単色塗装がとても似合っていた。

考えてみればキハの20番代くらい、動力近代化計画以後の車輌において単行が絵になるものはない。地味過ぎず派手過ぎず、しかし枯淡な風景の中で紅一点、密やかな存在感を放っている。

ある意味、キハ22にとっての池北線はその長い脇役人生の中で、数少ない主役として光り輝くことができた路線だったのではないか、30年という歳月が過ぎそんな風にも思えるのである。





 

by michikusajinsei | 2016-03-31 20:05 | 北海道 | Comments(2)

昭和62年 室蘭本線

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沼ノ端は列車密度が高く様々な車輌を見ることができることも立ち寄った理由の一つである。

上の写真は以前、モノクロで掲載したこともある781系の国鉄時代の姿である。床下機器がグレーに塗られているが確かこれはこの頃、北海道だけの特徴で独自性を上品に演出しているように感じられた。
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同じくキハ48であろうか。間にキハ22を挟み全検上がりのなのかとても美しい。キハ48というのは個人的には不思議な印象の車輌で、単行で走ると我が身をもてあますようなところがある。これはキハ22のような20番台の気動車と大きく異なる。

しかしだ、編成を組むと俄然それが力強さを増して見えてくるのだから車輌のデザインとは面白いものだ。これは運転台の高さが大きく影響しているのだろう。急行型と同じ高運転室のキハ48とそうでないキハ22の差で、無意識のうちに高運転台の車輌は急行列車のような編成姿を脳裏にイメージしていたのかもしれない
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沼ノ端に魅せられたのは走る列車だけではない。この朽ち果てた小屋がとても魅力的だったことも大きな理由である。

原野にポツンと朽ちたこの建物だけが建っている姿は、まるでエドワードホッパーの描く世界のようで、枯れ野が広がる原野の色彩と同調し非日常のすがれた美しさを放っていた。
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この小屋はなんであろうか。専用線の車庫?

上の写真は別の年の情景であるが、自分の背の高さとほとんど変わらないような藪をかき分けて接近することは叶わず、ついにこの建物が何のために作られていたのか確認することはできなかったのが今でも心残りである。

by michikusajinsei | 2016-03-27 16:18 | 北海道 | Comments(0)

昭和62年 室蘭本線

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北海道、この言葉を口にするたびに僕は同時に二つの言葉を頭に思い浮かべる。

その言葉「可能性の大地」そして「未完の大器」
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僕は決して開発至上主義者でないが、あの雄大なそして適度に人の手が入った大地の整然とした美しさと対象的に人を寄せ付けない深さの森や人家が朽ち果て原野に戻っている風景をみるたびに厳しい自然環境の中で先人が築き上げて実現した夢と挫折し未だ次の夢が思い描けない溝に思いを馳せ粛然となることがある。

自然だけではない。社会もまたそうである。山田洋次監督の「家族」

高度経済成長末期である昭和45年の日本のある断面を描いた傑作。閉山する九州の炭鉱夫一家が未来への望みを託して北海道の酪農農場に移住する旅を描いたロードムービー。不安と悲しみに彩られた旅路のエピソードがいくつもつらなっていく。ほんの少しだがあの時代を知っている人間として何度も目頭が熱くなるのを抑えられない場面が出てくるが、最後は移住先の中標津で将来への希望を暗示する場面で終わる。

いよいよ明日、北海道に新幹線が上陸する。開通前からJR北海道の運営体制や思ったほどでもない時間短縮効果に対して冷めた声がかなりあるように思う。しかしこの可能性の大地に新幹線がどんな歴史を刻むのか、それはそれで期待し応援したいと思っている。
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とはいえ、ファン的には新幹線よりは在来線である。北海道の開発の歴史、そして産み出されてきたその豊かさを運ぶ大動脈であったのが昭和の鉄路である。

僕は北海道に行きたかったのは、もちろん雄大な風景に憧れてであるが、列車で言えばなお国鉄黄金時代の残り香を感じさせた長大編成からなるディーゼル特急と貨物列車である。とりわけ無骨な外観のDD51が牽引する貨物列車に大いに魅了されていた。
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それほどたくさん北海道を旅したわけではないが行くと必ず立ち寄ったのが、ここ室蘭本線沼ノ端。広漠とした原野に続く長い直線区間に本領発揮とばかり駆け抜けていく列車群はいつ見ても飽きなかった。

今回のDD51はその中で国鉄最晩年の頃の姿である。

by michikusajinsei | 2016-03-25 21:00 | 北海道 | Comments(0)

昭和62年 函館駅

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僕が初めて北海道に出かけた時はまだ連絡船があった。すでに旅客需要の主力は航空機に移っていたが、それでも割引運賃が一般的でない当時は飛行機代も高くそういった意味では鉄道にもまだ需要があったと思う。

今でも時折耳にする石川さゆりの大ヒット曲「津軽海峡冬景色」この曲を聴くたびに思い出すが、まさにあの歌の通り北へ向かう人たちはみな言葉が少なく、連絡船の座敷に思い思いに荷物と一緒に座って船の揺れに身を任せていた。正直言って華やかさはなく、長い旅路の疲労感と若干の侘しさが漂う2等の船内はそれはそれである意味、濃い情感を湛えていた。

しかし貨物輸送は別である。今回の北海道新幹線開通でも青函トンネルの貨物輸送における大動脈ぶりが紹介されていたが、それはこの頃も同じである。まだまだ国鉄側にも活気があって、昭和50年代にはいっても貨物専用の新造船が作られていたほどである。

そして青森駅も函館駅も決して広くない構内に、この控車がたくさん駐留し船への貨車の積み込みや引き出しに活躍していた。
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by michikusajinsei | 2016-03-21 15:23 | 北海道 | Comments(2)

昭和60年 石北本線

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北海道に憧れたのはもちろん自分の生まれ育った関東にない情景や車輌に惹かれてであるが、もう一つ蒸気時代、気障な言葉で言えば煙の名残を求めてという意識もあった。

この写真を撮った昭和60年は蒸気が引退してわずか10年しか経っていないが、それでも10年という月日は短いものではなく鉄道をめぐる情景も変化していた。前にも書いたが、蒸気時代の撮影地を参考にしてそこへ訪れても変貌が大きいところが多くがっかりすることも少なくなかった。しかしその点で北海道と山陰は比較的往時の情景や列車単位を残していた。

この貨物列車もそうである。牽引するDE10は趣味的には当時、まったく人気がなかったが僕個人は気に入っていた。シンメトリーでないのに間延びも短小感もなく絶妙なバランスと言えばいいか、そして角度によってスマートに見える時もあれば、荒々しい迫力を感じる時もある。

また重連でかなりの量数の貨物列車を牽引するのも、この写真のようにごく小さな輸送単位でも様になる。主役ではないかもしれないが、どんな情景でも列車にも絵になる車輌。ある意味、国鉄が実現した究極の洗練されたかたちだったのではないか、そんな風にも思える。
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雪の日の撮影、特にリバーサルは難しくうまくいった方が少ない。そういった意味では見事な失敗作だが、それでも今となってはトラにコンテナを積載ししんがりをヨが締めるという貨物列車が、昭和60年代というバウル直前の日本でもまだあった記録としてお目にかける次第である。

by michikusajinsei | 2016-03-16 20:10 | 北海道 | Comments(0)

昭和60年 石北本線

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キハ183への賛歌を綴ってきたが、昭和戦後の北海道鉄路といえばやはり真打ちはこのキハ82系である。

少年時代、時刻表や鉄道雑誌に親しむようになると空想の旅行を果てしなく繰り広げたが、中でも北海道と九州、この二つの大州にはとりわけ熱が入った。もちろんそこへの乗り込みは鉄道である。九州は言うまでもなく東京発のブルートレイン、そして北海道は583系の「青い」「はつかり」そしてそれに接続せて函館を起点に釧路に向かう「おおぞら」と網走行きの「おおとり」それらの特急群は名前の雄大さと共に少年の心に大いなる憧れと旅情を感じさせた。

だからはじめ北海道に行った時に最も楽しみだったのはキハ82系と出会うこと、そして函館駅でその姿をみた時の感動は今でもありありと思い出す。写真も撮らず、ただひたすら先頭から最後尾まで1輌、1輌、確かめて歩いた。函館駅のホームに佇むキハ82。それには当時ですら死語になりかけていたが、長距離優等列車という言葉しかふさわしいとは言えない姿とそれを取り巻く空気があった。

これは、どんなに言葉を尽くしてキハ183へのトリビュートを書いてもキハ183が太刀打ちできない車輌の格だと思うし、またそれはキハ82という車輌が背負った時代の重みが醸し出したものなのかもしれない(キハ82の生涯について思うところはことは少し前に書きました。http://anosyaryo.exblog.jp/21196856/)。

とはいえ、その回にも書いたが、僕の知る時代は晩年なのでだいぶくたびれてはいたのは正直否めない。しかし食堂車を連結し雪原をを疾走するこの車輌の姿はやはり素晴らしく国鉄黄金時代を背負った車輌の風格というものを強く感じさせた。

by michikusajinsei | 2016-03-12 16:38 | 北海道 | Comments(0)