昭和58年 東海道線

a0322896_21182480.jpg








































先週半ばにPCが故障してしまい、そして週末には人間たる自分が食あたりで故障。気息奄々というか半死半生というか、そんな調子ですので今週は更新できませんでした。

ようやく日曜夜になって少し体調回復。このブログも文章はまったくまとまりませんが写真だけでもアップして少しでも気力の維持に努めたいと思います。


by michikusajinsei | 2017-04-23 21:27 | 国鉄 近郊型電車 | Comments(2)

昭和62年 東海道線(その3)


a0322896_21454392.jpg















バブル景気は日本政府の公式見解では昭和61(1986)年12月に始まり平成3年2月に終わったことになっている。僕が大学に入ったのが昭和60年の4月で卒業が平成2年の3月だから、ほぼその時代を学生時代で過ごした。今振り返るとあの時代との接点において学生だったのは意外と大事だったのかもしれない。すなわち成人として社会の構成員ではあったが、社会人という身分を獲得しておらず世の移ろいを損得があまりない中で眺めることができたからである。

そんな自分の目に映った当時の世相は一言で言うと「陶酔感」である。

バブル景気の渦中、その前の大型景気だったいざなみ景気を評した「花見酒の経済」という言葉をふたたび取り上げた雑誌記事があった。

落語の「花見酒」。花見客を当て込んで二人で酒樽を運び大儲けを目論んだはいいが、道中「疲れたから、金を払うんで一杯飲んでもいいか」「それじゃ俺も」って二人で飲み出し最初にだしたお金が二人の間を行き来してる間に酒樽が空になったという噺。要は身内で金のやりとりをしているだけで元手が増えないまま資産を蕩尽してしまう経済現象を揶揄したのである。

a0322896_08075098.jpg
















その例えが経済学的に妥当であるかどうかは当時の自分には判らなかったが、秀逸だなと感じたのは経済現象の分析よりも「花見酒」というタイトル、そして主人公が酒に酔って正気を失っていく話であることであった。

とにかく世間全体が浮かれていた。時代の流れに酔っていた。落語の噺ではなく日本全体が花を見ながらその下で酒を飲んで歌い踊っている。そう誰が、何が成長し、その成長の果てになにがあるのだかわからないまま金だけが渦を巻いて費消されていく、そんな感覚である。

by michikusajinsei | 2017-04-16 08:56 | 国鉄 近郊型電車 | Comments(4)

昭和62年 東海道線

a0322896_21264029.jpg















良くも悪くもあの時代が今の自分を作った。

戦争というものを背負ったあのドラマの鶴田浩二の演じた役、戦争のそれも特攻隊という生き死にがギリギリのところを生きてきた若き日とその後の現実の自分自身の姿に向けて、生き残ったものとして恥ずかしくない生き方をしてきたのか、その問いかけが戦中派の心象風景であるのならば、果たしてバブル期に若き日が重なった自分たちの心象風景とは何だったんだろう。

何回か書いているが、あの時代へは懐かしさを感じる反面、今でも反発を感じてしまう。当時、時代の中心にあったのはフジテレビ。あの当時の同社の「軽チャー宣言」みたいな言葉こそ当時の自分にとってムカついた言葉はなかった。真面目であれ、とかNHK的な生硬さなどは求めていたわけではなかったが、しかしフジテレビの描き出す世界観「明るく、楽しく、やるせなく」に対しどうしても素直にそれに同調できない自分がいた。

しかしこの当時の若者向きのチャラチャラした世界・気分をリードすることで、フジテレビの現実に出す企画、ドラマがことごとくあたり正に昇竜の勢いとはかくや、という眩しさを感じていたのも正直なところでもある。

かといって、その前の時代、政治の季節にあるような重さに憧れていたわけでもない。それはそれで現実から乖離した空虚な言葉を弄んでいただけではないか、そんな気持ちを抱いていたのである。

一体、あの時代はどういう時代だったのか。自分はどういう気持ちで過ごしていたのか。

by michikusajinsei | 2017-04-10 12:27 | 国鉄 近郊型電車 | Comments(0)

昭和62年 東海道線

a0322896_21343597.jpg
















それにしても30年、文字にすると大昔という感覚がある。

もっとも実感という点では40歳以上の人間にとって30年という年月は振り返るとあっという間だが、一方、自分を取り巻く社会の変遷という意味では決して短い年月ではない。

そして、その30年という年月の重みを描いたあるドラマがある。それはさらに時代を遡ること10年、今から40年前に作られた。

以下はそのドラマの中の一節である。

----------------------------------------------------------------------------------------------------------
「俺は若い奴が嫌いだ。自分でもどうしようもない。若い奴が嫌いなんだ。」

「昔の話をするな、と言ったな。滅多に俺は昔の話などしない。しかし昔を忘れることはできん。戦時中の若い奴は、つまり俺たちはもっとギリギリに生きていた。死ぬことにも生きることにももっと真剣だった。」

「時代が違うんですよ」

「そうだ、昔だっていい加減な奴はいた、今だってギリギリに生きている奴はいるだろう。しかしなあ、明日死ぬと決まった特攻隊の連中を俺は忘れることできない。」

「明日、確実に死ぬと決まった人間たちと暮らしたことがあるか。それも殺されるんじゃない。自分で死ぬんだ。自分で操縦桿を握って、自分で死んでいかなければならない連中と前の晩を過ごしたことがあるか。」

「顔色がみんな少し青くてな。ある晩、吉岡、星が出ているかと聞いた奴がいた。でていなかった。見えないようだと答えると、そうか降るような星空ってのはいいもんだったたな、と言った。俺は一晩中雲よ晴れてくれと空に願った。晴れたら奴を起こして降るような星空を見せてやりたかった。翌朝、曇り空の中を奴は飛んでいった。そして帰ってこなかった。」

「甘っちょろい話じゃないかと今の奴は言う。しかしな、翌朝、確実に死ぬとわかっている人間は星が見たいという。たったそれだけの言葉に百万もの思いが込められていたんだ。」

「最後に奴と握手した時のぬくもりを俺は忘れることはできん。奴に手のひらはとうに冷たくなっている。俺だけが、俺だけが生き残ったということの情けなさがお前たちにわかるか。」

「いやわかってもらえなくてもいいんだ。それを甘いという奴をおれは許さん。少なくとも好きにはなれん。」

「いいも悪いもあの時代が俺をつくった。あんな後は、そんなもんじゃない、そんなもんじゃない。と何を見ても思ってしまう。とりわけ若い奴がチャラチャラ生き死にをもてあそぶようなことをいうと我慢ならん。利いた風なことをいうと我慢ならん。」

「俺は若い奴が嫌いなんだ。」

「それは....つきあいにくいですね。」

「ああ、多分、若い奴を本当には知らないせいだろう。」
----------------------------------------------------------------------------------------------------------

「男たちの旅路」

昭和51年2月、戦後30年という時代に放映されたNHKのドラマの中の一節である。

by michikusajinsei | 2017-04-05 21:47 | 国鉄 近郊型電車 | Comments(2)

昭和58年 飯田線

a0322896_22080547.jpg















今日は小津安二郎の113回目の誕生日であり、そしてまた53回目の命日。近親者でもないのに、朝起きた時はそんなことを思い出しもしなかったのに、仕事を終えて帰ってきたところでそれを思い出した。そしてなんとなく見たくなったのは彼の遺作「秋刀魚の味」

いや見たくなったというより聞きたくなったというのが正確かな。小津映画の魅力はたくさんあるが、特に戦後の作品で印象的なのは斉藤高順の音楽。明るさの中にそこはかとない物哀しさと叙情性にあふれどこまでも優しいそのメロディーは笠智衆の温和な笑顔と共に僕たちの心に惻々と響きわたるように感じる。


a0322896_22065884.jpg
















これらの写真は飯田線。特に飯田線が彼のフィルムに残っていたわけではないが、小津監督の片腕である厚田雄春キャメラマンが大の鉄道ファンでその影響からか何気ないカットで鉄道が時々、顔を見せる。例えば形式は異なるが「麦秋」では鎌倉付近を走る横須賀線が登場していた。そして飯田線を走る車輌には横須賀線で活躍していたのと同じタイプもいたので鎌倉に長く住んでいた彼があるいは乗っていたかもしれない。

この写真を撮っていた時は小津の没後からちょうど20年経っていたことになる。このころはまだ彼のフィルムに残されているそういった昭和中期の風景は特に意識しなくてもあちこちで感じられた。しかし今となっては、さらにこの写真を撮ってから30年以上経過している。はたしてこれらの風景がいまどれくらい残っているのだろうか。

by michikusajinsei | 2016-12-12 22:56 | 国鉄 近郊型電車 | Comments(0)

昭和63年 三河遠江

a0322896_22555424.jpg
























何回か前に過渡期のことを書いたが、JR発足直後の国鉄型車輌の装いこそその最たるものである。時間とお金の余裕がない中でそれでも前とは違う清新さをアピールしたかったのか。

この写真に見るFの65、1000番台はナンバープレートに色が差されている。この写真を撮った頃は何もそこまでして国鉄との違いを出そうとしなくてもいいじゃないかと思っていたが、今振り返ってみるとこの小さな色差しに分割民営化された直後のJR各社の必死さの象徴ように思える。

何も調べていないが、おそらくこの色差しは現場の発案だと思う。

とにかく親方日の丸から切り離され、また大量人員整理で職場のモラルは低下、そんな環境で一刻も早くまず職員の会社に対する求心力を高める必要があった。そのためには会社としての独自性発揮と現場重視の姿勢を見せなければという思いから、こういった小さな提案を一つずつ取り上げて実施していた、そんな経営風景を想像しているのだ。

ただ趣味的にはすれ違っているコンテナ車の塗装、こちらの方が興味深い。正に過渡期、国鉄とJRがすべて違うデザインで積載されている。

a0322896_08285549.jpg














こちらの車輌は飯田線。国鉄時代、電車の色と言えば湘南色か横須賀色が定番。その中で飯田線のスカ色に装われた旧型国電の代替で登場したこの車輌が京浜東北カラーだったのは新鮮だった。

しかし、それも束の間、新会社に伴いそのコーポレートカラーが模索されている中で塗り替えられてしまったようである。そしてそれが湘南カラー。ワンポイントとはいえ先祖返りするかのような光景に苦笑したくなる。

by michikusajinsei | 2016-12-09 22:56 | 国鉄 近郊型電車 | Comments(0)

昭和60年 五反田

a0322896_05380817.jpg















三本目の映画は「事件記者 拳銃貸します」昭和37年の日活映画です。快作ですね。

白タク稼業が摘発され組への上納金が払えず困ったチンピラ二人。彼らが屋台のおでんやでクダを巻いていると、そこの女将がおもむろに拳銃を差し出し、これを1日1万円で貸すから稼いできな、と。

隣で酔いつぶれて寝ている客を見て躊躇する二人。「この人は起きやしないよ、さ、どうする。」女将の気迫に圧されて拳銃を受け取り質屋強盗を企てる2人が夜の街に消えていく....。

その夜の街の舞台が、池上線五反田駅のガード下でした。映画の中でも2色塗り、TKK時代の3450が登場します。

五反田というのはなかなか趣のある街です。堂々としたオフィス街であり、近くに女子大もあります。また駅を貫く大きな桜田通は車の往来が激しくある意味、とても活気がある街です。

でも特徴つけているものはそんなものではないでしょう。五反田にいったよってと言うと首都圏在住者は、ふっとにやけますね。まあ男の歓楽街で有名なところですから。そしてその存在が五反田に街としての陰影を与えているのは間違いないです。

僕はこの映画が製作された昭和37年の五反田の情景は知りません。しかしモノクロの画面にうつる五反田のネオンや3階高架に進入する車内の明りが眩しい池上線。モータリーゼーション到来前なのにひっきりなしに走る去る車の光跡。そういった夜を夜と感じさせない光の乱舞に高度経済成長最初期の活気が映し出され、しかし、同じ街のガード下では訳ありの人間たちがひっそりと闇の稼業に手を染める世界が展開する。

もちろん新宿も渋谷も光と闇という点では同じです。ただこれらの街に屋台のおでんやは似合わない。やはりこれは五反田という街でしか描き得ない映画ではなかったか、そんな感想を持ちました。

しかし、それよりも印象的だったのはこの映画の夫婦役、山田禅二と新井麗子。この二人が絶品でした。彼らのことは全く知らなかったのですが、山田禅二の昨今の俳優に見られない悪役顔は、もう面構えという単語がこれほどふさわしい俳優滅多にいません。女将&女房の新井麗子は、女ひとりで屋台を商う女将の気迫と女房および母親の切なさや隠れた色気を全身から発散させています。

1時間余りのプログラムピクチャーですが、ドラマと情景、そして俳優のアクションが見事に融合していて、プログラムピクチャーでありながらこれほどの快作を作成した撮影所の力量に唸らざるを得ません。そしてそれを支えたのが、この映画の監督である山崎徳次郎や上の山田禅二や新井麗子といった俳優を筆頭とした個性豊かな人材でしょう。

そういった意味で撮影所のシステムが機能していた最後の時代の日本映画社会の実力が存分に発揮され、そこにあった職人芸の豊かさを存分に味わえる作品だと思います。

by michikusajinsei | 2016-06-18 09:56 | 国鉄 近郊型電車 | Comments(2)

昭和60年 東京駅

a0322896_07313336.jpg殆ど全員、山手線を待つ...これはこれで珍しいな。

そしてサラリーマンは殆どが上着着用。これもまた昭和後期の光景

by michikusajinsei | 2015-04-20 07:37 | 国鉄 近郊型電車 | Comments(2)

昭和60年 東京駅

a0322896_10405846.jpg昔の写真を見る楽しみは色々あるが、やはり何と言っても興味が湧くのはその頃の風俗がさりげなく写っているところだと思う。

今週、鉄犬殿のブログに触発されて30年前の東京駅の写真を見ているが色々な今との違いがあって見ていて興味が尽きない。

例えば今の時代、銘仙の着物を無造作に着こなしている婦人を見る事はほとんど無いが、この写真に写る中央の老人のように、裾がダブルのズボンにソフト帽、腕にはステッキという戦前の風俗をそのまま体現しているような人をみることは、もう絶無である。でも自分の祖父もそうだったが明治生まれが矍鑠としていた当時は別に珍しくもない姿であった。

同じように階段を上る青年も老人の後ろにいる壮年の男性もタバコを自然に手にしている。これもまた今ではありえない姿である。そしてスーパーニッカのラベルデザインもまた違う。

自分のブログのタイトルは「もう一度逢いたいあの車輛たち」であるが、実は逢いたいのは車輛だけではなく、あの時代の風景であるのかもしれない。

by michikusajinsei | 2015-04-19 11:31 | 国鉄 近郊型電車 | Comments(0)

昭和60年 東京駅

a0322896_12495526.jpg東京駅に帝都時代のドームが再建された事は反対ではないし、それはそれで快挙だと思っている。ただ同時に、戦後という時代の生き証人を残すという意味では戦後に作られた屋根が消えてしまったのは惜しい気がしてならない。

復興期の建築は時代の限界から資材も施行も充分とは言えない状況で作られたのだと思う。その意味で耐震性のことを持ち出すまでもなく使い続けるのにはその前の戦前建築よりも難しいのかもしれない。だから今、それらを目にする事はほとんど無い。

しかし、しかしである戦争が終わって焼け野原に立った我々の祖父母の世代がなんともしても生き延びる、そして少しでも良いものをまた生み出すとの心意気で懸命になって作ったのも復興期の建築である。その頃の気持ちに思いを馳せる象徴が全く無くなってしまうのは本当に良い事だったんだろうか。

それにしても、この頃の東京には空があった。つくづくそう思う…。



by michikusajinsei | 2015-04-18 17:37 | 国鉄 近郊型電車 | Comments(2)