昭和62年東海道新幹線&長良川鉄道

a0322896_21051083.jpg















30年前の3月31日、国鉄終焉の日。

それがどういうことの結末か、あるいは開始か、よくわからないままその日を迎えた。鉄道趣味に限らないが、記念イベントというものがあまり好きではない天邪鬼な性質なのでその日に限って鉄道写真を撮るのは止めておこう、と思ったもののなんか落ち着かず、朝からいろいろなテレビで放映されていたその日の鉄道情景をぼんやりと眺めていた。そうこうしているうちに夜になる。さよなら国鉄という列車が東京駅を出発する映像が流れた。

やっぱり、見に行くか。

そう思って、でも駅で見送るのはなんとなく気が進まず東海道線を見渡す丘の中腹に立ってその列車がくるのを待っていた。

その間にもいつもと変わらない駅の光景が展開していた。淡々と横須賀線の電車は駅に止まり出発していく。人々の流れも変わらない。ただその風景を何も考えず見つめていた。

やがてその列車が見えててきた。EF65と12系、そして最後尾に車籍が復活して連結されたマイテ49。初めて見る展望車の走行シーン。子供の頃から一度でいいから見てみたいと思った車輌。でも夜の闇の中、本当にシルエットだけ。

そしてそれを見送ったときなんとも言えない心細さを感じた。

僕はその年、落第して進級できないことが決まっていた。この3月31日までは同級生と同じ学年だけど、翌日から取り残される。自分はどうなるのか。

視界が晴れないJRの行方と自分の身上が交錯し家に帰る足取りが重かったのを昨日のように思い出す。

a0322896_22415745.jpg











































この写真は長良川鉄道だが、白状するとこの鉄道を撮りたくて訪問したのではない。ただ人があまり行かないような鉄道を見に行きたかった。それはもちろん珍しいものを見たいという気持ちもあったが、それ以上にこういった地方私鉄を撮るようになったのは、晴れがましい本線車輌は今の自分には眩しくてつらい、という消極的な気持ちがあったことは否定できない。また時代も、この頃から本格的にギラギラしたバブルの空気感というものが東京の街を覆い出した。そこにはどうしても居場所というものを感じられなかった。

そして新幹線100系、国鉄がその最後の日々に渾身を傾けて企画製造した車輌。個室と開放席で構成され、事実上、往時の一等車が復活した二階建てのグリーン車。防音壁から開放され見事な眺望が楽しめる食堂車。そしてスピード。かつての「つばめ」や「富士」、あるいは米国の「20世紀特急」といった陸の王者として鉄道が君臨した時代に存在したクラッシックトレインの舞台立てを新幹線という超高速鉄道の中で見事に昇華し 20世紀鉄道車輌が到達した頂点ともいうべき記念碑的な車輌である。

でも僕らの世代には、この車輌はシンデレラエクスプレスの舞台という印象が強い。あのコマーシャルは今見ると気恥ずかしまでに服装といいストーリーといいバブル期の雰囲気を濃厚にまとっている。思えばあの頃はとにかく金の力で自分を演出することにみんなが夢中だったし、それに酔っていた。そんな気が今思うとする。

そんな時代だが、それから30年という年月が経った。バブルという時代の匂いは跡形もなく東京から消えた。鉄道車輌も世代交代でその頃の多くは引退している。そして自分自身もなんとか社会に居場所を見つけて生活している。

by michikusajinsei | 2017-04-01 23:02 | 国鉄 特急 | Comments(2)

昭和62年 小淵沢界隈(その1)

a0322896_09181390.jpg















普通に走っていた頃は食傷気味だった赤クリームの国鉄特急塗装、でもこれが今にして思えば車体のデザインにもっともフィットしていた。

実際、国鉄設計の塗装をJRになってから変えたものはほとんどの場合、厚化粧気味で正直いまいちに思うのだが、この写真に見る八ヶ岳を背景に新雪の中を駆ける特急あずさのカラーリングは中々決まっている。

by michikusajinsei | 2017-01-15 12:31 | 国鉄 特急 | Comments(0)

昭和58年 奥中山(その2)

a0322896_06460331.jpg
















はつかり

この列車名はあまたある国鉄列車の中で随一である、個人的にはそう思っている。

北へ向かう旅情をかきたてる語感、ひらがな4文字、縦に書いても横に書いても収まりの良い字面、そして東北本線最初の特急列車という歴史。時刻表を開けば、その欄には全座席指定、グリーン車、食堂車全てが揃った舞台建て。L特急とは格が違う、その頃でも数少なくなっていた選ばれた列車、「特別急行」の香りを僚友の「みちのく」と共に漂わしていた。
a0322896_23201081.jpg

















僕は151系以降に登場する旧国鉄の新性能特急車輌は、はつかりに使われたキハ81以外は見たり乗ったりしているが、その中でも583系の醸し出す雰囲気は格別ものがあった。その依るところは背高の深い屋根がもたらす重量感とクリームに深い青の清潔感と高級感あふれる塗装に集約される。その他の車輌にない独特の個性は正に一段高いところから他の列車群を睥睨する、そんな印象を覚えたものである。

by michikusajinsei | 2016-07-07 07:21 | 国鉄 特急 | Comments(0)

昭和58年 奥中山

a0322896_10143003.jpg















先日、旧国鉄塗装の485系が引退走行を行ったという記事を読んだ。赤とクリームのダブルトーン特急色は僕にとって湘南色と並び最も馴染みの深い塗装である。それが引退となると、いよいよ自分の多感な時代である国鉄末期あるいは昭和4、50年代と言う時代が遠くなって行く気がする。

昭和4、50年代。近鉄特急の時にも書いたが、新幹線開業に端を発し爆発的に拡大した旅行需要に対し、その新幹線を軸にした補完高速鉄道網をどのように構築するかが問われていた時代。

そしてまた、その先にあったのは田中角栄が日本列島改造論で唱えた全国新幹線網構想。どこを起点というわけではないが日本列島を日帰りで往復できる鉄道網を整備することが当時のコンセンサスではなかったのではないだろうか。

そしてその両構想の交点で実現したのがエル特急と名付けられた特急ネットワーク。全国津々浦々、形式及び動力形式に違いはあれど幹線に咲いた2色の華、それが僕にとっての国鉄時代、また昭和末期の風景でもあった。そしてその中でも横綱格といえば485系、ことに東北新幹線開業以前の東北本線は、まさに特急街道、その主役は485系とその一統。
a0322896_23260834.jpg














やまばと、やまびこ、つばさ、いなほ、ひたち、あいづ、白山、はくたか、そしてひばり。エル特急全盛時代の上野駅の華やかさと活気は正に485系によってもたらされていたと言って過言ではない。そして、その一連の485系特急群にさらに重みを与えていたのが、東北特急の主「はつかり」である。

この写真は東北新幹線開業後。既に上野から撤退した後だか、かつての名撮影地である奥中山を長編成で快走する姿は、往時と変わらぬ迫力と風格を感じさせた。


by michikusajinsei | 2016-07-04 07:16 | 国鉄 特急 | Comments(0)

昭和63年 室蘭本線

a0322896_19520943.jpg















今回掲載したキハ183系は基本的に全国共通のユニバーサルデザインを旨とした国鉄においては例外的に北海道でしか生まれ得ない独特のデザインだった車輌でもある。これは稀有な出来事であるか、また逆に北海道という本州と比べ格段の耐寒仕様を求められる風土であるからこそ、ある意味、大胆な造形実験ができたのかもしれない。

a0322896_19521522.jpg















そういう意味ではこの車輌登場当時は国鉄再建を巡って様々な議論はあったが基本は全国組織としての国鉄は残るという前提があった。

そのまさか分割民営化など全く想像もできない時代にもかかわらず、その後の分割民営化により好むと好まざるとにかかわらず風土に根付いた独自のデザインを見せることになるJR型の嚆矢ともいえる車輌、設計した人たちが当時思った以上にその後の車輌デザイン思想に大きな影響を残した車輌ではなかったか、登場から30余年が経ちその後の世の変転を見ていると、そんな風にも思えるのである。

by michikusajinsei | 2016-03-10 20:35 | 国鉄 特急 | Comments(0)

昭和63年 キハ183系

a0322896_19385948.jpg















この車輌を初めて見たのは昭和60年の冬だが、その頃の写真が今、見当たらないので旧塗色の記録で手許にあるのはこの写真くらいである。流し撮りが失敗してブレているがそれはご容赦いただくとして、やはり旧塗装の方が美しいと思うのが正直なところである。しかし何よりこの角度で感じるのは国鉄車輌には珍しい精悍さである。国鉄車輌は曲面で構成した車輌デザインが多いように思う。ことに優等列車はそうである。繊細さ、優美さはあっても力強さを求めると物足りない車輌が多い。その数少ない例外がこのキハ183、そして、直線を強調したこの旧塗装がその魅力を増していると思う。

もっとも、多色化された塗色も今見てみると意外とその白磁のような塗装が雪に映えそう悪くないようにも思えてきた。

下の写真はこれまたピントが甘くて恥ずかしいが、登場からさほど経っていない時代の記録として眺めていただけたら幸いである。
a0322896_19395956.jpg

































by michikusajinsei | 2016-03-08 20:01 | 国鉄 特急 | Comments(0)

昭和63年 根室本線

a0322896_14411408.jpg














さてダイナミックな造形に魅了された183だが、周知の通り貫通扉を持った種類もある。こちらは新造したタイプ。平凡ではあるけど飽きのこないデザインでこれはこれでこの塗装には案外合ってるように思ったものだ。
a0322896_14411050.jpg














しかし、中間車を改造したこの車輌には正直なところ唖然とした。当時の僕は鉄道雑誌で情報を収集することなく旅に出ていた。だから183系の改造車がいたとは知らなくて、この写真自体は題名とは異なり根室本線ではなく室蘭本線で後年撮影した写真だが、初めて出会ったのもやはり室蘭本線。突然、眼前に現れたこの車輌を見たとき、こう言っちゃ設計された方に失礼かもしれないが、やっつけ感満点、また塗装が歌舞伎というかヤッターマンというかとにかく異相としか言えない表情。正直、これはないなと思ったものだ。

しかし、僕の周りでこれを早速Nゲージで改造して製作された方がいた。「えっ、なんでこんな改造車を作ったの?格好悪いじゃん」生意気盛りの僕の問いかけに「格好いいとは思わないさ、俺も。でも、誰も作んないだろ。それに異相であればあるほど、どうやって作ろうって言うイマジネーションを刺激されるのよ。何より、こんなブサイク、絶対製品化されないから。」

僕は趣味を派閥のように模型派だとか撮影派という風に分けるのは好きではない。得意不得意はあるかもしれないけど趣味ってクロスオーバーするところに楽しみがあると思う。でも同じものを見てもまるで違った視点で見る人がいる、正にそれは趣味の違いでしかないが、それを強く印象づけられたことをこの車輌を見ては思い出すのである。



by michikusajinsei | 2016-03-06 15:18 | 国鉄 特急 | Comments(0)

昭和63年 根室本線

a0322896_19451599.jpg









































しかしそんな仰ぎ見るような目で見たキハ183にも、欠点というかがっかりさせられたところがあった。それは食堂車がなかったことである。

長く北海道連絡はエリート列車だった。今、その頃の時刻表が手許にないのでもしかしたら間違っているかもしれないが、僕が時刻表を見始めたのは昭和50年代の初め。特急「はつかり」やそれに接続する「おおぞら」や「おおとり」

これらは全座席指定のマークと食堂車のマークが麗々しく掲げられ幼心にも別格の雰囲気を感じたものである。それ以来、北海道の特急といえばエル特急の「いしかり」は別にして、食堂車を連結したエリート列車であるべしという勝手な思い込みがあったのである。

しかし残念ながらキハ183にそれは製造されなかった。エリート列車なんていう個人的な妄想は別にして、長距離特急としてそれなりの需要があったはずなのに、また旅の楽しさを上手に演出できたのに。

ただ、それは仕方ないのかもしれない。おそらく需要があることは企画した北鉄管理局もわかっていたのだろうが、国鉄自身の経営の厳しさや、食堂運営側も長距離列車故に一本の列車に函館札幌間と札幌以遠と2クルー用意しなければいけない事情などが相まって見送りの決定がなされたのではないか、そんな風に想像しているが、噴火湾に登る朝日を眺めながらの朝食や、新緑が目に沁みる初夏や、対象的に茶褐色の広漠とした大地がどこまでも続く冬の風景を目にしながらの午餐。そういった楽しみを味わえる機会を失ったと思うと残念な思いが今でもするのである。




by michikusajinsei | 2016-03-04 20:01 | 国鉄 特急 | Comments(0)

昭和63年 根室本線 

a0322896_19450838.jpg















国鉄の気動車特急はどれも格好いいが、僕はこのキハ183が一番好きだ。国鉄末期って、社会的にはあまりいい印象がないが車輌的にはどうしてどうして素敵な車輌が多いように思う。新快速の117、山手線の203、新幹線の200。なかでも北海道は電車特急の781、普通車のキハ54、キハ183系と個性的かつ新鮮なデザインの車輌が多くて、なかでもこのキハ183はそのなかでも白眉、まさに国鉄デザイン陣の白鳥の歌ともいうべき傑作であると思っている。

この車輌は僕が中学1年の時にデビューしたがダイナミックな造形の先頭車と何よりも車内デザイン、木目調の化粧板を使用した内張りに暖色系の座席。とても高級感あふれる車輌が登場したと思ったのだ。

その頃の優等車輌は外観は格好が良くても、車内造作は正直なところ褒められたものではなく、やや色あせたようなクリームの化粧板に青色のモケット張りの椅子と言う寒々しい色の取り合わせ。極め付きがその椅子に簡易リクライニングというストッパーのない中途半端な機構のリクライニング装置を採用したことである。これには参った。夜、眠ろうと思って背ズリを倒してもストッパーがないから、少し身体を動かすだけですぐ戻ってしまうので、とても寝られたものではなかった。

そんな中で登場したキハ183は上に挙げた欠点を全て払拭し殆ど理想の特急車輌が登場したように思えたのである。



by michikusajinsei | 2016-03-02 19:47 | 国鉄 特急 | Comments(2)

昭和61年 北陸本線

a0322896_21483569.jpg北陸特急街道。そう名づけたくなるくらい、この頃の北陸本線は特急列車が走っていたよ。上野から、大阪から、そして名古屋からも。日本の三大都市圏から全て特急が乗り入れていた。

これは名古屋発のしらさぎだと思う。

小学生の頃に時刻表を初めて買ってもらって毎日眺めていた時、最初なんで名古屋発の北陸特急が新幹線と連絡しているのかわからなかった。東京からは上信越廻り一本で行けるし大阪からは湖西線経由で行ける。そもそもなんで北陸本線って米原からでているんだ?そんな疑問が浮かんだ。

それで地図を見ると北陸本線って感心するくらいうまく本州中心部を縦断して線路が引かれている。今にして思えば、その時初めて文字の羅列が立体化した感覚を味わったんだと思う。ネットワークという観点では本州が3社に分割され、かつどこも新幹線ありきで強引に線路敷いてしまう今よりも考えられていたんじゃないか、そんな風に思ったりもする。


by michikusajinsei | 2015-12-03 21:50 | 国鉄 特急 | Comments(0)