神奈川喫茶店逍遥(続々センターグリル洋光台店)


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裏を返しに行きました。

どうしてもまたあの雰囲気を確かめたくなり、次の週の日曜日もこのお店に出かけました。そしてこんど注文したのはカツカレー。

さて、初回の興奮は収まり改めて見直す内装ですがアクセントカラーの壁紙なんぞない時代ですから、重厚感を出すのに定番なのはラッカー塗りの板張り。そのラッカー塗装とオフホワイトのクロスががいい感じに艶が消え、寂びっていう言葉がしっくりとくる風情が醸し出される。そしてメニューとして今となっては使われていませんが、木材ブロックで作られた壁掛けメニュー。これも昔のレストランでたまに見かけましたが、黒板ではなくこれでメニューが掲載されていると少し高級感を子供心にも感じたことを思い出します。

とはいえテレビはさすがに平成30年ですから液晶。ちなみに放映されているのは全国男子駅伝。余談ですが僕はこの時期に2週続けて行われる京都の女子駅伝、広島の男子駅伝が好きです。中学生から社会人までが一つのチーム、そのつながりは郷土出身ということのみですが、いまとなっては村の運動会の延長のようなスタイルがなんかアマチュアスポーツの原点を見るようで清新な印象とひたむきさというものを感じてしまうんです。
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さてカツカレー。これはもう関東大衆食堂のエース。
「今日の晩ごはんはカレーだよ」
「今日は久しぶりのお出かけだよ。昼ごはんはとんかつにしようか。」

そんな母親や祖母の言葉に胸を踊らされた思いを持つ昭和戦後の少年少女はきっと多いと思います。子供が想像できる頂点にある贅沢。それがカレーやとんかつ。単独でもスターなのにそれらが一つのお皿に同居しているのですからね。

ただこのカツカレー、意外と気難しい料理なのかもしれません。花形役者が自己主張するような、つまりそれぞれ単独で食べると美味しいカレーととんかつを組み合わせると思いの外、美味しくない。それだと味に広がりがないんです。
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それがカレーはともかく、とんかつ。これが単独で食べるとイマイチなかつほどカレーライスと合わさると味にコクがでて光り出すんだから食の組み合わせって面白いものですね。

思うにカレーってそれ自体、スパイスによる強力な味のマスク効果があります。素材の味わいというものは普通は消されてしまう。そりゃビーフとポーク、チキン、といったそれぞれの味の違いはありますが、素材の味というものが増幅されることはありません。

そんな中でカツカレー。衣が文字通り素材をくるんで守ってくれます。だから一口目は衣の触感と塩気、油気がカレーと交わりカレースパイスの強さを緩和してくれた後、いわば調味料がマイルドになった状態で油通しされた肉に出会うわけですから素材としての肉と調味料たるカレーの邂逅がちょうど良いタイミングで行われる、それが味わいの秘訣ではないでしょうか。そしてその時、もし素材の味が強いとカレーの強さと素材の味の強さがぶつかりクドさが生じる、そんな風に思います。

そういった意味では褒め言葉になるのかどうかわかりませんが、このカツカレーはとてもおいしい。強い個性がぶつかって味が濁るのではなく、単独では非力なプレーヤーが合わさることで乗数効果を発揮する、まるで画面の駅伝みたいですね。

そういえば僕がこの駅伝を見るきっかけとなったのは数年前の女子駅伝、地元神奈川が優勝した中継を見たのがきっかけですが、その時の記録は大会記録で今も残っている、でも当時のランナーは誰一人区間記録は塗り替えてません。ある意味、不思議で、ある意味、駅伝らしい、このカツカレーではないですが、スター不在という状況下で勝ち取った偉大な記録、勝利者だったと思います。

.......まあ妄想を膨らませるのはこの程度にしておきます。

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今回は余韻を味わうためにコーヒーも頼みました。

後ろの席では常連と思しき方と見せの女将さんとの間で、隣近所の噂話に花が咲いていました。正直、僕はいてもいなくてもいい存在です。でもなんでしょう、それがとても心地よい。

今まで延々と昭和遺産の話で引っ張ってきて今更ですが、このお店の真価、それはそういう歴史的な記号ではなく、やはりこの空気感にあると思うのです。

もちろん昭和の時代に成人を迎えた人間としてはそういった遺産に心がときめいたのは事実です。しかしこのお店は現役のお店、そして別にそういった今風の「レトロ感」を売り物にしているわけではないです。それに味付けという点でははっきり言ってほっぺたが落ちるような美味しさがあるわけではありません。でも僕が訪問したこの2回、家族連れも一人できている人、それぞれここで食べている時間を心底楽しんでいる、そんな空間を感じてなりませんでした。外は寒かったけれど春風駘蕩たる雰囲気が横溢していたのです。

確かにお店に残る昭和の遺産は貴重です。それに感激したのは確か。でもこのお店訪れる価値はそんな昭和遺産を愛でるところだけにあるのではないと思います。

昭和、昭和と連呼しましたが平成だって30年経過しています。その長い年月の中で営まれてきたこのお店が無上だと思うのは、昭和だ平成だという風俗を越えて気取らずに、でも下品になることなくゆっくりと食事をする雰囲気を長年に渡って大事に維持してきた、まさにその空気感を味わうことができる、その空気感を維持してきた時間の流れを感じるとることができる、その人生の大先達にむかって失礼な言い方になるかもしれませんが、このお店で食事をするとそんな風に思うのです。

# by michikusajinsei | 2018-02-13 07:12 | 横浜 | Comments(0)

神奈川喫茶店逍遥(続センターグリル洋光台店)


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すっかり外観の昭和ぶりに興奮してしまいましたが、そうは言っても食べに来たのですからメニュー見てさて何にするかな。グラタンかスパゲティーか、それとも....。少し迷いましたが、やっぱり古い洋食店だとご馳走というからには肉を使った料理がいいなあと思ってメンチカツを注文しました。

注文を待つ間、なんとなく周囲を見渡します。ストーブで程よくあったまった室内。すぐ横のテーブルには親子四人連れ、後ろにはスポーツ新聞を読んでいる常連らしきおじさんがお店のおかみさんと雑談を交わしています。

あまり彼らを凝視するわけにもいかず、なんとなく天井に掲げられた調理師免状などを眺めていました。こういった免状は昭和のお店には必ずといっていいほど掲げられていました。実際、このお店の免状にも長洲一二、飛鳥田一男といった昭和4〜50年代の県知事、横浜市長の名前が並びます。革新首長華やかな時代のスターたち。そんな中で一番左の額装が少しばかり大きく異彩を放っています。目を凝らしてそれを読んだ時、思わず声を上げそうになり、そしてすぐに固まってしまいました。

その賞状、それは東京オリンピック代々木選手村運営活動協力への感謝状でした。

昭和39年の東京オリンピック、戦後という時代、復興と隆盛、その到達点でありまた出発点であった記念すべきイベント。

僕はポスト五輪世代ですからその時は生まれてません。とはいえ学生の頃は、東京オリンピックはそんなに遠くの時代ではなかったです。釜本や猫田のようにまだ現役で活躍していた選手もいましたし、就職してからも取引先の方で選手として参加されたなんて人に会ったこともあります。しかし、今となれば開催から半世紀、ほぼ歴史的な記号にならんとしているこの時代にそれが現役を証明するような形で残っている風景に出会うとは思いもよりませんでした。

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「さあ、スープできたよ、お嬢ちゃんが食べるのかな」お店のおかみさんの声。

となりの家族連れに料理が運ばれ始めます。小学校1、2年生といった感じの女の子に幼稚園くらいの男の子。お皿はお姉ちゃんの前におかれましたが二人で分け合って食べてる。これだって泣きそうになるくらい自分の子供の頃の風景。ファミレスのドリンクバーで好きなものを選ぶのが普通の時代になかなかこういった姿はみられなくなりました。やがて運ばれてくるハンバーグやスパゲッティーといった料理。ならぶお皿、この家族の醸し出している雰囲気、情景は失われた過去が蘇ってくるようです。唯一、あの頃と違うのがお父さんとお母さんの年齢、40前後の雰囲気で、これはやはり晩婚の時代なのだからでしょう。

やがて自分のところにもメンチカツが運ばれてきました。

「グジュ」

今風の「カリッ」とした食感からかけ離れた感覚です。正直、最初に違和感はありました。でもね、メンチカツってあの頃そんな存在だった気がします。とんかつやハンバーグはちょっと高級、だけど脂っこい肉を食べて精をつけたい、またあまりみすぼらしくない料理を注文したい、そんな気持ちがこの料理を生み出し発展させたような気がします。そしてこのメンチカツ、確かに食感こそ芳しくありませんでしたが、肉と玉ねぎにははっきりとした下味があり、それがかすかな肉の甘みと混じり合い決して不味くありません。合間にキャベツの千切りとマカサラ、これも安っぽいといえば言えますが、口の中の油っぽさを上手に消していきます。刺激は少ないですがごはんが進み、いつのまにか完食してしまいました。

総じて満足。でも、食べ終えてしまうともうここにいる理由はありません。少し名残惜しさを感じながら、お冷で口を洗ってお店をでました。

(この項、続く)

# by michikusajinsei | 2018-02-07 07:19 | 横浜 | Comments(0)

平成30年 神奈川喫茶店逍遥(センターグリル洋光台店)

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関東地方の冬晴れはとても気持ちのいいものです。空気は澄んでいますし、日差しは柔らかいですから外は寒いとわかっていてもどこかへと出かけたくなります。年が明けてからの週末もそんな天気が続いていましたので、先週も先々週もお昼前には家を出ました。出かけるといっても半分は昼ごはんを食べるのが目的。なってたって土曜日の昼ごはんくらい人生でもっともリラックスできる時間はありませんからね。

少し前に友だちが「野毛のセンターグリルって評判がいいから食べに行ったんだけどそうでもなかったわ。」ってFacebookに投稿を上げてました。Facebookって見ているだけで普段はあまりコメントなんかしないんですが、その時は思わずしてしまいまいした。

「このお店は、お子様ランチがご馳走だった時代を思い出して味わうところだよ。いま風の感覚で味や雰囲気をどうこうするところじゃないと思います」と。

センターグリルっていうのは投稿の通り野毛に昔からある店、スパゲッティナポリタンの冷凍食品の監修をしたりして横浜では有名な店ですが、メリハリのはっきりしたインパクトの強い味が好まれる現代の風潮に合っている店ではありません。はっきり言って舌をまくといった美味しさとは無縁です。またメニューもフライやグラタン、カレーっていうごく普通の洋食しかないです。でも何ていうかそれらの料理を眺めて食べていると手作りの素朴感が溢れてくるようで、そんな雰囲気にファンが多い店です。

そしてその暖簾分けのお店が洋光台にあることを少し前に知って、じゃあそこに行ってみるかと横浜駅から根岸線で南下しました。

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もう何というんでしょう、入り口からやられてしまいました。ガラス戸にキュッと絞られた白いレースのカーテンですよ。昔のレストランや喫茶店では上品さを演出する装飾でよくありましたが見なくなって久しい。そのガラスにはエナメルっぽい塗料で描かれた店名に一昔前の食堂車を表す記号であったナイフとフォークの交差したイラスト。もうなんでしょう、生きています。昭和40年代って感じです。

静かな興奮が体内を駆け抜ける思いがしました。

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ところで、お店の看板にも描かれてますがセンターグリルといえば、本家もそうですがこの紋章のようなロゴマーク。本家の創業は連合軍による占領期。米国風って書いてあるのはその影響でしょうか。まあ、料理の味わいが米国風かどうかはともかく、このロゴマークはまさにアメリカン。

世界どこの国でも会社はシンボルマークを持っていますよね。日航の鶴丸だとか三越越後屋の丸越だとか。それらも優れていると思いますが、こと会社のシンボルマークに関しては平均値でもっともレベルが高いのがアメリカ。大赤字で大変なことになっていますが彼の国の名門企業GE、彼らのGとEのローマ字をくねらしたようなデザインなんてよく考えつくよなあ。他にもコカコーラなんかもローマ字のデザインで秀逸ですよね。これらは一度見たら忘れられませんもの。

鉄道会社のロゴもそうです。僕は少年の頃、アメリカの鉄道に憧れていましたが、その理由の一つはユニオンパシフィックだとかニューヨークセントラルといった鉄道会社のもつ企業ロゴのかっこう良さでした。

それはともかく、このセンターグリルのロゴ、開業当初からあったのかどうか知りません。でも開業したのは占領期です。そして当時の横浜中心部はほとんど接収されていました。

つい1年前に我が街を壊滅に追いやった相手に依存して生きなければいけない悔しさややるせなさはあったでしょうが、一方でその影響を吸収して新しい別の風俗を生み出す逞しさというものもあった。それはかたちだけみれば草の根から見たアメリカ文化の翻案化でしょうが、どんな文化もたちどころにそのエッセンスを和風の中にとりこんでしまう日本文化のしなやかさ、先人たちの心の強靭さというものを感じてしまいますし、それがあったからこそ壊滅的な状況からわずかな時間で復活する力強さがあったのだと本当に思います。

僕はこのロゴにそんな戦後という時代の一断面が息づいている、そんな風に思うのです。

(この項、つづく)

# by michikusajinsei | 2018-01-27 19:24 | 横浜 | Comments(2)

昭和60年 & 63年 東武鉄道(その3)

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前回は意外な驚きを書いてみたが、そうは言ってもやはり東武鉄道に優等生的な匂いがある。その匂いの拠ってたつところは結局のところ東武鉄道という会社の経営姿勢であり、その具現化された姿が一連の東武鉄道車輌群。

その東武鉄道車輌群の特徴を一言で言えば「車格を超えた快適性」ではないだろうか。
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そんな表現をすると、一昔前の車の広告みたいで嫌味ったらしい雰囲気になってしまうが、要は優等列車向け、普通列車向けといった想定された新しい電車を企画するときの心持ちとして、その車輌の性格付けをトップダウンで行うかボトムアップで行うか、ということである。

その点において、旧国鉄は典型的なトップダウン。優等列車の基準を決めてしまうとその枠に捉われてなかなか接客面でのアップグレードがなされない弊はその最後まで続いていた。上級のグリーン車がリクライニングシートだから普通車にリクライニングシートを採用するのは如何なものか、という発想である。

そしてそういった観点での経営方針は私鉄各社にもそれぞれあってそれはそれで興味深いものがある。
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京急や阪急のような都市間鉄道は設備の差別化よりはスピードで優等列車と普通列車の差を設けているのが多い。それに対して東武鉄道はそういった意味では国鉄に近いクラス分けをしていると思うが、国鉄のトップダウンに対し東武はボトムアップ思想で車輌の企画をしていたのではないだろうか。

如実にそれが現れているのが通勤車輌の8000系だと思う。昭和30年代後半、そのころ優等車輌からようやく装備されだしたエアサスペンションの台車を装備して登場している。

最優等車輌のDRCもそうだ。全席リクライニング、車内ビュッフェにジュークボックス、南海のデラックスズームカー「こうや」と並んで当時の国鉄2等をはるかに凌ぐ贅沢な内装である。

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そして、この1800系、りょうもう号用車輌。この車輌もまた急行という等級にある意味ふさわしくない外観・内装だ。この車輌を当時の国鉄車輌に照合すれば立派な特急用の車輌である。正直申せば、なお前面は安っぽい造りであるし優等車輌にある華やかさというものは感じられない貧相さ。その点で急行レベルのお金のかけ方だが、移動する乗客にとって大事なのは客室である。当時の国鉄特急とほぼ同じ造作で、空調完備でリクライニングはしないが、ゆったりとした回転式クロスシート。その点では昭和44年の登場という時代を考えると合格点だと思う。

国鉄という基準があったから、車格に対する設備を考えるときにそれを横目に見て少しそれに先んじることができた面はあったかもしれない。とはいえ、人口急増期でかつ旅行需要が拡大した時代、放っておいてもそれなりに人は乗ってくれる中、逆に言えば国鉄程度の設備で特に不満が出ることもなかっただろう。しかしそんな環境でも東武鉄道は鉄道事業の価値とはないかを探求し静かにかつ着実に体質を改善させていった。

地味で華がないとずっとそんな感想を抱いてきた東武鉄道の車輌たちも見方を変えれば思いの外、深い思想が隠されていた、そんな思いがするものである。

# by michikusajinsei | 2018-01-23 06:50 | 東武鉄道 | Comments(0)

昭和62年 東武鉄道(その3)

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好悪は別にして親近感が湧く鉄道、あるいは車輌とそうでないのがある。地元の鉄道なんかがその代表だし、登場が印象的だった車輌ということもある。僕にとっては京急とその800形がその代表。地元でありまた自分が絵本世界のような感覚で電車が好きだという次元から個別の車輌への興味を深めていった時期に、その京急のイメージを一新して登場した車輌だからである。

その意味で生活圏にない東武鉄道には、路線にも車輌にも正直、高い関心を寄せたことはないが、その中で唯一の例外がこの車輌、6050系だった。

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そのような個別車輌への興味が自分の中で急速に盛り上がり僕が鉄道情報を熱心に追いかけていたのは昭和50年代後半から昭和64年ごろまでである。そのためかその当時にデビューした車輌は格好の良し悪しとは関係なく印象が深い。

振り返ってみてその頃を戦後電車史的に位置付けてみると、新性能電車第一陣が輩出したのは昭和30年代後半。それから20年が経過し、そろそろ陳腐化が目立ってきてモデルチェンジを迎えていた時期でもあった。

ただ、そういうモデルチェンジは最優等列車かあるいは通勤電車、とにかくその鉄道にとっての中核車輌がまず手をつけられるのが通り相場。しかし東武はその定石を外すように快速・急行用車輌にそれを持ってくるのが意表をついたので印象深かったわけである。
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さらにそのモデルチェンジが、東武といえばクリーム一色の通勤タイプかオリーブや朱色、赤紫といいた遮光性の強いどちらかというと艶の薄い塗色からパールホワイトにオレンジの帯という目の覚めるような色合いに変えてきたものだから余計に印象付けられたわけである。

とはいえやはり東武は自分にとって縁遠い。その後の車輌更新の変遷を追うこともなく、だからというべきか、この車輌は新設の野岩鉄道及び会津鉄道乗り入れのために思い切って新しさを打ち出した異端児だろうと今の今まで思っていたのである。

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ところがである。今回、自分が撮った東武鉄道の写真を見返して驚いたのは数回前にアップした8000系の後継者であるステンレス製の通勤車、10030系の正面デザインがまるで同じ。登場はこの6050の数年後だからこちらが元祖。それどころか調べてみると8000系の更新車も正面をこのデザインに変更したとある。

10030系は10000系という先行車輌があるし、8000系はもちろん東武鉄道の顔、だがデザインの収まりが悪いと見るやスパッと切り替え、そしてそのデザインに納得すると前代の8000系がそうであるように徹底してその標準化で攻めてくる。

確かにどの鉄道会社も多かれ少なかれ標準化を追い求めるのは事実であるが、東武の徹底的な標準化志向はやや偏執狂的というか、それが言い過ぎであるならば合理化に賭ける信念ともいうべき経営的な意思の強さというものを感じないではない。

一方で単に自分が知らなかっただけと言われれば身も蓋もないが、後の21世紀に現れるアルミ車輌のデザインを鑑みても東武には「堅実な優等生」という我々の思い込みを時として鮮やかに裏切る思い切りの良さがある。

保守性と革新性、あるいは飛躍と停滞の同居。それが東武鉄道の社風なのであろうか。

# by michikusajinsei | 2018-01-17 06:16 | 東武鉄道 | Comments(0)