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平成2年 京阪(その1)

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僕が小学生の頃、昭和50年代の関西私鉄の存在感は格別のものがあった。なんて言うのだろうか、あの頃の関西私鉄を思うと僕の頭の中には土地柄もあって桃山文化の華麗な屏風絵のようなきらびやかさが浮かんでくる。それはただ車輌が格好いいだけではなくて、沿線の情緒や各社の運行思想がもつ独特の個性が強烈で、そういう要素が薄くてただ大量輸送に追われている当時の関東圏の電車に囲まれていた自分には憧れの存在だった。

日本を代表する鉄道と言えばもちろん新幹線だったけれど、運行していた車輌の質、ネットワークの肌理の細かさ、ターミナル駅を筆頭にした施設と沿線開発の質の高さ、そして運賃の安さ。

経営再建をめぐり右往左往していた国鉄と比べ明らかに数段高い位置にいたのが当時の大手私鉄、中でも関西大手の阪急、阪神、近鉄、南海、そして京阪の5社だった。

ただ正直なところそれらすべての関西私鉄が興味があったわけではない。やはり注目の的だったのはスピードかロマンスカーの華やかさ。前者が阪急、阪神。後者がビスタカーの近鉄とデラックスズームカーの南海である。

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車内設備はさておいてスピードという点で、当時国鉄在来線で最高速度を誇ったのが特急ではなくて京阪神間の新快速、それに伍して競争していたのが阪急・阪神。いずれも特急券などいらない普通運賃だけで乗れる列車である。それはある意味、胸のすくような痛快さでもあった。

それに比べるとスピード面で京阪に何か特徴があったとはとても言えない。私鉄の紹介文などを読むとスピードがないぶん、三条京阪と淀屋橋という京阪両都の繁華街中心部にターミナルが立地することでそれを補っていると書かれても土地勘の薄い関東の小学生にはいまいち訴求力の欠けるものだった。

by michikusajinsei | 2017-05-15 20:40 | 京阪電車 | Comments(0)