神奈川喫茶店逍遥(続センターグリル洋光台店)


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すっかり外観の昭和ぶりに興奮してしまいましたが、そうは言っても食べに来たのですからメニュー見てさて何にするかな。グラタンかスパゲティーか、それとも....。少し迷いましたが、やっぱり古い洋食店だとご馳走というからには肉を使った料理がいいなあと思ってメンチカツを注文しました。

注文を待つ間、なんとなく周囲を見渡します。ストーブで程よくあったまった室内。すぐ横のテーブルには親子四人連れ、後ろにはスポーツ新聞を読んでいる常連らしきおじさんがお店のおかみさんと雑談を交わしています。

あまり彼らを凝視するわけにもいかず、なんとなく天井に掲げられた調理師免状などを眺めていました。こういった免状は昭和のお店には必ずといっていいほど掲げられていました。実際、このお店の免状にも長洲一二、飛鳥田一男といった昭和4〜50年代の県知事、横浜市長の名前が並びます。革新首長華やかな時代のスターたち。そんな中で一番左の額装が少しばかり大きく異彩を放っています。目を凝らしてそれを読んだ時、思わず声を上げそうになり、そしてすぐに固まってしまいました。

その賞状、それは東京オリンピック代々木選手村運営活動協力への感謝状でした。

昭和39年の東京オリンピック、戦後という時代、復興と隆盛、その到達点でありまた出発点であった記念すべきイベント。

僕はポスト五輪世代ですからその時は生まれてません。とはいえ学生の頃は、東京オリンピックはそんなに遠くの時代ではなかったです。釜本や猫田のようにまだ現役で活躍していた選手もいましたし、就職してからも取引先の方で選手として参加されたなんて人に会ったこともあります。しかし、今となれば開催から半世紀、ほぼ歴史的な記号にならんとしているこの時代にそれが現役を証明するような形で残っている風景に出会うとは思いもよりませんでした。

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「さあ、スープできたよ、お嬢ちゃんが食べるのかな」お店のおかみさんの声。

となりの家族連れに料理が運ばれ始めます。小学校1、2年生といった感じの女の子に幼稚園くらいの男の子。お皿はお姉ちゃんの前におかれましたが二人で分け合って食べてる。これだって泣きそうになるくらい自分の子供の頃の風景。ファミレスのドリンクバーで好きなものを選ぶのが普通の時代になかなかこういった姿はみられなくなりました。やがて運ばれてくるハンバーグやスパゲッティーといった料理。ならぶお皿、この家族の醸し出している雰囲気、情景は失われた過去が蘇ってくるようです。唯一、あの頃と違うのがお父さんとお母さんの年齢、40前後の雰囲気で、これはやはり晩婚の時代なのだからでしょう。

やがて自分のところにもメンチカツが運ばれてきました。

「グジュ」

今風の「カリッ」とした食感からかけ離れた感覚です。正直、最初に違和感はありました。でもね、メンチカツってあの頃そんな存在だった気がします。とんかつやハンバーグはちょっと高級、だけど脂っこい肉を食べて精をつけたい、またあまりみすぼらしくない料理を注文したい、そんな気持ちがこの料理を生み出し発展させたような気がします。そしてこのメンチカツ、確かに食感こそ芳しくありませんでしたが、肉と玉ねぎにははっきりとした下味があり、それがかすかな肉の甘みと混じり合い決して不味くありません。合間にキャベツの千切りとマカサラ、これも安っぽいといえば言えますが、口の中の油っぽさを上手に消していきます。刺激は少ないですがごはんが進み、いつのまにか完食してしまいました。

総じて満足。でも、食べ終えてしまうともうここにいる理由はありません。少し名残惜しさを感じながら、お冷で口を洗ってお店をでました。

(この項、続く)

by michikusajinsei | 2018-02-07 07:19 | 横浜 | Comments(0)