昭和62年 東武鉄道(その3)

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好悪は別にして親近感が湧く鉄道、あるいは車輌とそうでないのがある。地元の鉄道なんかがその代表だし、登場が印象的だった車輌ということもある。僕にとっては京急とその800形がその代表。地元でありまた自分が絵本世界のような感覚で電車が好きだという次元から個別の車輌への興味を深めていった時期に、その京急のイメージを一新して登場した車輌だからである。

その意味で生活圏にない東武鉄道には、路線にも車輌にも正直、高い関心を寄せたことはないが、その中で唯一の例外がこの車輌、6050系だった。

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そのような個別車輌への興味が自分の中で急速に盛り上がり僕が鉄道情報を熱心に追いかけていたのは昭和50年代後半から昭和64年ごろまでである。そのためかその当時にデビューした車輌は格好の良し悪しとは関係なく印象が深い。

振り返ってみてその頃を戦後電車史的に位置付けてみると、新性能電車第一陣が輩出したのは昭和30年代後半。それから20年が経過し、そろそろ陳腐化が目立ってきてモデルチェンジを迎えていた時期でもあった。

ただ、そういうモデルチェンジは最優等列車かあるいは通勤電車、とにかくその鉄道にとっての中核車輌がまず手をつけられるのが通り相場。しかし東武はその定石を外すように快速・急行用車輌にそれを持ってくるのが意表をついたので印象深かったわけである。
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さらにそのモデルチェンジが、東武といえばクリーム一色の通勤タイプかオリーブや朱色、赤紫といいた遮光性の強いどちらかというと艶の薄い塗色からパールホワイトにオレンジの帯という目の覚めるような色合いに変えてきたものだから余計に印象付けられたわけである。

とはいえやはり東武は自分にとって縁遠い。その後の車輌更新の変遷を追うこともなく、だからというべきか、この車輌は新設の野岩鉄道及び会津鉄道乗り入れのために思い切って新しさを打ち出した異端児だろうと今の今まで思っていたのである。

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ところがである。今回、自分が撮った東武鉄道の写真を見返して驚いたのは数回前にアップした8000系の後継者であるステンレス製の通勤車、10030系の正面デザインがまるで同じ。登場はこの6050の数年後だからこちらが元祖。それどころか調べてみると8000系の更新車も正面をこのデザインに変更したとある。

10030系は10000系という先行車輌があるし、8000系はもちろん東武鉄道の顔、だがデザインの収まりが悪いと見るやスパッと切り替え、そしてそのデザインに納得すると前代の8000系がそうであるように徹底してその標準化で攻めてくる。

確かにどの鉄道会社も多かれ少なかれ標準化を追い求めるのは事実であるが、東武の徹底的な標準化志向はやや偏執狂的というか、それが言い過ぎであるならば合理化に賭ける信念ともいうべき経営的な意思の強さというものを感じないではない。

一方で単に自分が知らなかっただけと言われれば身も蓋もないが、後の21世紀に現れるアルミ車輌のデザインを鑑みても東武には「堅実な優等生」という我々の思い込みを時として鮮やかに裏切る思い切りの良さがある。

保守性と革新性、あるいは飛躍と停滞の同居。それが東武鉄道の社風なのであろうか。

by michikusajinsei | 2018-01-17 06:16 | 東武鉄道 | Comments(0)