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昭和60年&61年 片上鉄道(その3)

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白状すると、宿代を考えて夜行列車が走っていることを第一に考え、あとは行き当たりばったりに行き先を決めていたのが自分の学生時代の鉄道旅行の実態なのだが、そのなかで数少ない例外がこの同和鉱業片上鉄道で、ここはどうしても訪問したくて、この鉄道を目的として訪れた数少ない鉄道である。

そしてこの同和鉱業片上鉄道の魅力は端的に車輌および運用の多様性にあった。

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前回、自分勝手な地方私鉄の定義付けを行ったが、当時自分が憧れた全盛時代の鉄道の姿をその通りに残しているのは本当に少なかった。

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東海道沿線育ちでブルトレに憧れて育った原体験があるからか、車種はどうであれどうしても機関車牽引の列車がないと自分としてはその路線への訪問意欲は高まらなかった。

そしてそこに客車列車があれば最高だったが、そんな贅沢を言うにはさすがに昭和晩年ともなると難しい。そうなると貨物列車の存在が重要になってくる。
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その貨物列車の営業自体は、例えば東武や西武、名鉄といった大手でもまだ残っていたし(と言ってもこれらには写真を撮りに行っていないので言行不一致のそしりをまぬがれないのだが)、もっと本格的な鉱山鉄道も残っていて、自分も三菱南大夕張などでその雰囲気を感じることはできた。

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また名車の払い下げも、こちらは国私鉄を問わず活発で、例えば北陸鉄道や弘南鉄道で愛知電鉄や阪和電鉄といった戦前期電車黎明時代の往年の名車の活躍を同じく目の当たりにすることができた。

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もちろん自社発注の車輌もかなりあり、それらのデザインはたぶん、その鉄道というよりは恐らく日車や川重、汽車会社といった車輌会社のイニシアチブで作られたのだろうけれど、そんな出自を忘れさせるように各車輌は自然にその鉄道に馴染んでいた。

そう、一つずつ取り出していけば、魅力溢れる鉄道は各地に残っていたのだが、それを全て包含していた鉄道となるとほとんどなく、その数少ない生き残りが、兵庫の別府鉄道とこの同和鉱業片上鉄道であった。

by michikusajinsei | 2016-10-11 00:19 | 同和鉱業 | Comments(0)